第4章: 歪んだ承認、夫の不在(続き 2/2)
「でも、お義父さんは濃い味がお好きですよね? 私の好みは、もっとあっさりしてて」
「構わん。変化があっていい」
俊一は味噌汁をすする。
「お前もこの家の一員だ。自分の好みくらい、主張して当然だ」
その言葉に、遥の胸が熱くなった。
――私も、一員。
――主張していいんだ。
今まで、亮介の好みに合わせ、俊一の要求に応えることばかり考えていた。
でも、そうじゃない。
自分がここにいること、自分がこの家を支えていること――
それを認めてくれる言葉が、こんなにも胸に染み渡るものだとは知らなかった。
「……ありがとうございます」
声が少し震えた。
「何度も感謝するな。当たり前のことを言ったまでだ」
俊一はそう言いながら、遥の顔を一瞥した。
その目には、以前のような鋭さはなく、どこか穏やかな光が宿っているように見えた。
昼過ぎ、洗濯物をたたんでいる遥の前に、俊一が立った。
「遥、ちょっと手を貸してほしいことがある」
「はい、何でしょう?」
「寝室の電気がちらつく。高いところは俺には無理だから、脚立を持ってきてくれないか」
「わかりました」
遥は脚立を持ってきて、俊一の指示通りに設置した。
「上って、カバーを外してくれ。中を見てみる」
「はい」
遥が脚立に上ると、俊一はそれを支えるように下に立った。
「大丈夫か? しっかり持ってるから、落ちる心配はない」
「大丈夫です」
電気のカバーを外し、中の様子を確認する。
「ほこりが溜まっているみたいです。掃除しましょうか?」
「ああ、そうしてくれ。その後で、球を取り替えてみる」
遥がほこりを拭っている間、俊一は黙って脚立を支え続けた。
その手は確かにしっかりと、脚立の足元を押さえている。
――守ってくれている。
そんなふうに感じた。
高いところは苦手だと公言しながら、自分が上るのではなく、彼女にやらせて、その安全を確保する。
それは、ある種の配慮だった。
「お疲れさま。よくやった」
作業が終わると、俊一はそう言って、遥の肩を軽く叩いた。
「これで夜も明るく読書ができる。感謝する」
「いえ、私こそ、お手伝いできて良かったです」
夕方、また亮介から遅くなる連絡が入った。
遥は少し寂しさを感じながらも、夕食の準備を始めた。
「今日は亮介がいないな」
「はい。でも、たまにはお義父さんと二人で食事するのも、悪くないですね」
「そうだな。気楽に食べられる」
食卓につくと、俊一は遥の作った料理を一口ずつ味わった。
「この煮物、だしが効いているな」
「ありがとうございます。昆布と鰹節でしっかり取ってみました」
「手間をかけているのがわかる。亮介の嫁として、及第点以上だ」
遥は思わず、にっこりと笑った。
「そんな風に言っていただけて、本当に嬉しいです」
「笑顔がいい。普段から、もっとそういう顔をしていればいい」
俊一はそう言い、ご飯を口に運んだ。
「遥」
「はい」
「お前は、亮介にとって良き妻だ。そして今のところ、俺にとっても満足のいく嫁だ」
その言葉に、遥の胸が大きく動いた。
――満足のいく嫁。
そう言われたことが、こんなにも嬉しいとは。
「これからも、この調子でやっていけ。わかったな」
「はい。頑張ります」
夜、ベッドの中で遥は考えた。
俊一の言葉が、頭の中で繰り返される。
評価される喜び。
認められる安心感。
それは亮介の愛情とは別のものだったが、確かに心を満たしてくれる。
――お義父さん、意外と優しい人なのかも。
――私のことを、ちゃんと見ていてくれる。
そう思うと、なんだかほっとする。
そして、ふと気づいた。
最近、俊一のことを怖いと感じることが減っている。
むしろ、彼の評価が欲しいと思っている自分がいる。
それは――
――危ないことなのかもしれない。
しかし、その危うさすら、どこか甘美に感じられた。
次の朝、亮介が久しぶりに普通の時間に起きてきた。
「おはよう。今日は午前中だけ出ればいいから、遅く起きちゃった」
「おはようございます。良かった、少し休めますね」
遥は嬉しそうに卵を焼き始めた。
俊一が食卓につくと、亮介が話しかけた。
「父さん、遥に迷惑かけてないか?」
「何を言う。遥はしっかりしている。お前が遅くまで働いている間、家をきちんと守ってくれてるぞ」
亮介は少し驚いたように遥を見た。
「そうか。ありがとう、遥」
「いえ、私がするべきことですから」
遥は照れくさそうにうつむいた。
しかし心の中では、俊一が自分を評価してくれたことを、亮介の前で証明してくれたことが、なぜか誇らしく感じられた。
――お義父さんが、私の味方をしてくれた。
その思いが、胸を温かくした。
亮介が出勤した後、俊一が新聞を読みながら呟いた。
「亮介も、お前のことを感謝しているようだな」
「ええ、亮介さんはいつも優しいです」
「そうか。だがな、遥」
俊一は新聞を下ろし、遥をまっすぐ見た。
「評価と感謝は違う。亮介はお前に感謝しているが、俺はお前を評価している」
その言葉の重みが、遥の心に深く沈んでいく。
「評価されるということは、それだけの価値があると認められることだ。わかるな?」
「……はい。わかります」
「これからも、その価値を下げないようにせよ」
「はい。努めます」
俊一は満足そうにうなずき、再び新聞を上げた。
遥は食器を洗いながら、心の中で繰り返した。
――評価される。
――価値があると認められる。
その言葉が、まるで魔法の呪文のように、体の奥から何かをゆさぶっていく。
知らず知らずのうちに、俊一の承認を求める気持ちが、心に根を下ろし始めていた。
亮介の愛とは違う、もう一つの渇きが、静かに沸き上がってくるのを感じながら。
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