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告白するつもりだった幼馴染が金髪留学生と体育倉庫で繋がる記録を僕がUSBにコピーするまで

学生/いけない / 寝取られ(NTR) 全6章 約81分で読了(40,171字) 2026年10月19日

あらすじ

高校二年の春、幼馴染の明日香への告白を決意した朝翔の前に、アメリカからの留学生ダニエルが現れた。案内役を務める明日香と距離を縮めるダニエル。二週間後、帰国した彼が残したノートPCに、朝翔は見てはいけないフォルダを見つけてしまう。埃と汗の匂いが漂う映像が、少年の青春を静かに蝕んでいく。

第1章 君永朝翔が幼馴染の本宮明日香への告白を決意してから留学生ダニエルと出会うまで

第1章のシーン

# 第1章: 君永朝翔が幼馴染の本宮明日香への告白を決意してから留学生ダニエルと出会うまで

昼休みの喧騒が、窓という窓から差し込む四月の陽射しに溶けていく。僕は机の上に広げたままの数学のノートを閉じることもできず、蛍光ペンのキャップを指先で回し続けていた。ノートの余白には、昨日の夜に何度も書き直した告白の言葉の断片が、シャーペンの薄い線で残っている。

「朝翔くん、今日もお弁当一緒に食べよ」

聞き慣れた声が、ざわめきを縫って耳に届く。顔を上げると、本宮明日香が机の前に立っていた。黒髪のストレートロングが肩から背中へ流れ、前髪のパッツン越しに大きな黒目がちの瞳がこちらを見つめている。紺のブレザーをきちんと着こなし、チェックのスカートの裾がふわりと揺れた。彼女のまとう空気が動くたび、淡い柑橘系の香りが鼻先をかすめる。学級委員長として教室の空気を明るく保つその笑顔が、自分にだけ向けられたものなのか、それともクラス全員へ等しく注がれるものなのか、十七年間一緒に育ってきた僕にも、ついに判別がつかなかった。

「あ、ああ。うん、いいよ」

僕は慌ててノートを閉じ、机の端に置いたコンビニの袋を寄せた。本当は今日こそ、この昼休みに切り出そうと思っていた。今週末、二人で遊びに行かないか、そして、その流れで——。頭の中では何度も組み立てた言葉が、喉の奥で溶けて消える。明日香は自分の席から水色の巾着袋を持ってきて、僕の前の席に腰を下ろした。スカートのプリーツが椅子の上で広がり、白い素足がちらりと覗く。

「どうしたの、朝翔くん。なんか今日、ぼーっとしてるよ」

「いや、別に。昨日ちょっと、動画見てて遅くなっただけ」

「えー、またあのゲーム実況? 朝翔くんって本当にそっち系好きだよね」

明日香がクスクス笑いながら弁当箱の蓋を開ける。玉子焼きの甘い匂いが、彼女の指先から立ちのぼった。その指は細く、爪は短く整えられていて、箸を握る仕草までが妙に大人びて見える。僕はカバンから取り出したサンドイッチの包みを破りながら、彼女のまつ毛の影が頬に落ちる様子を盗み見た。

「今週末、なんか予定ある?」

言おうかどうか迷った末に、声は思ったより平坦に出た。心臓が肋骨の裏で早鐘を打っている。明日香は玉子焼きを口に運びながら、首をかしげた。

「土曜は部活の説明会があるから、午前中は学校だよ。それが終わったら……別に何もないけど」

「そっか」

僕はサンドイッチの角をかじった。ハムとレタスの水気が唇に触れる。次の言葉が出てこない。出せない。明日香は無邪気に弁当を食べ続けている。彼女が箸を進めるたび、小さな口元が動き、飲み込むたびに白い喉が上下する。指先、手首、首筋。幼い頃からずっと見てきたはずの身体の一つ一つが、去年の夏を境に急に遠いものになった。近くにいるのに、どこか手を伸ばせない。その距離を測りかねて、僕はまたサンドイッチをかじる。

「朝翔くん、週末にまた一緒にどっか行く?」

不意打ちだった。サンドイッチが気管に入りかけて、僕は軽く咳き込む。明日香が笑いながら「大丈夫?」とペットボトルのお茶を差し出してきた。彼女の指が一瞬、僕の手の甲に触れる。その熱さにびくりと手を引くと、明日香はきょとんとした顔で首をかしげた。

「あ、ごめん。ありがとう」

「どうしたの、本当に今日変だよ。熱でもある?」

「ないない」

笑ってごまかしながら、お茶を一口飲む。冷えた液体が喉を通る感覚に、ようやく心臓の騒ぎが少し収まった。今週末、この流れで誘う。絶対に誘う。そう心に決めて顔を上げると、教室の前の扉が勢いよく開く音がした。

「静かにー。みんな、席につけー」

担任の大崎が手を叩きながら入ってくる。昼休みの残り時間はまだあるはずなのに、その顔は妙に興奮していた。クラス中の視線が前に集まる。明日香も弁当を置いて、教卓の方へ向き直った。

「えー、みんなにビッグニュースだ。今日から二週間、このクラスに短期留学生が来る。アメリカからだ」

教室の空気が一瞬で沸騰した。女子の甲高い声がいくつも重なる。男子は顔を見合わせ、誰かが「マジで」と呟いた。

「入ってきていいぞー」

大崎が廊下へ向かって声をかけると、教室の引き戸がぎぃと音を立てて開いた。まず目に入ったのは、紺のブレザーを羽織った肩幅の広さ。それから金色の髪。後ろへ流したブロンドが、昼の光を受けて異国の匂いを纏っている。続いて現れた青い瞳が、教室内をゆっくりと見渡した。百九十センチはあろうかという長身が、教壇の横に立つと、黒板の緑色が急に小さく見えた。堀の深い顔立ち。笑う前から笑っているような口元。首には銀色のドッグタグが揺れている。

「紹介します。ダニエル・ホフマンさん。今日から二週間、このクラスで一緒に勉強します」

女子の歓声が、波のように迫り上がった。悲鳴に近い黄色い声に混じって、「かっこいい」「背、高っ」「外国人だよ、本物だ」という声が飛び交う。隣の席の男子も「すげえな、モデルかよ」と呟いた。僕は机の下で、いつの間にか握りしめていた蛍光ペンを置いた。手のひらに、ペンの角が食い込んだ跡が残っている。

「それでは、案内役についてです。学級委員長の本宮が適任だろう」

大崎の言葉に、明日香の肩がぴくりと跳ねた。彼女は一瞬、僕の方を見た。何かを確かめるような、それでいてすぐに逸らされる視線。長い黒髪が肩から滑り落ち、彼女はゆっくりと立ち上がった。

「はい、本宮です。よろしくお願いします」

ダニエルはその声を聞くと、真っ直ぐに明日香の元へ歩き出した。クラス中の視線が、その大きな背中を追う。明日香の前で立ち止まると、ダニエルはにっと笑って両腕を大きく広げた。

「ボク、日本語少しだけ。アスカ、よろしく」

そう言うなり、ダニエルは明日香の身体を包み込むように抱きしめた。抱きすくめられた形の明日香の顔が、ダニエルの胸元に沈む。黒髪が金色の陰に隠れ、彼女の小さな手が戸惑いながら宙を泳いだ。

「わっ、びっくりした……Nice to meet you.」

上ずった声。その頬が、僕の席からでもわかるほど真っ赤に染まっている。クラスのどこかから「きゃーっ」という黄色い声が上がり、男子はひゅうひゅうと冷やかした。ダニエルは明日香の背中をぽんぽんと二度叩いてから、ゆっくりと腕を解いた。

「アスカ、とても beautiful. ボク、うれしい」

笑いかけるその歯の白さ。青い目が明日香の顔を覗き込む。明日香は髪を耳にかけながら、うつむいて笑った。その笑い方が、僕の知っている「友達への笑顔」と微妙に違う。胸の奥の薄い膜が、ぴりりと音を立てて裂けるような感覚がした。拳を握る。目を逸らす。逸らした先の窓ガラスに、自分とダニエルの姿が薄く映っていた。

その日、放課後までの時間はあっという間だった。授業のたびにダニエルが質問をして、そのたびに明日香が通訳を買って出る。二人の席は隣同士になり、英語と日本語の混ざった会話が途切れない。僕はノートの端にペンを走らせるふりをしながら、何度もその横顔を盗み見た。

放課後、担任から呼び出されたのは日直の掃除を終えた直後だった。職員室の片隅で、大崎が一枚のプリントを差し出す。

「君永、悪いんだがIT推進委員の仕事でひとつ頼みがある」

話を要約すれば、ダニエルに貸与するノートPCの初期設定とアカウント作成を手伝ってほしいとのことだった。カバンに詰めたUSBメモリと変換ケーブルが、急に重たく感じられる。僕は「わかりました」と短く答えて、IT準備室へ向かった。

準備室のドアを開けると、パソコンの排気ファンが低く唸っていた。窓は締め切られ、空気は少し埃っぽい。白い蛍光灯の明かりが、壁際に並んだモニタの黒い画面を冷たく照らしている。部屋の中央の長机に、銀色のノートPCが一台置かれていた。僕は椅子を引き、電源ケーブルをつなぐ。指先が無意識に震えないよう、キーボードの縁を一度強く握った。

十分ほどして、ノックの音がした。

「OH、朝翔、ユーはコンピューターの天才だね。ありがとう」

ダニエルがドアをくぐり抜け、長机の反対側に座る。椅子が彼の体重でぎしりと鳴った。間近で見る肩幅はやはり大きく、首のドッグタグが細かな音を立てる。

「いえ、そんなことないです。これ、アカウントのパスワードです。初期設定の画面、見てもらえますか」

僕は片言の英語を混ぜながら、ログイン画面の操作方法を説明した。ダニエルは背もたれに寄りかかり、時々「ウン、ウン」と頷きながら聞いている。彼のTシャツから漂う、ほんのり甘い制汗剤の匂いが、準備室の埃っぽい空気に混ざった。

「朝翔、この学校で写真を撮っても OK?」

「写真?」

「ボク、アメリカへの報告のために、スマホで毎日を記録したい」

ダニエルはブレザーの内ポケットからスマホを取り出した。黒い端末の背面には、小さな丸いレンズが二つ並んでいる。彼は画面をスワイプして、カメラアプリを起動した。

「学校は許可をくれた。ボク、このスマホで動画も写真もいっぱい撮る。アスカと一緒に、いろんな場所で」

その言葉が、柔らかな刃のように胸へ滑り込んでくる。反応に困って画面へ視線を戻すと、カーソルが小さく点滅していた。

「設定、終わりました。あとは、このパスワードを使えばログインできます」

「ありがとう、朝翔。ユーは本当に優しい。アスカが言っていた」

「へ?」

「アスカが、朝翔は小さい頃から一緒の大切な人、と」

急に名前を出されて、喉が詰まった。ダニエルは何でもないことのように笑い、スマホをポケットに戻す。その自然な仕草の一つ一つが、僕の知らない明日香と通じている気がして、準備室の蛍光灯がやけに眩しかった。

校門を出たのは、オレンジ色の光が校舎の窓を染める頃だった。柔らかな春の風が、生垣の刈り込みの匂いを運んでくる。正門の先、銀杏並木の歩道に、二つの影が並んでいた。背の高い影と、黒髪の影。明日香の笑い声が、風に乗って断続的に聞こえてくる。

ダニエルがスマホを掲げた。画面をこちらに向けて、明日香をぐっと引き寄せる。彼の腕が彼女の肩に回るのが見えた。

「アスカ、笑って」

「え、やだ、急に」

「ハイ、チーズ」

二人の影が肩を寄せ合う。画面の向こうで、明日香が照れ笑いを浮かべているのが、ここからでもわかる。胸の奥がじくじくと痛み、鞄の肩紐を強く握った。

「やっぱりムカつく奴だ」

誰に聞かせるでもなく、声にならない呟きが唇からこぼれる。風が強くなって、明日香の黒髪がふわりと舞い上がった。ブロンドと黒髪が、銀杏並木の影で一瞬だけ溶け合う。

家に帰ってから、夕食もそこそこに自室へ閉じこもった。ベッドに寝転び、天井の木目をぼんやりと眺める。胸の上で手を組み、深く息を吸ってから、小さく声に出してみる。

「明日香。今週末、映画でも行かないか」

声が、六畳の部屋の空気に吸われて消える。言い方、声の高さ、手の置き場所。どれも違う気がした。

「明日香。ずっと前から、言おうと思ってたことがあるんだ」

違う。もっと普通に。いつも通りに。幼馴染の延長で、でも友達以上の何かに踏み込みたくて。

「明日香、僕と、付き合ってほしい」

最後の一言が、異様に重たく舌の上に残った。頭の隅で、ダニエルの笑顔がちらつく。あの大きな背中が明日香の肩を抱く光景が、まぶたの裏で繰り返される。僕は寝返りを打ち、枕に顔を埋めた。カーテンの向こうで、雨音がし始めていた。静かな粒が窓を叩き、遠くの道路を濡らしていく。

枕元の時計は午後十一時を回っている。明日香が今ごろ何をしているか、考える。隣の布団で眠る彼女の寝息を思い出せるのは、幼い日の記憶だけだ。今の明日香の部屋は、僕の知らない匂いで満ちている。スマホを取り上げ、彼女とのトーク画面を開く。最後のやり取りは、三日前の「おやすみ」だった。送りたい言葉はいくつも浮かぶのに、指は一文字も打てない。

雨足が、少しずつ強くなっていく。窓ガラスを伝う雫の筋を眺めながら、僕は告白の言葉を、暗い天井に向かってもう一度だけ練習した。声は掠れ、最後の部分がうまく出ない。春の夜が更けていくなかで、心臓だけが、やけに速く鼓動を刻んでいた。

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第2章 留学生ダニエルが学校公認のスマホで明日香との距離を縮めていく二週間

第2章のシーン

第2章: 留学生ダニエルが学校公認のスマホで明日香との距離を縮めていく二週間

四月の教室に、ダニエルの笑い声が響くようになって三日が過ぎた。朝のホームルーム前、僕が自分の席でノートを開いていると、入り口の方から黄色い声が飛んでくる。ダニエルがスマホを片手に、数人の女子を相手に何やら写真を見せている。画面を覗き込む明日香の黒髪が、窓からの光で鈍く光っていた。

「朝翔、おはよう」

ダニエルが僕の席まで大股に歩いてきて、肩をぽんと叩く。首に下げた銀色のドッグタグがシャツの上で小さく跳ねた。190センチの体が近くに立つと、窓の明るさが陰になる。僕はノートを閉じながら、なるべく自然に返す。

「おはよう、ダニエル。今日も早いね」

「ボクはいつもファースト。アスカと写真を撮るのが朝のルーティンだからね」

そう言ってダニエルはスマホの画面を僕の眼前に突き出した。液晶には、昇降口でランドセルではない、高校の革鞄を抱えた明日香が、少し照れながらピースサインをしている姿が映っている。背景は朝の校門。桜の花びらが何枚か、ブレーンのように舞っている。

「朝翔、この写真、明日香に見せたい。でも、もっといい角度で撮り直す」

「この角度でも十分いいと思うけど」

僕がそう言うと、ダニエルは嬉しそうに白い歯を見せた。その無邪気さが、逆に胸の奥をざらつかせる。写真の中の明日香は、僕が見たこともない柔らかい表情をしていた。ほんの数日前まで、彼女の笑顔は教室の誰にでも均等に配られていた。けれど、ダニエルが撮った静止画の中の彼女は、レンズ越しに特定の誰かへ向けた微笑みに変わってしまっていた。

「朝翔、また今日もIT準備室に行くよ。放課後、よろしく」

「今日は何の作業を?」

「動画を編集したい。アスカと撮った学校案内のビデオ。ボク、うまく編集できない。朝翔は天才だから、教えてほしい」

「天才なんかじゃないって言ってるだろ。でも、わかった。放課後なら空いてる」

「ありがとう。ユーは本当に優しい」

ダニエルは親指を立てて自分の席に戻り、鞄からノートPCを出し始めた。教室のあちこちから、女子たちの視線が彼の背中に突き刺さっている。僕はカーテンの揺れを目で追いながら、机のへりを親指でこすった。

授業が始まっても、ダニエルのスマホは机の上に出されたままだった。学校公認だから文句はない。本人曰く、アメリカに戻ったらこの二週間の記録をまとめてプレゼンするらしい。文化交流の報告会か何かがあるのだと、何かの機会に笑いながら説明していた。そのスマホが、正面の席でノートを取る明日香の背中を、授業中も眺めているような気がしてしかたがない。実際にはダニエルは真面目に黒板を見ているし、シャッター音もしない。でも、僕の耳は無意識に、あの小さな電子音を探してざわつく。

二時間目が終わった休み時間、明日香がこちらを振り返って笑った。

「朝翔くん、次の英語の時間、ダニーに教科書見せてあげてくれる? 彼、まだ冊子が来てないんだって」

「いいよ」

僕は立ち上がり、ダニエルの席まで英語の教科書を運ぶ。ダニエルは背もたれに寄りかかりながら、隣の男子と話していた。日本語の練習らしい。

「朝翔、ありがとう。アスカは、本当に早く気がつく。ボクが困る前に、いつも助けてくれる」

「明日香は学級委員長だからね。なんでも気がつくんだよ」

「それだけじゃない。アスカは、ボクのことをよく見ている」

ダニエルの青い目が、教室の前の方で友達と笑っている明日香の横顔を追った。その視線があまりに率直で、僕は思わず目を逸らす。彼の言葉は、僕がこれまで何年もなけなしの勇気をかき集めて伝えられなかったことを、こんなにもあっさりと言葉にしてしまう。彼女をよく見ている。よく見たい。そう思うだけで十年近くかかった僕とは、根本的に何かが違う。それが嫉妬よりも先に、肺のあたりを冷たい水で洗うような敗北感を連れてきた。

「あ、朝翔、聞いてほしい。アスカと昨日、図書室で撮ったビデオがある。昼休みに見る?」

「昼休みは、明日香と弁当を食べる約束をしてるから」

「アスカと? それなら三人で食べる。OK?」

断る理由を探しているうちに、ダニエルが手を挙げて教室中に聞こえる声を出した。

「アスカ、今日のランチ、朝翔とボクと三人で一緒にどう?」

明日香がちょっと驚いた顔をして、それから笑顔で「いいよ」と答えた。周りの女子がひそひそと声を交わす。

「ダニー、今日も自分でお弁当買うの? 購買のパン、まだ食べられる?」

「ボクは何でも食べられる。納豆コッペパンも平気」

「あれは納豆がはみ出るから注意だよ。朝翔くんは?」

「ああ、うん。それでいい」

昼休み、屋上へ上がる階段の踊り場の、日当たりのいい三畳ほどのスペースに三人でシートを敷いた。ダニエルは購買で買った焼きそばパンと牛乳を手早く広げ、僕と明日香は各々の弁当箱を開く。四月の風が吹き抜けるたび、明日香の黒髪がレンズの前で揺れて、ダニエルが「ちょっと待って、アスカ」とスマホを構えた。

「え、やめてよ、お弁当食べてる顔なんて撮られたくない」

「そんなことない。アスカは、料理を食べる顔も可愛い。カメラが喜ぶよ」

「日本語変だよ。カメラは喜ばないって」

明日香は箸で玉子焼きをつまみながら笑った。画面越しに覗く彼女の頬に、屋上へ続く窓から入る光が薄く乗る。僕は焼き鮭を口に入れながら、撮られていることを意識している彼女の唇の端が、ほんの少しだけ上がっているのに気づく。嫌がっているようで、どこか得意げな、あやふやな空気。

「朝翔くん、ダニーがね、昨日すっごい面白い動画撮ったんだって。移動教室のときのやつ」

「え、なにそれ」

「ボクが日本語で、お手洗いはどこですかって練習してるところ。アスカが笑って、なかなか言えない」

ダニエルがスマホの画面をこちらに向ける。映像の中では、校舎二階の渡り廊下で、明日香が振り返って「トイレは、ここをまっすぐ行って、左だよ」と真面目に教えている。ダニエルが「トイレットは、ここをまっすぐ行って、エビだよ」と間違えて、明日香が声を上げて笑っている。僕はお茶を一口飲み込んでから、自然な感想を探す。

「なかなか上手いと思う。エビはちょっと違うけど」

「エビ、ボク、好きだから、つい言っちゃう」

そう言ってダニエルは笑った。明日香もまた笑った。その二人の声が重なって弾む瞬間、僕の胸の奥で、小さくて固いものが音もなく積もる。二人が共有する小さな笑いの記憶が、レンズを通して保存されていく。僕もその場にいるのに、記録にはきっと僕の声は入っていない。カメラの向こうにいるのは常に明日香で、僕は彼らの会話に添えるスパイス程度の存在でしかない。

放課後、僕は約束どおりIT準備室でダニエルを待った。窓際の古い机にノートPCを開き、動画編集ソフトの使い方をひととおり教える。ダニエルは相変わらず吸収が早い。一度教えたカットの仕方をすぐに試して、教室の映像を次々と短い断片にしていく。

「朝翔はこの道のプロフェッショナルだ。本当に助かるよ」

「大したことじゃないよ。このくらい、教科書に書いてある基本だからね」

「ボクは、教科書を読んでも英語でもわからない。朝翔の説明がいちばん簡単」

ダニエルはそう言いながら、保存先のフォルダを開いた。フォルダ名に「Asuka」とつけるかどうか迷っているのが見える。マウスを一瞬止めて、こちらの反応を探るように青い目を向けてきた。

「学校案内の写真も動画も、いっぱいあるからね。あとで整理しやすいようにフォルダを作りたい。名前、Asukaでいいかな。変かな」

「変じゃないと思う。明日香が主役みたいで、似合ってる」

「アスカが主役。そのとおり。彼女は、この学校のいちばんの顔だよ」

ダニエルは迷わず「Asuka」と入力し、フォルダを作成した。中学校の頃から何度もこの準備室で書類整理をしてきた僕の目の前で、明日香の名前を冠したフォルダが、画面の中に静かに生まれる。毎週の会議資料。文化祭の機材リスト。体育祭のスコア表。そんなファイルの山に混ざって、たった今できた新しいフォルダが、なんだか別の生き物みたいに光って見えた。

「ねえ、朝翔。ボク、アスカと一緒に、もっと学校のことを動画に残したい。文化とか、部活とか、放課後の体育館とか。朝翔も、いい場所を知っているでしょう」

「体育館ならバスケ部の練習は今日の午後はなさそうだけど……交換試合の準備で、用具の確認だけだよ」

「バスケ! ボク、得意。アスカに、放課後見に来てほしい」

その一言で、胸の奥の棘がまたひとつ増える。体育の時間、ダニエルがバスケットボールを扱うたびに女子が沸くのは知っていた。ゴールの高さが彼の腕の長さに追いつかないくらいで、ボールが吸い込まれるようにリングを通る。明日香もきっと、見に行くと言う。汗をかいた金髪が光るたびに、彼女の視線が釘付けになる姿まで想像できて、自分で自分を追い詰める。

「朝翔も見に来てよ。交換試合、来週の水曜日。体育館で」

「行くよ。僕はどっちかっていうと、裏方だけど」

「裏方っていうな。ユーは、コンピューターの星。アスカが言ってた。朝翔は、なんでもできるのに、いつももったいない、って」

僕はマウスを握る手のひらが少し汗ばむのを感じて、スラックスの膝で拭いた。明日香が、僕のことを「もったいない」と誰かに言う。その言葉の輪郭が、ダニエルの陽気な口から出てくると、まるで他人事みたいに軽い。でも、もしそれを明日香自身が言ったのなら、僕はその真意を十年分の遠回りをして確かめたくなる。

「そうかな。別にもったいなくなんかないよ」

「もったいない。Japanese word. とても便利。ボクもいっぱい使う」

ダニエルは新しいフォルダに、今日昼休みに撮った静止画を次々とドラッグしていく。サムネイルの小さな四角の中に、明日香の笑顔がいくつも並んだ。レンズ越しのツーショット。彼のスマホは、学校じゅうの光を集めるようにして、彼女だけを追っている。僕は何気ない風を装って、編集画面のタイムラインを見つめた。あの中に、僕の背中も小さく映っているかもしれない。振り向いて手を振る彼女の少し後ろで、存在が薄い僕が。探さなかった。

週末、僕は本宮家に夕食に呼ばれた。昔からそうだ。襖の向こうから味噌汁の匂いが流れてきて、座卓には煮物と唐揚げが並ぶ。明日香のお母さんは「朝翔くんが来ると、食が進むわ」と笑って、お父さんは夕方のニュースを消した。明日香は台所と座卓を行ったり来たりしながら、箸を並べてくれた。

「朝翔くん、最近のダニエルくん、すごい人気だね。隣のクラスの子まで話題にしてたよ」

「うん、まあ。外国人てだけでも目立つし、背が高いから、インパクトがあるよ」

「うちの明日香、大丈夫かしら。変なことになってないかしら」

明日香のお母さんがお茶を汲みながら笑った。明日香は湯呑みを受け取りながら、首をひねる。

「何それ。変なことって。私はただの学校案内係だよ」

「あら、あんなハンサムと毎日一緒なら、心配のひとつもしますよ」

「もう、そういうのいいから。朝翔くんが変に思うじゃない」

僕は唐揚げを齧りながら、夕食の話題がダニエルのことになるのを胃の上あたりで聞いていた。夕食後、明日香が二階の自室で宿題をすると言って席を立った。僕はリビングで明日香の父とプロ野球の話をしていたが、トイレに立ったついでに階段を上がり、彼女の部屋の前を通った。

扉は三十センチほど開いていた。中からスマホの明かりが、暗い廊下に白くこぼれている。明日香はベッドにうつ伏せになり、頬杖をついて画面をじっと見つめていた。充電コードの先に繋がれたスマホが、彼女の顔だけを青白く照らしている。その光の中の横顔は、僕がこれまで見たどんな表情とも違って、口元が薄くほどけていた。誰かからのメッセージを読んでいるのか、動画を再生しているのか、細かいところは見えない。ただ、彼女の指がゆっくり画面をなぞるたび、黒髪が肩から滑り落ちる。

僕は声をかけられなかった。音を立てないように立ち去り、洗面所の水を流してから階下へ戻る。トイレの水を流した音が、やけに家じゅうに響いた。

翌日の教室で、ダニエルが明日香に聞くのが聞こえた。

「アスカ、昨日の夜、何してた?」

「昨日? 朝翔くんと一緒に夕ご飯食べてた。家族ぐるみの付き合いで」

「朝翔は、アスカの家族みたいなもの?」

その質問に、明日香は一瞬だけ口を開けたまま止まった。午前の光が窓から差して、彼女の前髪の輪郭を白くする。僕は席で英語の教科書に目を落としているふりをしながら、鼓動だけを数えていた。

「……ううん。家族じゃないよ。朝翔くんは、幼馴染。小さい頃から一番近くにいる人」

「一番近くにいる人」

ダニエルが、その言葉をゆっくり味わうように繰り返した。日本語の練習というより、自分の中に輪郭を確かめるみたいに。

「それは、家族よりも近い? それとも、友達よりも近い?」

「もう、ダニー、質問多すぎ。日本語の勉強でしょ、それ」

明日香は笑って誤魔化したけれど、首のあたりがわずかに赤い。その色に、僕の胸底の棘が深く刺さる。家族でもない。友達でもない。幼馴染。彼女の中の僕は、いまだに「小さい頃から近くにいる人」という、動きのない古い写真みたいな存在なのだ。最も近くて、最も遠い。それなのに、あの夕べスマホの光に浮かんでいた横顔は、明らかに僕の知らない誰かへ向いていた。

放課後の体育館に、ダニエルの声が高く撥ねる。週明けの交流試合に向けた自主練習だと張り切るダニエルに付き合う形で、僕もゴール下でパスを回していた。バスケ部ではない僕の球はときどき外れるけれど、ダニエルは笑いながら拾いあげる。

「朝翔、いいパスだよ。あともう少し力抜いて」

「ごめん。部活でバスケやってる奴に適当な球出して」

「ノープロブレム。アスカが来てくれたら、もっと力出るんだけど」

「明日香は放課後、図書室に寄るって言ってたよ。学級会の資料まとめがあるって」

「じゃあ、終わったら来る? 呼んでみる」

ダニエルがボールを小脇に抱え、スマホで明日香にメッセージを送る。すぐに返事が来たようで、画面をこちらに見せてきた。明日香のスタンプが、小さな犬が走っているやつだった。返信の文面までは見せてくれなかった。

三十分後、体操服に着替えた明日香が体育館の入口に現れた。濃紺のハーフパンツと白い体操服。スニーカーの紐が少し緩んでいて、走るたびにぱたぱた鳴る。汗ばむ前の、まだ乾いた衣類の清潔そうな匂いが、薄暗い館内の空気に混ざる。ダニエルが手を振ると、彼女は笑いながら小走りでコートに入ってきた。

「来ちゃった。試合、水曜日なんでしょ。私、応援だけだからね」

「アスカが来てくれたら、ボクはジョーダンになれる」

「ジョーダンって、飛ぶの?」

「飛べる。見てて」

ダニエルは明日香の頭から一メートルも離れていない場所で軽く跳躍し、ボールを右手でリングに放り込んだ。空気を裂く音がして、明日香が「わっ」と小さく声をあげる。後ろで見ていた女子数人が拍手をした。

「すごい。なに、今の。人間ってあそこまで跳べるの」

「練習すればアスカもできる。女子のリングはもっと低い」

「無理だって。私、運動苦手なんだから」

二人の会話を聞きながら、僕は床に転がってきたボールを拾い、指でくるりと回してからコートの外へ運んだ。体育館の高い窓から、午後の日が斜めに入っている。床の緑色が、二人の足元だけやけに明るい。汗を拭き始めたダニエルの首筋に、銀色のドッグタグが貼りついていた。

「朝翔くんも一緒にプレイしたの?」

明日香が振り返り、僕の方を向く。体操服の白い生地は、動いたせいで肩のあたりが少しずれて、鎖骨が拗ねたように覗いている。僕はなるべく顔の前に視線を留めて、頷いた。

「ちょっとだけ。部活じゃないから、足引っ張りそうだったけど」

「朝翔は足早いよ。パスもうまい。あとはシュートだけ」

ダニエルに肩を組まれて、僕は苦笑いを返すことしかできない。体育館の空気は汗とゴムの匂いと、床の塗料みたいな匂いで満ちていた。放課後の濁った光。明日香の笑い声。遠くでピストルの音のように響くボールのバウンド。そのそれぞれが、彼ら二人の側でだけ、ひときわ熱を持って迫ってくる。

ダニエルがスマホを構える。

「アスカ、こっち向いて。汗の顔を撮らせて」

「やだ、汚いよ。汗かいてないけど、なんか恥ずかしい」

「ははは、大丈夫。ぜんぶ思い出」

「思い出って、まだ帰国まで十日以上あるでしょ」

明日香はそう言いながらも、半歩だけカメラの前に寄った。ブレザーを脱いだ体を支えるように、右足を軽く後ろに引く。彼女の前髪が汗で一本、頬に張り付いていた。ダニエルが高い位置からレンズを向けると、液晶の中の明日香が斜め上を見上げる。光の角度が変わり、体操服の下のなだらかな膨らみが、布越しに甘い影をつくる。僕は、写っていない。彼らが作る画面の外で、冷えたペットボトルのお茶を口に含みながら、自分がどんどん薄くなる錯覚を味わっていた。

二週間の留学生活が、残り三日にまで縮む。帰国を前に、ダニエルは毎日遅くまで教室に残り、日本語のノートをまとめていた。教室の後ろの壁に貼られたダニエル手作りの自己紹介ポスターが、開け放った窓からの風で端からめくれている。色紙にマジックで書かれた「I LIKE BASKETBALL」の文字が、空気に揺れるたびに光った。明日香が手伝って作り直したのか、ピンクの折り紙で桜の花びらが何枚か貼ってある。

「ダニエル、こんなに日本語うまくなったのに、明日香のおかげだな」

休み時間、男子の一人がダニエルの背中を叩いた。ダニエルは笑って首を振る。

「アスカは天才先生。でも、朝翔も、友達みたいに優しくしてくれた。クラスのみんな、みんな、ボクの先生」

僕は窓際の席で、めくれるポスターの角を見つめた。セロハンテープが剥がれて、空気に遊ぶ紙の端。春の風はあたたかくて、どこか緑の匂いがする。昼休み、ダニエルが突然、教壇の前に立った。

「みんな、大事なお知らせ。ボクは金曜日にアメリカへ帰る。その前に、最後の交流試合、水曜日に体育館でするよ。よかったら、見に来てほしい。特に、アスカ。応援、おねがい」

教室がわっと明るい声に包まれた。明日香は自分の席で、手を振って応える。

「もちろん。私、先頭で応援するからね」

「アスカの応援で、ボク、空飛べる」

ダニエルの言葉に、男子たちが口々に「飛べ飛べ」と茶化す。その騒がしさの底で、僕は襟元に風を感じながら、金曜日までの短さを指折り数えていた。二週間があっという間だとか、寂しいだとか、そういう感情の前にもっと正直な音がある。あのフォルダめいた「Asuka」という四文字が、パソコンの中で静かに育っている。ダニエルの帰国までに、そこへどれだけの光景が追加されるのか。学校公認のレンズが、彼女の一つ一つの表情を狩り集める音が、境界のない春の昼下がり、ほんの少しだけ耳の奥で鳴っていた。

第3章 ダニエルの帰国と明日香のよそよそしさ、そしてAsukaフォルダの発見

第3章のシーン

第3章: ダニエルの帰国と明日香のよそよそしさ、そしてAsukaフォルダの発見

金曜日の朝、昇降口に立った瞬間、下駄箱のあたりにひときわ大きな塊がうごめいているのが目に飛び込んできた。ダニエルが数人の男子に肩を組まれ、金色の頭をぐしゃぐしゃに撫で回されながら、白い歯を惜しげもなくこぼして笑っている。その周囲を女子の輪が二重に取り囲み、名残を惜しむ声があちこちで弾けては、朝の澄んだ空気を細かく震わせていた。午前八時前の冷えきった空気だけが、その騒ぎの熱を外側から縁取るように立ちこめている。昇降口のコンクリートが吐くひんやりとした気配が、スニーカーの薄い靴底を伝って足の裏まで沁みてくるようだった。僕は靴紐が緩んでいないことを指先で確かめると、無意識に背筋をいつもより少しだけ伸ばし、その輪の中を避けるようにして教室へ向かった。ざわめきが背中に貼りつき、歩くたびに薄く剥がれていく感触が、しばらく肩甲骨のあたりに残っていた。

帰国当日ということもあって、朝のホームルームは普段よりずっと早く全員が席についていた。ダニエルが教壇の横に立ち、担任が「最後に一言」と促すと、彼は大きな体をなかば折るようにして、深く長い時間をかけて頭を下げた。金髪が重力に引かれて額の上へさらりと流れ、首に下げた銀色のドッグタグが胸元で小さく弧を描く。その金属の薄いきらめきが、朝の光を拾っては細かく瞬いていた。

「ボクは、このクラスを絶対に忘れない。アスカ、朝翔、みんな、ありがとう」

教室のどこからともなく、小さな拍手が起こる。ぱちぱちと弾ける音は、最初こそ遠慮がちだったが、五秒もしないうちに全体へ広がり、やがて女子数人のすすり泣きが混ざりはじめた。僕は自分の掌を膝の上で重ね合わせたまま、窓のほうを向いた。カーテンが少し開いていて、桜の散り残りが風のたびに校庭から薄い影のように中へ滑り込んでくる。舞い込んだ花弁の一片が、窓際の机の上でふっと裏返って、誰かの教科書に白く爪を立てた。その白さがやけに目に残った。

教室のあちこちでハグが始まった。男子同士は肩をどつき合い、女子はダニエルの広い背中に腕を回し、目元に指を当てている。制服越しに腕が回されるたび、ブレザーの布地がくしゃりと鳴り、かすかな香水と制汗剤の匂いが空気に混ざって鼻の奥をくすぐった。明日香は席を立ち、教卓のあたりまで歩いていく。紺のブレザーに、いつものチェックのスカート。黒髪の先が背中で小さく波打ち、彼女が一歩踏み出すたび、廊下側の窓から漏れる光を拾って揺らめく。その髪の動きだけが、ざわつく教室の中で奇妙にくっきりと目に焼きついた。ダニエルが照れ笑いを浮かべながら両腕を広げると、明日香は一瞬間を置いてから、彼の胸にすっぽりと収まった。

「ダニー、元気でね。向こうでも、日本語忘れないで」

「アスカも、元気で。またぜったいに会おう」

彼女の背中に回ったダニエルの手が、ほんのわずかに強ばった。大きな掌が、指先を何か確かめるように彼女の背骨の上へ這わせる。その動きは、別れの抱擁にしては長く、指の腹が制服の布地をゆっくりとなぞる感触までがこちらに伝わってくるようだった。離れたあとの明日香の目は赤く濡れていたけれど、口元は笑っていた。その笑い方が、泣く一歩手前で急に唇を閉じる時の形に似ていて、僕は自分の机の角を親指で何度もなぞっていた。ざらついた木目ばかりが皮膚の下で繰り返される。そこには感情を置き去りにした、触覚だけの時間が流れていた。

ダニエルを見送りに、数人の生徒が昇降口までついていく。僕も流れに乗って外へ出た。校門の手前でダニエルが振り返り、両手を空へ突き上げる。

「みんな、サンキュー! ボク、世界中でこのクラスがいちばん好きだ!」

青い目が、笑いすぎて細くなっている。風が金髪を押し上げ、首の銀色のドッグタグが光を線のように反射した。明日香は門のところまで出て、彼の姿がタクシーに消えるまで手を振っていた。細く白い指先が、もつれるほどの力で何度も空を掻く。制服の袖口がずり上がり、露わになった手首の内側が、夕方でもないのに白く浮いて見えた。タクシーが曲がり角の向こうへ消えると、彼女は振り上げた手を胸の高さまで下ろし、そのまましばらく門柱のそばに突っ立っていた。僕には彼女の表情が見えなかった。けれど、肩甲骨のあたりにかかる黒髪が、風に吹かれない瞬間にも細かく震えている気がした。その震えは、見えない糸で僕の胸のあたりを静かに締めつけてくる。

週が明けて、教室はあっさりといつもの形に戻った。ダニエルがいなくなって三日め。朝のホームルーム前、僕が席で課題のプリントを開いていると、隣のクラスから笑い声が漏れてくる。その音の裏側で、明日香が自分の席に鞄を置く。合成皮革の鞄底が机に触れて、こつ、と極めて乾いた音がした。彼女はこちらの方向を一瞬だけ見て、それから視線を教壇の時計へ切り替えた。

「あ、おはよう」

二次元の紙に落としこんだみたいに薄い声だった。普段なら明日香の方から「今日も早いね」とか「数学の課題、やった?」とか、消しゴムの切れ端みたいな小さい会話を繋いでくる。けれど今日は「おはよう」の一言だけで、彼女は教室の前のほうへ歩き、黒板の連絡事項を背の高い位置に書き直しはじめた。黒髪がひっそりと揺れる。チョークが黒板を引っ掻く高い音が、教室の眠った空気を細く裂く。僕は返事を仕損じた口を閉じ、プリントの空欄を指でなぞった。指先に紙の冷たさだけが滑る。

昼休み、中庭のベンチで一人、購買のパンをかじった。菓子パンの甘い香りが口の中に広がるが、飲み込むたびに胸の奥へ重く落ちていく。明日香は友達数人と教室の隅に集まっていて、ときどき思い出したように笑い声をあげている。彼女がこっちを見ることはない。見られたいわけではないのに、見られないことは、薄いガラス板を一枚、胸の前で支えるような苛立ちを連れてくる。何かしただろうか。何もしていない。それなのに、二週間前までは当たり前に隣にいた空気が、するりと遠退いていた。中庭の桜の葉が重たげに擦れ合い、日陰のベンチだけが妙に湿度を孕んでいる。その湿り気が、僕の肌にべたつくようにまとわりついた。

火曜も水曜も、同じ距離のまま過ぎた。明日香は席にいるときは前を向き、移動教室のときは友人と歩き、帰りのSHRが終わればさっさと昇降口へ向かう。僕が話しかけようとすると、彼女は必ず先に別の誰かへ声をかけ、小さな用事を口実に廊下へ消えた。朝の「おはよう」だけは毎日継続されたが、それは儀式のように乾いていて、声には昨日の温度より少し低いものしか残らない。僕は、彼女がダニエルと交わしていたあの柔らかいくだけた日本語の響きを思い出し、喉の奥に溜まった飲みかけの水の味を確かめていた。水道水のわずかな塩素の気配が、舌の根に残って乾いていく。

その夜、明日香は自分の部屋のベッドに腰を下ろし、着替えもせずに天井を見つめていた。窓の外では、夜風がカーテンの裾をときどき持ち上げ、街灯のぼんやりした光が部屋の中へ細く差し込んでくる。壁に貼った写真のなかのダニエルが、いつもと同じ笑顔でこちらを見ていた。体育祭のあとにクラス全員で撮った一枚。その中央で、隣に立つ朝翔くんの肩に手を置こうとして、寸前でやめた自分の右手が、不自然に浮いているのが見えた。明日香はその写真をしばらく見つめてから、唇を軽く噛んだ。

「ダニーと話すと、胸が温かくなる。でも……」

声に出さない言葉が、喉の奥で行き場を失って渦を巻く。あの青い目に見つめられると、体の内側がふわりと溶けて、自分が自分でなくなるような心地になる。けれど、その熱のすぐ隣で、朝翔くんの顔が浮かぶ。小さい頃から一緒にいて、何も言わなくても隣にいてくれた、あの静かな横顔。それを思い浮かべるたび、ダニエルに向けていた熱が急に冷たくなって、胸の真ん中に重たい石が沈んでいく。私は、何をしてるんだろう。ダニエルに惹かれていく自分と、幼馴染の存在を裏切っているような自分が、同じ体の中にいて、どちらも本当で、どちらも嘘みたいで。彼女は両手で顔を覆うと、指の隙間から漏れる自分の息の熱さを、ひたすらに感じていた。

金曜日の放課後、僕は一週間ぶりにIT準備室へ足を踏み入れた。部屋には古いモニターの放熱じみた匂いと、紙の束が湿気を吸うときに発するむっとした空気が溜まっている。鼻の奥がむず痒くなるような、埃と機械油の混ざった重い気配が、閉じられた時間のなかで澱んでいた。窓は半分開いていて、四角い西日が床へ傾いでいる。ダニエルに貸与していたノートPCが、窓際の机の上にそのまま残っている。液晶に薄い指紋の膜がついていて、夕方の光を乱反射させていた。表面には白く乾いた手垢の斑がいくつも浮いていて、それが持ち主の不在を厭に生々しく主張していた。

僕は椅子に座り、ノートPCを開いた。冷却ファンが目を覚ますように小さく鳴り、排気口から微かな温風が手の甲を撫でる。整理作業は単純で、ダニエルが発表会のために作った資料や、学校案内の素材をバックアップサーバーへ移すだけだ。デスクトップには英語と日本語の混ざったファイル名が散乱している。授業の板書を撮った写真。食堂のカレーライス。バスケ部の練習動画。それらを拡張子ごとに選り分けながら、僕は半分だけ意識を機械に預けていた。マウスのクリック音だけが、くつくつと部屋の静けさに穴をあけていく。

素材フォルダを開いた。中にはいくつものサブフォルダが並び、そのうちの一つが「Asuka」と名付けられていた。四月上旬にダニエルがこの部屋で名付けた、あのフォルダ。僕はマウスのホイールを指先で転がし、アイコンの上に白い枠を合わせた。ダブルクリックまで、おそらく一秒もなかった。いや、時間感覚がすでに溶けていて、指は脊髄の命令だけで動いていた。

フォルダが開く。動画と静止画が、重たげに列をなしていた。学校案内で撮ったツーショット写真が数枚だけ混ざっているならよかった。けれど、スクロールしてもしても、その列は終わらない。サムネイルに映る肌色の断片が、整列した窓のように並んでいる。撮影日時の並びはきれいに保たれ、時間帯も朝から夜までバラけている。ファイルサイズはどれも大きい。僕は鼻の奥がふいに冷たくなるのを感じ、人差し指をマウスから浮かせた。指先がほんの少し震えて、手の甲の汗がキーボードの縁を濡らした。

無人の準備室に、モニターの排気音だけが低く唸っている。西日が少しずつ角度を変え、床のホコリを金色に浮かび上がらせた。まるでこの部屋の沈黙を映すために光が遣わされたみたいだ。僕はファイルを日付順に整理するのも忘れ、一番上にある動画をダブルクリックした。クリックというより、指が勝手に沈み込んだ。

映像が全面に開く。はじめは手のひらがレンズを塞いだような暗い画面で、次にカメラが揺れ、一気に明るくなる。汗と土埃の混ざったような黄色い光。場所は体育館の倉庫。マットと跳び箱、赤いコーンの影。画面の右側に、体操服を胸の上までまくりあげられた明日香が写っていた。白い体操服が乱れて、特徴的な双丘が薄暗い中でもわかるほどくっきりと揺れている。太腿のつけ根はむき出しで、ハーフパンツは片足に絡まったままだった。彼女はうつ伏せに近い姿勢で、清掃用具の並ぶ棚に手を突いている。指先が棚板の縁を掴むたび、古い木の粉のようなものがぱらぱらと落ちるのが画面越しにも伝わってきた。

「だめ、ダニー……もう、またいっちゃう。そんなに深く入れないで……」

耳元で聞くよりはるかに生々しい声が、PCのスピーカーから溢れた。湿り気のある音程。泣いているのに笑っているような、二つの感情が剥き出しでせめぎあう響き。一日の授業では絶対に届かない声。スピーカーの小さな振動が机を伝い、僕の手首まで微かに痺れさせた。画面の奥から男の腕が伸びて、彼女の腰を掴んでいる。190センチの巨体が背後から覆いかぶさり、ゆるやかに、しかし確実に抽送を始めていた。

カメラが挿入部分をアップにする。陰りの中で、太い肉の棒が狭い粘膜を押し広げ、ぬぐぬぐと出入りするさまが、モニターいっぱいに映る。粘液が泡立ち、白く糸を引く。結合部を隠すようについていた薄い陰毛が、汗で濡れて渦巻いていた。その周囲の肌は擦れで赤く充血し、彼女の窄まった穴が男の一物を根本まで受け止めるたび、周りの肉が吸い付くように窄まる。画面の奥からは、ぐちゃり、ぬちゅ、という粘着質な水音が途切れなく届いてきた。

「ああっ、いく、いく……いいよ、中に出して。今日は安全日だから、いっぱいちょうだい……」

明日香が背をのけぞらせ、片足を小さく跳ねさせる。男の腰が激しく打ちつけられ、肉と肉のぶつかる音に混じって、教室では決して聞かない艶のある悲鳴が漏れた。声にならない息の断片が、喉の奥でひくつくたびに破裂する。カメラが僅かに揺れる。その向こうで、男が声を殺して果てる瞬間、太い首筋が逆光を受けて金色に燃えた。彼は間違いなくダニエルだった。根元を白濁が縁取り、彼が引き抜いた拍子に、とろりと溢れる分泌物が明日香の内腿を伝い落ちる。白い筋が何本にも分かれて、覗く太股の肉へ地図のように広がった。

僕は何度目かの呼吸ができなくなって、ようやく自分が口を半開きにしているのを知った。動画はまだ続いていて、明日香がぐったりとした体を起こし、カメラを見ずに笑っている。ダニエルの手が彼女の前髪をさらう。その指に、白い筋が少しついていた。

画面の中で二人はキスをしていた。ジュパジュパと唾液を交換する音。唇が離れるたび、透明な糸が伸びては切れて、顎を伝い落ちていく。口ほどきのあと、明日香がダニエルの股間へ顔を埋め、昏い倉庫のなかで長い塊を一気に頬張る。二十センチはあろうかというそれを、小さな唇が際どいほど薄く開けて受け入れ、先端を喉の入り口まで飲み下していく。ぬぷ、という水音が規則的に響いた。彼女は飲み込みながら、ときどきカメラへ視線を流した。断罪するような、懇願するような、どちらでもない眼。こちらの存在を知っているはずのないレンズの向こうで、僕は確かに射抜かれていた。

動画はそこで終わった。再生が止まると、無音の部屋が急に広がり、僕は耳鳴りをごまかすようにパソコンの音量を最小まで絞った。指先が冷えている。体温だけが喉と下腹の奥で無関係に熱を持っていた。

そのとき、画面の下に並んでいた別のサムネイルが、先ほどとは違う角度で目に入った。薄暗い部屋の中、跳び箱の上に仰向けになったダニエルがいて、その上に体操服姿の明日香が跨っている。僕の指は、意識の外側でそれをダブルクリックしていた。ブラウザが新しいウィンドウを開き、白い光が一瞬だけ弾けて、映像が動きはじめる。

場所は同じ体育館の倉庫。時刻は夕方に近く、窓の無い空間の隅だけが薄汚れた白熱灯で照らされていた。跳び箱の赤と青の皮膜が、汗で濡れた背中に張りついている。ダニエルは跳び箱の上に仰向けになり、両足を床に下ろして、青い目をうっすらと開けていた。彼の上に、明日香が跨っている。昨日までの清純な学級委員の顔は、もうそこにはなかった。前髪は汗で頬に張りつき、瞼は半分閉じかけて、黒目が熱っぽく潤んでいる。顔だけでもはっきり分かる。彼女は、行為に酔っている。

「アスカ、自分で入れてごらん」

カメラの外から、息の粗いダニエルの英語まじりの声が飛ぶ。明日香はこくりと頷くと、右手を自分の後ろに回し、彼のペニスの根元を小さな掌でぎこちなく握りしめた。何度も触ってきたはずの感触を、改めて指で確かめるように、掌と肉の間で硬度が脈打つ。彼女は腰を浮かせ、ぬめる亀頭を自分の入り口へ当てがうと、小さく息を吐いてから、腰をゆっくりと落としていった。

「っぅ、あ……ん、ぅああぁ……」

細い喉が仰け反り、彼女の口から泣き声にも似た湿った音が溢れる。窄まった熱い膣口は、彼の亀頭を咥え込むたびに、粘液をぐちゅりと搾り出した。明日香の腰は、びく、びく、と痙攣しながら沈んでゆき、根元まで飲み終えた瞬間、彼女は自分の腹の中へ流し込まれた異物の熱に、目を白く剥いて喘いだ。体操服の裾が重力に引かれ、濡れた太股がダニエルの腰骨に押しつけられている。太腿の内側が震え、そこだけ別の生き物みたいに脈打っていた。

「……自分でも、動ける?」

「うん……」

上に跨ったままの明日香が、返事と共に腰を浮かしはじめた。最初はぎこちなく、まるで初めて水を掻くように、けれど、徐々にリズムを掴んでいく。赤く濡れそぼった入り口が彼の一物を呑み、ゆっくりと白いことを吐き戻す。それが画面の中央でくっきりと映っていた。

「ん、ん、ん、……ダニーの……ダニーの、ちんぽ、中で、暴れてる……わたし、自分から……やらしい……やらしいよ、こんなの」

蕩けた声で、自分の痴態をなぞるように囁く。明日香は両手をダニエルの厚い胸板に置き、指先で金の産毛をくしゃくしゃと握りながら、上下の動きを早めていった。跳び箱がふたりの重さを軋ませ、音を聞いた明日香の顔が一瞬だけ、苦しげに歪む。そしてまた、快楽の方が奥からせり上がってくるのか、彼女は唇を半開きのまま、涎を糸引きながら喘ぎ続けた。

「あ、きもち、きもち……んっ、ふはあぁッ……ダニー、見て、あたし、いっぱい、腰、動かしてるよ……めちゃくちゃ、なってるおまんこ……いっぱい、舐めて、入れて……」

腰をくねらせる度に、結合部が湿った音を立てて開いたり窄んだりする。彼女の白い内腿を、こぼれ落ちた愛液と汗が幾筋も流れ落ち、跳び箱の赤い表皮を黒っぽく濡らしていた。ダニエルの両手が伸びて、体操服の上から乳房を揉みしだく。白い布の下で、柔らかく形を変える双丘が、指の隙間からこぼれそうに弾む。彼女はその手の上から自分の指を重ね、男の大きな手を乳房に押しつけるようにして上体を反らした。

「アスカの、なか、ボクのペニスを締めつけてるよ。熱い、ぬるぬる、最高だよ」

「あ……あ……ダニーの言葉、も……だめ、奥……きてる……わたし、もう、いく、いっちゃう、ダニーと、一緒に……おく、突いて……潰れるほど……」

明日香の動きが崩れる。支えのない腰ががくがくと揺れ、真っ白な喉を反らして、髪を振り乱した。軟膏みたいに粘ついた膣が一物を啜り上げ、肉同士を泡立たせる音が空気を揺らす。ダニエルもまた、彼女の腰を下から突き上げ、獣じみた低い唸りを漏らす。ふたりの荒い息と、ぐちゅぐちゅとぬかるむ音だけが、体育倉庫の湿った空気の中で響き合っていた。

「あっ、あっ、あっ……あーーーー……ッ、んは、ぁ……噛んで……胸、もっともっと、して……いっしょに、いっぱい、出して!」

彼女の絶頂が画面いっぱいに溢れる。跳び箱の上で痙攣する細い肢体が、白い光の粒を乱反射させた。ダニエルの一物がさらに深く、胎の入り口まで届くのが分かるのか、明日香は腹を押さえて絶叫した。奥で熱い脈動が弾けた瞬間、彼女の背中が弓なりになり、跳び箱の赤い皮膜に爪が食い込む。

やがてダニエルが息を整え、あろうことか、彼はカメラの方を真直ぐに見つめた。レンズ越しに、その青い目が、笑っていた。ダニエルは何かを言いたげに唇を動かしたが、動画は不意に途切れ、画面が静かに黒く戻る。映像が消えた瞬間、先ほどまでの行為の熱だけが、モニターの表面に張り付いてこちらを焼いた。

カーテンの向こうで、部活の掛け声が遠く途切れる。体育倉庫の埃っぽい匂いと、体操服に染みた汗の酸味が、モニターから立ち上る錯覚に息が乱れる。僕は机の引き出しからティッシュの箱を探り当て、数枚を引き抜いた。手のひらが滲む汗でふやけそうだった。何度も拭いて丸めて、机の下に落とす。二回。四回。数える感覚のほうがもうずっと後から追いかけてくる。部屋がしんと静まり返り、その静寂がかえってさっきの声を反芻させる。あの「ふはあぁッ」という吐息の果てが、耳の後ろでこびりついている。

時計は午後六時を回っていた。西日がモニターの右端から斜めに差し込み、床に落ちたティッシュの白い山を橙色に染める。夕陽はその白い塊をひどく卑猥なもののように照らし、長く伸びた影を壁へ投げかけていた。僕はまだ、動画を見終えたあとの姿勢のままだった。背中は丸まり、肩だけが異様に強張っている。指はマウスの上にあって、けれど次に何を押せばよいのか、一ミリも決められないでいる。マウスの表面に浮いた汗が、窓からの光を受けて細かく光る。指先は濡れていて、熱の逃げ場を探すように、ほんの少しずつ、震えていた。

第4章 Asukaフォルダの全ファイルをUSBにコピーし、週末をかけて動画を漁る廃人化

第4章のシーン

指が、マウスの上で小刻みに痺れていた。あの一本目の映像を止めたあとも、しばらくのあいだ部屋の中の埃が喉に張りつくようで、息をするたびに胸の奥がざらついた。西日はもうほとんど傾ききって、窓の桟が机の上に細く影を落としている。モニターの光だけが不自然に明るく、ファイルの列を照らし続けていた。

僕はカバンの底からUSBメモリを探り当てた。十六ギガの、普段は課題の提出にしか使わない銀色の棒。指先が汗で滑る。PCの横腹に差し込むと、小さく電子音が鳴った。コピー元はあの「Asuka」フォルダ。名前を開くたびに、明日香という四文字が、あの春の教室でダニエルが笑いながら入力したときの手つきごと蘇ってくる。フォルダの中身を全部選んで、USBに移す。進捗を示すバーが、少しずつ、しかし確実に伸びていく。残り三十二項目。十八項目。九項目。画面の中の明日香が、一枚ずつ、一秒ずつ、僕の掌のなかへ流れ込んでいく。心臓が変な速さで鳴っていた。身体の芯が冷えているのに、耳たぶだけが熱い。

完了の表示を見てから、僕はノートPCの初期化を実行した。ダニエルの痕跡が、整然と消えていく。終わるのを待つ数分のあいだ、机の下に散らばったティッシュの白い塊が、暗がりのなかでやけに目立って見えた。拾ってゴミ箱に押し込む。指先に触れる自分の粘液の感触から、今日ここで自分が何をしたのかを否応なく突きつけられた。ゴミ箱の内側で、丸めた紙がかさりと音を立てる。僕は窓を閉め、カーテンを引いて、逃げるようにIT準備室をあとにした。

帰り道の記憶は薄い。気づけば自宅の玄関にいて、階段を上がって、部屋のドアを閉めていた。鍵を回す手が妙に丁寧で、その慎重さがかえって滑稽だった。カーテンを閉め、制服のブレザーを脱ぎ捨てる。机の上のノートPCを開いて、USBを差す。画面の中の「Asuka」フォルダをもう一度開くと、午後七時を回った薄暗い部屋に、青白い光が一気に広がった。

フォルダの中身を日付順に並べ替える。一番古いファイルから再生した。

最初の映像は、教室の風景から始まっていた。黒板の端、窓際のカーテン、机の上に置かれた辞書。ダニエルの声がスマホのマイクに近い場所で弾んでいる。

「アスカ、ファーストキスはいつ?」

画面が揺れて、明日香の顔を捉えた。紺のブレザーに、白いブラウス。襟元のリボンが少し曲がっている。黒髪は下ろしたまま、前髪の奥で大きな瞳が戸惑いながら細められた。

「えっ、なに、急に」

「急じゃないよ。ボク、日本について知りたい。日本の女子の初恋も、キスのことも、みんなトレビアだ」

「トレビアって、雑学みたいなノリで聞くこと?」

「トレビア!」

明日香が吹き出した。画面が笑いで揺れる。笑いすぎて目元に薄く涙の膜が張っていて、教室の蛍光灯がそれを星みたいに反射させていた。

「中学一年の時。担任の先生だった」

声のトーンが、一瞬だけ低くなった。

「先生と? それ、大丈夫なのかい、日本の学校は」

「ダメに決まってるじゃない。でも、すごく愛してるって言われた。……あの頃のわたし、単純だったから」

胃の奥が、掴まれたみたいに冷たくなった。中学一年の担任。あの細身で眼鏡をかけた、穏やかな先生。僕も知っている。明日香が職員室によく出入りしていて、先生も彼女をとくべつに気にかけていた。まさか。でも、映像の中の明日香はあっけらかんとしていて、後悔の色も、恥ずかしさの色も、その輪郭のどこにも見当たらなかった。

「今、好きな人はいる?」

ダニエルが画面の奥で尋ねる。アップになった明日香の目が、一瞬だけレンズの向こうを泳いだ。

「う~ん、まだ、何も進んでないけど、クラスに居るよ」

胸の底で、何かが跳ねた。ぼ、ぼくかな。指先がUSBの縁を握りしめる。映像の中の明日香は、それ以上なにも言わず、手で顔を扇ぐようにして笑った。ダニエルが「それは、その男の子が羨ましいな」と軽く受けて、映像はそこで切れた。

次のファイルを開いた。サムネイルからして、ここまでとは空気が違った。薄暗い部屋。四角い窓の光。場所は、たぶん学校の空き教室か、あるいは体育館の隅か。カメラは据え置きで、揺れていない。画面の中央に、ベンチか何かに腰かけた明日香がいて、その向かいにダニエルの広い背中が見える。彼の肩越しに、明日香の白い顔と、乱れた襟元が映った。

「……ねえ、ダニエル。やっぱり、今日は、ダメかも」

明日香の声はかすれていて、喉の奥で空気を削るような響きが混じっていた。彼女の白い指先が、自分のスカートの裾をぎゅうと握りしめ、皺を作る。カメラ越しでもわかるほど、細い肩が浅い呼吸に合わせて上下している。

「だって、すごく怖い。こんなの、初めてだし……ダニーの、おっきすぎるよ。ぜったい、入んないって」

ダニエルは彼女の正面で、低く笑った気配があった。笑うというより、胸の奥をくすぐるような吐息の形に近い。

「Asuka、怖いのはボクもわかるよ。でも、キミが最初に『欲しい』って言ったんだ。覚えてる?」

「それは……言ったけど。でも、いざこうなると、まだ、心の準備が……」

「準備は、もうできてるよ。ほら、ここ。すごく柔らかくなってる」

ダニエルの指が伸びて、明日香の腿の内側をゆっくりと撫で上げる。明日香の身体がびくりと跳ね、唇から「んっ」と小さな音が漏れた。彼女の白い肌に、指の通ったあとが淡い紅い線のように残る。ダニエルはそのまま、腿のつけ根の近くで手のひらを返すようにして、湿りはじめた布地を指の腹でやわやわと押した。

「ほら、しっとりしてる。キミの身体は、ボクを受け入れる準備を終えているよ。ゆっくりでいい。全部、Asukaのペースで進めるから」

「……ほんとに、ゆっくり?」

「ああ。ボクは絶対に、キミを傷つけたりしない」

明日香が目を伏せた。長い黒髪が頬を隠し、その奥で睫が細かく震えている。胸のあたりで組んだ指を何度か揉むように動かしてから、観念したみたいに小さく頷いた。

「……わかった。でも、ほんとに、いたかったら、やめてね」

その声はほとんど泣き声に近くて、それなのに、そこには確かに、恐怖の下に沈んだ期待の熱が澱んでいた。ダニエルが「約束するよ」と囁き、そっと彼女の肩に手を置く。カメラのオートフォーカスが、ふたりの輪郭を捉え直す音を立てた。

「ダニエル、大きいよ。先生の倍くらいある。むりむり。こんなの入んないよ」

声が震えている。けれど、そこにはもう、ただの拒絶とはちがう何かが滲んでいた。恐れの向こうに、もっと熱い期待が透けている。

「大丈夫だよ、Asuka。ゆっくり、息を吐いて」

ダニエルの低い声が、カメラのマイクを拾う。二人の呼吸が重なり、衣擦れの音がふいに大きくなる。ダニエルの手が明日香の太腿を押し広げた。薄暗い中でも、白い肌がぼんやりと浮かんで、腿のつけ根に指の影が這う。皮の擦れるような音。唾液の粘る気配。画面の端で、ダニエルの腰が少しずつ前へ沈み込んでいく。

先端が触れた瞬間、明日香の背筋が、びりっと電気を流したように反り返った。

「あっ……! まって、まって、ほんとに、くるの……? や、まだ、ぬれて……あぁっ……」

彼女の両手が空気を掻き、それからダニエルの厚い胸を押し返そうと突っ張った。けれど、彼女の指は震えているだけで、力なんてまるで入っていなかった。ダニエルがゆっくり、圧力を抜かないまま腰を前へ進めると、ふたりのつながりかけた場所から、ひち、と濡れた粘膜の鳴る音がマイクに拾われた。

「痛い……っ、あ、あぁ……ちがう、これ、いたい……よぉ」

明日香の声が裏返る。細い指が、ダニエルの長袖のシャツを掴んだ。布を揉みしだく手つきは、助けを求めるようにも、引き寄せるようにも見えた。彼女の内腿がこまかく痙攣し、腰がわずかに逃げようと浮く。それをダニエルの大きな手のひらが、骨ばった骨盤ごと包むようにして、ゆるやかに押さえつけていた。

「息、吐いて。Asuka、口から、ゆっくり」

「むり……だって、おなか、やぶれ……んっ、あっ、ああぁ……」

先端が埋まったあたりで、明日香の顎がぐっと持ち上がり、彼女の白い喉がカメラの前に晒された。呼吸は完全に乱れていて、吸うのか吐くのかもわからない浅い啜り泣きが繰り返されている。彼女の下腹部が、異物を受け入れた違和感を訴えるように、細かく波打っていた。

「まだ半分も入ってないよ。ほら、大丈夫。すごくあたたかいよ」

ダニエルの声は途切れ途切れなくらいに甘く、けれどその腰は、明日香の痙攣を楽しむように、ちいさく、ちいさく前後していた。じわりと挿入された先だけが動くたび、ふたりのつなぎ目から、粘り気のある水音が断続的に漏れはじめる。明日香の口からは「んんっ……んぅっ……」と、息を吐くたびに子犬が鳴くような音が漏れ、閉じた瞼のあいだから涙がにじんだ。

「あっ、あっ、痛い。あ、だめ、むりむり……」

明日香の指が、ダニエルの肩を掴んだ。細い指が、白いシャツの背に食い込む。ダニエルの背中が二度、大きく上下した。三度目。彼女の口から、空気の塊が破裂するような、それでいて絹を裂くように細い悲鳴が突き抜けた。腰がのけぞり、背骨が弓なりに浮く。その瞬間、カメラが明日香の顔を真横から捉えた。半開きの唇。湿った黒い前髪。眦から一筋、汗とは違う、澄んだ雫がこぼれていく。

そこで、ふいに明日香の声が、泣き声からほどけるように変わりはじめた。痛みのなかに、なにか別の刺激が混ざりこんでいる。彼女の腿から力が抜け、つま先がぶらりと揺れた。さっきまで助けを求めていた手のひらが、ダニエルの背から、首へ、それから金髪のうなじへと、迷いながら這いあがる。

「……あれ……? いたいの、に……なに、これ……」

自分でも戸惑っている声音だった。眦の涙をそのままに、明日香の瞳がうっすらと開いて、ダニエルの青い目を見上げる。その黒目が、薄暗い画面のなかでもわかるくらい、ゆらゆらと揺れていた。ダニエルが腰を引くと、ぬち、と内側が吸い戻されるような感覚があって、明日香の唇から「ひゃっ」と小さな悲鳴に似た息が跳ねた。

「痛いだけじゃ、ない?」

「わかんない、でも、へん……あ、や、動いたら、こすれるっ……」

「痛くないなら、続けるよ」

ダニエルが続けて浅く腰を揺らすたび、明日香の身体から張り詰めていた力が少しずつ剥がれていく。まだ眉は寄っていて、息は泣き声まじりなのに、その太腿はいつしかダニエルの腰を挟みこむように、ゆるく内側へ傾きはじめていた。声の合間の沈黙が、少しずつ湿って、伸びていく。

「……ん、ぁ……っ、あ、これ……こわい、けど……きもち、わるく、ない……あぁっ!」

突き上げる角度がひとつ変わった瞬間、明日香の喉がそり、腰が浮いた。彼女の内側が、急に熱を帯びたもので満たされていくようだった。痛みと異物感はまだそこにある。なのに、その奥で、ざらついた波がゆっくりと持ち上がるのを、彼女の表情がありありと物語っていた。

「朝翔くん、ごめん……」

それは聞き間違いかもしれないほど小さくて、けれど確かに、彼女の舌の先から零れた音だった。ノートPCのスピーカーを手で覆いたくなるような、心臓を素手で握り潰されるような、その五文字。僕は再生を止めようとした。けれど、指は勝手に別のファイルをマウスでつついていた。

次の映像は、また違う場所だった。朝の光が強い。カーテンの閉まっていない窓。学校だろう。室内に白い臨時用の机と、教卓。第三の動画。今度はカメラが手持ちで、画面がときどき大きく傾ぐ。床には緑色のマット。体育倉庫だ。埃っぽい空気が目に見えるようで、画面の隅へ白いチリが漂っている。

「ダニー。気持ちいいかも。そこ、あっあっあっ、何か来てる。あぁぁぁ、これなの、くる。来るよ。あぁぁぁあ」

声が、映像の端までびりびりと震えた。白い体操服が、胸の上で乱れている。大きな膨らみが重力に沿って揺れ、汗ばんだ肌が朝の光を吸って、陶器みたいに光って見えた。ダニエルの腰が一定の深い角度で打ち込まれるたび、彼女の片足が小刻みに跳ねる。ギクン、と全身が痙攣して、足の裏が空気を蹴った。

「もっと、もっと突いて。Fuck、Fuck……」

その言葉は、僕の知っている明日香が口にしていい種類のものではなかった。吐息と唾液で輪郭が滲んでいて、合間合間に小さく「good」だの「please」だのが混じる。英語と日本語が粘膜みたいに絡まって、耳が舐められるような感覚がずっと続いた。

「好きな子は、もういいのかい?」

ダニエルの声が、笑いながら尋ねる。画面は挿入部を狙ったのか、腰のあたりで曇ったピントのまま、彼女の顔を捉えられずにいる。

「言わないでダニー。いいの。このオチンポがいいのよ」

自作の薄い下着に手をかけたままの明日香が、上気した頬のままレンズをじっと見上げた。欲に濡れきった乞うような眼。学校ではけっして見せない、深い水底みたいな眼。僕はモニタの前で、スラックスの内側が隆起しているのを知っていた。けれど、そのまま触るわけにもいかない。まだ、見なければいけない。

続くファイルは夜間の教室。窓の外に街灯の白い粒が浮かんでいた。場所は、僕たちのクラスの教室。後ろのロッカーと、黒板。掃除用具入れの脇に、銀色のバケツが床へ置かれている。明日香は灰色のカーディガンの前を閉じ、スカートの裾を直していた。肌の白さが、闇の中で異物みたいに浮かんでいる。

「えっ、そんなの、だめ。できないよ。ここで、おしっこするの? クラスの中だよ。えっ、バケツに……」

抵抗する声なのに、その声はすでに半ば笑っていた。

「もう、みないで。いや。あっ、でる。出るよ」

しゃああぁぁ。黄ばんだ光を受けて、銀色の底に液がぶつかる。透明な奔流がバケツの内側を打ち、しぶきが跳ねる。音が妙に長く続いたあと、彼女が息と一緒に笑った。黒い瞳は、カメラの向こうに見せてはいけないものを、確かに見せてしまった表情でこちらを向いている。

「これ、絶対、人に見せたらダメだからね」

人に見せた。いま、僕が見ている。その背徳が、自分の身体の真ん中で燻った。

深夜、再生が一周して、また最初のファイルへ戻った。時計は一時を回っていた。僕は机の下にティッシュを数枚落としながら、止まらなかった。明日香。明日香。画面の中の彼女が笑う。喘ぐ。跪く。後ろから貫かれて、背をのけぞらせる。お掃除フェラでダニエルのものに舌を這わせ、カメラ目線で幸せそうに歪む唇。あんな小さな口で、あんな巨きなものを。喉の奥まで。僕は何度も、映像を戻して、また進めて、特定の場面だけをリピートした。頭がしびれるような、身体の芯が溶けるような心地で、何度も、何度も。

日曜の深夜。最後にもう一度、後半のあのファイルを開いた。カメラはダニエルの手に握られていて、彼の胸元から自分の下半身を撮っている。画面の下のほうに、明日香の頭があった。黒髪が揺れている。

「Asuka、ボクのペニスはどうだった。気持ちよかったかい?」

「なにを急にいうの? 最高だわ。もう、ダニーのペニスなしじゃダメかも」

湿った笑い声。赤い頬。レンズに彼女の舌が伸びて、先端にちゅっと絡む。ぬるぬると光る唾液の糸が切れて、白い首筋へ垂れた。映像は横を向き、明日香の全身が入る。体操服が胸の下で丸まっていて、下腹が薄く汗で光っている。

「そんなことないさ、ボクがアメリカに帰ったら、好きな彼と楽しむといいよ」

「もう、わかってるくせに。こんな大きなもの突っ込まれたら、日本人の学生のもので満足できるとおもってるの? しかも、彼のあそこ、ちょっと小さそうだし」

「ダメだよ、Asuka。そんなことを彼に言ったら、絶対だめだからね。男は、プライドの生き物だから。しかも、小さい男は僻みっぽいというしね。ふふ」

「もう、なに、その根拠のない話」

二人の笑い声が、ステレオで溢れて、重なって、溶け合っていく。へらへら。くすくす。笑い出す彼女の白い喉。僕は自分の下腹部を見下ろした。あそこ。小さくて、僻みっぽい。机の下には無数のティッシュが重なっていた。何度射精したかもわからない。部屋の空気は生温く、精液の匂いが痰のように絡む。涙が、そのとき初めてぽたりと落ちた。鼻の奥から笑いがこみ上げて、止まらなかった。僕はモニターの光の前で、声を殺して笑いながら泣いた。

カーテンの隙間から、月曜の朝日の白い筋が差し込んでくる。夜が終わる。一睡もしていない目で、画面の中の明日香をもう一度だけ再生しかけて、やめた。ノートPCを閉じる。机の上のUSBが、静かに光っていた。

第5章 げっそりした朝翔が学校へ行き、放課後に明日香をIT準備室へ呼び出す

第5章のシーン

月曜日の朝、洗面所の鏡に映った自分の顔が、まるでべつの生き物みたいに生気を失っていて、蛇口をひねる指先までひどく鈍っていた。一睡もしていない。頭の芯に、昨夜からずっと脈打つ鈍痛があって、喉の奥には胃から逆流してくる酸っぱいものが溜まっている。冷水で何度も顔を洗ったけれど、目の下の青黒い影は消えない。前髪から滴る水が顎を伝い、シンクの白い曲面にぽたりと落ちた。鏡の向こうの自分と目が合うと、あの画面のなかの明日香が、すぐそこにいるような錯覚が喉を締めつけて、僕は荒い呼吸を噛みながら洗面所をあとにした。

制服に袖を通す。シャツのボタンを上まで嵌めるたび、胸の真ん中が冷たい。ブレザーのポケットには、昨日まで握りしめていたUSBメモリではなく、なにかのレシートの切れ端が入っていた。あの銀色の棒は、机の引き出しの奥に置いてきた。それでも、ズボンのポケットに手を入れると、指の腹が覚えている感触だけが生ぬるく残っている。自室のドアを閉めるとき、机の下に散らばったティッシュの残骸を視界の隅で捉えて、ようやく息が荒くなる。いや、もう一度だけ戻って、あれを片付けたかった。片付けなければ。けれど、足は勝手に階段を下り、玄関の鍵を回していた。振り返らなかった。

通学路の空気は四月の末らしく湿っていて、青緑の匂いが肺の内側に溜まる。鳩の鳴き声が頭のすぐ上で反響して、信号の色がやけに濃い。歩くたびに、眠っていない目のかわきがじわじわと痛んだ。太腿のあいだが重い。下腹のあたりに、まだ何か生温いものが残っている気がする。身体の芯が、あの動画を再生し続ける画面の明滅を、まだ映したままだった。

校門をくぐる頃、昇降口に溢れる生徒たちの輪郭がうまく掴めなかった。笑い声や足音が、薄い膜の向こうから降ってくる。下駄箱に靴を押し込み、上履きの踵を踏みながら廊下を進む。教室のドアに手をかけた瞬間、また胃の底がむずりと蠢いた。

戸を引いた。

「おはよ、朝翔くん」

すぐ近くで、透き通った声。明日香が机のあいだから身を乗り出すようにして、こちらを見ていた。黒板の前で、出席簿のファイルを抱えたまま、黒髪を揺らす。その目が、まっすぐ僕の顔を覗き込んでいる。大きな瞳。白い肌。紺のブレザーの襟元から、あの動画にはなかった清潔なブラウスがのぞいていて、首筋からかすかに、柔軟剤か、日焼け止めの匂いがした。声でさえ、昨日流れ続けたあの喘ぎと、微妙に同じ波形を持っている気がする。耳がおかしくなっている。心臓が、肺のすぐ裏でどくんと鳴った。

「週末どうしたの? すっごい顔。げっそりしてるよ」

心配そうな声。小首を傾げるその仕草。前髪の奥で、目が曇りなくこちらを見つめている。僕は鞄を肩から下ろすこともできず、半歩だけ下がった。

「ちょっと、徹夜でゲームしてて」

出すつもりのなかった言い訳が、ひどく上滑りして唇から転がった。

明日香は一瞬だけ瞬きを増やし、それからくすりと笑った。

「もう、高校二年にもなって、ゲームしすぎ」

「うん……そうだね」

毎朝交わしていた挨拶。他愛ない会話。なのに、彼女が笑うたび、口元の形から胸の膨らみの輪郭まで、動画のなかの姿が薄く重なって透ける。視界の二重露光を、まばたきで消せない。僕は目を逸らして自分の席へ向かった。歩くたび、足の裏が冷たい。席に座ると、机に指を並べて、じっと前髪の先を見つめた。教室のざわめきも、廊下を走る足音も、みんな一段遠い。隣の席。一日中、右斜め後ろに明日香の気配がある。逃げられない。

一時間目。国語。先生の声が遠い。ノートを開いても、ペン先が紙の上で迷ってばかりいる。背後から、かすかに椅子の軋む音。明日香が前の席との距離を詰める音。振り返らなくてもわかる。彼女がノートを取っている。ペンの先が紙をなぞる、かさかさというごく小さな音。その指先を想像するだけで、喉がくんなりと窄まった。動画でダニエルの背に爪を立てていた細い指。あの指が、今は真面目な文字を書き連ねている。

ふいに、耳の奥であの嬌声が再生される。深く。深く。もっと深く。のけぞる明日香の腰。画面に溢れた白い飛沫。体育倉庫の埃っぽい空気。あれは現実で、今も彼女の皮膚の下にこびりついている。そして彼女は、ついさっき僕に笑いかけた。あの無邪気な声で。

ペンを置く。下腹が疼き、腿に力が入った。スラックスの布の感触に、昨夜の自分の精液のぬめりが重なる。鼻の奥に、あの生臭い部屋の空気が思い出される。机の下に散らばった白い塊。いま、ここは教室で、周りのみんなは古典の助詞を書き取っている。なのに、身体の奥の熱だけが別の時間を生きている。気持ちが悪い。自分が、気持ちが悪い。

昼休み、机に突っ伏したまま動けなかった。教室の蛍光灯がまぶたの裏を白く灼く。後ろのほうで、明日香が友達と笑っている。その笑い声を、耳が無意識に分解していく。昨日、画面の向こうでダニーの胸に縋りながら「いいの、このオチンポがいいのよ」と言い放った声と同じ声帯から、今、普通の笑い声が出ている。その落差に、胃がきゅっと縮む。呼吸が浅い。少しずつ、自分がバラバラになっていく感覚。

「ねえ、朝翔くん」

うつ伏せた肩のすぐ横から、低い、優しい声。明日香がしゃがみこんで、僕の顔を覗き込んでいる。近い。髪の毛の匂い。白い頬。つやつやと光る前髪が、蛍光灯の下で濡れたように揺れている。

「週末、家族と何かあったの? なんか、いつもと違うよ」

心配の濃度が、もう朝のそれとは違っていた。彼女は、僕の顔色を本気で案じている。その真っ直ぐさが、いちばん深い場所へ刃を刺してくる。なにも知らない顔。なにもかも、知り尽くした身体。僕は首を横に振るだけで、うまく空気を吐き出せない。

「ごめん、ちょっと寝不足なだけ」

掠れた声。明日香は気の毒そうに眉を下げて、それから僕の肩に、ほんの一瞬、指先を触れた。

「保健室で寝てきたら?」

その指、と心が悲鳴をあげる。ああ、この指だ。ダニエルのものを握って、先端に舌を絡めて、自分の奥へ導いていた指。肩の一点に、熱が沈む。眩暈がした。

「平気。あとで少し、水飲んでくる」

「じゃあ、無理しないでね。今日、日直だし、なにかあったら言って」

明日香はそう残して、仲間の輪へ戻っていった。背を向けた拍子に、腰のあたりでスカートの裾がふわりと浮く。布腰。あの下にも。想像しては、首を振る。もう、教室の空気さえ、あいつに汚されている。いや。違う。汚しているのは、動画を見て、射精を繰り返して、それでも彼女を視姦せずにいられない、僕の側だ。目を閉じる。机にこめかみを押しつける。腕時計の秒針の音だけが、やけに大きい。

放課後まで、時間が溶けたプラスチックみたいにぐにゃりと延びた。五時間目、六時間目。授業内容は一片も頭に入らない。黒板の文字が揺れ、チョークの音が耳蓋のすぐ後ろで響く。視界の端で明日香が髪を耳にかける。耳たぶの白い輪郭。その仕草を見上げるたび、喉に酸っぱいものが込み上げる。動画の中の彼女は、もっと乱れた髪を、汗で頬に張りつかせていた。どちらも明日香で、どちらかを消せない。消したい。抱きしめたい。責めたい。わからない。胸の中で黒い感情が渦を巻く。

ようやくSHRが終わり、教室が解放される。外は春の夕方にしては明るくて、窓から差し込む光はまだ黄色い。皆が帰り支度を始める中、僕は立ち上がり、机の縁に指をかけた。足がふらつく。頭が重い。けれど、ここで帰るわけにはいかなかった。明日香に、言わなければ。聞かなければ。いや。見せなければ。

彼女は黒板の前で、数人の友人と日誌の話をしていた。係の女子と笑い合う横顔が、窓の光に透けてあたたかく見える。胸がめくり上がるほど締めつけられて、指先が冷える。深呼吸を二度。三度めは、肺がうまく膨らまなかった。

「明日香」

なかなか声が届かない。飲み込んでもう一度、名前の輪郭を突き出す。

「明日香、ちょっと、放課後……IT準備室に来てくれないかな」

彼女が振り返る。友達との会話の途中で、笑いの余韻を頬に残したまま。

「どうしたの、改まって」

首を傾げる。黒髪が、肩から胸へ滑る。

「少しだけ、話したいことがあるんだ」

「いいよ。このあとすぐで平気? 委員会の日でもないし」

「うん。先に行ってる」

それだけ交わして、僕は鞄を肩にかけた。教室を出る。足の裏が、廊下の床をきちんと掴めない。昇降口のほうでは、部活へ向かうやつらの笑い声や、スパイクの踵が擦れる音が入り混じっている。背中に、明日香の「じゃ、またあとでね」という明るい声が刺さった。

IT準備室の鍵は、当番がすでに開けていたが、中には誰もいない。窓は閉まっていて、昨日の金曜日から時が止まったような静けさだ。空気は澱んで、薄く埃の匂いがする。昨日、ここで動画を再生したパソコンが、窓際の机にそのまま残っていた。黒い画面に、廊下側の壁と蛍光灯がぼんやり映り込んでいる。僕はドアを閉め、迷った末に、内側から鍵を回した。小さく、金属が噛み合う音。

鞄を机に置く。椅子には座らず、部屋の中央に立ったまま外を見た。窓ガラスの向こうで、春の風が正門前の桜の残り花びらを数枚、ひらひらと舞い上げている。あれを見ると、ダニエルが見送りのとき両手を突き上げて笑っていた姿が浮かんで、舌の奥に苦いものが広がる。

ノートパソコンの存在が、後ろから僕を呼んでいる。電源はオフのまま。まだ見せる、その時は来ていない。心臓が、喉の浅い位置で激しく脈打つ。目を閉じる。瞼の裏に、再生リストが映る。あの最初の動画。体育倉庫で、体操服を押し上げられて、後ろから。お前はあのとき、どんな顔をしていた。俺の知らない場所で、あんな声を出していた。問いたいことが、怒りなのか悲しみなのか、それとも別のなにか湿った感情なのか、輪郭を持たずに喉で渦巻く。

廊下を歩く足音。軽い、彼女のもの。コン、コン、とノックはなく、ドアノブが一度、内側へ押された。

「あれ、鍵かかってるよ。朝翔くん」

ガチャリ、ガチャリ。外から声。僕は息を吐いて、ドアの鍵を開けた。薄い防音のドアがゆっくり開く。廊下の明るい空気が、部屋の隅まで流れ込んできた。

「ごめん、あとから誰か来たら嫌だと思って。ちょっと、大事な話だから」

「大事な話って、なに。改まっちゃって。私、なんかしたかな」

明日香が首を傾げ、上履きのまま一歩、部屋へ入る。彼女の髪が、外の風の残り香を含んでふわりと揺れた。白色のブラウス。紺のスカート。胸元のリボンを、八の字に締めたいつものスタイル。華奢な肩と、カーヴのある腰のラインは、薄い布の上からでもはっきりと輪郭を持っていた。ほのかに汗ばんだ首筋。窓から差す夕日が、彼女の半身を橙色に縁取る。

「ううん。明日香が、なにかしたとかじゃないんだ。……座って。それとも、立ったままでもいいんだけど」

「座るよ、なんか雰囲気あるもん」

明日香はいつもの窓際の椅子を引いて、ちょこんと座った。スカートの裾が腿の上でしわを作る。それから、きょろりと部屋を見回す。

「なつかしいね、こうやって二人で準備室来るの、文化祭以来じゃない?」

「ああ、うん。そうかもね」

うまく笑えない。顔の筋肉が強張る。明日香が大きな瞳でこちらを見あげる。その瞳の奥に、午後の光が金の粒みたいに浮いている。眩しい。目を逸らした。

「どうしたの、朝翔くん。朝からぜんぜん変だよ。やっぱり、ちゃんと病院行ったほうがいいんじゃない? 熱、あるんじゃない」

心配そうな語尾。眉をきゅっと寄せて、身を乗り出す。白いブラウスの襟元が、ほんのわずかに浮く。鎖骨。細い首。その中心を、昨日も何度も、画面越しに見た。いや、触れてはいない。見ただけ。画面越しに。夢中で。何度も。おまえの、あえかな喉の震えを。

「ねえ、朝翔くん。聞いてる? 私、逃げたりしないから、言いたいことあるなら聞くよ」

彼女は優しい。本当に、昔から。そういうやつだった。だから、ダニエルにも誰にでも、こうやってまっすぐ心を開く。その優しさの内側に、あの動画の痴態が隠れている。いや、隠してさえいない。あれも、おまえの優しさの延長だったのか。

「……」

僕は机の前へ歩いていく。ノートパソコンの蓋に指をかける。手が震えている。呼吸が、自分でもわかるほど浅く、肩が上下する。

指先が冷たい。胃が持ち上がる。喉の奥から、朝からずっと押し殺してきた酸っぱいものが、またじわりと滲んでくる。唾を飲み込もうとして、舌のつけ根が硬直した。唇の内側が乾き、上顎に舌が張りつく。心臓の音が、鼓膜のすぐ裏で、骨を叩くように響いている。この動画を見せたら、何かが終わる。十七年かけて積み上げてきた、朝の挨拶とか、他愛ない笑い声とか、文化祭とか、当たり前の隣の席とか、そういうものが全部、ガラスの割れる音を立てて砕けていく。もう二度と、あの無邪気な声で名前を呼ばれないかもしれない。でも、見せなければ、僕は一生このままだ。喉の奥で腐ったままの、この五日間を引きずったまま、彼女の前で笑い続ける。できやしない。僕の胃は、もう、嘘を消化できなくなっていた。

「明日香。見てほしいものがあるんだ」

「え、なに。映画? それとも、写真?」

「……だいたい、そんな感じ」

声が、張りつく。蓋を開く。画面が、青白い光を部屋に放った。

「ねえ、緊張してる? 朝翔くん、すごい手が震えてるよ」

「大丈夫。……本当に、大丈夫」

電源ボタンを押す。低い駆動音が、しんとした部屋に響きはじめる。あの「Asuka」フォルダへ続く道は、もう、体が覚えていた。けれど、指は一瞬、マウスの上で迷う。胃の底が、またぐっとせり上がってきて、喉の入り口を熱いものが逆流する。冷や汗が背筋を伝い、シャツの背中がじっとりと肌に貼りつく。耳鳴りが、遠くの掃除当番の声をかき消していく。明日香が、首を傾げたまま、隣から画面を覗き込む気配。髪の匂い。顔が近い。首を巡る血の匂いまで、わかる気がした。

フォルダのアイコン。あのファイルを開けば、もう戻れない。心臓がはじけそうに鳴る。指先の震えが、マウスを伝って机にまで響く。このダブルクリックで、僕と明日香の間に流れていた、なにも起きなかった十年間が、終わる。ずっと、好きだったんだ。それだけを伝えて卒業する未来もあったはずなのに、今の僕には、動画を見せることでしか、彼女に本当の自分をぶつけられない。僕は、知ってしまった。見てしまった。あの体育倉庫で、彼女が、彼女の知らない顔を晒しているところを。それを抱えたまま、あと何年も、朝の挨拶だけを続けていけるか。無理だ。胃液が喉まで届く。口の中がすっぱくて、視界の端が白く点滅する。それでも、指が動いた。

音もなく、フォルダが開く。

けれど、言葉は、この五日間、喉の奥でずっと腐りかけたまま、口から出られずにいた。だから、代わりに、おまえの声を。おまえと、あいつの動画を。開く。

画面が暗転し、体育館の倉庫。埃っぽい空気。白い体操服。押し上げられた胸。あの映像が、音を連れて、部屋に溢れ出す。

「だめ、ダニー……もう、またいっちゃう。そんなに深く入れないで……」

スピーカーから、湿った声が流れた。室内の空気が、一瞬で、粘り気を帯びる。

明日香の顔が、見る間に青ざめた。唇が半開きになって、そのまま震える。椅子の肘掛けを握る指先が、白く浮きあがる。

「うそ……なんで……」

零れたのは、そんな短い、乾いた音。彼女はモニターから目を逸らさなかった。画面の中の自分が、後ろから穿たれて、小さく腰を跳ねさせる。彼女の黒い瞳に、再生される光が明滅する。その横顔に、春の風が窓を掠めて、外から桜の花びらが一枚、ガラスに張りついた。

僕は喉を引きつらせながら、ようやく言葉を搾り出した。

「ぼ、ぼく……ずっと、明日香のこと……好きだったんだ。なのに、これ……」

声が続かなかった。自分の内的な独白さえ、唾液でぐちゃぐちゃに溶けた。

明日香はまだ、動画を凝視している。画面の奥で、彼女がのけぞる。ダニエルの肩へ、爪を立てる。教室では見せない、あんな顔。唇が、耳元で、あの英語混じりの淫語を。空気が、薄くなる。鍵をした扉の向こうで、生徒の足音が、ひとつ、またひとつ、遠ざかっていく。待って、という声は、誰のものでもなく、僕の喉の奥でだけ、消えように鳴っていた。

窓の外では、春の風が、桜の花びらを果てしなく巻き上げていた。

第6章 明日香が朝翔を卑屈な小さい男と罵り、青春が木っ端微塵に終わる

第6章のシーン

モニターの中の自分が、体育倉庫の暗がりで白い体操服を胸の上にたくし上げ、後ろから穿たれている。その映像を、明日香は椅子に座ったまま微動だにせず見つめ続けていた。スピーカーから溢れる嬌声と、肉と肉がぶつかる濡れた音が、耳を塞ぎたくなるほど生々しく部屋に満ちる。ノートパソコンの排気音だけが、その合間に低く唸っていた。

映像の中の自分は、あの薄暗い倉庫の床に四つん這いになり、腰を高く突き出して、何度も何度も後ろから穿たれている。画面越しに聞こえてくる自分の声は、教室で聞いたことのあるどの自分の声とも違っていて、獣の啼き声みたいに下品で濡れていた。汗で額に張りついた前髪の下から、快楽に溶けきった自分の表情が、ときおりカメラのほうへ向けられる。あれが自分なのだと理解するたびに、胃の底からせり上がってくる震えを、明日香は両手を膝の上にぎゅっと押しつけることで堪えていた。

あの日、体育倉庫の鍵が開いていたのは偶然で、誘ったのは自分からだった。跳び箱の影に並べられた薄いマットの上で、ダニエルの大きな手のひらが、体操服の上からまだ誰にも触れられたことのなかった胸の膨らみをゆっくりと確かめるように揉んだとき、身体の奥の熱い芯が初めて疼き始めた。それまでずっと、隣にいた朝翔にこそ、あの場所を一番近くで見ていてほしかったのに。手を繋ぐだけでも、触れるだけでもよかったのに。けれど朝翔は、朝翔のほうからは何ひとつ手を伸ばしてはくれなかった。近くにいて、優しくて、それでいて何もしてくれないもどかしさは、季節が変わるたびに、こっそりと胸の奥の澱として溜まっていった。

ダニエルは違った。初めて話した日から、彼は真っ直ぐにこちらを見て、面白いことのように笑い、体ごと距離を詰めてきた。見知らぬ土地で孤独を抱えた同士の、熱っぽい近さだった。彼の指先は迷いがなく、あの倉庫の薄暗がりで、汗で張りついた体操服の上からでも、わたしの肌がどれだけ火照っているかを正確に悟ってみせた。怖いくらいに心地よくて、ささくれだった心が溶かされていくようだった。あのまま理性の全部がダニエルの舌と指に掻き混ぜられて、気づけば身体の約束も心の約束も、すべて彼に差し出していた。朝翔といればずっと隣に置いておけると思っていた青春のかたちは、あの数十分の行為で、いとも簡単にそっくり塗り替えられてしまった。そのことへの罪悪感がなかったといえば嘘になる。けれど、身体の奥から溢れる熱いものに抗う方法を、十七の体は教えてはくれなかった。自分の身体なのに、誰よりも自分が制御できなかったのだ。

そして今、そのすべてを、幼馴染に見られてしまった。しかも、秘密の映像という形で再生されて、無言のまま、つぶさに視られてしまった。朝翔の指が、この動画の再生ボタンを押した。集中して、始めから終わりまで、わたしの痴態を見届けた。その事実が、胸の真ん中を、手のひらで引き裂かれるように傷つけた。性器や肢の一本一本ではなく、心臓にいちばん近い場所を、最初に持っていかれた気がした。泣きたかった。泣けなかった。涙は、眼球の裏側で渦を巻き、喉の奥で熱い塊になって詰まった。頬の内側を噛んで、痛みでなんとか表情を保った。ダニーに抱かれるたび、何度も裏切ってきたのは朝翔へのこの想いなのに、いま、いちばん穢されているのは自分の心で、穢しているのは朝翔の視線なのだと、そう思った瞬間に、胸の底が音もなく冷えていった。

ようやく動画が終わると、部屋の中を重い沈黙が覆った。窓の外で風が桜の枝を揺らし、ガラスに花びらがかすかに当たる。明日香は両手を膝の上に置いたまま、顔をゆっくりとこちらへ向けた。大きな瞳の縁が、涙をこらえるように赤く染まっている。けれど、その奥の光は、もう僕が知っているどの明日香とも違っていた。薄い膜の下に、冷たく澄んだ刃のようなものが潜んでいる。彼女は半開きだった唇を閉じ、小さく息を吸い込んだ。

「朝翔くん、最低ね」

その声は低くて、教室では一度も聞いたことのない響きをしていた。喉の奥で押し潰した金属みたいに、平坦なのに刺さる。僕は意味を探しあぐねて、ただ彼女の白い頬を眺めていた。

「人の動画をこっそり見るなんて」

「違うんだ、これはダニエルが残していって、ぼくは、ただ……」

言葉が喉の浅い場所で渋滞する。弁解になっていない。むしろ、ひとつ零れるたびに自分の卑小さが床に染みていくみたいだった。明日香は首を振る。前髪が乱れて、左の眉が隠れた。

「やっぱり、あそこが小さいひとは、卑屈で僻みっぽいやつが多いって、ホントなんだ。ダニーが言ってた」

声が、腹の底を冷たい手で撫で下ろす。僕は机の縁に手をついた。指先が滑る。汗と、それからたぶん、自分の掌の脂。呼吸が浅くなって、喉の奥がひゅうと鳴る。あそこが小さい。卑屈で、僻みっぽい。その言葉が、耳の中で何度も反響して、土曜の深夜に画面越しで聞いた嘲笑と重なる。まるで動画の一部を、今ここで生の声で上書きされているような悪夢だった。

「明日香、ぼくはおまえのことが好きで、だから、その……黙ってられなかったんだ」

「好きだった? なにそれ、そんな言葉、いま初めて聞いたよ」

明日香は鼻で笑った。口元だけが歪んで、目は笑っていない。彼女は椅子の背もたれに片手を置き、もう片方の指でスカートの裾を整える。その仕草の一つひとつが、僕の知らない女のそれで、背筋がぞくりと冷えた。

「ずっと一緒にいたのに、なにも言えなかったくせに。今さら、動画を見て、なにが言いたいの」

「それは……明日香が、よそよそしかったから、なにかあるんじゃないかって」

「よそよそしい? あたりまえでしょ。わたし、ダニーと最後までしたんだよ。身体の中に、まだぜんぶ残ってる気がするくらい、いっぱいされて。それを、朝翔くんの隣で、なんでもない顔して座ってなきゃいけなかったんだから」

唇が、言葉の端で震えている。ほとんど吐き出すような口調。僕は彼女の乱れた襟元に目を落とし、すぐに顔を背けた。白いブラウスの合わせ目から、汗ばんだ鎖骨が覗いていた。動画の中の彼女の肢体が、皮膚のすぐ下でちかちかと明滅して、指先の感覚まで奪っていく。

「ダニーはちゃんとわたしを、女として見てくれて女にしてくれた。いっぱい、気持ちよくしてくれた」

彼女が立ち上がる。椅子が後ろに引かれて、床と擦れる短い音が部屋に残った。

「朝翔くんは、なにをしてくれたの? ずっと横にいただけじゃない。手も、握ってくれなかった。キスどころか、告白さえも」

胸のあたりに、錐で穿たれたような圧迫感が走る。明日香が一歩、机の前へ進み出た。窓からの夕日が彼女の半身を舐めて、黒髪の表面に橙の膜を張る。肩も、腰も、動くたびにしっとりと光って見えた。言い返したい言葉はいくつも浮かぶのに、どれも口の形にならない。彼女は、僕が飲み込んだ沈黙の数だけ、明確な刃物を突きつけてくる。

「わたし、朝翔くんのこと、好きだった。ずっとじゃないけど、ダニーが来るまでは、たぶん、そうだった」

呼吸を忘れた。心臓だけが、存在を主張するみたいに強く脈打っている。

「でも、終わったよ。身体を開いちゃったら、もう、ぜんぶ違って見えるんだよ。朝翔くんも、あの動画を見て、わたしを気持ち悪いって思ったんでしょ。それで、ひとりでいっぱい抜いたんでしょ」

図星だった。反論できなかった。机の下に積み上がった白いティッシュの山が、あの薄暗い部屋からこっちを覗いている気がした。掌が、痙攣しそうなくらい熱を持って濡れていた。

「朝翔くん、ほんっとに最低」

もう一度、同じ言葉。違う音。今度は吐き捨てるのではなく、距離を測るみたいな静かさで。

「人の身体が映ったファイルを、勝手にコピーして、家でひとりで見て、興奮した。そんなの、ダニーに動画を撮られてたわたしと、おんなじくらい汚くない? いいや、もっとタチが悪いよ。朝翔くんは、ちっとも知らない側のくせに、いちばん安全な場所から、わたしの痴態を盗み見たんだから」

違う、そうじゃないんだ。心のどこかが叫んでいる。だけど舌が動かない。首の後ろを冷たい汗が流れ、こめかみの血管がびくびくと跳ねる。彼女はカバンを掴んだ。椅子の背にかけていた紺の輪が、腕に引っかかって揺れる。もう彼女の中では、会話はとっくに終わっている。こんな男に、これ以上、語る価値はないと、その背中が語っていた。

「明日香、待って」

声を絞り出して、手を伸ばした。細い手首に触れたかった。けれど、指先が彼女の白い皮膚に届く寸前で、乾いた空気を撫でただけに終わった。明日香が、振り返りざま、その腕をひらりと払いのける。触れてすらいないのに、手の甲をぶたれたみたいな熱が走った。

「そういうところだよ。朝翔くん。肝心なときに、いつだって手が遅いの。話すのも、動くのも、なにもかも。後から後から、ごめんって顔で、こっちばかり見てる」

彼女の唇が、最後の言葉を嚙み締めるように動いた。

「もう、朝翔くんにはなにも感じない。心も、身体も、ぜんぶダニーに置いてきたから」

明日香がドアノブに手をかけた。鍵のかかっていない金属が、小さく音を立てる。彼女は振り返らず、ドアを引いた。廊下側の空気が、夜の気配をわずかに含んで流れ込んでくる。制服の裾が揺れて、夕日に照らされた黒髪の先が一瞬、金に流れた。足音が二歩、三歩。迷いがなかった。

「それと、動画、好きにすればいいよ。もう、わたしの身体の全部、あなたが知ってるんでしょ」

それが、消え際に落とした最後の毒だった。振り返った横顔が、半分だけ部屋の中に残っていた。大きな瞳が、廊下の白い光を吸い込んで、ほんの少しだけ潤んでいた。泣いているのか、笑っているのか、それすら読み取れない。いや、もしかすると、どちらでもあった。この女は、僕の知らないすべての時間を、この一ヶ月で堰を切ったみたいに他者へ明け渡し、その果ての表情を今、初めて僕へ向けている。それがどうしようもなく綺麗で、目が潰れたくなった。

「明日香……」

名前を呼んでも、返らない。ドアが閉まる。蝶番のかすかな悲鳴。そして、室内に満ちていた空気が、一気に外へ吸い出されていくようだった。

窓の外では、春の日が静かに傾き、校庭を赤く染めている。放課後の喧騒はもうすっかり遠く、聞こえるのは、ときおり吹き込む風がカーテンを揺らす衣擦れだけだった。机の上には、再生を終えたノートパソコンが熱を吐いて、スクリーンセーバーの青い波を流している。何度も拭いたはずの机の隅に、まだ丸めたティッシュがひとつ、白く転がっていた。

掌が濡れていた。汗で。それ以外のなにかで。あの映像を見たときの体液が、まだ指と指のあいだにこびりついている気がする。洗わないと。そう思って立ち上がりかけて、椅子にぶつかった。痛みより先に、音の大きさが恥ずかしかった。部屋にはもう、僕の吐息と、パソコンの微かな唸りだけしかない。

明日香はきっともう、校門を出て、まっすぐには帰らない。彼女のことだから、知らないどこかの路地で、スマホを握りしめて、ダニエルに電話をかけるかもしれない。英語の、日本語の、混ざり合った秘密の言葉で、今日あったことを笑いながら話すのかもしれない。その想像が、胸の奥で泥のように重い。けれど不思議と、あの動画を初めて開いたときに比べれば、痛みはずっと静かだった。刃物で刺されるより、沼に沈んでいくほうに近い。時間をかけて、確実に、息を奪われていく。

ぼくは、明日香のなにを見てきたんだろう。幼馴染という最も近い席から、彼女の黒髪の匂いも、笑ったときに細くなる喉の線も、制服の下の腰の曲線も、全部いちばん間近で眺めてきたはずだ。それなのに、ひとつも触れなかった。触れようとしなかった。ダニエルだけが、そのすべてを当たり前みたいに開かせた。身体の内側まで、膣の熱さまで、動画という形にして。悔しさが、涙よりもずっと生臭く、喉の奥を焼いた。

ポケットのUSBメモリは家に置いてきた。それでも、あのフォルダの階層アイコンが、まぶたの裏に焼きついて離れない。黄色い、四角い入れ物。中には明日香のすべてが、性器の奥まで、性器から溢れる液まで、永久に保存されている。これから、僕はあれをどうすればいい。消せばいいと頭ではわかっている。わかっているのに、指が覚えている。どのフォルダを開いて、どの順に再生すれば、彼女がどんな声を出すのか。身体が、勝手に、夜の再生リストを組み立て始めている。自分がいちばん怖い。

夕闇が、IT準備室を青く満たしていく。明日香が出て行ってから、たぶん十分も経っていない。けれど、部屋の中の時間だけはもう、朝の登校前から数十年経ったみたいに古かった。

明日、教室で、彼女にどんな顔をすればいい。席を替えてもらおうか。目を合わせたら、また、あの冷たい声で「最低」と言われるだろうか。それとも、無視されるだろうか。どちらでも、同じだった。どちらでも、僕はこの一週間で見てしまった映像を、一生消せない。明日香の中の熱も、明日香の中へ注がれた白濁も、あのバケツに響いた排泄音も、ぜんぶ記憶の底で渦を巻いて、夜が更けるたびに、白いティッシュへ輪廻していくだけだ。

机の下のティッシュが、暗がりの中でも白く浮かんでいた。これから先も、この部屋に来て、あのデータのことを考えて、こうして汚い紙を増やしていくのだろうか。鏡を見るたびに、やつれた自分の目と、「小さい男」と断じた明日香の声が重なる。青春は、月曜の夕方、たった一度の会話で、木っ端微塵に砕けて終わった。校庭の桜は、まだ散りきっていなかった。

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読み終えたあとの余韻に。

OVA 夏妻 #2 を FANZA で見る →
登場人物
  • 君永朝翔 きみなが あさと
    男性 ・ 17

    外見: 黒の短髪、焦げ茶の瞳、やや痩せ型で平均的体格。服装: 学校指定の紺ブレザーとスラックス、だいたいボタンを留めている。IT推進委員として放課後はPC室にいることが多い。

  • 本宮明日香 もとみや あすか
    女性 ・ 17

    外見: 黒髪ストレートロングで前髪はパッツン、黒目がちな大きな瞳、身長はやや高めで細身だが体操服を押し上げる胸。服装: 学校指定の紺ブレザーとチェックのスカート、放課後は体操服か私服のカーディガン。陰毛が薄く幼いオマンコに見える。

  • ダニエル・ホフマン だにえる ほふまん
    男性 ・ 17

    外見: 金色のブロンドヘアを後ろに流し、青い目、190cmの長身で筋肉質。服装: 私服のTシャツとジーンズ、登校時は学校指定のブレザーをだらりと羽織る。首に銀色のドッグタグ。

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