引っ越し先の団地で夫の帰りを待つだけの専業主婦が、婦人科医と看護師に検査と称して体を開かされ、秘密の通院なしではいられなくなるまでの四か月
あらすじ
引っ越したばかりの団地で、夜遅い夫の帰りを待つだけの毎日。潤子の体は、誰にも触れられないまま下腹部だけが火照っていた。生理不順を診てもらおうと訪れた河合医院で、彼女を迎えたのは無人同然の待合室と、重い防音扉に隔てられた診察室。穏やかな老医師の指は乳房を、やがてもっと奥を検めはじめ、看護師のスマホが赤く灯る。検査という言葉に包まれた支配の中で、羞恥と渇望の境界が溶けていく。
第1章 診察室の薄い衣

第1章: 診察室の薄い衣
引っ越してから三週間が過ぎた団地の一室で、私は洗い物を終えた手をそのままシンクの縁に置いていた。蛇口から最後の一滴が落ちて、ステンレスに小さく弾ける。時刻はもう十一時を回っているのに、夫はまだ帰らない。カレンダーには十月のページがかかっていて、秋の夜気が窓ガラスをほのかに曇らせていた。食卓の上で折り畳まれたままの新聞と、飲みかけの湯呑みに残った茶の色が、やけに静かで、その静けさが胸のあたりに薄く積もっていくようだった。
私は脱衣所へ向かい、薄い寝間着に着替えると、畳んだ洗濯物を抱えて居間へ戻った。夫の下着や靴下をタンスへ片付けながら、指先が自分のへその下へ、ふと触れていた。布の上から手のひらで下腹部をそっと押さえると、そこだけが別の生き物のようにじんわりと熱い。生理が来る気配はないのに、腹の奥で何かが燻っている。この土地に越してきてからずっとだ。潮風の匂いのしない空気、新しい壁の白さ、知らない隣人の物音。体だけが置き去りにされているような、会話の足りない毎日の底で、この熱だけが私をなぞっていた。私は手を離し、茶碗を拭いた布巾を畳んでから、薄い座布団に正座したまま、天井の蛍光灯を見上げた。こうして夜が更けていく。
翌日、秋の午後の光が団地の外階段を白く乾かしていた。私は生成りのカットソーに紺のフレアスカートという、ごくありふれた格好で河合医院の前に立った。駅前の商店街から少し外れた住宅地の角に、小さな婦人科の看板がぽつんと出ている。二階建ての古いビルで、一階部分だけが白い外壁になっており、入り口のガラス戸には「河合医院 婦人科」という文字が金のシールで並んでいた。手でガラス戸を押すと、重い音を立てて開く。よほど分厚いのだろう。廊下の空気は冷たく、消毒液の匂いが鼻の奥をつんと刺した。待合室には誰もいなかった。紺のパイプ椅子が五つ壁際に並び、小さなテレビが消えたままで黒い画面を向けている。壁の張り紙と、白い床の曇りない光沢。どこもかしこも無人で、自分の足音だけがうるさく跳ねた。
受付の小窓の横には、内側へ通じる重そうな扉があった。木目調の化粧板で覆われ、建てつけが良いのか、閉じたときに空気が外へ漏れないよう隙間なく縁どられている。あの扉の向こうには音が届かないのだろう、待合室の静けさが一層濃く感じられた。長いカウンターの上に診察券入れが置かれ、その脇に黒いスマートフォンが画面を伏せて置いてある。背面カバーは赤く、小窓の奥の薄暗がりの中で小さく光る飾りがついていた。私はソファに腰かけようとして、腰のあたりがぞわりと冷えるのを感じた。初めての病院というものは、どうしてこうも自分をみじめにさせるのだろう。
「雨宮さん、どうぞこちらへ」
声がして振り向くと、いつの間にか受付の奥に中年の看護師が立っていた。栗色の髪を後ろで一つにまとめ、丈の長い白衣が照明を柔らかく跳ね返している。切れ長の目が静かに私を見ていて、口元だけがわずかに笑んでいた。
「お待たせしました。初めてのかたですね」
「は、はい」
私は立ち上がり、小さく会釈した。御田さん、と胸元の名札に書いてある。彼女は手元のファイルをめくりながら、柔らかな口調で保険証を預かり、問診表に必要事項があるかだけを確認すると、すぐにまた顔を上げた。
「お掛けになって、すぐお呼びしますから」
ふと、彼女の指先がカウンターのスマホを裏返した。赤いカバーが光を反射して、ぱっと小さなランプが点いたように見えた。画面はついていなかったのに、一瞬、本当に点滅したかのような錯覚を覚えた。私は三つ目のパイプ椅子に浅く腰かけて、膝の上で手提げ袋を握りしめた。
しばらくすると、例の重い扉が内側から開いて、初老の男性が顔を出した。白髪まじりの銀色を後ろへ撫でつけた髪、鳶色の小さな瞳、分厚い肩を糊のきいた白衣がきちんと包んでいる。歩いてくるだけで空気がほんの少し甘い、古い油のような香りを運んできて、私は無意識に膝を閉じた。
「雨宮さんですね。初めまして、河合と申します」
低く、ゆっくりした声だった。近くまで来た河合先生は、私の手の甲にそっと指先を重ねた。診察券を渡そうとした私の手を受け取るふうでもあり、触れること自体が自然な手順であるかのように。大きくて温かい。その体温が手の甲を包むと、緊張で冷えていた私の指先がふっと緩んだ。河合先生は目を細め、私が逃げないのを確かめるように一拍おいてから、扉のほうへ半身を向けた。
「こちらでお話を伺いましょうか」
私は小さくうなずくしかなかった。
診察室は待合室よりも濃く消毒液の匂いが満ちていた。壁一面が薄い生成りで、中央に黒い革張りの診察台が鎮座している。腰を下ろすよう促され、向かいのデスクに戻った河合先生は、私の問診表へ優雅な字を追いながら、生理不順の時期と引っ越しのタイミング、普段の睡眠や疲れを聞いてきた。私は自分の声が妙に遠くへ抜けていくようで、返事をするたびに喉へ力が入った。御田さんは入口横の作業台で器具を拭いていて、黒いスマホがトレイの上に置かれてある。背面の赤い飾りは、やはりランプのように見えた。診察室の静けさの中で、あれだけが不釣り合いに鮮やかだった。
「では、内診台で拝見しますね。あちらの白い衣に着替えていただけますか。下着も外して、これだけをそのまま」
御田さんが壁のフックから薄い貫頭衣を取って、私へ差し出した。白い晒しのような布で、前後に合わせ目があるだけの簡素な一枚だった。私は一瞬、息を呑んだ。婦人科だから、こういうこともあるのだろうか。でも、こんなに心許ない布を、下着をつけずに、本当にこれ一枚だけで診察を受けるのだろうか。問診で触れた五十代から六十代らしい落ち着いた先生の態度と、こんな検査のずれに意識がついていかず、私はただ手持ち無沙汰に布の端を指でつまんだ。
「大丈夫ですよ、皆さんそうされますから」
御田さんが背にまわって、カーテンの向こうを指した。仕切りの隅に置かれた小さな台と、脱いだ服を入れるための籠があった。声は柔らかい。目も笑っている。けれど私が動かないうちに、彼女の手がそっと私の二の腕を取っていた。私は小さく息を吐き出して、カットソーの裾へ指をかける。明るい照明の下で素肌が透けないうちに、生成りのカットソーを脱ぎ、後ろ手でブラジャーのホックを外した。三十一歳の体。肩より少し下で揃えた黒髪が、汗ばんだうなじへ張りつく。前を隠すように腕を曲げたまま、私は白のショーツを膝まで下ろし、足首から抜いた。響く衣擦れの音。私のは、という声が、喉の奥でつぶれて消えた。
貫頭衣は頭から被ると、前後がひらいたY字の合わせになっていて、肩だけが布で覆われた。身幅はゆったりしているのに、かがむと下がはだけてしまう。御田さんの指先が背中へ伸びて、合わせ目を少しだけ重ねてくれた。布越しに空気が忍び込み、下腹部のあたりだけが急に外気へさらされたようにひやっとした。私は右手で前の布をつかみ、右脚をわずかに左脚へ重ねて隠す恰好でカーテンの外へ出た。河合先生はすでに診察台の傍らに立っていて、私を見ると微笑みを深くした。目尻に寄る皺がやけにやわらかい。裸の肩に何か喋るほうがよほど落ち着かない。
「では、初めに胸の状態を診せていただきますね。触れる場所を言いますから、あまり力まないでください」
私は診察台の足側へ腰かけるよう促された。貫頭衣の裾は太もものあたりで割れて、素肌の隠しようがなくなる。脇から差し入れられた河合先生の両手が、胸の下ぶかくて温かな膨らみをゆったりと包み、そのまま掌全体で円を描くように揉み始めた。私は吹き出しそうな息を唇の奥で噛み殺した。布越しに、親指が乳首の位置を探り当て、押しつぶすように何度も押し回す。硬くしこった先端を、人差し指のはらが引っかくようになぞるたび、背筋の奥がひりひりと震えた。自分の体が、まるで他人のものになったようだった。
「乳首はきれいに張っていますね。痛みがなければ大丈夫。これも大切な検査ですから」
低い声が、耳のすぐ横にあった。
「こんなことまで……必要なのでしょうか」
私の問いは、私が口にしたあとで急に恥ずかしくなった。検査と言われてしまえば、それ以上は素人の私に断る根拠が何もない。河合先生は笑みを崩さない。ただ、私の乳首を指の腹に挟み、ちいさく転がした。
「痛みがあるか、張りが左右で違わないか。触れなくては分からないことがあります。心配いりませんよ。力、もっと抜いていましょうね」
背中から、御田さんの細い手が私の肩を支えていた。横隔膜のあたりに血液が集まって、息をするたびに自分の乳房が先生の指の中で形を変えていくのが見えた。白い貫頭衣越しに、乳首の色が濃く透ける。指が頂を押すたび、ちち、と布が鳴く。たまらない。先生の掌はあくまで均一な温度で、迷いがない。もまれるたびに、太もものつけねがじわりと湿ったような気がして、私は認めないように硬く目を閉じた。診察台の黒い革が、腿の下でぎし、と鳴る。背中を支える御田さんの沈黙が、余計に私の耳を敏感にさせていった。この下腹部だけがいやに熱い。まるで、いま触られている乳房から、熱の原因が流れ込んでいくようだった。私は目を開け、天井の一点を見ながら、唇を噛んだ。この静かな診察室で、たった数十秒のことが、とても長いものに感じられた。白衣の生地が動くたび、先生の古い香水と自分の汗ばんだ肌の匂いが薄く混ざる。まだ、脚は閉じられたままだ。けれど心はすでにずぶずぶと、診察台の硬さのなかへ沈みかけていた。
第2章 注入という名の火薬
第2章 注入という名の火薬
背中を支える御田さんの指が、私の肩から肘のあたりへとするりと下りてきて、そこを柔らかく包み込んだ。指の腹は骨ばっているのに、触れている部分だけが不思議なほど温かく、その温度が薄い貫頭衣の布を通して皮膚の上にじんわりと滲んでくる。河合先生の両手はまだ私の胸の上にある。布越しに乳首を転がす指の動きが、さっきよりも小さく、けれど確実に私の呼吸の間隔を狂わせていた。息を吸うたび、貫頭衣の合わせ目から診察室の冷えた空気が素肌へ這い込んできて、胸のあたりがひやりと縮こまるのに、下腹部の火照りだけはまるでそこだけ別の生き物のように、取り残されたまま鼓動を打っている。
「雨宮さん、そろそろ内診に進みましょうか」
河合先生の声は、胸の頂から手を離す瞬間も、それまでと寸分も変わらない高さのままだった。私はほっと息を吐きかけて、けれどすぐに喉の奥がぎゅうと詰まるのを感じる。内診。その言葉の持つ硬さが、腰の下の黒い革の感触を通して、尾てい骨のあたりまでじわりと染み込んでくるようだった。
「お腹、少し押しますからね」
御田さんが背後から細い手を伸ばし、私のへその下あたりをそっと圧した。痛くはない。むしろそこへ触れられた瞬間、腹の奥でくすぶっていた熱が手のひらの形を覚えたように、どくん、と脈打つ。私は思わず膝をすり合わせそうになって、河合先生の目が私の太もものあたりへ静かに落ちていくのを、皮膚の上の視線として感じた。
「内視鏡で中の状態も確認できます。必要な検査ですから、安心してください」
「内視鏡、というと……あの、やはり脚を開くのですか」
私の声は自分でも滑稽なほど小さく、語尾だけが湿った空気の中に吸い込まれていく。先生は白衣の袖口を指先で直しながら、目尻の皺を深めて笑んだ。その笑みは穏やかで、まるで私の動揺など最初から見えていないかのように静かだった。
「そうですね。でも、すぐ終わりますよ。少し横になって、腰の力を抜いていただければ結構ですから」
御田さんの手が背中を押す。私は逆らう間もなく、診察台の上で半ば横たわるような姿勢へと導かれていた。頭のうしろに薄い枕が当てられ、後頭部がふわりと沈む。膝裏を抱えるようにして、看護師の掌が片方の足首をゆっくりと外側へ開いていく。貫頭衣の裾が腿のつけねまで大きく割れて、太ももの内側の素肌が診察室の白い光に晒された。反射的に片足を引き寄せようとした私の膝を、御田さんの手がやんわりと押さえている。強くはない。だが、その手のひらには確かに、動きを許さない意思のような重みがあった。
「足元だけ、お力借りますね。お布を掛けておきますから」
御田さんが薄いさらしのような布を私の下腹部から両脚の上へふんわりと広げた。視界から自分の下半身が隠れるはずなのに、かえってその布の下の空白ばかりを意識して、耳の裏が燃えるように熱い。天井の灯は白く、湿度のない光が瞼の裏まで届くようで、目を閉じてもなお視界が明るい。金属同士がぶつかる澄んだ音がした。トレイに触れる河合先生の指、その指が器具を選び取る気配まで、血管の中を流れる音のように響いてくる。
「では、少しだけ当ててみますね。冷たいかもしれません」
いや、と唇が動く前に、股間へ何かが触れた。堅い。それは一瞬、骨のない小さな音を立てて、ぬるりとした入口の縁をなぞった。私の全身がびくりと震える。実際の温度よりずっと冷たく感じたのは、肌がそれほどまでに熱を持っていたからだろう。金属の口が、私の狭くなった場所をゆっくりと押し広げようとしている。押し広げられる、という感覚が、下腹部の奥のほうまで筒抜けに伝わって、背筋が総毛立つ。
「力、入っていますよ。肩の力を抜いてください」
先生の声は低く、まるで子守唄のようにゆるやかなのに、腰の奥の筋肉が言うことを聞かない。異物が少しだけ入り込んだ。あ、と喉から漏れたのは、自分の声とは思えないほど浅くて、息だけが形を失ったような音だった。内臓の隅に冷えた探り針が差し入れられ、じわじわと押し込まれてくる。広げられている。誰にも触れられたことのない深い場所で、私の肉が診察という名の硬さを受け止めようとしている。御田さんが両手で私の左の太ももを包み、外側へ向けて支えた。彼女の指先は冷たかったが、その冷たささえも、今の私の太ももにとっては心地よいほどだった。
「もう少し開いていただきましょうか。座薬を入れるほうから、腸の動きも見ますので」
やはり抵抗しようと、太ももへ力を籠めた。なのに、私の膝は御田さんの掌の中でわずかに開いていく。力んでいることに気づいていないのか、ただ私の体を安定させるための動作のように、彼女の手は静かに黒いレザーの上へ私を押し広げていった。怖い。出来るなら足を閉じて、この薄い布ごと全部隠して帰ってしまいたい。それなのに、河合先生の顔が私の下腹部の向こうに見えた瞬間、背中の強張りがほんの少しだけ解けてしまったのだ。穏やかに目を細めた、あの落ち着いた表情。この人は私を傷つけることを考えたりはしない。検査なのだから。ちゃんと、終わらせなければ。そう自分に言い聞かせる声が、頭の隅で何度も繰り返される。
「上手ですよ、雨宮さん。息を吐いていましょう。そう、もう少し、楽に」
指が二本、私の中へ入ってくる。内視鏡などではなかった。河合先生の指先が、自分の血液の温度よりずっと温かくて、濡れのたりない肉をゆっくりとかきわけるように曲がる。私は天井を向いたまま唇を結び、鼻から浅い呼吸を繰り返した。壁についたフック、白いカーテン、消毒液の瓶。目で追えるものだけを必死で繋いで、自分の奥が擦られている事実から逃げようとした。けれど、指が抜けるときに肉が絡みつくような感覚は、どうやっても私の背筋を痙じさせる。膣の中がひく、と狭く脈打つのが、私自身の脚を伝って腿の裏にまで広がっていくようだった。
くちゅ、と小さな音が太ももの奥に立つ。ぐちゅぐちゅと、蒼白い液体を掻き回すような生々しい音が、診察室の静寂に染みていく。そんな音。私から出ている音。御田さんは何も言わず、手のひらで私の下腹部を軽く押さえていた。彼女の指は冷たく、腹の中の熱を外側から確かめるように、ゆっくりと沈んでいる。その圧が、内側から込み上げる熱とぶつかり合って、私のへその下で小さな渦を作るようだった。
そのとき、河合先生の手が一度離れた。何か小さい物をトレイから取り、布の下で位置を変えている。私には何が起きるのか分からないまま、肛門の窄んだ場所へ、何か滑らかなものが押し当てられた。金属ではない。真珠色をした流線形の、覚えのない柔らかさ。聞いていない。私は息を呑み、首を上げかけた。
「あの……後ろは、何も聞いていませんけど」
「腸の動きを見ておくと、今後のお薬の出し方も変わります。入れるだけで、痛みはない形のものですよ」
そう言うと、先生は私の返事を待たなかった。柔らかい異物はつぷ、と押し込まれて、私の閉じきっていた場所を無造作に越えていく。肛門の粘膜が、自然の向きとは逆さまに何かを受け入れていく。お腹が張るような苦しさが一瞬走り、指先まで硬直して、貫頭衣を握る手に汗が滲んだ。深く、奥まで。ずる、と沈む感触のあと、ぴたりと止まって、抜き取られる気配があった。ところが、その直後である。肛門の奥で、真珠色の弾のようなものが、こつ、と押し込まれる。押し込まれたのだ。何か熱い液体が、直腸の壁を這い下りるように広がり始めた。
「な、何て言うか……おかしい。熱いです。何か、入りました」
「いえ、今のは薬が溶けただけですよ。すぐに慣れます。さあ、足の力、抜いてくださいね」
液は、肛門のすぐ内側からじわじわと広がり、直腸の曲がりを湿らせると、腹の奥の臓物そのものを下から炙っていくように思えた。熱い。さっきまでの火照りとは比べられない、急に打ち上がる種類の熱だった。へその下から子宮のうしろ側にかけて、皮膚の内側に煮えた蝋を注がれたみたいに、じゅう、と音が聞こえそうなほど熱を持つ。血が集まってくる。心臓の鼓動が、股間を、尻の奥を、乳房の先を、同じ速さで打っている。おかしい。検査で、なぜこんなに、体の中が燃えるのだろう。こんなことをされて、なぜ体が熱くなるのか。先生の指はたしかに私の恥ずかしい場所を暴いているのに、それなのに、拒絶する気持ちと一緒に、もっと深くまで確かめてほしいような飢えにも似た渇きが、腹の底から湧き上がってくる。これはおかしい。私の体は、こんなふうに感じるようにできていないはずなのに。
「力が入っていたら、見えませんから。ここを開いて、息を吐きましょうね」
先生の指が再び膣へ戻ってきた。今度は二本、鉤のような曲がり方で奥の壁をゆっくりとひっかいた。痛みはない。いや、痛みではない。圧迫感のたびに、肛門の奥と子宮のくびれが同時に絞られて、勝手に腰が浮きそうになる。私は太ももを閉じたくて、つま先をぎゅうと丸めた。なのに股関節は、診察台の上で少しずつ開いていくのが分かる。恥骨のあたりを御田さんの指が押さえ、河合先生の指が私の内側で一度大きく回ったとき、抑えきれずに尻がレザーを滑った。
「あ……や、動かし、たら、いけませんか。すみません、私、ちょっと」
言葉がうまく繋げない。恥ずかしさのあまり太ももをぴくりと揺らすと、足首を包む御田さんの手が宥めにも似た強さで骨を支えた。彼女は笑っていない。笑ってもいない。薄い唇を閉じたまま、私の膝が内側へ戻ろうとするのを、片手で静かに押し返す。その顔は、まるで機械のように無表情で、けれど手の動きだけが異様に優しくて、その落差がかえって私を混乱させる。
「大丈夫ですよ、動いていいです。お体が反応しているだけですから、恥ずかしく思うことはありません」
大丈夫? 反応? なのに私は、腰を後ろへずらしたくなった。これ以上、指が中で動いたら、何かが決壊する。何がとは言えないけれど、下腹部の内側で、熱を持った液が肛門から膣のすぐ裏側へじんじん滲みていって、押し寄せる火の波が腿のつけねをびりびりと侵してくる。心当たりのない火照りだと、ついさっきまで思っていた。この熱い感覚を、私はどこかで欲しかったのだろうか。いいえ、そんなはずはない。私はただ、先生に言われるままに横たわって、検査を受けているだけなのに。
「では、少し中を広げますね。怖くないから、下の方へ意識を向けて、呼吸を続けていてください」
膣の内壁を、二本の指が左右へそっと押し広げる。そのたび、お腹の中心で何かが生まれ、食いしばった奥歯の裏まで甘く痺れるのが分かった。私は貫頭衣の胸元を握りしめたまま、荒らされていく自分の器官を見てはいけないのに、視界の下で薄い布が浮き沈みする様だけを追っていた。乳首が布に擦れて、ちりちりと痛い。触られていないのに、乳房全体が重く垂れようとして、呼吸を深くせずにはいられない。とろ、と太ももの内側が湿る。膣の入口から、つう、と垂れたものが肛門のほうへ細く筋を引いていくのは、自分がいちばんよく分かっていた。その感触が、恥ずかしいのに、なぜか体の芯をぞくぞくと震わせる。
「雨宮さん、身体を横に向けてもらってもいい? 背中から器具を入れたまま、子宮の様子を触診したいの」
御田さんが囁く。私は頷きかけて、けれど声のかわりに吐息だけが唇の隙間から漏れた。自分で体位を変えるには、もう足の筋肉が言うことを聞きそうにない。けど、ここで動かなければ、もっと指は私の中へ踏み込んでくる。なら、少しでも背を向けたほうが、恥ずかしさはましだろうか。いや、逃げ場なんてない。どう向こうと、この熱は腹の底で煮え続ける。恥ずかしい場所を隠そうとすればするほど、自分の体が、自分の意思とは別のものになっていくような気がする。
「いきますよ、はい、肩、こっちへ」
御田さんの手が肩を抱くようにして、私をゆっくりと右向きに転がした。貫頭衣の合わせ目が胸の横で開き、布の中に閉じ込められていた熱が、冷たい空気に触れた肌の温度と入れ替わっていく。体を横たえたとたん、左の乳房が自重でさらりと衣からはみ出し、硬くなった乳首が空気を擦って一層尖った。手で隠す余裕がない。先生の指は中に入ったままだったから、私はその一瞬、まるで魚のように口を開けて、濡れた眼で診察室の壁を見つめた。白い壁。無機質なスイッチ。カーテンの皺。先生の白衣の端。そのすべてが、私の中から込み上げる波を他所に、ぴかぴかと静まり返っている。その静けさが、今の私には残酷なほど遠く感じられた。
やがて、膣のなかで指がぬるりと向きを変えた。子宮の入り口を、指先が下からつつくように二度、三度と撫でる。こみ上げるものを、「違う」と頭は言うのに、腰が勝手にわずか後ろへ引けて、先生の指を深く咥え込もうとしている。こんなことをされて、なぜ体が熱くなるのか。指先が触れるたびに、内側から込み上げる震えが、背骨を通って頭のてっぺんまで抜けていく。それに気づいた瞬間、肛門の奥で、先ほどの熱を持った液が音もなく弾けて、広がった。内から火を吹いたような、強い痺れが会陰を抜けて、太ももの付け根の内側まで甘く溶けていく。
「ぁ、やだ、や、動きます。あ、ああっ……待ってください、私、足が」
とめられない。腰が勝手に前後へ揺れて、太ももが診察台の黒いレザーをこすっている。動けば動くほど、粘度を持つ液体が膣の壁と先生の指の間で泡立ち、ぬち、ぬち、という下品な音が、私の耳へ直接入り込んでくる。止めようと腹に力を入れれば、背中まで大きく仰け反る。先生の指の腹が、ちょうど、熱い場所のごく奥で、壁のしわを掬いあげるように押し込まれた。
「もう、そこ……、あっ」
私の口から零れた声が、私自身をびっくりさせた。哀願なのか、誘う喃語なのか、どちらの形もとれないまま診察室の空気に溶けていく。御田さんは黙って、私の膝と肩を支え続けている。その静かな手が、私の混乱を恥ずかしいほどはっきり浮かび上がらせた。泣きたいのに、目の奥が熱く、舌の付け根が甘い唾液を含んで痺れている。赤いランプのような、スマホの背面カバーの色が、視界の隅でちかちかと明滅している気がした。いや、今は点いていない。画面は伏せられている。でも瞼に焼きついている。これは、あの赤の残像だ。あの赤が、今の私の体の中の熱と、そっくり同じ色をしている。
「は、ぁ……、先生……もう、検査は……終わらないんでしょうか……?」
自分の尻からも太ももからも、汗が吹き出して、黒いレザーに貼りつく。背中とシーツの間にも、じっとりとした湿り気が広がっていく。先生の指は答えのかわりに、私の壊れそうな場所をゆるゆると撫で続けた。背骨の終わりまで、後ろから腹の前まで、一本の芯のように貫かれた熱が、まだ消えない。消えないどころか、広がり続けている。診察台の上で、腰が浮いたまま、私の意志と身体はうらはらに動いていた。ぎし、とレザーが鳴っても、体を起こせない。何かが違う。この熱さは、検査のせいだけではない。私の脚の間から零れて、シーツに染みていくものだけが、答えを知っている。私はただ、その答えを認めたくないだけで、体はとっくに、どこか遠くの場所へ連れていかれている。
第3章 受け入れの時間

第3章: 受け入れの時間
先生の指が、私の奥で鉤のように曲がったまま動きを強めた。子宮の入り口を探るように、指の腹がぐい、とそこを押し上げる。肛門の奥から広がった熱が腹の裏側全体に回っていて、触られるたびに内臓が痺れるようだった。息を吸うことさえ、もう自分の意思では追いつかない。私は貫頭衣の胸元を握ったまま、右を向いた体をわずかに丸め、汗で張りついた黒髪の向こうに診察室の白い壁をぼんやりと見つめていた。
「子宮の位置、確かめておきましょう。この角度のほうが、よく分かりますから」
河合先生が背中越しに、低く、囁くように言った。吐息がうなじの産毛に触れた気がして、肩がびくりと震える。先生の片手が私の腰骨の上に置かれ、軽く手前に引き寄せる。膣のなかで、二本の指が動く速度をわずかに上げた。内視鏡はまだ抜かれていない。金属の冷たい頸が入口を押し広げたままで、そのすぐ奥を指が満たす。ぐちゅ、という粘る音が、私の耳のすぐ裏から湧き上がっては、静かな診察室の空気に飲み込まれていく。
「あ……先生、待って……くださ、い……」
私の声は、もはや言葉の形をなしていなかった。腰が、また動く。自分の意思で動いているのではなかった。肛門から染み出した熱い液体が、直腸の襞を滑り、会陰の裏を炙りながら、膣の奥をどんどん柔らかく溶かしていく。その熱に押し負けて、膝が揺れ、腿の内側が黒いレザーの上をこすれた。ぬら、と性器の入口から溢れたものが、太ももを細く伝っていく。恥ずかしさで視界が白く跳ねたのに、体は熱い水底へ沈んでいくようで、力が入らない。
「もうすっかり準備ができていますよ。大丈夫、怖がらなくていい」
御田さんの声が、すぐ横から降ってきた。彼女はスマホを手にしていた。いつの間に取り出したのか、私を横向きに直した段階では気づかなかったのに、画面が起こされている。ちいさな赤いランプが、カメラのレンズの脇で明滅していた。点いた。本当に点いている。受付で見たあの赤いカバーが、今度はたしかに、私のほうへ向けられたまま、呼吸するみたいにちかり、またたいた。
「や……なんで、動画……?」
「記録は診察の基本ですから。後で、ご自身の状態を見て納得してもらうためですよ」
御田さんは、静かな口調でそう言った。私は首を向けようとしたが、うまく動かせない。視界の端で、彼女の白い指がスマホを握り直し、角度を変えるのが見えた。私の染まった腿、乱れた貫頭衣、まるで自分から開いているかのように曲がった両脚。その全部が、画面の中に収められている。みない。みないで、と心で引っかくのに、また下腹部が熱を増して、髪の生え際から汗が滴った。
「映像に残すと、次回からの経過も比べやすいでしょう。どうぞ、気になさらないで」
私は歯を食いしばることもできず、唇の奥で小さく「いや」を転がした。それきり声は出ない。膣を探る指が、前のほうの壁を何度もひっかくものだから、口を開くと、押さえつけた産声みたいな吐息が漏れてしまう。ぴちゃ、ぐぷ、と、自分の中から立つ音が、いやに遠くで鳴る。
しばらくして、先生の指がぬっと引き抜かれた。内腔をなぞられた余韻で、私の胎の奥はきゅうきゅうと疼き、まだそこにあるはずのない熱の形を追いかけて、膣口がひくつくのがはっきり自覚できた。体を横たえたまま、私の左手が無意識にシーツを掴む。御田さんのスマホが、私のうごめく腰を正面近くで捉える。
「では、次の段階へ移りましょうか」
河合先生の気配が、診察台の脇へ動いた。衣擦れの音がする。私は薄く目を開けたまま、白い天井とカーテンレールだけを映していたが、すぐ脇で先生が白衣を寛げる気配に、心臓がのどちんこの裏まで跳ね上がる。何をされているのか確かめたくないのに、自分の体は、もう次に与えられる感覚を待ちわびて下腹を溶かしている。 耳が、衣の下の下着がはだけられる音を拾った。診察台の足音が半歩、近づく。
「少し、触れただけでは不安でしょうから。私の体温を近づけますが、逃げないでください」
抵抗の言葉は、喉の奥で泡になって消えた。くる、と腰の位置を浅く返され、左の乳房が貫頭衣の合わせ目からこぼれそうなまま、肩を後ろへ押される。視界の端で先生の白い上衣がはだけ、薄いシャツの前が開かれているのが映った。顕わになった下半身。男の人が、私の太ももの傍らに立っている。御田さんのスマホがまだこちらを見ている。赤いランプ。消毒液の匂い。レザーの冷たさ。何もかもが濁った波のようで、私の頭を酔わせる。
ぬぷ。熱く硬いものが、私の入り口に押し当てられた。充血した肉の口を、ぬめりを借りて少しずつ割り開いていく。太い。栓をするみたいに、私の狭い場所へ先端が沈んでいく。指とは比べものにならない圧が、骨盤の内側を無理やり広げ、腰まで貫くように熱を注いでくる。私は背を弓なりにし、口を半開きのまま、喉の奥でひゅっと息を呑んだ。
「あ、あ、あ……」
ずちゅ。腰の下のレザーが、私の背中ごと軋む。河合先生の腹が、私の尻と太もものつけねをこすりながら寄せられて、根本まで深く埋め込まれるのを感じた。入っている。私の、一番奥まで。布越しというには薄すぎるセパレートの貫頭衣一枚、乱れた裾が腹の上でめくれ上がっている。はみ出た乳首が外気と自分の汗で赤く立つ。先生の腰が、低い重いリズムで前後を始めた。
「……温かい。雨宮さんの内側、よく、私に馴染もうとしていますよ」
先生の声だけは、いつもの調子を保っていた。むしろ少し甘やかで、吐息を含んだ低さで、耳の真横へ落ちてくる。私は後ろから、腹部の深いところを割り開かれるたび、声を我慢する代わりに爪先を丸めた。太ももが痙攣のように開閉する。そのたび、自分の胎のなかが先生のかたちを覚えさせられ、何か甘い痺れを背骨の際まで流していった。
「あっ……あ、ふ……は、ぁ……!」
ぶちょちょ、と一度、土手に溜まった愛液が泡立つ音がした。前の壁を抉る角に先端が当たる。目の中がちかちかと明滅した。御田さんは黙ったまま、私の顎のあたり、胸、繋がった場所へレンズをゆっくりと滑らせる。撮られている。撮られているのに、私は脚を閉じられない。閉じようとしたそばから、次の抽送が股をばらばらに溶かし、私の唇をこじ開けて、鳴くような声を外へ引き出す。
「見えると、もっと力が抜けるでしょう。ほら、自分の身体が……先生を受け止めています」
御田さんの声は、低くもなければ冷たくもない。けれど、その静けさが私を追い詰める。彼女の指先が、私の顎をくいと上向けて、スマホの画面を視界の端に入れてくる。そこに映っているのは、乱れた髪で、涙と汗へにじんだ顔で、白い布を首のまわりへ巻きつけた自分の姿。脚が、有り得ないほど開いている。繋がった場所が、白く泡立って、赤い肉があらわなまま出入りしている。
「やだ……やだ、みせな……ぃで……」
私は首を振った。振りながら、膣の奥がきゅうと先生を締めつけた。じんじんと腹の底から込み上げる。放り出す先もなく、体の芯だけが震える。声は泣いているのに、腰はもう自分から後ろへ押しつけている。どちらの脚も動かせない。動かすのは先生を受け入れるためだけ。この震えを止めるのは、もはや抜け出すことではなく、一番深い場所で何かを突き当ててもらうことしか残されていない。それに気づいた瞬間、ぞわりと、首の内側を冷たい針が駆け抜けた。
「どうしました、雨宮さん。感じて、いますね。普通の検査では味わえないくらいに」
河合先生が、抽送を止めずに私を覗き込み、穏やかな声で囁いた。目尻に皺が寄り、鳶色の瞳がじっと私の表情を拾う。私は首を横に振ることしかできない。はしたない、こんなの。あなたの、夫に。 一也さんの顔が過ぎった。朝、出がけにネクタイを直しながら「今日は遅い」とだけ言った横顔。だけど、その像はすぐに、腹を満たす熱に浸かってぐずぐずに溶けた。先生の腰が、一段と深く、下から持ち上げるように私を突いた。
「あ、あ、あっ……!」
ぐぽ、という鈍い水音が、私のひときわ高い啼き声と重なる。子宮の手前を巨きな先端がこじる。肛門の奥で燻る薬剤の熱と、膣から突き上げられる快感が、会陰で結ばれ、溶け合い、尾骶骨の先までビリビリと走った。指では届かなかった場所。私の一番深い柔肉を、先生のかたちが判つように擦り分ける。意識が朦朧として、呼吸だけがやけに熱い。
「すごい音をさせて、こちらに腰を押しつけていますよ。検査、というより……」
先生の言葉が、そこで一度、静かな笑みに替わる。御田さんのスマホのランプは、まだ点いている。さっきよりも近く、私の脚の間に光が漂っている。私はみじめな格好のまま、かすかに唇を噛んだ。検査、というより。その続きは言わない。でも、分かってしまった。これは診察なんかじゃない。私の身のうちへ、男の人を受け入れている。脚を開いて、腰を動かして、声まで上げて。ここは何でも許される密室なのだ。あの待合室の、空気の抜けない重い扉の向こう。外界から閉ざされた隅で、私は、ただの女として組み敷かれている。
「声、我慢しなくていい。御田さんは、あなたを助けているだけですから」
そう言われると、拒む理由が胸のどこからも出てこなかった。誰も助けない。誰も止めない。ランプは回り続ける。診察台の黒いレザーが、私の背中と腰の下でぎし、ぎし、と波を打った。消毒液の匂いと、汗と、淀んだ情欲の匂いが混ざって、肺いっぱいに満ちる。もっと、ひどく、してほしい。ああ、でも、私はそれを言葉にできない。ただ指先でシーツを握り、涙の混じる吐息を診察室の空に撒く。
「ぅ……あ、は……せん、せ……せ、んせ……」
私はうわごとのように彼を呼んだ。自分の口から出たはずなのに、どの声も他人のもののようだ。腰が揺れている。先生の腹が、私の柔らかい尻を打ちつけるたび、肛門の奥にまでひびいて、あの液体がまた滲むように熱い。まるで体の後ろと前、両方から男を欲しがっているみたい。もっと強く。もっと、深く、かき混ぜて、この熱をどうにかして。その懇願が、無言のうちに腰の動きとなって表れた。先生が低く、喉の奥で笑った。
「動きますよ、あなたの望むほうへ」
どちゅ、と抜き差しの勢いが増した。私の全員が金縛りにあったまま、胎の奥を突かれ、恥骨をぐりぐりと煽られる。爽快でも苦しくもない、背徳の暗がりだけが股から腹へ広がる。夫の名はもう一度浮かんだが、声にはならなかった。泣くのに、脚を自ら開いて、締めつけて、よじらせる。私の体は河合先生の求めるまま、貫頭衣一枚のあられもない格好で、診察台の上に揺れている。ああ、と口元からこぼれては引っ込み、泣き喚きと、ぎりぎりで快楽に傾く節が、曖昧な嬌声に変わっていく。
「先生、そろそろ……体位を戻しておきましょうか。記録の締めに、表情を撮っておきたいので」
御田さんが静かに告げた。その声は事務的で、まるで診察の段取りを確かめるようでいて、腰の下で続いている性の営みを前提にしている。私は首を振る力もなく、先生の腕に肩を抱えられて仰向けへ戻された。貫頭衣は首のうしろでよれ、胸も腹も下半身も、すべての肉づきが薄布の下から露わになる。広げられた両脚の谷間を、カメラがじっと見下ろす。
「これで、よく写りますね」
先生が微笑む。私は組み敷かれたまま、揺れる天井を涙でにじんで見つめた。もう逃げる場所も、閉じる力もない。先生が再びゆっくりと入り直し、奥を抉る。私は、そのたびに喉の奥から、あ、をこぼした。自ら腰を浮かせ、受け入れる角度を探る。ぬぷ、ずちゅ、ぐぷ。水音が規則的に跳ねて、診察室に粘った残響を残す。赤いランプが、映像の中の私を犯しながら、現実の私にも羞恥の熱を染み込ませていく。何もかも、私の体は河合先生の与えるものだけを、素直に喜んで鳴いている。それを、御田さんのスマホが音もなく蓄えている。夫の知らない女。私。いや、私の深い穴が、もう、ひとりでに蠢いている。この暗がりはきっと、絶頂とも別のところへ続いている。意識が薄れて、指先だけが開き、声と腰と濡れた肉の奥だけが、はっきりと生々しく残った。
第4章 週に一度の置き場所

第4章: 週に一度の置き場所
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はっきりと覚えているわけではない。診察台の上で何が起きたのか、どうやって服を整えたのか、どうやってあの重い扉をくぐり、バスに乗って、団地の鍵を開けたのか。それらは全部、熱を孕んだ霞の向こうに沈んでいて、私の指先だけがやけに冷たく、けれど下腹の芯だけは、まるで小さな火鉢を抱えているみたいにじんじんしている。十一月の夜はもう息が白く、キッチンの窓から差し込む外灯の光が、シンクの角を青白く浮かび上がらせていた。私は冷蔵庫を開けて、その前でうつむいたまま、買い置きしてあった麦茶のパックを取り出す。夫の帰りはまだまだ遅くなる。あの診察室から帰って、紺のスカートにシワが寄ったまま、シャワーも浴びずにここへ立っている。洗いたくない。先生の体温が私の内側にこびりついたこの身体を、今夜ばかりはお湯で流してしまいたくなかった。
「……ただいま」
玄関の開く音がして、夫の疲れた声が短く落ちてくる。私は冷蔵庫の扉を閉め、手のひらをスカートの脇でこするように拭きながら、できるだけ普段どおりの声を返した。ネクタイを外した手首の動きが、廊下の薄暗がりでくっきりと見える。チェーンのロックがかちゃりと鳴り、一也さんの身体が放つ、汗とオフィスの埃の混ざった匂いが、玄関の沓脱石のあたりにふっと広がった。ああ、夫だ。ちゃんと私の家の、私の夫の匂いがするのに、私はその匂いを確かめるより先に、スカートの下から染み出たものの気配を、太ももへぬるりと感じていた。
「遅かったのね」
「ああ。会議が押した。風呂、先にいいか」
「どうぞ。ごはん、すぐにするから」
私の声は、自分でも不思議なほど透明で、静かだった。平らな湯加減の声。いつもと同じ、何の含みもないはずの、けれどあの診察台の上で、誰かに啼かされ、腰をあの男の下に押しつけた帰りの私には、この静けさが酷く獣じみた仮面に思える。一也さんが脱衣所へ向かう背中を、目で追おうとしてやめた。金縁の眼鏡を外し、ワイシャツの衿へ指をかける、いつもの仕草。悪い人じゃない。むしろ、何も知らず、私の身体の熱にも触れず、まっすぐに疲れた足で風呂場へ歩いていく。その背中へ、私はいま、最初の嘘を塗る。
「ねえ、あのね」
一也さんの手が、脱衣所の引き戸にかかった瞬間、私は声を零していた。夫は半身を返し、細めた奥二重の目を、私の肩の辺りへ向けている。
「今日、病院へ行ったの。婦人科。……やっぱり、また今度も検査が必要ですって。しばらく通わないといけないみたいなの」
私は胸の前で、スカートの端を小さく挟むようにして言った。診察室で起きたこと。貫頭衣の布の下、脚を開かされたこと。何もかもを隠して、ただ「検査」という四角い言葉だけを通す。一也さんは少しの間、私の顔を見ていたが、やがて小さく頷いて、今日何度目かのため息をこぼした。
「そっか。悪いとこじゃないなら、いいけど。ちゃんと行けよ」
「うん。……ありがとう」
扉の向こうへ消えた夫。やがて、シャワーの湯が浴室の床を打つ音が、夕方の団地の静けさを破っていく。私はキッチンへ戻って、煮物の入った鍋へ火を点けた。青い炎が、底の丸い鍋を舐めるたび、診察室の黒いレザーに血が昇っていく。この嘘をついた瞬間、私の何かがクルリと裏返った。夫へ秘密を持てた。その安堵と、くらくらするような眩暈と、太ももの奥で再び熱を帯びる疼きが、五徳の小さな揺れの向こうでぐらりと溶けていく。
風呂へ入ったのは、一也さんが部屋着に着替えてテレビの前に座ってからだった。脱衣所には夫の脱いだワイシャツが、かごからはみ出てよれており、浴室全体に若い男の汗と石けんの名残が湯気に混じっている。私は服を脱いで、脱衣籠の蓋をゆっくり開けた。白い下着も、紺のスカートも、まる一日の汗を含んで、自分の体臭と、あの診察室の消毒液の匂いが薄く染みついていた。給湯器の火がぼっと点き、湯が白い湯気を立てながら浴槽へ落ちる。私は鏡の前で、素っ裸の自分の姿を、久しぶりにまじまじと見た。華奢なくせに、腰のあたりだけ妙に柔らかい。生白い肌が湿気を帯びて、乳首が寒さで固く立つのが見て取れた。自分の身体が、あの診察台の上で、あんなに淫らに撓っていたことが、突然、鏡ごしにのしかかってくる。私は急いで頭からお湯をかぶり、浴槽の縁へ両手をついた。熱い湯が、髪の間を伝い、背中を割って流れていく。
ボディソープを泡立てる手が、自分の乳房の下へ這い、脇の下をこする。指先が乳首を掠めるたび、びくん、と肩が跳ねた。河合先生の掌がこうだった、と思う。手のひら全体で、ゆっくり確かめるように、私の膨らみを下から持ち上げ、親指の腹で頂きを押しつぶした。御田さんの指はこうだった、と思う。背後から肩を抱き、腰を支え、私の脚を開かせる、あの容赦のない柔らかさ。私は浴室の鏡の位置を確かめもせず、泡で滑る指を臍の下へ滑らせた。ぬる、と下腹に泡が割れて、湯気の熱と、自分の掌の熱が混ざる。あの日から、体の奥で燻った火が、まだ消えない。風呂の床へ座り込み、両脚を僅かに開いて、そっと陰毛のあたりへ指を沈める。あ。口の中で、声にならない吐息だけが、浴室の壁に吸われた。ぬるつく小さな蕾を、中指のはらで触れてみる。しこり、ひくついて、あの先生のものを受け入れた穴が、思い出したように唾液を滲ませる。
「……やだ」
私は、自分で触っていた指を、太ももへ擦りつけるようにして止めた。手は止めた。なのに、痛いような疼きばかりが、腿のつけねから子宮の裏側へ向かって、とくとく、と這い上がってくる。今、私の目の裏で点滅しているのは、夫の裸でも、テレビの青白い光でもない。スマホの赤いランプ。録画。御田さんの白い指が、カメラを構え直す音。黒い画面の中から、よがる女の声が、今も耳の奥でこだましている。私だ。あれは私の声で、私の身体だった。なのに、どうして。首の後ろが酷く痺れる。
浴槽の湯に肩まで浸かると、張り詰めた皮膚がしわしわと解けていく。熱い。子宮の裏側にある熱源が、湯に反応していよいよ強く波打って、下腹部の奥が工事の重機でも入っているみたいに、ずん、ずん、と音を立てる気がした。天井の換気扇が低く唸っている。壁を伝う水滴が、筋を作って流れ落ちる。私は唇を沈めて、鼻先で息をしながら、自分を抱えるようにして膝を抱えた。だめ。だめなのに、指が、また下腹の薄い肉を撫でている。河合先生の、あの部位。あの太くて硬い、古い木の根のような、私を裂く熱。指先から侵入されたときとは、まるで違った質量。それがまた欲しい。何を考えているの。私。
もう、あの医院に行かずに済む方法はないのだろうか。そう思う自分と、来週、診察がある。またあの防音扉の奥へ行ける。そう思う自分が、同じ脳のなかで肛門の裏側に張りつく。週に一度。そう、週に一度。河合先生が、あの低い声で、柔らかく、けれど有無を言わせない調子で告げた。治療は続ける必要がありますね。一週間に一度、通ってください。あれが、今では私の中に小さな刻みを作っている。ここではないどこか。夫のいない、私だけの時間。診察台の軋み。消毒液の匂い。薄い貫頭衣が私の裸を隠しきれず、合わせ目から秋の空気と先生の手が侵入してくる、あの息詰まるような密室。空気の抜けない扉の向こうで、私は妻でも主婦でもなくなる。
それから一か月が過ぎた。十一月の空気はいよいよ糸を引くように冷えて、団地の外階段には乾いた落ち葉が端へ追いやられている。週に一度、火曜日の午後に、私は「買い物があるから」と一也さんへ短く告げて家を出る。最初の二回は、坂道の途中で立ち止まり、心臓を掴み返して駅前の花屋の前を往ったり来たりもした。それでも午後二時の診察の予約が近づくと、女の身体は正直で、診察券を握る指が汗ばみ、下着の真ん中がしとりと湿るのを感じる。三回目の診察を終えたあとにはもう、他人目なんて気にしていられないほど、足の運びが決まっていた。
河合医院の前に立てば分かる。あの消毒液の匂い。拭き掃除の行き届いた白い床。ひやりと重い受付の空気。紺のパイプ椅子が五つ、相変わらずぽつんと並ぶ待合室へ足を踏み入れると、皮膚という皮膚が泡立って、下腹のそこらへんが熱を吸い上げるのが、自分でもおそろしい。膝が。まだ触られてもいないのに、消毒液の匂いだけで、太ももの内側がふるりと弛んで、脚を閉じていられなくなりそうになるのだった。河合先生の診察室。あの薄い貫頭衣。御田さんの手。みんな私を待っている。火曜日の昼下がり、私の身体は、この医院の扉をくぐるたびに、妻の顔を脱ぎ捨てていく。
四回目の診察。私が貫頭衣に着替え終わり、カーテンの外へ出ると、御田さんがもうスマホを手にしていた。赤いカバーを外した裸のスマートフォン。レンズの脇にある小さなランプが、赤々とついて、黒い画面の隅に血の滴りのように滲んでいる。先生は診察台の傍らに立って、私が素足で近づくのを微笑みながら待っていた。十一月の冷えた空気の中、二人の肌だけが熱を帯びているように見える。
「先週の記録を、少しご覧に入れましょう。経過が分かると、雨宮さんも安心できるでしょうから」
御田さんの声は、この一か月で覚えてしまった通り、柔らかく、それでいて断る隙を与えない平板さをしている。私の心臓は耳の裏側で跳ねた。見たくない。なのに、私は診察台の脇へ立ち、シートの上へ置かれた画面を覗き込んでしまった。指先が、貫頭衣の前合わせをぎゅうと握りしめる。
そこには私がいた。四角い画面の中で、緑がかった白い照明の下、薄い衣を胸元までまくり上げられ、白い太ももを左右へ無様に開いている。河合先生の腰が、私の脚の間でゆっくり前後している。獣みたいに、白い布を被って、髪を乱した私。背中を黒いレザーに擦りつけ、首をのけぞらせて、口を大きく開けている。赤い肉がよだれで濡れて光り、ぬぷ、ぬぷ、と男のものを受け入れていた。映像の私は、泣いて、啼いて、先生の律動に合わせて、あろうことか腰を跳ねさせている。自分の意思と反対のほうへ動く、あの腰の揺れ。こんな姿を、御田さんに見られている。もう一か月前の話なのに、今この瞬間、私の身体は画面の向こうの自分と重なって、膣の奥がきゅう、と窄まる。下着も何もつけていない貫頭衣の真ん中が、じわ、と熱い染みを作る。
「いい画です。よほどお身体が求めていらしたのね。先生との診察が、雨宮さんに合っていた証拠よ」
御田さんは言い切ると、さも当然のようにスマホを少し傾けて、私に見えやすい角度に画面を直した。
「や……みせないで、ください」
「目を背けるのは、まだ猶予があるうちだけですよ。……今も、こんなに濡らしているのに」
御田さんの骨張った指が、す、と私の太ももへ触れた。貫頭衣の裾の下から、ひやりとした看護師の指先が内腿の汗に触れ、私が脚をすり寄せると、からかうでもなく静かに押し戻す。腹の下から込み上げる疼きが、太ももの肉まで痙攣に変えて、立っていられない。私は診察台の黒い革へ手をついて、うつむいたまま息を吐いた。喉の奥が、こく、と鳴る。画面の中の自分が、今の私と同じ姿勢でうつむき、泣いている。違う。今の私は泣いていない。泣きたいのに、空気の薄い熱ばかりが胸を塞ぐ。
「触診の前に、いつものお薬を使いましょうか。……先生」
御田さんが名前を呼ぶと、河合先生がデスクの引き出しから白いトレイを取り出した。カタ、と硝子の鈍い音。私は先生の手元を、目で追ってはならなかったのに追ってしまった。流線形の、あの真珠色の柔らかい座薬。一か月前、肛門から差し込まれ、直腸の奥で溶けて、私の腹を火薬にしたあれ。催淫剤。本当はもう、薄々、分かっている。検査のための薬ではない。でも名前を確かめる勇気だけはない。先生の白い指が、薬品の用意をする。その手つきには迷いがなく、私の後ろで待つ時間さえも、彼の支配の一部のようだった。
「雨宮さん、こちらへ。……あなたの身体は、私を待つ間にもう準備をしてしまっていますね。入れやすい」
診察台の上で仰向けになると、御田さんが後ろから貫頭衣の背中側をそっと開いた。十一月の冷えた空気が、汗ばんだ背骨に触る。河合先生の指が、私の内腿を軽く外へ押しやる。私は目を閉じた。閉じると、赤いランプの点滅が瞼の裏で、だいだい色の残像になって揺れる。やめて、とは言えなかった。もう、言う資格も、言う言葉も、最初の日のどこかで置いてきてしまった。心の隅で、一也さんの「ちゃんと行けよ」が聞こえた気がした。行くよ。通う。あなたの知らない場所へ、あなたの知らない身体で。私は、唾を呑み込みながら、太ももを自ら開く。河合先生の手が、あの熱い薬を、私の窄んだ後ろへ優しく沈めていく。ぐぷ、と入り口が鳴り、内壁が異物の硬さに逆らいながらも、奥へ奥へと誘い込んでいくのが分かった。次の瞬間、腹の底でどろりと弾けた熱が、背骨を殴る。診察室の白い天井が、焔のように明滅した。私の身体はもう、週に一度、ここで溶けるために火を点けられる。その火が、夫の知らない私の身体を、今も、音を立てて炙り始めていた。
診察を終えて、医院を出る頃には、外の空気が嘘みたいに冷たくて、私はダッフルコートの前を掻き合わせるようにして、坂道を下りていた。太ももの内側では、先生の指と、あの熱を帯びた薬の残滓がまだ尿のように溜まっていて、歩くたびに下着の中でぬるりと場所を変える。肉の芯が、骨盤の奥で、ぬくぬくと腫れている。路線バスに揺られながら、私の中に残ったものの生ぬるい匂いが、座席の向かいの老人へ、すうと届いてしまう気がして、私はマフラーに顔を埋めた。家に帰れば、夫の靴が揃えてあって、キッチンの時計が十九時を過ぎた頃で、炊飯器のランプが緑色に点っている。炊きたての米の匂い。テレビの笑い声。それらが、診察室の熱でぐずぐずにされた私を、一皮だけ包み直す。いつもの妻に。いつもの食卓へ、何も知らない一也さんが座る夜へ。
けれど、箸を持つ指に力が入らなかった。味噌汁を啜る一也さんの喉ぼとけを、見ようとしても目が滑って、呼吸だけが、やけに淫らに聞こえるようで、私は薄いふくらはぎを擦り合わせた。大丈夫。何も知られていない。明日になれば、私は洗濯物を畳み、買い物へ行き、夕飯を作る。週に一度の、あの熱のための女は、まだ誰にも見つかっていない。なのに、食卓の向こうに座る一也さんが、ふと箸を置いた。テレビの音がCMに入る。彼の口が、薄く開き、何でもない調子で、こう落とした。
「最近、遅くないか。病院、そんなにかかるのか」
心臓が、着物の裾を踏まれたみたいに、胃の裏で冷たく傾いた。私は茶碗を置く。指先に、味噌汁の湯気がぬるくかかる。さあ、どう答えよう。喉の奥が乾いて、舌の根だけが、あの真珠色の薬の甘さを思い出す。いや、本当は甘くない。苦い。けれど、身体の芯にまで沁みる。そう、私はいつの間にか、あの熱を一週間分の灯油にして、火曜日へ火を移している。一也さんの瞳が、テレビの光をひとかけら映して、私へ静かに据えられていた。私は小首を傾げて、できるだけ柔らかく声を出す。テレビから、洗剤のCMソングが流れている。
「……検査が立て込んでいるの。今度は、もう少し早く帰れるようにしてみるわ」
言ってから、この嘘が、最初の嘘よりもずっと滑らかに、喉の上に乗って出たことに、うっと、と目眩を覚えた。私はこのまま、夫の前で、嘘まで身体の一部にしてしまえる。食卓の明かりが、味噌汁の汁を、銀色に光らせる。一也さんは、ああ、そう、とだけ言って、また茶碗を持ち直した。部屋の中は、朝には洗い物が重なって、きっと今夜も夫の寝息だけが、薄い壁を伝ってくる。それでいい。それなのに、熱い毒のような後悔と、もっと深くてねばつく、名前のよく分からない歓びが、私の下腹の底を、とろりと舐め上げていくのだった。
第5章 記録の中の妻

第5章:記録の中の妻
「最近、遅くないか」
一也さんのその一言には、その夜、明確な続きなどなかった。居間の蛍光灯が照らす食卓で、彼は湯飲みを傾けるでもなく、ただ親指の腹で茶碗の縁を何度かなぞっていた。白い陶器の縁を往復する指先は、言いかけた言葉のかたちを探しているようでもあり、同時に、もう何も言うまいと自分を宥めているようでもあった。私は「検査が立て込んでいるの」と返すと、一也さんは少しだけ眉根を寄せたが、視線は私の顔ではなく、私が胸の前で重ねた両手のあたりを漂っていた。生成りのカットソーの上で組まれた指を、彼はまるで借り物の置物を値踏みするように見つめている。その焦げ茶色の瞳の奥には、納得とも諦めともつかない薄い澱がたまっていて、私はそれを見てしまうのが怖くて、咄嗟に台所の流しへ目を逃がした。
「そうか」
彼の声は低く、短かった。語尾には小さなため息が混じっていて、テレビの音が再び居間を満たすまでの数秒が、酷く長く感じられた。画面の中では誰かが笑い声を上げていて、その作り物の明るさだけが、食卓の沈黙を逆撫でる。私は空になった茶碗を重ね、そっとシンクへ運んだ。指先が震えているのを、洗い桶の泡で隠した。大丈夫。何も、破られてはいない。そう心の中で繰り返すのに、食器を洗う間中、背中の向こう側に一也さんの視線が張りついているようで、私はスポンジを握る手に余計な力を込めていた。油膜の切れる微かな音が、やけに耳の奥で反響する。ぬるい水が手首を伝い、泡が指の股で潰れて、消えていく。その感触のひとつひとつが、今夜は妙に生々しかった。
日曜日の夕餉は、いつもより早い時刻に始まった。十一月下旬の陽はとうに落ち、窓の外は藍色の闇がべったりと張りついている。一也さんが台所の戸口に立ち、私が鍋を火にかける後ろ姿をじっと見ていた。彼は腕を組んだまま、十分ばかり黙っている。私は振り向かなかった。振り向けば、何かが変わってしまう気がした。洗濯機の回る低い音だけが、壁を伝って足元へ響き、鍋の中の菜の花がとぷりと小さく煮立つ。ぬか床の酸っぱい匂い。引き戸の建てつけ。けれどその全部が、いま、ひどく薄い膜の向こうにある。現し世が、半透明の繭の外側で、青白く澱んでいる。私の耳の奥で鳴っているのは、あの診察台の革の軋みと、河合先生の声の余韻ばかりだった。
「病院、変えたほうがいいんじゃないか」
一也さんの声は、静かだった。怒っているのではなく、どこか困り果てた男が、それでも言わずにいられなかった一言を、深夜の宅配ボックスの前に置くみたいに、そっと落とした。私の手が、一瞬、お玉を止めた。とろりとした味噌汁の表面に、小さな泡がふつりと弾けた。腹の奥で、河合先生の低い声と、診察室の赤いランプの明滅が同時に弾けた。私の唇が、言葉にならない息を細くこぼした。
「どこがいいかはよく分かんないけど、駅前に大きい総合病院もあるだろ。そっちの婦人科でも、一回ちゃんと診てもらえばいいんじゃないか」
一也さんの口元は、困ったように少し左へ歪んでいた。焦げ茶色の瞳はまっすぐ私を見つめていて、そこには疑いよりも、拭いきれない不安が濃く淀んでいる。私はこの人に向かって、また嘘を積み上げなければいけない。喉の奥がひりついて、生卵を飲み込むように唾を押し下げた。胸の内側が、音を立てて壁を作る。私は台所の蛍光灯の下で、一人前の役を演じる。
「先生が、今の治療を続けたほうがいいって。飲み薬と、通院での検査が、ようやく合ってきたところなの。急にやめるほうが、体に負担がかかるから」
声は、自分でも嫌になるほど落ち着いていた。こういうとき、顔から血の気が引いて、余計に素直で従順な妻に見える。一也さんは私の言葉を黙って聞き、小さく鼻で息を吐くと、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。冷気が台所へ流れ出し、私の素足の甲をふわ、と撫でる。彼の指先が白い缶に触れて、ぷし、と音を立てた。泡の匂いが、ほんの少し、焦げた空気を和らげた。
「なら、仕方ないけど。遅くなるなら、連絡くらいしろよ。電車、乗り過ごしたのかと思った」
「ごめんなさい。次から、気をつける」
私は彼の横顔へ頭を下げた。プルタブの開く音を背中で聞きながら、その音にまで、河合先生の診察台の軋みが重なる。胸の中の熱は、来週の火曜日まで、まるで予約された火種のように、肺の裏で音もなく燃え続けていた。夫の心配を、あの診察室へ通う欲望へすり替える自分が、たまらなく浅ましい。なのに、来週の火曜日を消す勇気より、体の芯を満たす熱の記憶のほうが、はるかに強い力で私を掴んでいる。一也さんは缶を流し台の縁に置くと「飯にするか」とだけ言って、席へ着いた。湯気の立つ食卓。夫の脆そうな寝癖。お浸しの青い香り。そのすべてが、酷く遠い。私は味噌汁をよそいながら、椀に映る自分の顔をぼんやりと見下ろした。透明ではない。濁っている。
火曜日。朝、一也さんは定刻どおり七時半に家を出た。通勤の支度を整えた彼は、玄関の三和土に片膝をつき、靴紐を結びながら、私に背を向けて言った。
「今日は、病院だっけ」
「ええ。午後から」
「……あんまり、無理すんなよ」
その声には昨夜のような棘はなく、ただ低いところを流れる濁流めいた疲れがあった。私は「行ってらっしゃい」と笑顔を作り、玄関の鍵を閉めた。途端に、世界の音がぷつりと途切れた。鉄のドアの錠を内側から回す、がち、という響きだけが、靴箱の前の薄闇の中に落ちる。錆びた鉄の香りといい、靴箱の冷えた空気が、私の足首へまとわりつく。十一月下旬の低い陽射しが、カーテンの端から這い入ってきて、板張りの床に長い薄墨色の影を落としている。時計はまだ午前九時。診察の予約は午後二時。私は居間のソファに座り、膝の上で自分の手を見た。五時間も先のことを、体がもう待っている。指先は冷たいのに、臍の下だけが、朝からしっとりと熱い。
その熱を抑えたくて、厚手のカーディガンを羽織り、洗濯物を畳んだ。乾燥機から出したばかりのタオルは、陽の光を閉じ込めたような匂いがして、温かい。折り目のひとつひとつを指の腹で潰しながら、心ばかりが先に、河合医院のあの空気を吸っている。消毒液と糊の利いた白衣と、古い油を思わせる渋い香水。その混ざり合いを、鼻の奥が覚えている。夕べの夫の顔がまた浮かぶ。けれど、指先はタオルの温もりを整えながら、別の生きもののように落ち着いていた。私の体は、行くことをとうに決めている。
やや早めの昼食を食べ、化粧を直して、私は駅前へ続く道を歩き出した。夫には朝、「ペンケースを買ってくる」と小さく告げてある。本当に、何度も使い古した言い訳のひとつだった。文房具店がどこにあるのかすら、もう口が覚えている。歩いている間、冷たい風がスカートの裾を、ふわ、と膨らませるたび、体の奥の熱が空気に炙られて、いっそう強く甘く脈打つ。駅前のガラスに映る自分。紺のチェスターコートを着た、小柄な人妻。口元は真一文字に結ばれて、目だけが、これから向かう場所へ焦がれるように濡れている。私は、もう笑っていなかった。笑えなかった。だって、これから私は、自分が何者かを、あの扉の向こうで全部、剥ぐのだから。
河合医院の前は、相変わらず無人だった。住宅地の午後の静けさが、医院の白い外壁へべったりと貼りついている。太陽は厚い雲に隠れて、路地の色を、くすんだ真珠色に変えていた。ガラス戸を押す。重い。以前より、ずん、と腕へ圧し掛かるように感じた。待合室には人の気配がなかった。消毒液の匂い。靴底が白い床を抓る、ちゅ、という音。受付の奥から、御田さんが静かに出てきた。栗色の髪を後ろに束ねた、切れ長の目の看護師。白のニットの胸元が、白衣の合わせからわずかに見えている。彼女は私を見るなり、わずかに笑んだ。手の中のスマホ。液晶は消えているが、裏返したときに見える赤いカバー。変わらない。あの日から、ここの何もかもが。
「雨宮さん、こんにちは。外、冷えてきましたね」
「こんにちは。今日も、よろしくお願いします」
私の声は、自分で思っていたより落ち着いている。むしろ、尻の奥がきゅん、と反応するほうが早くて、唾液がこみ上げそうになる。受付でコートを脱ぎ、用意された白いスリッパに履き替えた。スリッパの内側はひやっとしていて、足裏へ猥雑な快感を走らせる。御田さんは体温を測るふりをして、私の手首へ指を添えた。彼女の指先は冷たく、そして私の脈が早いことに、間違いなく気づいている。
「先生、もうお待ちですよ。お入りください」
御田さんの手が、背中に軽く触れた。骨の上を、なぞるでもなく置かれる掌の重み。私は促されるまま、あの重い防音扉をくぐった。厚い扉が後ろで閉まると、外の音が全部、堰き止められた。道路の音、風の音、時折通る自転車のベルの音も。空気だけが、圧を帯びて耳の奥がしん、と鳴る。自分の心音だけが、鼓膜の裏で、どく、どく、と刻まれている。ここから先は、あの熱の世界だ。
診察室。黒い診察台と、壁のフックにかかる薄い貫頭衣。河合先生がデスクの前で、私を振り向きもせず、皺だらけの指先でカルテを開いている。白い白衣の背中が、私の足音を聞いている。彼はゆっくり顔を上げた。鳶色の目が、私の頬、首、コートを脱いだ肩の線を、順番に。最後に私の膝を、診察台の影にある足首を、隈なく舐めるように見て、微笑みを深くする。
「待っていました。雨宮さん」
低い声だった。耳の奥を、古い油の香りが撫でる。私の下腹が、その声に吸い寄せられるように熱を上げる。もう、何もためらいたくない。これ以上、偽の患者面をするほうが、よほど浅ましい。私は右手で、それでも少し震える指先を、カットソーの裾にかけ、する、と脱ぎ上げた。薄暗い診察室の中で、肌が蛭のように白く浮かぶ。ブラジャーのホックを外すと、冷えた空気が胸の膨らみを包み、乳首がじん、と固くなる。御田さんが壁から貫頭衣を外して待っていたが、私は彼女の手からそれを受け取らず、スカートを落とし、下着をすべて脱ぎ去った。今さら、貫頭衣の布など、私とこの部屋の間に必要はない。先生は目を細め、私の裸を見た。御田さんも、無言でスマホの画面を私の白い背中へ向けている。
「今日は、随分と素直ですね」
先生が言う。その声には、ほんの少しの笑いが混じっているが、私は恥ずかしいのに、笑い返してしまいそうになる。自分の浅ましさが嬉しいのか。それとも、待たれていた事実が、私の背骨を甘く折るのか。私は裸の肩を診察台へ向けて、一歩、また一歩と歩いた。足裏が床へ張りつく感触すら生々しい。先生が診察台を示す。私は言われないうちに、台の端へ手をつき、仰向けではなく、四つん這いで、その黒い革の上へ上がった。膝裏から太ももの裏まで、ひやりと革が吸いつく。
「後ろから、記録を撮らせてくださいね。今日は脱いでしまったほうが、きれいに撮れます」
御田さんの声が、背後から降ってくる。私は小さく頷いた。むしろ、そうしてほしかった。もう、隠したい場所も、悔しい場所もない。赤いランプが灯る。点滅が壁に映る。私は背中を反らし、膝を開いた。貫頭衣を着ていないから、淡い陰毛と、すでに濡れてひくついている窄まりと、薄く桜色に充血した小陰唇の先まで、たぶん全部、カメラに収まっている。太ももの内側が、ごく薄く汗ばみ、光った。
「きれいですよ。もう、こちらから触らずとも、光るものが垂れています」
河合先生の指が、私の割れ目の入り口ぎりぎりをなぞった。触れるか触れないかのところで、ゆっくり二往復した。そこだけで、私の腰が跳ねた。膣口から、とろ、と蜜が伝い、内腿へ細く糸を引く。先生はそれを指の腹で掬い上げ、私の前へ差し出した。節くれだった指。爪の白い部分の奥に、私の体液が揺れている。
「見えますか。この粘度。あなたの身体が、私の診察を待っていた証拠です」
私は、目の前の指を見た。透明から少し乳白色へ濁った、ねっとりした液。内臓色の肉壁に滲んだ自分の匂いが、先生の指の間から立ち上る。甘いような、生臭いような匂い。それはあまりにも濃厚で、喉の奥がきゅっ、と鳴る。牝の匂い。発酵した果実の皮を、ぐ、と潰したときににじみ出る、えぐい甘さ。それを先生の指が、静かに、私の唇へ押し当てた。
「味も、知っておくといい」
私は唇を開き、先生の指を浅く咥えた。ざらりとした指紋に絡んだ粘液を、舌先でそっと舐め取る。自分の体から出たものの味。鉄の匂いと塩気の奥に、熟れた甘みが流れ、背中がぞわぞわと泡立った。御田さんのスマホが、私が指を咥える横顔を、すぐ横から写している。ああ、息が。鼻で吸う空気がぜんぶ酸っぱくて熱い。これから始まる全部を、体が知っている。知っているから、こんなにあらわな場所まで、わざわざ歩いて来てしまった。
「横になりましょうか。それとも、今日はこのままがいいですか」
先生は私の後ろに回り、片膝を診察台の縁へ乗せた。ズボンを下ろす衣擦れの音がして、ゴムの太い輪が、淡い闇のなかでかすかに弾んだ。私は首を振らず、短く答えた。
「このままが……いいです。後ろから、きてください」
声は、自分のものなのに、まるで診察の続きを望む患者の、馬鹿みたいに素直な響きをしている。河合先生の手が、私の腰骨を掴んだ。太い指が、肉のくびれを確かめるように食い込んだ。熱い。その熱は、まるで湯たんぽをあてがわれたみたいに、腰の内側へ深くしみてくる。先生の胴が、私の尻を割って近づいてくる。ぬぷ。亀頭が窄まりへ当たり、そのまま一気に、ぬちゃあ、と音を立てて中へ沈んできた。
「あ……っ、ぁ」
体の芯を杭で貫かれるみたいだった。膣壁が一瞬、異物を拒んで締まるのに、その締めつけさえ、先生の先端を喜ばせるための粟立ちへ変わる。私は四つん這いのまま、黒い革のシーツを両手で握りしめた。爪の先が革へ食い込む。空気に浮いた乳房が揺れ、乳首が冷たい空気を切る。後ろから、ずん、ずん、と遅い律動が始まった。奥のほうで、大きな質量が肉をかき分けてくる。ここに通い始めてから、一か月。私の穴は、もう、この人の形を覚えすぎている。覚えているから、痛みはすぐに快感へ変わり、肉襞が勝手に絡みついていく。
「奥、熱い。今日は、いつもより柔らかいですよ」
先生が囁く。私はうなだれて、口を半開きにした。涎が唇の端から細く垂れ、黒い革の上へ点をひとつ作る。百合の花弁を潰したみたいな、透明な染み。腰が、勝手に後ろへ揺れた。もっと詰め込んで、と、胎の奥がちりちり鳴いている。先生は私の動きを待っていたように、下腹を思いきり打ちつけた。ばちゅ、と濡れた肉が鳴り、膣内の蜜が泡立って、ふたりの繋がり目から白く溢れた。
「あっ、あ、あん、ン……」
漏れる声が、下品に鼻へ抜ける。御田さんが、私の撓る背中から、突き上げられる尻の震え、糸を引いて溢れる愛液の色まで、スマホのレンズで追いかけてくる。赤いランプが、私の歪む顔をちかちか照らしている。恥ずかしい。悔しい。なのに、この恥ずかしさこそが、あの日から私を中毒にしている。一也さんのいない午後。誰も私を潤子と呼ばない密室。ここでだけ、私は、雌の肉を隅から隅まで明け渡していい。その幸福が、静かに、胸のいちばん深いところを焼いていた。焼かれている、と、思う。
「今日は、ご主人に何と言って?」
先生の腰が止まらないまま、耳元へ問いかけてくる。私は泣き声まじりに、途切れ途切れ答えた。
「ペンケース……買ってくる、って……ぁ、あ、そ、それで、出て来……ああっ」
底を抉られ、喉がのけぞる。四つん這いの膝が、黒い革の上でじたじたと滑った。診察台の軋みが、壁に吸われて消える。先生の呼吸が、私の項へ重くかかる。肛門の奥に、あの催淫剤の残り火がまだ眠っていて、膣の律動に合わせて、ふつふつと疼きを増す。前も後ろも、この人のために溶けている。御田さんの指が、私のあごを捕まえ、無理やり顔を上げさせた。レンズが、涙と涎でぐちゃぐちゃになった私の顔を、真っ向から舐める。
「上手に嘘をつけるようになりましたね。とてもいい表情です。ご主人より、ここのほうが、大事になってきたでしょう」
私は首を振りたかった。でも、カメラの前で、唇だけが笑ったように開いた。涙が、まつ毛からこぼれて、鼻の脇を伝う。哀しくて、苦しくて、あたたかい。夫の顔が過ぎっても、もう、それが後ろめたい輪郭を描くだけだ。一也さん、ごめんなさい。帰りたくないわけじゃないの。けれど、火曜日の午後だけは、私の体は、ぜんぶ、この男の人に預けないと、生きていけない。
先生が腰を深く突き入れたまま、ぐぐ、と先端を私の一番奥のちいさな凹みへ擦りつけた。目の奥で火花が散る。喉から、あ、とも、ひ、ともつかない叫びが迸る。膣のいちばん深い場所が、ずるり、と絡みついて、射精をねだるように蠢く。御田さんは私のあごを支えたまま、開いた口の内側まで映し、息をこぼした。
「雨宮さんのここ、赤くて、すごく柔らかそうに写っていますよ。もう、服なんて着なくていい日が来るんじゃないかしら」
ひそめた声で囁かれ、内ももが震える。先生は低く笑い、私の尻を両手で割り開くようにして、いっそう深く性器を突き入れた。腹の底を、白い熱がゆっくりと満たしていく。けれど、まだ足りない。奥の奥に、届かない部分が、ちいさく開いた口のように渇ききった産毛を逆立てて、ひたすらに熱を欲しがっている。私は、自分でも気づかないうちに、四つん這いのまま顔を横に向け、息だけで声にならない言葉を繰り返していた。ああ、漏れそう。声が、漏れてしまいそう。
そのとき、身体の内側を走った大きな波が、背中を一度ぶるりと震わせ、私はたまらず片手を後ろへ伸ばしていた。白い指先が、先生の白衣の下で張りつめた腹のあたりを撫でる。そうして、その指先は、まるで何かを確かめるみたいに、ふるえる呼吸の合間を縫って、するすると下りていった。先生の腰骨のあたり。スラックスの黒い生地。冷たいバックルの金具。私は、指の腹でベルトの革の縁をたどりながら、息を詰めて、たどたどしく金具へ爪をかけた。ちゃり、と小さく金属が鳴く。
「雨宮さん……?」
御田さんの声が、私の背中越しに落ちる。そこには咎める響きはなく、ただ、私の指先を観察しつくすような、ねっとりとした感嘆が混じっていた。私は返事をしなかった。返事ができるような呼吸など、どこにも残っていなかった。ただ、しろい指でベルトを外し、スラックスの前を少しだけ寛げようとした。いや、寛げようとした瞬間、先生のがっしりした手が、その指先を静かに包んでくる。温かい。油の匂いのしみこんだ、医者の手。けれど、それを拒むのではなく、手を添えたまま、私の震える動作を導くように休ませた。
「自分で、欲しくなりましたか」
河合先生の声が、汗ばんだ私の項へ、古い香水の香りごと流れ込んでくる。その声は、診察室の空気をいっそう重く甘く湿らせて、耳の内側のいちばん柔らかい場所を舌先でなぞるように響いた。
「……欲しい、んです」
私の声は、まるで水面を滑る熱い油膜のようだった。声なのか唾液なのか、自分のものなのに境界がわからない。口の端からは涎が一筋、黒い革へと続いている。それでも、言ってしまった。言ってしまったら、もう止まれないことを知っていた。知っていて、指先は先生のベルトを外し、下着の上から硬く反り返った輪郭をそっと撫でる。先生の低い息が、項の産毛を震わせた。
診察台が一度、私の膝の下でぎし、と軋む。御田さんが、静かに私のスマホ越しの顔から、腹の下、さらに先生の腰と私の指先が重なった位置へと、レンズを移動させる。赤いランプが、私の指先の動きまで事務的に照らす。
「あなたが自分から開いたんです。憶えておいてください。――今日は、あなたのほうからですよ」
河合先生はそう言い終えると、そっと私の手を外し、まだ熱でぬかるんだ性器を抜いた。抜かれた瞬間、膣の中が、真空になったみたいに、ぽかりと暗くてだるい穴になった。入口の肉が、閉じられない口をパクパクさせて、白く濁った蜜が泡立った。息が、浅く、肺の上だけを往復する。体ぜんぶに、まだ先生の質量の形が残っていて、そのあとのぬくもりが、ぞわぞわと産毛の先まで這いまわる。
けれど、待っているだけの午後は、もう終わっていた。私は診察台からゆっくり上半身を起こした。膝のうらに革の跡がついて、ひり、と痛んだ。その痛みごと噛みしめるように立ち上がり、素足のままぬるい床へ下りる。足首が笑っている。足の指の一本一本が、床の冷たさを掴んでは滑る。私は、薄暗い診察室のなかで、一歩ぶんだけ壁のほうへよろめいた。それでも、壁に右手をつくと、自分から先生のほうへ半身をひねり、左手で彼の白衣の襟元を握った。
「立ったままが、いい」
自分の口から洩れた言葉は、まるで自分ではない女の声のようだった。自分で、立ったままがいい。そう、囁いた。この部屋に来てから幾度も、診察台の上で、貫頭衣のなかで、そうされたかった。そう思わせてしまいたかった。ぐちゃぐちゃに、立っていられないほど、体の内側から壊したかった。壊してほしいのではなく、この人のことを自分から選んで、脚ではさみたかった。壁の白さが、私の裸の背中に張りつく。
河合先生は、こちらの瞳を覗きながら、ゆっくりと私へ近づいた。その鳶色の瞳は、微笑んでいるのに、やはり何かを確かめるように私の顔を舐めている。目のまわりの皺が深くなった。彼は私の額にかかった髪を、節くれだった指の背で横へ払う。額の汗ばんだ産毛が、くちゅ、と音を立てて張りつく。首筋を撫でられると、冷えた汗がすうっと乾いて、そこから先の肌がひりつくように火照った。
「立ったまま、ですね。いいですよ。こちらへ」
背中にまわされた手のひらが、私の腰をぐ、と引き寄せる。私の裸の胸が、糊のきいた白衣へ押しつけられた。布のざらつきが、腫れた乳首の先を擦り、あ、と謙虚な声さえ洩れてしまう。けれど、私は逃げなかった。白衣の下のシャツの厚み、先生の腹の熱、煙草の匂いにも似た渋い香りが混ざる。朦朧と、顔を埋めたくなる。それと同時に、自分の右のふとももが、先生の腰の外側をさぐり、内ももで彼を抱きたいとねだる。私は壁ぎわへ押しつけられながら、背の塗料の冷たさを肩甲骨に受けて、小さく腰を浮かした。
「ほら、自分で、ここを」
先生が私の太ももの裏へ手をやって、片脚を持ち上げさせた。御田さんが、素早く私の背後へ回り、倒れないように肩と腰を支えてくれる。骨ばった彼女の手は、冷たいのに、私の汗ばんだ肌へ吸いつくみたいに密着する。背中に彼女の息づかい。胸の先では、先生の指が、わたしの陰毛をなぞり、濡れそぼった陰唇をゆっくり割っていく。恥骨が、白熱したナイフの先でなぞられているように熱く、内ももは出し濡れで、ぴたぴたと音を立てそうになる。
「脚、開いて。もっと」
自分から言った。もっと。たった四文字。なのに、口のなかでとける熱い飴のように、喉をゆっくり下りて、臍の下を泡立たせる。私は壁に肩をつけて、自分から右脚を持ち上げた。膝が、先生の腰の高さまであがる。御田さんの手が、私の膝裏を支えなおし、左手は腰を抱え込む。壁に縫いつけられたみたいだ。冷たい壁と、熱い三人分の体温。冷房も利いていないのに、皮膚がちりちりと粟立って、胸の尖端はむしろ痛いくらい固い。私は喘ぐ魚のように口を開け、空気を薄く吸った。
「挿れて……ください」
言った瞬間、膣のなかが、待ちきれない、と蠢く。先生は、私の脚を支える御田さんの腕に一瞬だけ目を遣った。だが、それ以上待たず、女の急所へ向けて、ぬめる先端を触れさせると、そのまま、ゆっくりと突き入れてきた。壁に背をつける。乳首を白衣にこすりつける。左足のつま先が、むなしく床を引っ掻く。ずぶずぶ、と肉が割り開かれ、中で蜜の膜が破れる。押し込まれる、というより、自分のほうから咥えに行っている。立ったまま、自分から。そんな倒錯が、思考の隅で蛍のように点滅する。わたし、いますごく、いやらしい。ちがう、いやらしいだけじゃない。わたし、これがほしかった。この形。この圧。「あ、は……あ、う……」
片脚をかかえた姿勢のまま、先生の抽送が始まった。入口のひだが、出し濡れの蜜でくちゅくちゅと鳴く。こすれるたび、膀胱のはるか上から小さな痺れが散る。彼の下腹が、太もものつけ根を打つ。ばちゅっ。びちゃ、と跳ねた汁が、私の内ももを伝い、御田さんの支える手首まで濡らしてゆく。私は仰け反れない代わりに、壁に後頭部を擦りつけ、あ、あ、と高い声をこぼした。
「もっと……もっと、動いて……」
自分で腰を前後ろに振り、先生の熱を奥へ、奥へ、懇願した。飢えた肉のひだが、自ら吸いつき、締めつけて、男根をさらに硬くさせていくのが分かる。御田さんが耳元へ唇を寄せ、息だけの囁きを混ぜる。彼女の指が、私の右脚をもう少しだけ高く押し上げ、開いた股の奥をカメラへ晒す。「あぐ、……ひぁ」ヒールも履いていない素足の指が、宙でぎゅっと丸まる。壁の塗料の上で、私の汗がうすく曇りを描く。目のふちから、諦めと快感の混ざった涙が、ぼたぼたと落ちた。
視界のすみで、赤いランプが私の脇腹から、揺れる乳房、引き攣るふとももを点滅してなぞる。もう、恥ずかしいというより、そこに自分が焼きつくことが、深い陰部から突き上げられる快感に混じって、背骨を痺れさせた。私、撮られている。自分から腰を振っている顔も、あの小さな赤い光に焼かれている。夫が、あの部屋でニュースを見ている頃に。
「もっと……ぅ、奥まで、ください、おねがいっ……」
言いながら、腰を大きく振った。肉と肉が合わさるところで、ぬちゃ、ぐちゅ、と水音がするたび、目の奥の暗がりに金魚が泳ぐ。息を吸うたび、自分と先生の混ざった牝の匂いが喉の奥を満たして、おかしくなりそうだった。私は右脚を先生の腰へ、もう自分では無理なくらい絡ませた。背中をしならせ、壁に肩を擦りつけ、腰ばかりを狩人の弓みたいに撓らせる。
「いいですよ。そのまま、腰を、もっと」
先生の声がゆっくりと、私をさらに追いつめる。厚い指が私の腰骨の上を撫で、それから、つながった場所の真正面にある陰核を、くい、と親指で潰した。瞬間、目の前が、真珠色に弾けた。私は大きく腰を突き出して、悲鳴にも喘ぎにもならない声を壁へ這わせた。子宮のあたりを、太いものが輪を描くように擦る。いちばん深い凹み。いけない場所。御田さんは私の肩を押さえつけ、そうすることで、私がますます自分の腰を打ちつけるように仕向ける。耳元で、静かに、
「自分から動いて、すごい……雨宮さん、そんなふうになれるんですね」
と、囁く。眼の裏が熱い。わたしの内ももの肉が、甘やかに悲鳴を上げている。腱が突っ張って、脚が攣れそう。なのに、腰だけは止められない。先生は下から突き上げるのではなく、こちらが沈み込むのに合わせて、奥壁へ先端を押しつけてくる。ぐっ、と当たる。ぐ、ぐ、とこすられる。そのたびに、腰の奥が溶かされ、尾てい骨の先から頭の芯へ、熱い果汁がのぼる。立ったまま犯される淫ら、と思う。私、壁に、看護師さんに支えられて、自分のほうから、先生のを、咥えてる。夫と眠る身体のぜんぶが、いま、別の男のものに、なっている。その事実が、乳首よりも深い場所を、きゅう、と疼かせる。悲しい。悔しい。なのに、いちばん熱い。
呼吸が、次の瞬間、一気に崩れた。
「もっと、もっと、もっと……!」小刻みに、腰。自分でも言葉が何を意味するのか、もう分かっていない。もっと突いて。もっと見て。もっと、私を、ほんとうの私を。「あ、ああっ、せんせ……、せんせ、ぁ……」
来る。来てしまう。片脚がびくんびくんと跳ねる。御田さんの腕が、私の腰を固定する。先生の指が、陰核を擦りつづける。膣が、自分の意志とは無関係に、搾り取るために、奥から波打った。締まる、というより、噛みつくように。先生が短く息を飲み、無言のまま、最奥へ先端をこじ入れてくる。白い壁には私の汗。床には、点々と落ちた愛液の、桜貝の裏のような薄い染み。
「私の、奥で、イッ……あ、だめ、ほんとに、……せんせ、先生ぇ……!」
どく、どく、と胎のいちばん深い部分で、何かが脈打つ。先生が、その脈を、事前に決めた持ち場のように穿つ。立位の最中で浮いた爪先が、もう床を掴めなかった。壁と御田さんと先生の三方向から支えられて、宙に吊り上げられた肉人形みたいに揺れる。視界が真珠色に二度、三度明滅して、それから、肺の底から、涙声が小川のように溢れた。
「あ――……ぁ……、も……、しんじゃ、……」
しんじゃう。言葉にならないまま、唇の内側だけで呪う。脊髄を、いま、小刀で引き裂かれている。わたし、死んでる。しんで、また、起きる。立ちながら、生まれ変わる。そのたび、御田さんの骨ばった指が肩を掴み直し、汗でずれる私の右足を、さらに大きく開かせる。赤いランプが、わたしの、だらしなく開いた口を照らし、先生の怒張を受け入れつづける部分へ、ねばつく白濁を添わせる。
先生の呼吸が、はじめて乱れた。獣の匂い。古い油の香りが、性急な獣のにおいに侵されていく。私は背中を壁に擦り、両手をのばして、先生の胸ぐらに縋るようにしがみつく。御田さんが、ぱちん、と音を立てて、私の開いた太ももを内側から打った。「ひゃ、あ……ッ」
無理やり開かせるための、矯めにも似た仕草。その痛みに、首がのけぞる。頬を涙が伝い、口のなかは、自分の淫液の匂いで蒸れている。もう戻れない、とは思わなかった。戻りたいとも思わなかった。ただ、目のまえの男と、私を記録する女の息づかいだけが、この午後のいちばん濃い真実だった。壁のむこうで、十一月の昼下がりが静かに流れている。団地の道路を、買い物帰りの自転車が、ベルを一度、遠くで鳴らした。その音に、日常が横をすり抜けていく。あの音の世界へは、きっと今日も帰るのだ。帰る。けれど、帰る自分は、もう昨日までの自分ではない。体の奥で、この人の形と、この部屋の赤い光が、ゆっくりと固まっていく。
「受け入けてください。奥で、あなたを満たします」
先生の声が、静かに、しかし有無を言わせぬ調子で落ちる。赤いランプが私の横顔に張りつく。防音扉の向こうでは、世界がしんと静まり返っている。私は唇を噛み、うなずく代わりに、腰を後ろへ押しつけた。この選択の重さを、揺れる体全部で受け止めるように。ふたりの影が、壁の上でぐらりと繋がり、薄暗い診察室に、異物と肉のはしたない水音だけが満ちる。濁りきった其の音が、午後のしじまを食いつくように、いつまでも、いつまでも、私の耳の奥で反響していた。
登場人物
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雨宮潤子 あまみや じゅんこ女性 ・ 31
外見: 肩より少し下で揃えた黒髪、ひと重の暗い茶色の瞳、華奢だが腰まわりにやわらかな肉づきのある小柄な体、身長153cm。服装: 生成りのカットソーに紺の膝下フレアスカート、その下は白のレースのショーツと同色のブラジャー。引っ込み思案で従順、自分から不満を口にできず、体の火照りだけが秘めやかな異物として彼女の中で燻っている。肌は青白いほどで、羞恥すると耳の裏と胸もとまで赤く染まる。触れられる順番に弱く、穏やかな声で言われると逆らい方が分からなくなる。
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河合康介 かわい こうすけ男性 ・ 63
外見: 白髪まじりの銀色を後ろへ撫でつけた髪、小さく奥に引っこむ鳶色の瞳、白衣を着ても分かる厚みのある胸と腹まわり、身長171cm。服装: 常に糊のきいた白衣、下は薄い水色のシャツと品のよいグレーのスラックス。古い油にも似た渋い香水を薄くまとう。手は分厚く、指の関節が目立つが、触れるときの温度と圧は均一で、迷いがない。微笑みを絶やさないが目だけは常に相手の呼吸と脚の角度を追っている。
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御田 みた女性 ・ 46
外見: ひとまとめにした栗色の髪、切れ長の暗い一重、細身だが体幹のしっかりした立ち姿、身長160cm。服装: 丈長の白衣の下は黒いニットと黒のスラックス、内部ポケットにスマホを常備。清潔だが甘すぎない、石けんと埃の混ざった香りがする。手指は骨張り、つめは短く丸く整えられている。視線は穏やかで、声は高すぎず低すぎない。潤子の肩や腰に触れる手つきだけは、押さえつけと宥めの区別がつかないほど一定している。
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雨宮一也 あまみや かずや男性 ・ 35
外見: 寝癖の残りやすい短い黒髪、奥二重の焦茶の瞳、中肉中背だが肩が少し前に出て疲れが見える、身長169cm。服装: ノーネクタイのワイシャツに紺のチノパン、帰宅時はグレーのナイロンジャケットを手に提げていることが多い。汗と体臭が薄く混じった、夫特有の匂いが玄関に一瞬だけ残る。笑わないわけではないが、笑うときは口をゆがめるように片方だけ吊り上がる。相手の支度が終わるのを待てず、靴を脱ぐ前から今日の不満を低い声でこぼす。





