大学生の俺が彼女の寝込みを襲い無断で中出しする日々を続けていたが、バイト変更の夜に部屋の外で聞いたのは彼女と親友の激しい喘ぎ声だった…
あらすじ
大学生の本村幸隆は、彼女の金崎ゆきと付き合って一年が経とうとしていた。ゆきは清楚な顔立ちで、学内でも人気だったが、幸隆は彼女の無防備な寝顔にだけ見せる、だらしなくも愛おしい表情に特別な興奮を覚えていた。ある夜、ゆきが深く眠ったのを確認し、そっと布団に潜り込む。彼女の温もり、甘い寝息、柔らかな肌の感触。抵抗する様子もないまま、彼はゆきのパジャマの裾をまくり、眠ったままの彼女の体を貪り始める。ゆきが微かに呻いても、それは夢の中の反応だと自分に言い聞かせ、彼女の膣内にこっそりと中出しする。その行為が彼にとっての至上の快楽であり、二人だけの秘密の儀式となっていた。日常の会話やデートの合間にも、彼は次なる夜を待ち焦がれる自分がいた。
第1章 ゆきの寝顔と僕の秘密

第1章: ゆきの寝顔と僕の秘密
ゆきが完全に寝落ちしたのを確かめるまで、俺はいつもより長くスマホを弄っていた。画面の明かりが薄暗い部屋の中で、彼女の伏せた睫毛の影を浮かび上がらせる。規則正しい寝息が聞こえてくる。まだ浅い。
付き合い始めてもうすぐ一年になる。きっかけは同じ授業で隣の席になったことで、俺の知らない有名女優の似ていると言われる顔立ちと、控えめな話し方に惹かれた。告白してから三ヶ月、デートを重ねるたびに彼女の清純な外見の奥にある、どことなく危うい柔らかさに気づき始めた。
キスをした帰り道、彼女は耳まで赤くして俯いた。手を繋ぐだけで指先が湿るほど緊張しているのに、時折見せる上目遣いの視線が妙にねっとりしていた。あれは、もしかすると。
眠っている彼女の体に触れたいと思ったのは、そんな彼女の無防備な姿を見た夜だった。自分の部屋で一緒に映画を観て、途中で彼女がうたた寝した。その時の、スカートが乱れて見えた太ももの白さと、薄く開いた唇から覗く白い歯と舌先。ゾクゾクした。
以来、この行為は俺だけの秘密の儀式になった。彼女の部屋に泊まる夜、決まって寝入りばなを見計らって布団に潜り込む。
「すぅ……すぅ……」
深くなってきた。あと少し待つ。冷蔵庫の唸る音だけが部屋に響く。窓の外で遅い車が一台通り過ぎる。ベッドの上で体重をゆっくり移すと、スプリングがぎし、と小さく鳴った。
彼女の部屋は六畳のワンルームで、ベッドは壁際に置いてある。枕元の芳香器から、甘ったるいバニラの匂いが漂っている。俺はそれに混じる彼女の髪の匂いを確かめるように鼻を近づけた。シャンプーの花の香り。そして、その奥に汗と皮脂が混ざったような甘酸っぱい体臭。
たまらなくなる。
今朝、彼女は大学に行く前にシャワーを浴びたと言っていた。夜になって、デートで街を歩き、居酒屋で少し酒を飲み、ここへ戻ってからも料理を作ってくれた。彼女の体は一日の終わりの匂いをまとっている。俺はそれを吸い込む。
起こさないように、指先だけでパジャマの裾に触れる。薄い生地の下に、女の子の熱がこもっているのがわかる。静かに、本当に静かに引き上げる。
月明かりを反射する腹が露わになった。白い。滑らか。呼吸に合わせて静かに上下する。
俺の心臓はもう限界まで早鐘を打っている。
寝ている女の体に触れるときの、あの背筋が凍ると同時に熱くなる感覚。彼女は何も知らない。知らないからこそ、この肌は無防備であって、それを暴いているのは俺だという事実が、胃の底を痺れさせる。
腹に掌を密着させる。ひんやりとしているのに内側からはしっとり熱い。彼女の寝息が一瞬乱れて、すぐ元に戻った。
「……ん」
微かな吐息。夢の中の準備運動みたいに。その反応に、俺の股間は痛いくらい硬さを増していた。
もっと触りたい。全部に。
パジャマのボタンを外そうとして、指が震える。彼女を起こすのが怖いんじゃない。この高揚を邪魔されたくないんだ。
第一ボタン、第二、第三。はだけた胸元から、白いキャミソールが見えてくる。薄いレースが乳首の位置を透けさせている。淡い色のカーブ。寝ていないときの彼女は、絶対にこんな姿を俺に見せない。いや、見せたがらない。
胸の上に手を乗せる。柔らかい。掌が沈み込む感触。心臓の鼓動を感じながら、ゆっくり揉む。
「は……ぁ」
唇の隙間から熱い息。閉じた瞼がわずかに動いた。夢の中だ。深い眠りの底で、自分の胸がまさぐられていることに気づくはずがない。
この瞬間が一番好きだ。彼女の体が、眠ったままのくせに少しずつ反応し始める。乳首が布越しに硬く立ち上がり、太ももが微かに動く。
パジャマのズボンに指をかける。ゆっくり、ほんとにゆっくり下にずらしていく。この時の、彼女の肌から立ち上る熱気と、布が擦れるかすかな音。腰を浮かせてくれないから、かえって時間がかかる。それでいい。
ショーツまでずらして脱がせた。薄い陰毛が現れる。設定上の通り、少ない。小陰唇は厚めで、閉じた太ももの間にくにゅっと折り重なって見える。
彼女の寝相はいつも仰向けか横向き。今夜は仰向けだった。俺は、彼女の両太ももに手を添え、ゆっくりと開かせる。無抵抗。これがいい。すべての力が抜けていて、こちらが望むまま。関節が柔らかく折れて、開いた場所が、月明かりにほんのり湿って見えた。
指を割り込ませる。
「……っ」
声こそ出さないが、彼女の口元が一瞬歪む。膣口は予想よりずっと熱く、指の腹でなぞるとぬるついた透明の糸が絡みついてくる。彼女の体は寝ていても、ちゃんと準備していた。それとも、これはいつもの反応か。
いつもなら、ここで一気に自分も脱いで、彼女の中に入る。焦らしても仕方ない。この続きを思い描きすぎて、俺の先走りはパンツの中でぐっしょりだった。
俺は服を脱ぎ捨てて、彼女の裸の体に覆い被さった。男の体の重みでスプリングが沈み込む。彼女の形の良い鼻梁が、間近にある。その無防備な顔に、俺の体重を預けるようにして、唇を首筋に押し当てた。汗の味がする。酸味のある、ほんのり苦い、女の味。
腰を進める。狙いをつけて、亀頭を彼女の入り口に押し込んだ。熱い粘膜が、しぶしぶと言うふうに亀頭を迎え入れる。
「ぅ……んっ」
彼女の眉が寄る。それでも目は覚めない。首をすくめるようにして、枕に頭を押し付ける。
挿入した瞬間から、彼女の中はうねうねと動いていた。寝ているくせに、まるで別の生き物みたいな締め付け。ゆきの膣内は、昼間の彼女からは想像もできないほど貪欲で、根元まで飲み込もうとしてくる。
動くたびに、ぐちゅ、ぐちゅと濡れた音が部屋に滲む。この音が、彼女に聞かれたら、と思うとさらに昂った。彼女は、今、知らない男に犯されている。いや、彼氏だ。でも、眠っている彼女にとっては、これは侵入者でしかない。
その背徳感が、俺の腰をより深く、より強く突かせた。
「あ……んぁ……」
彼女の唇から喘ぎが漏れる。本格的な声じゃない。夢の中の出来事に反応している、無意識のもの。それがいい。俺は彼女の中を往復しながら、彼女のかすかに開いた唇に自分の唇を押し付けた。舌を差し込むと、温かい唾液が溶け合う。噛まないように注意しながら、中の柔らかな部分をなぞる。
息が苦しくなって離れると、彼女の唾液が俺の唇の端に糸を引いた。
射精感がすぐそこまで来ていた。いつものことだ。このシチュエーションが俺の興奮を極限まで高める。彼女の膣が、断続的に締まってくる。俺のモノを搾り取ろうとするように。
「……出すぞ」
言っても仕方ない。だけど言わずにいられない。彼女の深い場所へ、一番奥へ注ぐ。眠ったままの彼女の中に、自分の精液が満ちていく感覚。脈打つたびに、子宮のあたりまで熱いものを叩きつける。
「ん……ぁ、あ……」
ビクッビクッと彼女の全身が小さく跳ねた。細い腕がシーツを掴む。顔がくしゃりと歪む。
俺は動きを止めない。射精が終わっても尚、ゆっくりと抜き差しを続けて、少しでも長くこの締め付けを味わう。精液が混ざり合って、結合部から聞こえる音が、さっきよりずっと下品になる。
「くちゅっ……くちゅっ……」
彼女の陰毛が、俺のモノに絡みつく。その刺激に耐えきれず、ようやく俺は彼女の中から引き抜いた。声を出さずに、何度も深呼吸する。汗が背中を流れていく。
寝顔は依然として、無垢なまま。ただ、まるで何もなかったかのように。
けれど、シーツと彼女の体の間からは、自分の精液の匂いが立ち上っていた。鉄臭くて、苦い。
俺はティッシュで流れ出る精液を拭き取りながら、彼女の体を元通りにしようとしていた。パジャマを着せ直す。パンツも履かせる。朝起きたとき、彼女が自分の下半身の違和感に気づかないはずがない。ときどき拭き残しがあって、朝の彼女の顔が赤いのはそのせいだ。
彼女はきっと気づいている。でも、指摘しない。俺の彼女は、そういう優しさというか、ズルさを持っている。それも俺の興奮の材料になっている。寝込みを襲われていると知っていながら、何も言わない彼女。もしかしたら、それ自体を楽しんでいるのかもしれないと思うことさえある。
俺は彼女の額に張り付いた髪を指先で避け、汗ばんだ額に唇を落とした。彼女の肌はしっとりと熱く、まだ快楽の余韻で火照っている。
時計を見ると深夜二時。窓の外は静けさに包まれている。隣のベッドで、ゆきはまた規則正しい寝息を立て始めていた。
今度の金曜日も、また。そう思いながら、俺は彼女の隣で目を閉じた。いや、正確には、次の夜が待ち遠しくて、結局少し眠れそうになかった。
彼女の寝顔だけは、俺のものだと思っていた。誰にも渡さない。この柔らかい頬も、無意識に吐息を漏らす唇も、眠ったまま濡れる秘部も、全部。
翌朝の彼女は、案の定ほとんど目を合わせなかった。
「おはよ。……朝ごはん、トーストでいい?」
「おう、ありがとう」
二人の間に流れる、少し湿った空気。それが日常の一部になっている。
この関係は、誰に知られることもなく続いていくはずだった。続いていくものだと、疑いもしなかった。
第2章 変わるバイトと忍び寄る期待

第2章: 変わるバイトと忍び寄る期待
翌朝、目を覚ましたときのあの感覚は、いつまで経っても身体の芯に残っていた。カーテンの隙間から差し込む朝日が、昨夜の名残りを照らし出す。ゆきの部屋のベッドで寝返りを打つと、シーツに染みついた汗と体液の混ざった匂いが、ふわりと鼻腔をくすぐった。隣ではゆきが小さな寝息を立てていて、その白い頬に朝の光が透けるように当たっている。永作博美に似た、すっきりとした輪郭。薄い唇がわずかに開き、昨夜おれが注ぎ込んだものの残り香まで漂ってくるようで、布団の中で下半身がまた緩やかに硬くなっていくのを自覚した。
「……ん、朝?」
ゆきが寝ぼけた声を出して、薄く目を開ける。茶色の瞳が朝日を反射して、琥珀色に揺れた。
「ああ、起きたか。まぶしいよな、そっち側」
「ううん、だいじょうぶ……ゆきたか、の顔、近い」
そう言いながら、ゆきは照れるでもなく、ゆっくりと笑った。無防備な朝の表情。胸元から鎖骨にかけての色白い肌に、おれの昨夜の所業が浮かんでいる。痕になるほどのものは残していないが、あの薄い肌を指でなぞった記憶が、視覚だけでなく指先の感覚として蘇る。寝込みを襲っているときの、あの沈み込むような肌の柔らかさ。
「昨日、けっこう暑かった?」
「そうか? んー、なんか寝汗かいちゃったかな」
ゆきが自分の首元に触れて、少し眉を下げた。無防備な仕草だ。昨夜おれがどんなことをしていたのか、まったく知らない顔をしている。その無垢な、いや、無垢だと思い込んでいる姿こそが、おれの興奮の源泉だった。寝ている間に拓かれていたことも、奥に吐き出されていたことも、すべて夢の出来事として曖昧になっている。
「今日、午前からゼミだったよな」
「うん。ゆきたかは?」
「おれは三限から。昼飯、どっかで食うか」
「いいの?」
「当たり前だろ。彼女とメシ食うのに許可がいるか」
おれがそう言うと、ゆきは笑いながら起き上がり、肩のあたりで髪をひとつにまとめた。細い首筋が現れる。その首筋も、昨夜おれが舐めた場所だ。舌の先で触れたときの、しっとりとした汗の塩味。朝の光の中で見るその場所は、昨夜の淫らな記憶とは切り離されたように清潔で、むしろその落差が背筋に甘い痺れを走らせる。
バイトのシフト表が更新されたのは、その週の月曜日だった。コンビニの休憩室に貼られた新しい表を眺めながら、おれは一瞬、目を留めた。金曜の夜勤だと思っていた自分の名前が、木曜の夜間の枠に移動している。
「本村くん、金曜に新人研修入れたから、代わりに木曜お願いね。忙しい日だけど、君なら大丈夫でしょ」
店長の迷惑そうな言い方が頭の片隅に残ったが、おれの思考は別のところで渦を巻いていた。
木曜の夜。ゆきは毎週木曜、夕方まで講義があって、その後はたいてい部屋で課題をやるか、だらだらと動画を観て過ごしている。おれとは金曜の夜に会うのが習慣になっていて、木曜は互いに予定を持たない。彼女が一人でいる夜の部屋に、いつもとは違う曜日に踏み込む。
スマホを開き、ゆきとのメッセージを遡る。昨日のものだ。
「金曜、たつおっちも来るって。三人でごはん行かない?」
時坂の名前が出るメッセージを見て、胸が微かにざわついた。時坂達夫は高校からの付き合いで、大学に入ってからもつるんでいる。下ネタばかり言っているくせに女にもてない、気のいい奴だ。ゆきもその軽いノリに毒されるわけでもなく、彼氏のおれを差し置いて二人きりになることもない。だから気にしたことはなかった。
「金曜はバイト入った。夕方からだから、晩飯は二人でどうぞ」
そう返信する。するとすぐに「えー、ゆきたかと会えないの寂しい」と絵文字が返ってきた。その寂しがる顔を想像しながら、おれは木曜の夜のことを考える。会えない金曜の夜、おれはバイト先でレジを打ち、ゆきは部屋で一人眠る。それなら、木曜の夜に会いに行けばいい。いや、会いに行くのではない。眠りに落ちた彼女の部屋に、そっと忍び込むのだ。
火曜と水曜は、その想像だけで過ぎたと言っていい。大学の講義中も、スポーツカーが遠くで唸るような低い音が、耳の奥で反響しているようだった。ノートに殴り書きした文字の列が、途中からゆきの体の曲線のようになり、ペン先でなぞってみたことすらある。おれは、自分がどれほどゆきの眠る姿に執着しているか、改めて思い知っていた。
木曜の夜勤は、体感としてひどく長かった。普段なら時計の針を疎ましく思うのに、この日ばかりは一刻も早く腕から外してやりたかった。氷の張った冷凍食品ケースを整えながら、頭の中ではもう、ゆきの部屋のドアを開けている。パジャマの裾から覗く太ももを思い出し、薄い陰毛と、厚めの小陰唇が隠れた場所。睡眠薬でも盛られたように深い眠りの中で、彼女はどこまで感じているのか。指を入れれば、とろりと濡れてくることもある。眠っているのに、身体は素直に反応する。そのぎこちなさが、たまらなく愛おしかった。
深夜二時、レジを閉めてから、おれは自転車をいつもの駐輪場に停め、歩いてゆきのマンションへ向かった。コンビニの明かりから離れると、住宅街は静けさに沈んでいる。虫の声が草むらで小さく鳴き、風が生ぬるい。肌を撫でるその空気の粘度に、体内の熱が混ざっていくのが分かった。
マンションのオートロックを、ゆきから預かっていた合鍵で開ける。住民にしか見えない手慣れた動きで、エレベーターの扉の前まで歩く。十数秒の待ち時間が、心臓の音をやけに大きくする。あの鉄の箱が降りてくる駆動音が、耳の奥でひどく無機質に響いた。
扉が開き、中へ乗る。四階のボタンを押すと、かすかな加速とともに、胃のあたりがふわりと浮く。壁に背を預け、天井の蛍光灯を仰いだ。睡眠で温まったゆきの部屋を想像すると、ジーンズの前が、意志を持ったように持ち上がり始める。あの、洗い立てのパジャマから染み出る、甘酸っぱい柔軟剤と肌の混ざった匂い。眠っている間に身体の内側から滲む、薄甘い汗。それらを知っているのはおれだけだと、その優越が、また興奮を掻き立てた。
四階で降り、廊下を奥へ進む。壁に吸いつくような自分の足音だけが、規則的に耳を叩く。四○二と書かれた表札の前で、おれはキーケースから合鍵を引き抜いた。金属のひんやりした感触が、火照った指の腹に心地いい。普段ならば、ここでインターホンを押さず、音もなく鍵を差し込むのが決まりだった。
だが、その晩は何かが違った。ドアに近づいただけで、中からかすかな物音が漏れている。耳を澄ますと、人の話し声のような、くぐもった響きが聞こえる。まだ起きているのか。そう思うと、普段ならば一度は立ち止まるものの、あの行為への渇きがその迷いを、たちまち溶かしてしまった。
鍵を差し込み、ゆっくりと回す。かちり、という音が自分の頭蓋に響く。
ドアをほんの少しだけ開いた瞬間、生ぬるい空気が、ふっと流れ出してきた。
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第3章 ドアの向こうの喘ぎ声

第3章: ドアの向こうの喘ぎ声
俺は靴を脱ぐことすら忘れ、廊下の壁に背中を押し付けるようにして身を潜めた。ドアを開けた瞬間に流れ込んできた生ぬるい空気が、まだ鼻の奥にまとわりついている。それは俺が何度も嗅いできたゆきの部屋の匂いのはずなのに、知らない男の汗と、獣じみた性器臭が混ざり合って、まるで別の生き物の巣に迷い込んだようだった。
リビングの方から、声が漏れている。
「……んぅ、あっ、ああっ……!」
それは確かにゆきの声だった。だけど、俺が眠っている彼女から聞き出してきたどんな寝言よりも、はっきりと輪郭を持った、覚醒しきった女の嬌声。声はくぐもっていて、時折布か何かに押し付けられているのか、途切れ途切れに耳へ届く。
鼓動が耳の裏でドキンと鳴った。心臓が痛い。指先が冷たいのに、股間はさっきから馬鹿みたいに硬く熱い。
俺は音を立てないように、一歩だけ廊下を進んだ。リビングへ続くドアは、確かに数センチほど開いている。その隙間から、黄色みがかった間接照明の光が細く廊下へ流れ出ていた。
「はっ……あ、そこ、やぁ……っ」
ゆきの声がまた聞こえる。普段の彼女からは想像もつかないほど、甘ったるく、鼻にかかった響き。俺の前では決して聞いたことのない種類の声だった。
肌と肌がぶつかる鈍い音が、一定のリズムで繰り返されている。パン、パン、というよりは、濡れた重い音が肉を打つたびに空気を震わせる。それに合わせて、ベッドのスプリングがギシギシと悲鳴を上げていた。
俺は壁に手をついた。指の腹が冷たい壁紙に張り付く。息を殺すと、逆に自分の吐息がうるさく感じる。いや、それ以上に、リビングから流れ込む音の洪水が、俺の耳を塞いでもなお鼓膜の奥を叩いてくる。
「たつおっち……もっと、もっときつくぅ……お尻、叩いて……っ」
全身が凍り付いた。
たつおっち。時坂達夫。俺の友人で、サークルでいつも下ネタばかり言って、女には縁がないと笑っていたあの男のあだ名を、今ゆきが喘ぎ声の中で呼んだ。
しかも、お尻を叩いて、とねだった。あの清楚で、みんなの前ではいつも控えめに笑っているゆきが、他の男に、しかも俺の知らない顔で、自分から尻を叩けと哀願している。
「金崎……声、我慢しなくていいぞ。お前のオマンコ、俺のチンポでぐちゅぐちゅだぞ」
時坂の低い声が、ゆきの喘ぎの合間を縫って流れてくる。その言葉は、俺がこれまで彼から聞いてきた軽口とはまるで質が違った。女の体を組み敷き、自分の優位を確信した男だけが口にできる、ねっとりとした傲慢さがあった。
「あっ、ああっ……だってぇ、声、聞こえ……んぅっ、たつおっちの、あれ、太くてぇ……」
「太くて、どうなるんだよ。ちゃんと言えって。お前の彼氏のより、太くて何がいいんだ?」
耳を疑った。彼氏。今、時坂の口から、俺の話が出ている。ゆきの彼氏。その彼氏は俺のはずなのに、二人の交わす言葉の中で、俺はまるで比較対象の、ただの添え物だった。
「ひ、ぁっ……太くて、奥まで、届いて……きもち、い……っ」
「どこが気持ちいいんだよ」
「おま、おまんこの奥ぅ……子宮の、手前のところぉ……たつおっちので、ずんずんされてぇ……っ」
ゆきは泣きそうな声で、それでいて涎でも垂れていそうなほどだらしなく、はっきりと言い切った。子宮の手前。俺が今まで、眠る彼女の膣内で、遠慮がちに射精していた場所の、さらに奥。あの細い彼女のからだの、その最奥を、時坂のものが蹂躙している。
俺は無意識に、自分の股間を握りしめていた。ズボンの上からでも分かるほど硬くなった陰茎が、痛いくらいに脈打っている。裏切られたショックと、ゆきの聞いたことのない淫らな声とが、脳内でぐちゃぐちゃに混ざって、呼吸が浅くなる。
「お尻、叩いてって、自分から言えよ。そしたらもっと気持ちよくしてやる」
時坂が笑う気配がした。粘ついた、女を玩具にする時の男の笑い方。
「んっ、あ……あの、たつおっちぃ……あたしの、お尻……ぶって、ください……っ」
バチン、と鋭い乾いた音がした。
「ひゃああっ!」
ゆきの声が裏返り、一瞬リビングの空気が震えた。その直後、さっきまでより激しい抽送の音が加速する。パンパンパン、と肉を打つ間隔が短くなり、ベッドのきしみも大きくなる。
「ほら、言われた通りにしたのに、そんな締め付けやがって……お前、ほんとに尻叩かれるのが好きなんだな」
「すき……っ、だって、たつおっち、せっくす、上手なんだもん……あっ、あっ、そこ、カリのところ、ごりごり、されてぇ……っ」
カリ。その単語に、俺は唇の内側を強く噛んだ。時坂のあれが、ただ大きいだけでなく、カリ高だという話は、サークルの馬鹿話で何度か聞いたことがある。女中に浅く出し入れされると、引っ掛かるように気持ちいいのだと。今、ゆきはその部位の刺激を、言葉にして男にねだっている。
俺の知っているゆきは、そんな単語を口にしない。普段は下ネタを聞けばほんのり頬を染め、目を伏せるような、そういう女だ。なのに今、あの唇が、閉じたせいで開いたまま見たこともないだらしなさで、他人の性器の部位を褒め称えている。
「もっと、もっと言えよ。お前の口は元々、ちんぽ咥えるためにあるんだろ」
「は、ぃ……っ、たつおっちの、おちんぽ、大きいのに、硬くてぇ……あっ、奥、当たってるとこ、見える……お腹、ぽっこり、なってる……」
「当たり前だろ。お前の彼氏のと比べんな。次は口でも味わわせてやるからな」
「んぅ……たつおっちの、精子……ぁ、今日も、お口に、欲しい……」
ゆきの声が、甘えるように掠れた。まるで、俺の知らない雌がそこにいる。いや、これはゆきだ。ずっと彼女だった女の、一度も見せてもらえなかった顔。俺は壁を支えに、ずるずるとしゃがみ込んだ。
足の力が抜けていた。心臓だけが異常に早く脈打ち、視界はおかしなほど鮮明で、暗い廊下の木目までくっきりと見える。耳の奥ではあの音がいつまでも反響している。
「あっ、や、やだぁ……っ、お尻、叩いちゃ、あっ、あっ、同時は、きちゃ、きちゃう……っ」
「きちゃえよ。ほら、尻、もっと突き出せ。……お前、彼氏の前ではいい子ぶって、中でこんなに締め付けてんのかよ」
「ちが、あっ、あたし、ゆきたかには、こんな、こと……」
俺の名前が出た。ゆきたか、と呼ぶ、あのいつもの声とは全然違う、切れ切れの声。ゆきたかには、こんなこと。言いかけた言葉が、どこまで本当なのか分からない。分かりたくもない。
俺の全身は汗でじっとりと湿っていた。背中に張り付いたTシャツが、心臓の動きに合わせて少しずつずれる。情けないほど硬い自身のものに、指を押し当てたまま、俺はリビングから流れる二人の声と肉音を、ただ受け続けていた。
「ゆ、ゆきたかには……言わないで、たつおっちぃ……っ、このこと、内緒にして……っ」
「内緒、ねえ。お前、彼氏に隠れて男の部屋に来て、俺のチンポに喘いでるくせに、よく言うよ。けじめだけはつけとけよ、金崎」
「あっ、ああっ、それ、深い、だめ、いま、それ、されながら言われるの、やらし、すぎて……っ」
内緒。俺に言わないで。部屋に来て、隠れて、喘いでいる。俺がちょうど今、こうして盗み聞きしているこの状況の中で、ゆきは別の男の腕に抱かれながら、俺に隠そうとしている。
いや、そうじゃない。ゆきが隠しているのは、本当はこの関係、この男の元へ通っている事実そのものだ。俺はたまたま、合鍵を使って部屋に来たから、この場面に出会ってしまった。
いや、待て。ここはゆきの部屋だ。時坂の部屋ではない。そして今、「彼氏に隠れて男の部屋に来て」と時坂は言った。それは、普段は時坂の部屋で会っているということか。今日はたまたま、俺のいない時間を見計らって、ゆきが時坂を自分の部屋へ招き入れたのか。
俺は呼吸を整えようと、ゆっくり息を吸った。しかし、鼻に入る濃厚な性の匂いが、逆に直接脳を揺らす。甘いような、塩辛いような、それでいて牡の体臭。それがリビングの生ぬるい空気に溶けて、狭いワンルームの隅々まで満ちている。
「あっ、たつおっち、また、お尻、叩いた……ぁ、やん、あたし、もう……お尻、ひりひりする……のに、おまんこ、きゅんって……なる……っ」
「変態だな、金崎。彼氏には見せねえのによ。……なあ、彼氏の奴、お前のこと何て呼んでる?」
「ゆ、ゆき……って……」
「ふうん。寝てるときとかに、こっそりヤってみたいこととか言ったことあんの?」
「え、あ……や、それは……ぁ、なんで、そんな……」
一瞬、リビングの律動が緩む。時坂が腰の動きを止めたのか、粘着質な音がごく小さく、くちゃ、と響いた。
「聞いてんだよ。あるのかないのか、それだけ言えよ」
「……ぃ、一回だけ……寝てるゆきに、触りたいって……そういうそぶり、されたこと……なら」
「はっ、やっぱりな。あいつ、お前の寝込みを狙うような面してるもんな。んで、やらせたのかよ」
「ん……ぁ、あたし、寝たふり、して……たから……」
寝たふり。してたから。
俺の耳のすぐ側で、何かが音を立てて砕けた。それは、自分のこめかみを流れる血液の音に似ていた。ゆきは知っていた。俺の秘密の儀式を、最初から、あるいは途中から、知っていて、それでも寝たふりをして、何も言わずに、体を預けていた。
あの喘ぎ声も、寝言だと決めつけていたかすかな反応も、全部、ゆきの演技かもしれなかったのか。だとしたら、俺が今まで抱いていたものはなんだったんだ。
「面白いな、お前ら。彼氏は彼氏で彼女の寝込みを襲いたくて、彼女は彼女でそれに気付いてて黙ってる。そのくせお前は、俺のチンポじゃねえと満足できねえ。なあ、これ、どっちが先にどう間違えたんだ?」
「し、知らない……っ、あたし、たつおっちと、こうなってから、余計に……自分が、止めらんなくなって……」
「ああ、もういい。動くぞ」
ぬちゅ、ぐちゃ、と、濡れた穴を掻き回す音が再び大きくなった。それは、俺が今までゆきの寝込みで聞いてきた、控えめな水音とは桁違いだった。膣内に溜め込んだ愛液と、空気と、たぶん時坂の先走りが混ざって、一突きごとに卑猥な破泡音を立てる。
「あっ、あっ、あっ……! んぅ、あ、いい、それ、いい……っ、お腹の奥まで、響いて……っ」
ゆきの声が、突かれるたびに短く跳ねる。その声が言葉にならない、「はっ」「んっ」の繰り返しに変わっていくたび、俺の胸の中の何かが少しずつ削られていった。
リビングの隙間からは、見ようと思えばその光景が覗ける距離にいた。しかし、俺は動けなかった。いや、動かないことを選んだ。見たら、もっと取り返しのつかないところまで行く気がする。耳だけでも、すでに俺の中でゆきという女が、音と匂いだけで別の生き物に置き換わろうとしているのに。
「立て、金崎。向き、変えろ。後ろからが好きなんだろ?」
「や、あ……っ、うん、後ろ、好き……お尻、突き出して、されんの……ゆきたかには、見せたことないやつ……」
ベッドの上で、二人の体勢が変わる気配がした。シーツが擦れる音、肌が離れた時の湿った空気の音、そして、ゆきの甘い吐息。
「自分で腰、突き出せ。そして手で割れ」
「こ、こう……? ん、やだ……見られてる……たつおっちに、おまんこ、全部、見られて……」
「見てるだけじゃねえよ。今から入れるんだよ。……おい、もっと指で広げて。でないと分からねえだろ、どこに入れるか」
「んぅ……恥ずかし……っ、でも、あたしの、おまんこ……もう、ぱっくり……え、やだ、あっ、自分で、触ってる、のに……ひくひく、して……っ」
くちゅ、と小さな水音がして、ゆきが自分の膣口を弄っている気配が伝わってきた。俺には想像もできなかった。ゆきが、男の前で、自分の意思で股を開き、性器を指で広げて、見せつける姿を想像するだけで、腹の中が冷たい炎に焼かれるようだった。
「いい眺めだ。彼氏の前ではどんな顔してんだろうな。……まあ、どうでもいいわ。入れるぞ、金崎」
「きて……っ、たつおっちの、おちんぽ……あたしの奥に、きてぇ……っ」
ぐぷっ、と、明らかに太いものが濡れた肉を押し広げて入っていく音。続いて、ゆきの喉が絞り出すような、深い嬌声が響いた。
「おおっ……! あ゛っ、すご、おく、いきなり、奥まで……っ、たつおっち、カリが、あたしの中、引っ掻いて……あっ、あっ、それ、やだ、すぐ、おかしくな……」
「なるように作ってんのに、よせってか。無理だろ。ほら、動くからな。しっかり捕まってろ」
「ひ、ぁ、あっ、あっ、あっ……!」
パン、パン、パン、と規則正しい肉音が再び部屋に溢れる。さっきの対面とは違い、後背位特有の、腰骨同士がぶつかる鈍く深い音。ゆきはもう、言葉にならない声で鳴き続けていた。
俺の耳は、もう逃げ道を探していなかった。全身が、二人の交わる音だけを半永久的に受信していた。膝の力が抜けたまま、冷たい廊下に細く座り込む。目の前の壁に、自分の影がじんわりと蠢く。荒い吐息だけが、誰にも知られずドアの陰で繰り返される。
話し声は、時折卑猥な確認を挟みながら、どんどんあけすけになっていく。
「金崎、乳首立ってるぞ。尻振って、自分から動いてるくせに」
「は、ぁ……、だって、たつおっちの、当たるところ、いじわる、だもん……あっ、あっ、おっぱい、揺れて……恥ずかし……っ」
「揺れてるとこ、彼氏にも見せてやれよ。寝てる時じゃなくてな」
「や、やめて、その話……っ、今は、たつおっちのこと、考えて、あっ、あっ、あっ……」
再び律動が速くなる。ギシギシとベッドが壊れそうなほど鳴り、リビングの空気そのものが細かく震えているようだった。俺の股間はいつの間にか萎えていた。しかし、汗ばんだ手のひらはまだ太腿の上で小刻みに震えている。尿意にも似た鈍い痛みが、下腹の奥でしつこく脈打っていた。
「中に、出すぞ。……けど、その前に、自分からおねだりしろ、金崎」
「んぅ……お、おねがい、します……たつおっちの、せーし、あたしの、おまんこの中に……いっぱい、ください……っ」
「聞こえねえな。彼氏の名前、呼んでからにしろよ。お前が誰の女か、ここではっきりさせろ」
俺の心臓が、一瞬止まりかける。ゆきが、何を言わされるのか。耳が、鼓膜が、嫌だと叫んでいるのに、音を拾うことをやめられない。
「ゆ、ゆきたか……! あたし、ゆきたかの、彼女だけど……っ、たつおっちの、おちんぽに、負けて……おまんこ、中に出して欲しくて……我慢できないの……っ、お願い、たつおっち、中に、中に……っ!」
「上出来だ。……出すぞ、金崎。お前の、俺に堕ちた証、この中にたっぷり、注いでやるからな」
「あっ、ああっ、きて、中に、中に出してぇ……っ! たつおっちの、熱いの、子宮に、届けてぇ……っ!」
俺は両手で耳を塞ぎたかった。塞いで、すべてをなかったことにして、来た道を帰りたかった。でも、手は動かなかった。耳も閉じなかった。
あの二人が、確かに俺の存在を、過去の男を、現在進行形の背徳の燃料にして、絶頂へ向かおうとしている。俺の名前を叫ばせたまま、時坂はあの女の最奥に種を注ぐ。
ゆきの耳障りなまでに甲高く裏返った絶叫と、時坂の獣じみた唸り声が、ほとんど同時にリビングを震わせた。そして、俺の嗅ぎ慣れたはずの空気に、また別の、雄の匂いが爆ぜるように広がっていく。
俺の唇の内側は、噛みすぎて血の味がした。
第4章 ## 崩れ落ちる日常と確かめぬ選択

## 第4章: 崩れ落ちる日常と確かめぬ選択
耳の奥で、まだ二人の声が反響している。
ゆきが時坂の名を呼ぶたび、俺の胸の奥で何かが砕け散る音がした。廊下の床はひんやりと冷たく、尻から体温を奪っていく。それなのに、握りしめた拳の内側だけが熱く湿っていた。爪が食い込んだ掌に、ぬるりとした汗が溜まっている。
リビングから漏れる光が、廊下との境界線に薄い影を落としている。その先で、肌と肌がぶつかる鈍い音が続いていた。俺の知らないリズム。俺が知らない、ゆきの啼き声。
「お尻……もっと、強く叩いて……っ」
パァン、という乾いた音が、閉め切った空気を裂いて届く。続いて上がるのは、痛みよりも甘さを含んだ悲鳴だった。あの声は、俺が一度も引き出したことのないものだ。眠っているゆきに触れるたび、時折唇から漏れる吐息を「反応」だと思い込んでいた。だが、あれは本当は覚醒しかけた戸惑いで、俺の指を拒めなかっただけの微かな抵抗だったのかもしれない。
「たつおっちのチンポ……好き……好きなの……っ」
ゆきが、まるで他人のように喋っている。いや、違う。俺の前では決して見せなかった、彼女の素の部分がそこにあった。俺に抱かれているときの彼女は、いつも眠っていて、無反応で、ただ人形みたいに体を預けるだけだった。あの薄い瞼の下で、彼女が本当は何を考えていたのかを、今さら思い知る。
「金崎、俺のカリでいっぱい擦れてるぞ。わかるか?」
「わかる……っ、わかる。そこ、すごい……奥がじんじんする……あ、あっ、ああ……!」
時坂の声には、獣というより、少し茶化すような若さがあった。普段教室で交わす下ネタと同じ、あの軽い口調のまま彼女を犯している。その温度差が、逆にリアルで、俺の胸に重く突き刺さる。友人が、俺の彼女を、俺の知らない言葉で悦ばせている。
俺は動けなかった。いや、動かないことを選んでいた。後ずさりして扉をそっと閉めれば、何も見なかったことにできたかもしれない。明日から、何事もなかった顔で二人に会うことだって、きっとできたんだ。
それなのに、耳が離せなかった。
「中に出して……たつおっちの精子、全部、あたしの中に……」
その願いを聞いた瞬間、膝の裏が小さく痙攣した。あの一線を、ゆきは自ら、しかも相手に乞うようにして越えていた。俺はというと、眠る彼女の膣に一方的に精を注ぎ込み、その背徳感だけで満たされていた。相手の体温を確かめることもなく、狂ったように腰を振るだけの自分が、急に薄汚く見えてくる。
時坂の荒い呼吸が激しさを増し、肌の打ち合う水音がくぐもくぬめる。あの音は、俺が指で触れては濡らしていた場所に、今、別の男のペニスが出入りしている音だ。閉じた瞼の裏に、ゆきの色白の腰が浮き上がる姿が浮かんでしまう。初めて触れた夜、パジャマの上からなぞった小さな膨らみ。あの体の中心で、今、知らない男の形が刻まれている。
「イく……イかせて……! お願い、もっと奥……ああっ、だめ、イっちゃう……!」
「ああ、出るぞ。金崎、全部出てやるから、ちゃんと受けろ」
痙攣すら伝わってきそうな悲鳴のあと、時坂の低い唸りが廊下まで響いた。腹の底から絞り出すような、獣じみた声。二人分の呼吸が、ぐちゃぐちゃにとろけた余韻の中でひとつに溶けていく。
俺の口の中には、つい強く噛みしめた唇から血の味が滲んでいた。
しばらくすると、衣擦れと、くすくすという笑い声が漏れてきた。行為の後の、けだるい空気。リビングの光がふっ、と薄くなり、代わりに低い話し声が聞こえる。
「今日、すげえ締まり良かった。やっぱり、たまにやるのがいいな」
「……たつおっち、すぐそういうこと言う。でも、あたし、ほんとは毎日でも……」
「欲張りだなお前。ま、そのうちキリがなくなるから気をつけろよ」
気安い会話。秘密の関係というより、もう何度も重ねてきた男女の距離感がそこにあった。いつから、と問うこともできない。問い詰める資格すら、俺にはない気がした。
俺はようやく身体を起こす。廊下に染みついた床の冷たさで、太ももの感覚が麻痺していた。音を立てないように、四つん這いのまま玄関へ向かう。靴を手に抱え、ドアノブに手をかけたとき、中の会話がまた耳に入り込んだ。
「なあ、本村のこと、このままでいいわけ?」
ぎくり、と腕が止まる。
「……今は、考えたくない。だって、あの人のこと……嫌いになったわけじゃないんだもん」
ゆきの声は、まだ余韻に潤んでいた。だが、その言葉に込められていたのは、少なくとも時坂への迷いではない。俺への罪悪感と、彼女なりの身勝手な優しさだった。
耳を塞ぎたかった。でも、指一本動かせない。心臓の音がやけに大きくて、このままでは中に聞こえてしまうんじゃないかと不安になる。
「ふうん。ま、俺はどっちでもいいけど。金崎が俺のチンポ選んでくれるなら、それで十分だから」
「……たつおっちの、意地悪」
じゃれ合う気配がして、また胸が軋む。俺は音を殺しながらドアを開け、外へ滑り出た。鍵をかける音すら、今は罪のように感じる。
深夜の空気が、汗ばんだ首筋を冷やした。アパートの外に出ても、まだ耳の奥に二人の呼吸が貼りついている。ゆきの、あの甘い声音。時坂の、余裕を含んだ低音。体を重ねた後の、あの密やかな笑い声。
風が吹くたび、自分の体から漂う匂いに気づく。汗と、唾液と、さっきまで感じていた俺自身の興奮の残り香。いや、それは俺のものじゃない。あの部屋で満ちていた、別の男と彼女の匂いが、服に染み込んでいるのだ。
スマホを取り出す。ゆきの番号を表示させたまま、親指が動かない。
何と伝えればいい。
――今、部屋の前にいた。
――全部聞いてた。
――お前、時坂と寝てたんだな。
どれも違う。どれも正解じゃない。だって、俺がそこにいたこと自体が、ゆきの合鍵を勝手に使った異常な行動でしかないんだ。
通話ボタンを押す勇気も、メッセージを打つ気力もない。ただ、画面の光が指先を照らすのを眺める。
自室にたどり着いたのは、夜明けが近い時間だった。靴を脱ぐことさえ億劫で、玄関にしゃがみ込む。冷えたコンクリートの感触が、あの廊下の床を思い出させる。
ゆきの、あの声が離れない。
俺の手の中で眠っていたゆきの体。柔らかくて、温かくて、少しだけ汗ばんでいた太ももの内側。寝息が乱れるたび、薄い胸が上下して見えた。俺はあの体を、俺だけのものだと思い込んでいた。眠っていれば抵抗されないから、なされるがままの姿が、俺への許しだと思っていた。
でも、違った。
ゆきは起きているとき、時坂の下であんな風に啼く。尻を叩かれて、奥を穿たれて、中出しを乞う。ちんぽを肯定されて、悦んで、男にしがみつく女の顔をしている。
それを見たわけじゃない。聞いただけだ。でも、聞いたからこそ、俺の知る「ゆき」という存在が一晩で裏返ってしまった。
服を脱ぐ。鏡の前で、自分の半勃ちのペニスが視界に入った。濡れてもいないのに、先端だけがてらてらと光っている。俺は、奪われる側の男だった。まだ、あの現場を想像して、身体の一部が勝手に反応している。それが悔しくて、惨めで、気持ち悪い。
シャワーを浴びても、指先に残った鍵穴の冷たさと、鼓膜に刻み込まれた水音は消えそうになかった。
長袖のパーカーを頭から被り、ベッドに倒れ込む。時計は四時を回っている。朝が来たら、俺は大学で時坂に会う。いつも通り、他愛ない下ネタを笑って返すのだろうか。そして、ゆきには優しい彼氏の顔で「昨日はぐっすり眠れた?」と聞くのだろうか。
無理だ、と思った。
眠れないまま、天井の染みを眺める。そこに浮かぶのは、時坂に後ろから突かれながら、淫らに腰を振るゆきの想像図だった。白い背中。乱れた黒髪。尻のうねり。薄い陰毛の下で、厚めの小陰唇を濡らして、男のものを咥え込む。
俺の知っている彼女は、もうどこにもいなかった。
それでもまだ、俺は彼女を失いたくなかった。
失いたくないと願うのは、愛なのか、執着なのか、俺には区別がつかない。ただ、夜明けの白い光がカーテンの隙間から差し込んできたとき、胸の奥で何かがぽっきりと折れた音がした。
第5章 青春の終わりと嘘のない別れ

第5章: 青春の終わりと嘘のない別れ
日曜の午後、駅前の喫茶店は冷房が効きすぎていた。アイスコーヒーのグラスに水滴が浮かび、テーブルの上で小さな水たまりを作る。窓際の席から見える通りには、夏の陽射しが照りつける中を歩く家族連れの姿が見えた。
俺は、向かいの椅子に座るゆきの瞳が自分に向けられるのを、どこか他人事のように待っていた。彼女は、いつもと同じアイスティーをストローでかき混ぜている。長い黒髪が肩から滑り落ち、色白の首筋に影を作っていた。淡い水色のワンピースの胸元には、汗ばんだ肌がうっすらと透けるほど薄く、清楚な装いは周囲の男たちの視線を集めていた。
会話はもう途切れていた。呼び出したのは俺なのに、どう切り出せばいいのかがわからない。あの夜から数日が経ち、体の内側に溜まった黒い澱のようなものが、腹の底でゆっくりと形を変えていた。
「ねえ、ゆきたか。今日、なんか元気ないよ」
ゆきが先に口を開いた。ストローから唇を離すとき、小さく赤い舌がアイスティーの滴を舐め取る。俺はテーブルの下で拳を握りしめた。
「……俺、君の寝てるときにイタズラしてたこと、ずっと気付いてた?」
ゆきの手がぴたりと止まった。ストローを持つ指先が、ほんの少しだけ震えている。長い睫毛が伏せられ、彼女の茶色い瞳が陰の中に消えた。
「うん……最初は怖かった」
その声は、隣の席のマシンが立てる音に飲み込まれそうなくらい小さい。
「でも、ゆきたかのことだから……って思ってた」
「俺のことだから?」
「悪い人じゃないって、わかってたし。寝てるあたしに、乱暴なことはしないだろうなって、根拠もなく信じてたの。変だよね、勝手に体触られてるのに」
彼女の頬に、冷房とは別の薄い朱が差した。羞恥なのか、怒りなのか、それとも俺への哀れみなのか。指先がストローを放れ、テーブルの上の紙ナプキンを無造作に折り畳み始める。
「で、時坂とは?」
俺は感情を押し殺した声で、一気に踏み込んだ。本当は聞きたくない。でも、聞かずに終われるはずがなかった。
「なにを、どこまで話せばいいのか……」
「全部、話してほしい」
俺の声が硬くなる。ゆきは一度だけ、店内の奥の方へ視線をさまよわせた。白い天井と、無機質な照明。誰も自分たちのことなんか見ていない。
「たつおっちと初めて関係を持ったのは、三ヶ月くらい前。ゆきたかが、バイトで帰ってこない夜に、偶然飲み会で一緒になって」
彼女の口調は淡々としていて、告白というより記録の読み上げのようだった。その平気な振る舞いが、逆に俺の胸をぎりぎりと締め上げる。
「彼、セックスが上手くて、しかもあそこがね……」
ゆきの視線が、ちらりと俺の下半身へ向いた。テーブルの下で、無意識に足を組み替える。その一瞬の仕草だけで、彼女の中の優劣がはっきりと示されていた。自分の体が、あの夜聞いた声の主たちに、品定めをされている気分だった。
「あそこって、時坂のチンポのことか」
わざと下品な言葉で返した。ゆきは一瞬だけ目を見開き、でも否定はしなかった。
「……ゆきたかとエッチしたこと、一度もなかったから。あたし、性欲だけなら、たつおっちに依存してたところはあると思う」
「寝てる俺の手を借りて、勝手に満足してたってわけか」
「違う。あれは、あたしが寝てるから、もどかしかった。目が覚めたら、きっと二人で気持ちいいことできるのにって、ずっと思ってた。でも、言い出せなかった。ゆきたかがあんな風にしてるの知ってるのに、普通に触られるのが怖くなってた」
彼女の声は揺れていたが、言葉は驚くほど明瞭だった。あの夜、時坂にそうしていたように、俺にも隠し事をするのをやめてしまった眼差しがそこにあった。
「二股してたの、悪いとは思ってる。でも、あの夜たつおっちに中出しされたとき、すごく幸せだったの。ちんぽで満たされるのが、あたしの体に合ってたんだと思う。ゆきたかの指や、寝てるだけの体に触られるのとは、全然違った」
「もういい」
自分でも驚くほど低い声が出た。グラスの水滴が、指先に冷たく吸い付く。氷の擦れる音が、耳障りに響いた。
「お前が悪いんじゃない。俺もお前の体を、眠ったまま好き勝手にしてた。お互い、ずるかったんだよ」
ゆきは一度だけ、強く瞬きをした。白い歯が下唇を噛む。それでも、涙は溢れなかった。
「……ゆきたかと、別れた方がいいと思う」
「そうだな」
「最後に、触れてほしい、なんて言わないよ。あたし、もうたつおっちの体を知っちゃったから」
「ケジメとして、聞いておく。俺のことも、好きだったのか?」
「好きだったよ。今でも、全部じゃないけど、残ってる。でも、体はたつおっちの方が、好きなの」
その率直さが、刃物のように胸の奥深くへ入り込んできた。俺は、ゆきの中にある恋愛感情という膜が薄っぺらく見え、同時に、自分が彼女の寝顔に感じていた感情もまた、似たようなものだったと悟った。終わるべくして、終わる。それだけが、唯一の救いのように思えた。
伝票を手に立ち上がる。ゆきも、小さなバッグを肩にかけ、椅子を引いた。会計を済ませ、店を出る。外の熱気が、冷えた肌に絡みついた。路肩に、自転車がけたたましく音を立てて通り過ぎる。
「じゃあ、ゆきたか。今までありがとう」
彼女の声は、少しだけかすれていた。茶色い瞳が、強い陽射しの中で揺れている。その眸に映る自分が、ひどく小さく見えた。黒髪が、夏の風にふわりと舞い、汗の匂いが僅かに鼻へ届く。あの夜、彼女の部屋で感じた芳醇な淫臭とは違う、清潔な制汗剤の香りが、青春の残骸を静かに引き裂いていった。
「ああ。元気でな」
振り返らずに歩き出す。背中に、ゆきの視線が刺さるのがわかった。それでも、一度だけ振り返りそうになった自分を、アスファルトに吸い付くブーツの熱が押し留める。
俺の青春は、あの夜の喘ぎ声と一緒に、どこか遠い部屋のシーツの上で蒸発した。もう二度と、誰かの寝顔を盗み見ることはない。その誓いだけが、汗ばむ掌の中で静かに腐っていく。
第6章 「喪失と再生の隙間で」

第6章: 「喪失と再生の隙間で」
夏の終わりは、あっという間だった。
まるで熱に浮かされた夢の続きを、目が覚めたら忘れてしまったかのように。あの喫茶店での別れから半年、気が付けば大学の銀杏並木は黄色く色づき、舗道には枯れ葉が雨のあとの湿り気を帯びてべったりと張り付いている。朝晩の空気は肌に冷たく、着込んだパーカーの内側だけが自分の体温で生温かい。俺は相変わらずコンビニのバイトと講義とを往復するだけの毎日を繰り返していた。無心で体を動かしていれば、腹の底に澱のように溜まった感情に蓋ができる。そんな風に、自分をごまかすのが上手くなっていた。レンジで温めた弁当の湯気も、深夜のシフト中に飲む缶コーヒーの苦さも、何もかもが「生きている」という実感からは遠く、ただ淡々と消費されていくだけの反復だった。
講義が終わると、自然と足は図書館へ向かう。あの夜から、人と深く関わるのが億劫になっていた。サークルの連中ともなんとなく距離を置くようになり、昼飯は学食の端の席で一人、スマホを眺めながら済ませることが多くなった。時坂の顔も見たくなかったし、ゆきの姿を目にすることも、少なからず胸を掻き毟るような痛みを伴うからだ。石を積み上げるように、黙々と参考書のページを繰っては、その痛みの形を自分でも確かめないように、知識の暗記で上塗りした。
それでも、完全に二人を避け続けることなどできなかった。構内ですれ違うたび、視界の隅にゆきの長い黒髪が揺れる。時坂の隣で、彼女は相変わらず清楚なワンピースを着て、その細い腰を時坂の手に預けていた。男の指先が、布地の上から腰骨のくびれをなぞり、ぴったりと張り付くように抱かれている。二人の関係はもう隠しようもなく、教室でも廊下でも、時坂がゆきの肩を抱く姿を誰もが目撃していた。その手は堂々と彼女の肩から二の腕へ滑り、時折、腰のあたりをむにゅりと掴む。あれが、かつての親友の「所有」を示す所作だと、嫌でも分かってしまう。陰で何を言われているのか、俺の耳にも少しずつ届いてくる。
「あの二人、付き合ってるのかと思ったら、金崎さん、本村くんと付き合ってたんだってね」
「乗り換えってやつ? しかも相手が本村くんの友達でしょ。ちょっと引くわ」
「しかも時坂くん、あんなに堂々と。本村くん、可哀想に……」
他人の声は、無遠慮に俺の鼓膜へ入り込んでくる。彼女らは俺が近くにいるとは気付かず、あるいは気付いていて、わざと聞かせているのかもしれない。ひそひそ声は、湿った落ち葉を踏むように、じくじくと神経を刺す。野次馬の視線は、あの二人にも痛いほど降り注いでいた。時坂はそれを意に介さないどころか、ゆきの二の腕や背中に触れる頻度をわざと増やしているように見えた。まるで、彼女が自分の所有物だと群衆に誇示するように、指をねっとりと滑らせている。そのせいで、ゆきの薄手のカットソーが背中に貼り付き、細い肩甲骨の形まで浮き上がるのを、俺は必死に見ないようにした。
ゆきの方は、耐えているように見えた。どこか無理に笑っているというか。顎が下がり、茶色い瞳が伏し目がちになる。いや、本当のところはわからない。俺がそうであってほしいと願っているだけなのかもしれない。あの女は、俺の知らない所で簡単にあざとく腰を振る。そういうやつだったはずだ。それなのに、講義の合間に、彼女が時坂の顔色をちらりと窺う仕草を見るたび、心臓の薄皮が一枚めくれていくようで、苦しかった。いっそ、あの夜のような獣じみた喘ぎを思い出してやろうとするが、真昼の大学の回廊では、記憶までがくすんで、ただ苛立ちの輪郭だけが残る。
大学では、なるべく教室の出入りを一番後ろのドアにした。時坂と同じ講義を取っているのが運の尽きで、大教室の後方から、見慣れた丸まった背中と、その隣にちょこんと座る小さな頭が目に入る。ゆきの髪が動くたび、照明の下で艶が走る。かつて指先で確かめた髪の手触りは、俺の身体がまだ覚えている。湿った夜の空気の中で、あの髪に顔を埋めた記憶は、心ではなく皮膚に染み付いていた。それを振り払うように、ノートに走らせるペンの速度を上げる。紙に引っかかるペン先のざらつきだけが、俺の内面を写しているようで、ひどく滑稽だった。
バイト先では、新しい後輩が入ってから空気が少し変わった。美桜という、経済学部の二年生。初めてレジに立ったとき、名札の位置を何度も直しながら、客の顔を見ずに「ありがとうございました」と消え入りそうな声で言っていたのを覚えている。彼女は黒髪を低い位置でひとつに束ねていて、前髪がほんのわずかに眉にかかる。化粧気は薄く、耳元には小さなシルバーのピアスがひとつ。ひどく生真面目で、清潔な印象の女だった。店長に何かを教わるたび、頷く拍子に首元から微かに残る柔軟剤の香りが、忙しない店内の油っぽい空気に混ざって、一瞬だけ俺の意識を現実へ引き戻す。その清潔な匂いが、かつてゆきの髪に感じた甘やかな残り香とは全く違う、無垢な手触りを伴っていて、俺は妙に落ち着かない気分になった。
「本村先輩、これ、廃棄の時間ですけど、どうしたらいいですか」
「捨てる前にバーコードの数だけ確認して。あと、弁当類は汁漏れがあるからこっちの袋に入れて」
「わかりました。あ、でも、私まだ数え慣れてなくて……見ててもらえますか」
「いいよ」
バックルームの薄暗い蛍光灯の下で、美桜は丁寧に商品の数を数える。レジ袋を持つ指先が、かすかに震えていた。その白い指が、油と水で汚れた作業台の上を、まさぐるように動く。一つ一つの所作が、かつての俺に似ているような気がした。いや、俺は最初からもっと要領が良かった。ただ、彼女の不器用な真面目さを見ていると、胸の奥の尖った部分が少しだけ丸くなるのを感じた。
「先輩、あの、夜遅くにすみません」
「気にするな。俺もどうせ夜のシフトだし」
秋が深まるにつれ、美桜とは顔を合わせる回数が増えた。シフト表が変わって、彼女の研修期間が終わった後も、なんとなく同じ時間帯に組まれることが多かった。仕事の合間に、他愛のない会話をするようになった。
「先輩、授業忙しいのに、バイト詰めすぎじゃないですか」
「忙しくしてる方が楽なんだよ」
「楽……ですか。私、毎日クタクタです。課題も溜まるし、朝起きられないし」
そう言いながらも、美桜はよく笑うようになっていた。口元を押さえるようにして、ふにゃりと笑う。その仕草には色気など欠片もないのに、妙に癒されるものがあった。心のどこかで、こういう他愛のない会話が、俺の濁りきった日々を浄化してくれているような錯覚を抱いていた。
「あの、先輩。私、今度ゼミの説明会に出ないといけなくて、シフト変わってもらえる日はありますか」
「今月の木曜は出られる。交代してやるよ」
「本当ですか! 助かります。私、先輩がいないと仕事にならなくて」
「お前ならもう大丈夫だって。店長もそう言ってたぞ」
「そうかもしれませんけど、不安なんです。なんか、先輩がいた方が落ち着くって言うか」
その言葉を浴びたとき、自分がひどくひねくれた生き物のように思えた。美桜の気持ちに応える余裕など、俺にはまだない。それでも、彼女の前では「まともな先輩」でいようと演技できることに、少しだけ救われていた。彼女は俺を慕う。胸元の名札が汗ばんだ指で何度も触られ、擦り切れて少し曲がっている。その不器用な敬愛が、凍えた胸の内側に、じんわりと染み込むのを感じる。だが同時に、俺の中の黒い何かが「善良な先輩の仮面」の奥で、じりじりと蠢いていた。いや、もう、それは眠らせておくしかない。
そんなある日、就職課から呼び出しがかかった。というのも、学内推薦の枠が大手ゼネコンから出て、条件に当てはまる学生の一人として俺の名前が挙がっているという。成績も、そして教授の評価も、あの虚脱感を埋めるためにむしゃぶりついた勉強と、無駄に通い続けた図書館での独学が功を奏した形だった。馬鹿みたいに真面目に講義へ出て、試験で上位を維持していたことが、こんな日に役立つとは。就職課の窓口で書類を受け取りながら、自分の顔がにやけていないか、むしろひどく強張っているのではないかと不安になった。書類の紙が、指先の乾いた皮膚に貼り付く感触が、現実のものとは思えなかった。
「本村くん、ゼネコン志望なら早めに動いて正解だったね。推薦、通ると思うよ。頑張って」
「ありがとうございます」
うまく笑えたかどうかはわからない。就職という現実が、初めて手の届く場所に降りてきた。大手ゼネコン。安定した道。将来への漠然とした不安を、社会の枠に組み込まれることでごまかす、確かな逃げ道。あの夏の喪失を埋めるには、称賛のひとつは与えられた。けれど、胸の底のざらつきは、紙切れ一枚では到底消えなかった。違う。心の奥で、ゆきの笑い声が、時坂の低い嘲笑が、まだ反響していた。
その三日後、店長から内定の報告を聞いた。就職課経由で連絡が来たのだ。推薦から内定まで、あまりの速さに現実味が湧かない。とりあえず零時を回った店内で、店長とパートの主婦と三人、缶コーヒーを紙コップに注いで乾杯した。炭酸の抜けたサイダーのような、気の抜けた祝いだった。紙コップの温もりが、掌から逃げていく。左手の指先がかじかんでいて、缶コーヒーの甘さだけが無性に人工的に感じられた。
「本村くん、おめでとう。寂しくなるね、三月で辞めちゃうの?」
「まだ決まってないですけど、就職先が東京になるので、引っ越すことになると思います」
「そっかあ、遠くに行くんだ。でも、立派だよ。真面目にやってたもんね」
主婦の言葉に、曖昧に頷く。真面目にやっていたのは、ただ現実から目を逸らすためなのに。その虚しさを、甘いコーヒーで喉の奥へ流し込む。胃のあたりが、ほんの少しむかむかした。
その後、店の入り口の外で美桜が待っていた。夜の冷えた空気に、彼女の白い吐息が浮かぶ。黒いコートの襟元に、マフラーがきっちりと巻かれていた。細い体が、寒さに小さく縮こまり、鼻の頭が赤く染まっている。だが、その茶色い瞳は、夜の闇を割って俺をまっすぐ見つめて、きらきらと潤んでいた。
「先輩、内定おめでとうございます」
「もう知ってたのか」
「店長から報告メールがありました。すごいです、大手ゼネコンなんて」
「運が良かっただけだって」
「運だけじゃ無理です。先輩、いつも真面目に働いてましたし、私、見ててわかりました。自信持ってください」
まっすぐに言われて、返す言葉に詰まる。彼女の瞳は夜の薄明かりの中でもはっきりと俺を見ていて、その眼差しの清潔さに、自分のこれまでの暗い性癖が裏側で蠢くのを感じた。彼女が少しでも触れたら、汚してしまいそうで、指先をコートのポケットに突っ込んだまま動かせなかった。ポケットの中の内定書類の角が、手の甲に鋭く当たる。
「ありがと。美桜さんも、就活始まる頃にはきっといいとこ行けるよ」
「そうだといいんですけど。私、要領悪いから不安で……あの、先輩が内定した会社って、東京ですよね。私も、東京で働きたいって思ってたんです。まだ全然決まってないですけど」
彼女の口から出た「東京」という言葉が、夜の静けさに吸い込まれていく。その意味を深く考えるのは、何となく怖かった。美桜の頬は寒さのせいか薄く赤く、それがまた、記憶の奥にいる色白の女の影を呼び起こす。俺は首を振った。今は、ゆきのことと、それから自分の濁った過去。そういうものを、なるべく遠くへ置いておきたかった。それでも、美桜の「東京」という言葉には、救いを求めるような湿り気があって、俺はそれを振り払えずにいた。
時坂の就活が上手くいっていないらしいという話は、学内の噂話として夏の終わり頃から耳にしていた。最初に気付いたのは、秋のはじまり、大学祭の準備期間中、同じゼミの連中が集まって机を並べていたときだ。
「時坂くん、また面接落ちたんだって。あいつ、面接で余計なこと喋るからだろ」
「口が達者なやつに限って、就活でつまずくんだよな」
「しかも、金崎さんと学部内で堂々と付き合ってるし。あの二人のせいで、本村くんが……」
そういう会話が、秋の半ばを過ぎる頃にはあからさまになった。ゆきの二股は、本人たちの関係が公然化したことで、より醜く、より陰湿な形で周囲に共有されていった。彼女の何が問題だったかと言えば、時坂に乗り換える前に、俺と別れるタイミングと手順を間違えたことだ。たった一度の過ちで、女子大生の評価は地に落ちる。他人の倫理は、時に刃物より鋭く、ぬらぬらと光る。それを振りかざす側の人間は、自分こそが正義だと信じていて、無防備に、嬉々として切りつけてくるのだ。
「金崎さん、実は二股してたらしいよ。本村くんと付き合ってる時に、時坂くんとも寝てたんだって。しかも、本村くんには内緒で」
「最低じゃん。そんな子が、よく普通の顔して大学来れるよね。私だったら休学するわ」
「でも、あの二人、まだ続いてるんでしょ。時坂くんも、彼女の二股知ってて手を出してたんだから、同罪だっての」
耳を塞いでも、風に乗ってくる雑音までは遮れない。あの喫茶店の帰り道、俺が差し出した「別れ」という決断が、ゆきの周囲にもたらしたものは、彼女の社会的な居場所を奪う結果になった。それは俺の望んだことだろうか。半年かけてじわじわと進行する、目に見えない制裁。その渦中に、当の俺がいないことだけが唯一の救いだった。いや、俺は逃げたのだ。彼女を置き去りにして、自分の傷口を舐めるために。そう思うと、胸の奥の古い傷がふたたび開き、どす黒い液体が滲んでくるようだった。
「ねえ、こないだ金崎さん、図書館で泣いてなかった?」
「え、なんで? 時坂くんと喧嘩したんじゃない? 彼、最近すごい不機嫌らしいよ」
「就活が上手くいかないからって、彼女に当たってるんじゃない? 見かけたけど、金崎さんの手首に痣みたいなの、あったよ」
かすかに聞こえたその噂に、心臓が変に跳ねた。あれから俺は、一度もゆきの裸を見ていない。いや、見たいなどとは思っていなかった。ただ、時坂の荒み方が度を越しているらしいことは、俺の友人というかつてのポジションからも伝わってくる。元々口の悪い男だったが、最近は酒癖がさらに悪くなったらしい。先輩の紹介で受けた会社の面接を、途中で椅子を蹴って出て行ったなどという目撃談まであった。彼の、丸まった背中が、苛立ちでさらに硬直しているのが、遠目にも見て取れた。
ある木曜の晩、バイト上がりに美桜と駅まで並んで歩いた。空気はひどく澄んで、吐く息の白さが濃くなっていた。彼女はバッグを胸に抱えるようにして、俺の半歩後ろを歩いている。その足音が、凍てついた夜道に、こつこつと小さく響く。街灯が、彼女の輪郭をぼんやりと照らし、マフラーの毛羽立ちを金色に縁取った。
「先輩、寒くないですか」
「平気。お前こそ、薄着だろ」
「コート着てます。中に、すごく着込みすぎて、着膨れしてるんです。恥ずかしいからあんまり見ないでください」
そう言って、美桜が鼻の頭を赤くして笑う。その横顔を見ていたら、不意にあの夏の喧騒が遠くなった気がした。失ったものの形を、別の何かで埋めようとするのは、やはり身勝手なことだろうか。それでも、彼女と歩いていると、過去に踏みつけられていた胸が少しだけ軽くなった。彼女の笑うたびに、夜の空気が少しだけ柔らかくなる。その感覚を、俺はまだ、手放す勇気がなかった。
「先輩って、東京に行っても時々こっちに帰ってきますか」
「さあね。新幹線代、馬鹿にならないから」
「私、東京へは遊びに行きたいです。あの、先輩がよかったらでいいんですけど、その時は……」
「内定すら出てないのに、気が早いだろ」
「うっ。ですよね。でも、私、ちゃんと就活します。先輩みたいに、いつも真剣に」
呆れるほど前向きな言い方だった。俺は、こんな自分を敬って慕う美桜の純粋さに、眩しさと、それと紙一重の罪悪感を覚えた。彼女は、俺が夜のコンビニで、品出しをしながら時折、冷蔵ケースのガラスに映る自分の顔を、誰か別の男の顔に重ねていることなど知らない。知らなくていい。それなのに、彼女は無垢な声で「先輩みたいに真剣に」と言う。その声が、乾いた心の表面を、濡らして柔らかくしていく。
彼女と別れて自転車置き場を曲がったところで、スマホが震えた。美桜から「今日はありがとうございました。またシフトで」という短文。律儀な女だ。返信を打ちながら歩き出す。舗道は、さっきまで雨が降っていたのか、水たまりが街灯の光をいくつも飲み込んでいた。水面には、自分の影が歪んで伸び、夜空の星さえも濁って映っている。美桜との短いやりとりが、指先に生温かい灯りを灯していた。
その時、不意に視界の端を、黒いマフラーに顔を埋めた女の影が横切った。
立ち止まる。心臓が、耳の奥で鋭く音を立てた。数メートル先のバス停に、長い黒髪を垂らした女が佇んでいる。小柄で、色白で、肩幅の頼りない輪郭。ゆきかもしれない、と思った瞬間、身体中の血液が逆流するような感覚に襲われた。戻りたくないのに、俺の足はその場に釘付けになる。水たまりに映った彼女の影は、まるで黒い花びらが水面に散ったように、ゆらゆらと揺れていた。
女は、ゆっくりとこちらを向いた。暗がりの中、憔悴した茶色い瞳が、寒さで潤んでいるように見えた。間違いない。彼女は、俺のかつての、そして唯一の、歪んだ執着の対象だった。半年の歳月が、その頬からわずかに肉を削ぎ、もともと華奢だった輪郭を、さらに鋭く浮かび上がらせている。黒髪は、かつての艶をまだ保っていても、夜の湿り気を含んで重く、項に張り付いている。手首を隠すように、コートの袖をぎゅっと掴んでいた。その仕草が、噂で聞いた痣の存在を、嫌でも想像させて。
「……ゆき」
声が出た。彼女の名前を、こんな風に呼んだのはいつぶりだろう。喉が震えて、自分の声ではないみたいだった。ゆきの唇が、何かを言おうとして、細かく震えた。寒さのせいか、それとも別の感情のせいか、判別できなかった。
「ゆきたか……」
その声は、あの喫茶店で聞いた「今までありがとう」の声より、ずっと弱々しく、掠れていた。美桜からの返信を知らせるスマホの光が、俺の指の中でまだ明滅している。その小さな明かりが、暗い道にぼんやりと滲んで、二人の間に水たまりの影を作っていた。
「久しぶり」
そう返すのが精一杯だった。問い詰めることも、避けることもできず、俺はただ棒立ちのまま彼女の次の言葉を待った。路肩を車が通り過ぎる。水の跳ねる音が、妙に艶めいて聞こえた。濡れたタイヤの音が、路面をちゅぷりと裂いていき、その残響が、俺とゆきの沈黙を、まるで肉の内側のように湿らせていた。
第7章 「見せつけられる幸福」
第7章: 「見せつけられる幸福」
「……ゆき」
声に出した瞬間、自分の喉がひどく乾いていることに気づいた。まるで、砂を噛んだような感覚。街灯の下に立つ彼女の輪郭が、半年ぶりだというのにあまりに鮮明で、網膜に焼きついて離れない。指先の感覚まで、いっせいに過去へ引き戻される。かつて彼女の素肌の上を這い回った指先は、今、冷たい夜気の中で無為に丸まっているだけだった。
「ゆきたか、今、帰り?」
問いかけの語尾が、かすかに震えている。黒いマフラーに顎を埋めたまま、茶色い瞳だけがこちらを見上げていた。街灯の光を受けて、瞳の表面に溶けた飴のような膜が浮かんでいる。あの頃のようにきれいだと思うより先に、頬の削げ方と、目の下の薄いくまに視線がいってしまう。頬の白さは記憶のままだが、どこか陶器めいた冷たさが増した。
「ああ。バイト終わり」
俺はポケットから出したスマホを無造作に握り直した。画面には美桜からの返信がまだ浮かんでいる。その光を細い白い息の向こうにぼんやりと透かしたまま、時計を見るふりをして、二人の間にできた距離を測っていた。三歩ぶん。手を伸ばせば届く。届いてしまうことが、ひどく危ういものに感じられた。
「ゆきは、何してんだ。こんな時間に」
「……別に。ちょっと、散歩してただけ」
嘘だとすぐわかった。この路地は、彼女の自宅マンションからは方角が違う。時坂と住むようになったという噂さえ耳にしている。だとしたらなおさら、わざわざここに来る理由はない。俺の帰り道を、正確に、狙って。そう、確信に似た直感が腹の底を冷やした。
「そうか」
俺はそれ以上、問い詰めなかった。けれど、目は勝手に彼女の全身をなぞっていく。黒いマフラーに隠れた細い首。厚手のコートの下に隠れた、あの頃よりさらに頼りない肩の線。脚を包むタイツの黒が、街灯の側でてらてらと濡れたように光って、膝から下の細い輪郭を無防備に浮き上がらせている。
夜気が冷え込んでいて、吐く息の白さが二人ぶん重なった。少し湿った、消えかけた沈黙が、舗道の水たまりに落ちて滲む。耳の奥で、バイト先から聞こえていた冷蔵庫の機械音がまだ反復していて、それが現実と過去の境界を揺らす。
「就職、決まったんだってね。おめでとう」
ゆきの口調は、あの喫茶店で別れを告げたときより、ずっと柔らかい。柔らかいのに、含まれている温度が、昔の彼女のものとは違っていた。薄めた蜂蜜のような懐かしさと、舌の裏にへばりつくような後悔。それが溶けて、まぶたの裏へ沁みていく。
「ああ。春から東京」
俺が短く答えると、ゆきは一度だけ息を吸って、吐く。その拍子に、マフラーの内側で何かを噛み潰すような気配があった。口の中の粘膜を、きつく歯で抑えている。泣き言を飲み込むときの、あの仕草。
「本当におめでとう。あたし、噂で聞いて、ずっと確かめたかったの。でも、連絡するのも、その、変かなって思って」
「……別に、変じゃないだろ。知り合いだし」
言い切ったあと、背筋の奥がひやりと冷えた。知り合い。そう片づけられる女なのか。寝ている彼女の体に、何度も勝手に触れて、勝手に中へ出した。あの行為の重さは、いまだに背骨の周りに沈殿している。それでも、今はこの距離が正しいと、心のどこかで声がする。互いの傷を舐め合うより、むしろ凍った舗道の上で三歩離れていることが。
「知り合い、か。そうだよね、元カノくらいの仲だもんね」
ゆきの唇が、自嘲するように緩んだ。黒髪の揺れ方まで記憶のものと重なって、時間が巻き戻るような錯覚を起こす。彼女はまだ、月の光を吸い込むように白い。かつてドア越しに聞いた、あの獣じみた声を発する女の顔など、かけらも残っていない。その落差が、以前は俺の中の獣を煽った。眠る彼女の下肢を割り開くあの背徳の甘さを、指先が知っているから。けれど今では、浅い水たまりのように、ただ静かに底が見えるだけだった。
「わかってるの。あたし、自分勝手なこと言いに来たの」
彼女は一歩、薄い氷を踏むように近づいた。舗道の水たまりが、ゆきのブーツの下で小さな音を立てる。
「たつおっちと、うまくいってなくて。周りからも、あれこれ言われて。友達も、あんまり連絡返してくれなくなった。それで、ゆきたかがどうしてるのか、気になって」
「俺の近況を知って、どうすんだ」
「わかんない。わかんないけど……あの、あたし、馬鹿みたいにヤることばっかりで、それで、気づいたら、何も残ってなかったの」
声は乾いていたが、強がってはいなかった。たぶん、あの半年の間、夜ごと自分の裸身に問いかけてきた言葉だ。シーツの冷たい場所で、汗の匂いの染みついた部屋着を抱えて、何度も喉の奥で繰り返してきた声。俺は、彼女の告白を聞きながら、昨夜なんとなく直した自転車のブレーキのことを考えていた。そうでもしなければ、昔の自分の爪が蘇ってしまう。眠る彼女へと這っていった、あの指。
「時坂は運がなかっただけだ。就活は母数が違う。お前が気に病むことじゃない」
「違う。そういうことじゃないの」
かぶりを振って、ゆきが視線を落とす。長い睫毛が頬に薄墨のような影を作り、そこにだけかすかな血の気が戻った。青白い肌に、内側から火が灯る瞬間。
「たつおっち、あたしに当たるの。すごく、荒いの。嫌だって言ってるのに、止めてくれない日があるの。あたし、そうされるのが嫌なのに、でも、体が反応する。また、それで……セックスに負けてる自分が、すごく情けない」
彼女の口から零れた下品な言葉は、以前のように俺の腹の底をざらつかせはしなかった。あの時分なら、それだけで眠っていた欲望が首をもたげ、ゆきの細い首に歯を立てる想像をさせた。けれど、今のそれは違う。夜のしじまに漂う、弱々しい白い息のようだった。俺はゆきの、この声を知っている。あの夜、ドアの向こうで「たつおっちのチンポが好き」と喘いでいた声。けれど今日のは、懺悔の語尾をしている。
思い出す。あの、締め切った部屋の匂い。汗と、唾液と、避妊具をつけない男の精液が混ざった空気。ドアの一枚向こうで、親友の腰が彼女の臀を打っていた。聞きたくないのに聞こえる結合音。獣じみた彼女の嬌声。耳を塞いでも、骨の内側から響くあのぬかるんだ音。靴も脱がずに立ち尽くしたも、あの足の裏の感覚。全部、覚えている。
「立ち話もなんだ。そこ、コンビニあるから、飲み物でも買うか」
「……ううん。すぐ帰る。でも、ゆきたかの顔、見られてよかった」
来た道を戻るように、彼女が半歩後ろへ下がった。マフラーの下の口元が、微かに笑みをつくる。あの喫茶店の窓際で見た「ありがとう」の顔が、暗闇の中では泣き笑いに見えた。
「ゆき、ひとつ聞く」
「なに?」
「お前、今、幸せかって聞かれたら、なんて答える」
彼女は、しばらく夜の湿り気を唇の上に置いたまま、動かなかった。俺の耳には、遠くの踏切が降りる音と、民家の雨戸が閉まる乾いた響きが、薄く張りついた氷の上を滑っていく。
このとき、彼女の中でどんな景色が流れていたのかは、わからない。ただ、街灯の光が、彼女の左のこめかみに落ちて、こまかく震えているのが見えた。瞼が、何かを堪えるみたいに閉じかけて、開く。唇が、一瞬だけ半開きになって、冷たい空気をうすく呑みこんだ。
「わかんない。たぶん、あの頃が、戻らないことだけはわかってる」
静かな返事だった。子供のように頼りなく、けれどどこか吹っ切れた、そういう声だった。
ゆきが小さく手を振って、背を向ける。その黒髪が、電柱の影に消えるまで、俺は動けずに立っていた。彼女の後ろ姿を包むコートの布が、夜のなかで一度だけひらめく。水たまりが、また彼女の輪郭を一瞬だけ映して、揺らした。薄い陰毛の上、あの厚い小陰唇を濡らして俺を受け入れていた体。けれど、もう俺の知らない男の形に馴染んだ体。それらすべてが、夕闇の中に沈んでいくのを、遠い目で見送った。
歩き出すと、舗道の冷たさが靴底から足首を上ってくる。ポケットの中で、美桜からのメッセージが再度震えた。開くと「お先に失礼しますって言えませんでした。また明日もよろしくお願いします」と、妙に真面目な一文が届いている。俺は、口元が少しだけ緩むのを感じながら返信を打った。「おつかれ。こっちも今終わった。気をつけて帰れよ」。
指先は、かじかんでいてうまく動かなかった。それでも、たどたどしい文字を送り終えたとき、肺の奥に残っていた半年ぶりの影が、ようやく薄れていく気がした。青春の残骸はこんなものだ。振り返らないと決めた道の脇で、誰かの後悔がぽつんと立っていただけだった。
第8章 「逆転の代償」
第8章: 「逆転の代償」
数日後の夜。冷え切った秋風が、アパートの外壁に貼り付いた枯れ葉を、引き剥がすみたいに小さく揺らしていた。
部屋の中では、ストーブの遠赤色が畳の縁をほの明るく照らしている。折り畳みテーブルを挟んで、俺は美桜と向かい合っていた。彼女が持ってきたシュークリームは、コンビニの袋の上で行儀よく二つ並んでいる。賞味期限のシールを指先ではがしながら、明日のシフトがどうの、ゼミの教授が昼休みに居眠りしていたのがおかしかっただの、そういう他愛ない話が途切れ途切れに続いていた。
美桜は、紺色のカーディガンを膝の上まできっちりと下ろし、背筋を伸ばしたまま笑う。長い髪は、今日は低い位置で束ねられ、うなじの産毛がストーブの光を受けて金色に透けて見えた。彼女が首を傾げるたび、台所から流れ出る甘ったるいお茶の香りが、わずかに汗ばんだ手のひらへとまとわりつく。
「先輩、この部屋、殺風景だからちょっとびっくりしました」
「生活できればいいんだよ」
「でも、本がきっちり並んでて、意外と整理整頓されてますよね。私の部屋よりずっときれいです」
「人を部屋に上げることも、あんまないしな」
美桜がカップを両手で包み、口元を緩ませた。湿った視線が、俺の指先あたりをさまよっている。この空気に、名前を付けようとは思わない。ただ、彼女とこうして卓を挟んでいることが、心臓のあたりを静かに温めていくのは確かだった。
そのぬくもりに、ふと、胸の奥の黒いものがちくりと疼く。
――俺は、眠っている女に手を伸ばすことしか、知らなかった男だ。
目の前の彼女が、もしもこの部屋で眠りこけたら。無防備に開いた唇から、寝息が漏れるたび、あの頃の自分の指は、きっとまた勝手に動き始めるのではないか。美桜のスカートを静かに捲り、体温の高い内腿に触れ、抵抗のない体へ押し入る。想像するだけで、暗い興奮が背筋を這い上がる。
美桜は、俺の顔を覗き込みながら、無邪気に笑った。その澄んだ笑顔が、俺の淫らな妄想と重なって、胃のあたりがきゅうと収縮した。俺はカップを口に運び、固く酸っぱい唾液を茶で流し込む。喉が、かすかな音を立てた。
「先輩?」
「……なんでもない。冷めたな、お茶」
俺がそう誤魔化すと、美桜は首を横に振り、まだ熱いですよとでも言いたげにカップを持ち上げた。その指先が、陶器の白と見分けがつかないほど頼りなく見えて、余計に、自分の指の野蛮さを思い知らされる。
不意に、外で声がした。
女の、鋭い悲鳴と、低い男の声。風が弱まった瞬間、壁越しにその断片がぴたり、と鼓膜へ張り付く。美桜が、びくんと肩を跳ねさせてカップを置いた。
「誰か、言い争ってませんか」
彼女の声は、空気を振るわせるほど小さかった。俺は即座に窓の方へ身体を向ける。レースのカーテン越しに、二つの影が街灯の光に伸びては縮む。一方は、見慣れた黒いニット帽。時坂だ。もう片方は、マフラーから逃げようとする長い黒髪の女。細い体つき。間違いない。
外へ出た。玄関のドアを開けると、腐葉土の湿った秋冬の匂いが、鼻の奥へねっとりと流れ込む。幸隆の足音に気づいたのは、先にゆきのほうだった。充血した茶色い瞳が、涙でぶれて、こっちを映す。その視線は助けを乞う獣のそれで、しかし、俺の記憶のどこにもいない、ひどく脆い輪郭だった。
「放して……! やだ、離してって言ってるのに……!」
「うるせえよ。お前さっきまで、俺の下で腰振ってただろ。今さら逃げるのが、どんだけ見苦しいかわかれよ」
時坂の声は、面接で審査されてる時のような、薄っぺらな強がりを含んでいた。彼の指が、ゆきの手首を絞めつける。ゆきの白い肌の上に、骨ばった男の指の形が沈み込むのが、街灯の下でいやに生々しく見えた。
「ゆきたか……助けて……」
ゆきが、唾の絡んだ声を絞り出した。マフラーがはだけ、首元に赤い掴み痕が浮かんでいる。それは、あの夜、時坂に尻を叩かれて悦んでいた女の末路としては、あまりにも乾いた傷に見えた。
俺の後ろから、美桜が恐る恐る顔を出す。彼女の白い指が、俺の上着の袖口をつまんでいた。柔らかい、迷いのある力だった。
「先輩、あの、どうするんですか」
「大丈夫。下がってて」
俺は短く告げて、一歩前に出た。アスファルトの冷たさがスニーカーの底を貫けて、つま先が痺れる。時坂と目が合う。彼は口元をねじり、ゆきの手首を捻り上げたまま、わざと地面に唾を吐いた。
「おお、本村。お前ん家の前で、女がうろうろしてたから捕まえておいたぜ。こいつ、まだお前のこと引きずってんだよ。ダッセえよな」
「痛いってば……! あんたには関係ない、もう、あたしは……」
「はあ? 関係なくないだろ。俺の女だろ、てめえは」
時坂が、ゆきのマフラーごと体を引き寄せる。彼女の後ろ足が、水たまりを擦り、濡れた落ち葉のぐちゅ、という音が夜に響いた。時坂の唇がゆきの耳に近づき、わざと聞かせるみたいに舌打ちをする。
「ほら、今ここで、俺のチンポ、いつも突っ込んでるあそこ、触ってやろうか。そうしたら、お前の体は素直に開くんだろ」
「やめ……」
ゆきの片方の手が、必死に時坂の胸を押す。だが、もう片方の手首が捕らわれたままでは、力の入れようがない。彼女の爪が、男のトレーナーの繊維を引っ掻く小さな音が継続的に聞こえてきた。
俺のポケットの中で、拳が固くなる。あの夏の夜、彼女の部屋の廊下に張り付いて、俺は耳だけで二人を見ていた。その時、止める力はなかった。今は、目の前にいる。殴りつければ引き剥がせるだろう。それでも、足は、腰は、妙に冷めている。怒りよりも先に、身体が空っぽなのを感じていた。
「時坂」
名前を呼ぶと、喉に薄い鉄の味が滲んだ。
「外で騒ぐな。近所迷惑だ。それに、そういうのは二人でやれ」
「あ? 二人で? こいつがお前んとこに来たんだろ。お前、こいつを匿おうってのか。だとしたら、友情がどうのより先に、はっきりさせとくぞ。俺、今かなりイライラしてるから」
時坂の目は、血走っている。片方の口角だけ吊り上がり、乾いた笑いみたいな息が、腐った酒の匂いを運んでくる。昔の、気安い下ネタを笑い合っていた男の顔は、崩れて継ぎ接ぎになったみたいだった。
ゆきの大きな黒目が、涙を溜めて揺れていた。唇が、何度も何度も開きかけては、空気ばかり噛んでいる。
「ゆきたか……あたし、もう、あの人とやり直すことなんてできない。怖い。だって、昨日も、嫌だって言ったのに……押さえつけて、あたしが泣いてるのに、もっと、もっと、はげしくなって……お腹の奥がまだ、痛いの」
ひっく、と喉が引きつり、ゆきの指先が時坂の胸元から滑り落ちる。彼女の小陰唇が厚ぼったくて、後ろからあてがわれた時、ぐぷり、と飲み込む体質だったことを、俺は今、こんな場面で思い出していた。それほどまでに男根に弱い身体を、自分から差し出して壊れている。同窓の女が、夜の舗道で男に縋る姿は、まさか彼女のこんな惨状に美しさを見出すことのない、あまりにも生々しいものだった。
「なら、今ここで、助けて、ってもっとでかい声で言ってみろ。お前がどれだけ俺を選んだか、本村によく聞かせてやれ」
時坂が、耳元で低く囁きながら、ゆきの腰を自分に押し付ける。彼女のコート越しにも、ゆきの体は強ばっていて、靴の先が逃げる方向に何度も足踏みした。
「あたし、ゆきたかがあの喫茶店で、最後に触れてくれようとした優しさ、忘れられない。ほんとは、つなぎとめてほしかった。たつおっちのチンポに勝てる女じゃないけど……それでも、ゆきたかの隣で、普通に笑ってられればよかった。あれが、いちばんのしあわせだった」
俺は、美桜の腕を得た今、この女の告白を、少しだけ空気みたいに吸い込んで、吐くことができた。二十歳にしては長い四年間の、あの寝汗ばんだ触感。眠るゆきにこっそり挿入していた、あのどうしようもない暗がり。それは、若さの熱病みたいなものだった。
そして、その熱病は、まだ醒めていない。
隣で震える美桜の肩が、たまらなく愛おしい。同時に、眠っているこの娘に触れたら、どうなってしまうのだろう、という予感が、脊椎の一番下で温度を持ち始める。俺の隣で安心しきっている彼女ほど、かつての俺には恰好の獲物だった。ぞわり、と手のひらが疼く。指先が、彼女の肩越しに、空気ごと肌を探っている自分に気づいて、舌が上顎に張り付いた。
「君と俺は、春に終わってる」
俺の声は、夜のしじまを割るほど冷たく、ただ静かだった。
「俺がしてたことも、君がしてたことも、結果だけ見れば同じなんだよ。体の相性で選んだなら、最後までそれを食い潰せ。誰かの前で泣き落としていい過去じゃない」
「でも……! あたし、あんたみたいな男と別れて、ほんとはずっと後悔してた……たまに、大学の廊下で会うたび、心臓がぎりぎりした。戻りたいって、ずっと」
「戻りたい、じゃねえよ」
時坂が遮り、ゆきの二の腕を後ろへ捻る。彼女の背が反り、コートの前がはだけて、黒い下着の肩紐が夜気に曝け出た。白い胸元に、冷気と、いくつもの薄い掴み痕が踊る。この男の、指の形だ。
「こいつ、なあ。本村と付き合ってた時から、お前の寝込みに気づいてんだ。触られて濡れてるくせに、起きたふりしねえで、俺のこと後から呼び出してよ」
「やめて、それ以上……!」
ゆきの悲鳴が、かすれて落ちる。薄い涙が顎先からこぼれ、コートの襟にしみを作った。その匂いは、化粧水と、汗と、古い涙の塩。十二月前の夜は、犬の糞と、焦げた銀杏の、甘苦い空気を孕んでいた。
美桜が、背後で震えている。彼女の明るい声色はすっかり消え、吐く息だけが目の端で白く瞬いた。悪夢みたいなここ数分を、どう飲み込んでいいかわからない顔をしている。当然だ。この娘を、俺の薄暗い過去から守れるのか。むしろ、俺自身が彼女にとっては、今なお生き続ける脅威なのではないか。
「もういい、ゆき」
俺は、一歩だけ歩幅を詰めた。無意識のうちに、右腕で後ろの美桜を庇う。その手首を包む力が、むしろ現実をひたすら確かめる行為だった。
「お前が、今の俺に何を求めても、もう何も出てこない。それで、間違ってないんだよ」
「そんな……冷たい、よ」
「俺がお前の体にしていたことを考えろ。あれを許せる女を、俺は本気で愛せなかった。同じだろ。俺もお前も、若さだけで傷を着けた」
ゆきの白い喉が、こくり、と飲み込むために動いた。強く結んだはずの眉毛が下がり、唇の両端が、引き攣ったみたいに持ち上がる。泣いているのか、嗤っているのか。彼女の質の、どろりとした深みが、街灯の下に落ちて溶けた。
「……今の彼女と、しあわせにやれればいいよ」
彼女はそう言うと、時坂の肩を両手で突き飛ばした。突然の抵抗に、時坂の心の箍が外れる。
「ふざけんな、誰の前でもケツ振ってるだけのくせに!」
拳がゆきの頬を打ったのは、それから数秒後のことだ。小石を噛んだみたいな乾いた音が、住宅街の晩の空に弾けた。ゆきが、落ち葉の上に尻餅をつき、苦痛で腰を丸める。彼女の膣から、と想像するまでもなく、つい数時間前の性交の残りが下着を汚している。俺には分かる。分かってしまうのが、昔の自分だった。
その俺の隣で、美桜の手が汗ばんでいる。彼女が俺を信じて掴んだそのぬくもりに、眠り込む彼女へ無体を働く自分の幻影が重なる。俺は、無意識に彼女の手首を強く握り返していた。
「先輩……止めないと……!」
美桜が、縋るような声を出した。彼女の指が、俺の上着をぎゅうと握る。温かい、震え。俺は、美桜の肩を抱き寄せ、耳元で「平気だから」と囁いた。そして、倒れたゆきへは、感情を押し殺した瞳だけを落とした。
「ゆき、自分で立て。立てるだろ」
倒れる彼女へ、手を差し伸べない自分を、目の前の時坂はにやりと見つめている。彼の笑みは、苛立ちより愉悦に湿っていた。
ゆきは、泥と落ち葉に汚れた膝をつき、両手を舗道に着いて喘いでいる。よだれが細く、切れた唇から糸を引いて、アスファルトの上で鈍く光った。黒いマフラーが首に絡み、まるで首輪みたいに風に揺れていた。彼女の銀杏の実は、もう二度と割れないかもしれない。やがて、ゆきは顔を上げた。涙と血とを混ぜたような、痛々しい眸で、俺の隣に立つ美桜を見る。
「……この人、優しそうだね。あたし、ずっと、こうなりたかったの」
「帰れよ。終電、なくなるぞ」
時坂が、ゆきのコートの襟を掴み、無造作に立たせた。彼女の脚は、折れそうに細く、骨が立っている。抵抗する力は、もう欠片もない。それは、女が男に勝てないとか、そういう話ではなく、漠然とした夜の災難だった。
「……なあ本村。俺、お前の寝込みの趣味って、ずっと面白えと思ってた。聞いた時、笑ったぜ。けど、あれだな。彼女、お前の手にかかる予定だったのに、先に俺のチンポでめちゃくちゃになってたんだな。運の尽きだよなあ」
時坂の早口は、夜風と絡まって、耳ざわりな金属音になる。俺は、無言のまま、美桜の握る袖ごと背を向けた。玄関の段差を上ると、鉄のドアノブが、震える彼女の息よりも冷たく指先に吸着した。
「じゃあな、ゆき」
振り返らなかった。背中で、ゆきが、かすれた声を落とした。涙なのか、血なのか、わけのわからない咳みたいなものが、空っぽの駐車場に散っていく。
「ゆきたか…………あたし、あの頃のまま、眠りたかった」
それが、この女の最後の台詞だった。
部屋へ戻り、ドアの鍵を回す。美桜が、無言で俺の後ろから離れず、ずっと袖口を掴んでいる。暖房の乾いた空気を吸い込むと、外の腐った空気が、まだ肺の奥で淀んでいる気がした。
美桜が、そっと、俺の背中に額を当てた。声にはならない吐息が、俺のパーカーの繊維を温めて散る。
「……大丈夫ですか、先輩」
美桜の指が、そっと、俺の手のひらを包んできた。白く小さな、芯の通った温もりだった。俺は、彼女の手を握り返した。無理に笑うこともしなかった。
「ありがとう」
短く、そう返す。喉が閉じる直前の、低い声。カーテンを薄く引くと、窓の外には、もう誰もいない。街灯だけが、銀杏の落ち葉をこうこうと照らして、アスファルトの上の染みを隠していた。
静けさの中、俺は、美桜の眠り顔を見たことがない、ということに気づく。もしこの先、眠る彼女の横で夜を明かしたら。彼女の寝息に、俺は、どこまで耐えられるのだろう。
窓硝子に映る自分の顔は、ガラスの向こうの街灯の光で、見たこともない他所の男みたいにぼやけていた。心臓だけが、早足で動いている。握り返した美桜の手のひらから、とくん、とくん、と、互いの脈が混ざるように伝わってくる。
まるで最初から、時間なんて止まっていたかのように、夜はあまりに静かだった。けれど、俺の指だけは、昔のままの熱を宿している。それが、怖かった。
登場人物
-
本村幸隆 もとむら ゆきたか男性 ・ 20
外見: 短い茶髪、黒い瞳、平均的な体格、身長172cm。服装: カジュアルな服、よくジーンズにTシャツやパーカーを着用。自己中心的で変態的な性癖を持ち、彼女のゆきに執着が強い。寝込みを襲う行為に興奮を覚える。ゆきには「ゆきたか」と呼ばれる。
-
金崎ゆき かねさき ゆき女性 ・ 20
外見: 長くて艶やかな黒髪、茶色の瞳、スレンダーでくびれた体型、色白の肌。服装: 清楚な印象のワンピースやスカートを好む。永作博美に似た清楚な外見だが、内面はMっ気があり、本村とは別に時坂と二股関係を持つ。バックからの激しい行為を好み、フェラチオも積極的。陰毛は薄く、小陰唇は厚め。
-
時坂達夫 ときさか たつお男性 ・ 20
外見: 短い黒髪、細めの鋭い目、がっしりとした筋肉質の体格、身長178cm。服装: ラフなカジュアル服、パーカーやトレーナーにジーンズが多い。下ネタが得意で女慣れしていないように見えるが、実際はゆきと関係を持ち、巨根(特にカリ部分が発達)であることを武器にする。本村の友人で、ゆきには「たつおっち」と呼ばれる。





