第4章: ひまりのスープ試食…なんで、こんなに美味しいだ二番出汁は(続き 3/3)
翼は、自分の番だと覚悟を決めた。ひまりがここまで素直な反応を見せているのだ。作り手として、これを味わわずにいるわけにはいかない。彼は一番出汁のラーメンを一口啜り、その味を確認する。確かにうまい。自分のベーススープが、まるで別次元の味わいに昇華されている。優しい甘さとコクが、舌の上でふわりと広がり、後味は驚くほど澄んでいた。
そして、恐る恐る二番出汁のラーメンにレンゲを差し込んだ。
スープを口に含んだ瞬間、翼の背筋を電流のような衝撃が走り抜けた。うまい、などという言葉では到底追いつかない。これは彼が今まで経験したどんな味覚とも異なる、まったく新しい領域の味だった。鶏と醤油の風味を土台にしながらも、その上に重層的に積み上げられた、複雑で、淫靡で、それでいて抗いがたい吸引力を持つ何か。舌の上でとろりと広がったかと思うと、喉を通過する瞬間に、鼻腔へと突き抜ける麝香のような芳香。そして、飲み込んだ後も、唇や歯茎にねっとりとまとわりつき、いつまでも唾液の分泌を促し続ける余韻。
翼の頭の中で、あらゆる理屈が音を立てて崩れ落ちていった。一番出汁は、いわば「素材の第一抽出」だ。表面の汗や皮脂、ほこりなどが主に溶け出しているはずで、不純物も多い。だから一度捨てて、二番出汁で本来の旨味を抽出する。それは料理の鉄則だ。しかし、この味の違いは、そんな生易しい理屈では説明がつかない。一番出汁が「優等生的な美味さ」なら、二番出汁は「背徳的な旨さ」だった。一口啜るごとに、脳の奥深く、おそらく理性を司る部位がじわじわと麻痺していき、もっと、もっと、と本能が叫び始める。
それが、ひまりの、彼女の粘液の、味なのか。
翼は、エプロンの下で痛いほどに勃ち上がり始めた自身を自覚しながら、深く息を吐き出した。そして、カウンター越しにひまりの顔をまっすぐに見つめる。彼女もまた、潤んだ瞳で翼を見上げていた。二人の間には、言葉にできない共犯関係が、すでにどろりと横たわっている。
「……ひまり。俺は、二番出汁で勝負する」
翼の声は、自分でも驚くほど低く、そして決然と響いた。
「理由は、理屈じゃない。ただ、これは……これは、奇跡の味だ。お前が、その、……協力してくれたからこそ、生まれた味なんだ。だから俺は、これを信じる。一番出汁のメニューは、やめる。この二番出汁だけで、店の看板を張る」
ひまりのまつげが、ふるりと震えた。彼女はしばらく黙って自分の丼を見つめていたが、やがて、そこに最後の一滴まで残っていたスープを、レンゲできれいにすくい上げ、口に含んだ。そして、それをゆっくりと味わいながら飲み干すと、翼に向かって、静かに、しかしはっきりと、うなずいて見せた。
「……うん。おじさんがそれでいいなら、あたしも……それで、いい。あたしも、これが、一番おいしいと思うから」
その言葉には、すでに観念したような、あるいは開き直ったような響きがあった。彼女はもう、自分が湯船で何をしていたかを、恥じてはいなかった。むしろ、その行為こそが、この奇跡の味を生み出す必須の儀式なのだと、彼女の中で急速に認識が書き換わっているようだった。翼は、そんなひまりの変化を、興奮と、それと等量の恐怖を持って見つめていた。
「……来週も、これで頼む。できるか?」
翼の問いに、ひまりはまっすぐに視線を返した。その黒目がちの瞳の奥で、何かがきらりと光る。それは、幼い頃から翼が知っていた、無邪気で押しに弱いだけの少女の目では、決してなかった。
「うん。来週も……あたし、もっと、ちゃんとする。今日よりもっと、おいしくなるように……がんばるから」
翼はごくりと唾を飲み込み、丼を片付けるふりをして、彼女から顔を背けた。このラーメンは、もう彼だけのものではない。翼とひまり、二人だけの、甘美で背徳的な秘密の結晶だった。そしてそれは、彼がこれから世間に解き放とうとしている、禁断の味そのものだった。
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