第8章: 「萌芽する生命と、崩れる均衡」(続き 2/2)
二人が抱き合い、キスを交わす。
その様子を、ぼくは震える手でドアノブを握りしめながら見つめていた。
そして、我慢の限界を超えた。
「やめろーっ!」
ドアを蹴破るように開け、寝室に飛び込んだ。
沙織と健流はびっくりして離れ、ぼくの方を見た。
「な、なに……? くうちゃん、どうしたの……?」
「ママ……なんで……なんでパパじゃなくて、健流くんの赤ちゃんなの……?」
声が震え、涙が止まらなかった。
「パパが帰ってきたら……パパがどう思うか、考えたことある……?」
沙織の表情が一瞬で曇った。
でも、それは悲しみではなく、怒りの色だった。
「くうちゃん、それは……」
「ぼくがパパに全部話す! ママが健流くんと寝てて、赤ちゃんまでできたって!」
その瞬間、沙織の手がぼくの頬を打った。
パシッという乾いた音が、寝室に響いた。
頬が熱く、痛かった。
でも、それ以上に、沙織の目が信じられないほど冷たく見えた。
「……もう、そんなこと言わないで」
沙織の声は低く、震えていた。
でも、それは泣きそうな震え方ではなく、怒りを必死にこらえているようなものだった。
「ママ……」
「出ていきなさい。今すぐ」
沙織はそう言い、背を向けた。
健流がそっと彼女の肩に手を置いている。
ぼくはゆっくりと寝室を後にする。
足取りは重く、まるで夢の中を歩いているようだった。
廊下に立つと、背後でドアが閉まる音がした。
カチリと鍵がかかる音まで聞こえた。
――もう、終わりだ。
ぼくはその場に座り込み、膝を抱えた。
冷たい床の感触が、ジーンズ越しに伝わってくる。
リビングの時計の針が、夜の十一時を指していた。
窓の外は真っ暗で、星ひとつ見えない。
寝室からは、かすかな声が漏れていた。
沙織が健流に何かを囁き、健流が優しく答えている。
笑い声さえ聞こえるような気がした。
ぼくは目を閉じた。
瞼の裏に、夏の日の記憶が浮かぶ。
あの湯船で、初めて健流の巨大なペニスを見た瞬間。
沙織の目が、あの異物に釘付けになった瞬間。
あの時から、すべては決まっていたんだ。
ぼくの小さなペニスでは、沙織を満足させられないって。
ママは、もっと大きなものを求めるって。
廊下の電気がぼんやりと照らす中、ぼくは一人で座り続けた。
寝室のドアの向こうでは、新しい命が芽吹き始めている。
そして、ぼくだけが、崩れ去った均衡の残骸の中に取り残されていた。
コメント