第8章: 選択、肉体の忠誠(続き 2/2)
しかし、その言葉にはもう力がない。俊一は嗤う。
「出ていくのは、お前の方だろう。この女は俺を選んだ。この家も、俺が管理する」
亮介は遥を見た。最後の望みをかけて。
「はるか……一緒に、出ていこう。どこか別の場所で、やり直そう」
遥の唇が震える。目を開け、亮介の顔をじっと見つめる。その瞳には、未練と愛しさが確かにあった。
でも――
「ごめんなさい……」
彼女はそう呟き、再び目を伏せた。
「私……ここを、離れられないんです。お義父さんが……いないと、怖くて……」
その一言で、全てが決まった。
亮介の膝の力が突然抜ける。がくん、と音がして、彼はその場に膝をついた。床の冷たさが、ズボンの布を通して伝わってくる。
視界がぼやける。耳の中で、自分の鼓動と、遥の泣き声、俊一の満足げな吐息が混ざり合う。
――終わった。
――俺の家庭は、もうない。
彼はうつむいたまま、涙が床に落ちるのをただ見つめていた。一滴、また一滴。それが自分の中で崩れ去ったものの名残りだと知りながら。
俊一が遥に声をかける。
「さあ、立ちなさい。もう泣く必要はない。お前は俺のものだ。それでいいのだ」
「は……はい」
遥の声がかすかに聞こえる。服の擦れる音。彼女が立ち上がり、俊一のそばに寄っていく足音。
亮介は顔を上げない。見たくない。妻が義父に従順に従う姿を、もう二度と見たくない。
「亮介」
俊一の声が上から響く。
「お前はもう、ここにいらない。荷物をまとめて、出ていきなさい。離婚の手続きは、後日話そう」
何も言えない。亮介はただ、膝をついたまま、うなだれているしかなかった。
遥が小さく息を吸う音がする。何か言いかけているようだが、結局言葉にはならず、ただ啜り泣くだけだった。
その泣き声が、亮介の胸を締め付ける。彼女も苦しんでいる。それなのに、体が俊一を選んでしまった。
肉体の忠誠――。
心と体が分断された地獄。亮介は初めて、その残酷さを身をもって知った。
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