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定年後のシニア教室で隣り合った六十路人妻が電車内で胸を押し当ててきて新緑の高原と湖で初キスを交わしラブホテルへ流れ込むまで

シニア官能 / 不倫/浮気 全4章 約54分で読了(26,733字) 短編 2026年9月1日

あらすじ

定年後の空虚な毎日に、シニア教室で隣り合った一人の女性。同じ方面へ帰る電車の中、彼女の胸が腕に押し当てられた瞬間、互いの内に眠っていた熱が目を覚ます。新緑の高原と湖を背景に交わす口づけ、ラブホテルへ流れ込む二人。家庭を壊さないと誓いながら、六十路の男女が月二回の密会に求めたものは若さの再燃か、それとも肉体の飢えか。

第1章 シニア教室は春の電車に揺られて

第1章: シニア教室は春の電車に揺られて

定年を迎えてからというもの、朝の時間が妙にのっぺりと長く感じられるようになった。長年勤めた会社を辞めた直後は、これでようやく自分の時間を手に入れたのだという開放感があったものの、三か月も過ぎれば、その時間を持て余している自分に気づく。朝起きて、新聞を読み、朝食をとり、妻を見送り、庭の手入れをして、昼食をとり、散歩に出て、テレビを眺め、風呂に入り、寝る。それのどこが悪いのかと問われれば、悪くないのかもしれない。現に妻は「あなたが元気でいてくれればそれでいいのよ」と笑ってくれる。しかし私の中には、語学学校のパンフレットに目を奪われるような、何か新しいことを始めたいという奇妙な衝動が燻っていた。

市の広報誌で「シニア教養講座 受講生募集」の文字を見つけたのは、そんな五月の半ば、新緑が街路樹を鮮やかに染め上げる頃だった。六十歳以上を対象とした二年間の教室で、詐欺防止の講習や健康診断、ゴミ処理場の見学などが組まれているらしい。妻に話すと「あら、いいじゃない。家にこもってばかりじゃ退屈でしょう」と背中を押され、私はその足で申し込みの電話をかけたのだった。

初回の教室は、市の生涯学習センターの三階にある会議室で開かれた。男女合わせて五十名ほどの受講生が詰めかけていて、年格好は六十代から七十代半ばといったところか。皆どこか所在なげに、けれど瞳だけは好奇心でうっすら光らせている。ああ、皆、私と同じように時間を持て余しているんだな、と思うと急に肩の力が抜けた。

席は自由だった。私は入口から程よく離れた中ほどの列を選び、備え付けのパイプ椅子に腰を下ろす。鞄を隣の席に置いたまま資料を読んでいると、不意に甘い香りが鼻先をかすめた。柑橘系の、けれど果物そのものよりずっと柔らかい、白い花の匂いに似た香り。視線を上げると、五十代の終わりか六十代の初めくらいの女性が、隣の席の前で小さく会釈をしている。

「隣、よろしいかしら」

私は慌てて鞄をどけ、どうぞと手で示した。彼女はにこりと笑って、パイプ椅子に腰を下ろす。薄い藤色のカーディガンに、白いブラウス、膝丈の紺のスカート。黒髪を耳の横でゆるくまとめていて、うなじの白さが妙に目を引いた。笑うと細くなる茶色の瞳が、親しみやすさと多少の恥じらいを同時に湛えている。歳は私より五つほど下だろうか。首元には細い金のネックレスが光っていて、その控えめな輝きが彼女の品の良さを物語っていた。

「的場です。よろしくお願いします」

私は名札を胸のあたりに押し当てるようにして、軽く頭を下げた。彼女も名札を指先でつまみ、

「高島と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

そう言って微笑んだ。高島千紗子。名札の文字は丸みのある筆跡で、どことなく彼女の雰囲気に似ていた。

教室は午前の講義二つと昼食休憩、午後のグループワークという構成だった。講義はどれも真新しい内容で、私は二人分の資料を比べながら、時おり彼女と言葉を交わした。話の合間、彼女が髪を耳にかきあげる仕草や、指先でネックレスのペンダントトップに触れる癖がなんとなく目につく。左手の薬指には、細い結婚指輪が光っていた。

「的場さんは、お近くからいらしてるの?」

休憩時間、紙コップの茶を啜りながら彼女が尋ねた。

「ええ、歩いて二十分ほどのところです。高島さんは?」

「私は電車で四つ目なの。隣の駅の手前ね」

「それはちょうどいい。帰りが同じ方向なら、少し話しながら帰れますね」

私の言葉に、彼女は目を細めてうなずいた。その時の笑顔が案外あどけなくて、六十歳を過ぎた女性に対して失礼かもしれないが、うっかり見入ってしまった。頬にはうっすらと紅が差していて、唇は薄い桜色の口紅が湿度を含んで光っている。

午後のグループワークが終わり、初日の教室は解散となった。私は名簿と筆記用具を鞄にしまい、椅子を戻しながら横を見る。高島さんもゆっくりと身支度を整えていた。帰り道が同じ方向だとわかっても、改めて誘うのは少し厚かましい気がして、声をかけようか迷っていると、彼女の方から小走りに近づいてきた。

「的場さん、よかったら駅までご一緒してもいいかしら」

こちらこそ、と言いかけて、私は言葉の軽さが妙に気恥ずかしくなり、ただ「ええ、ぜひ」と短く返した。

四月下旬の夕暮れはまだ明るく、二人で横に並んで歩くにはちょうどいい風が吹いていた。彼女は私の半歩後ろを歩きながら、電車の待ち時間の話題や、今日の講義で初めて知ったことなどを、柔らかい声で時折話す。高島さんの声には独特の甘やかな尾がついていて、語尾がすとんと落ちずに、ふんわりと空気へ広がって消える。聞いているだけで、耳の奥がくすぐったくなるような声だった。

駅のホームで電車を待つ間、私たちは自然と出身地の話になった。

「私は信州の、小諸の近くの町で育ったの。的場さんは?」

「私は東京に出てくるまで、ずっと横浜です。でも、信州には学生時代、よくスキーで通いましたよ。小諸の手前の、あの小さな駅の町でしょう?」

「エーッ、ソーだったの」

彼女の声が、ふいに裏返った。細い指が私の二の腕にふれる。

「あそこ、私の実家の町です。駅前の本屋さんで高校の頃よく立ち読みしてて、その本屋さんの裏がスキー場行きのバス乗り場でしょう?」

「ええ、ええ、その本屋です。昼前に着くと、肉まんの匂いがぷんと香ってね。空腹でふらふらしながらバスに乗り込んだものです」

「きゃあ、懐かしい。あの本屋さん、まだあるかしら。私が嫁ぐ頃はありましたよ」

彼女は声を弾ませ、身を乗り出すようにして私の顔を覗き込んだ。至近距離で見る彼女の瞳は、茶色というより琥珀を含んだ飴色で、夕日の光を吸い込んでちかちかと輝いている。年齢を重ねた瞼のしっとりとした質感が、まぶしさを和らげるようにその瞳を包んでいた。

電車が滑り込んできて、私たちは並んで座席に腰を下ろした。車内は空いていて、向かいの窓際に一人、中年の男性が眠っているだけだった。ドアが閉まると同時に、電車はゆっくりと動き出す。窓の外を流れる街並み、その向こうにたなびく雲は厚く、雪国の空を思わせる鈍い白さを帯びていた。学生時代、夜行の鈍行列車から見た雪景色を、私はぼんやりと思い出す。白一面の田んぼ、吐く息の白さ、凍てた早朝の空気。それらが、隣にいる彼女の故郷と繋がっているのだと思うと、何十年も前の記憶が急に近しいものに変わった。

「本当に、懐かしいわ。あなた、学生さんだったでしょう? あの頃、あの町に来てたのね」

「ええ、十九か二十の頃です。安宿に泊まって、朝から晩まで滑ってました。若かったから、それでも疲れを知らなくてね」

「奇遇ね。私は高校生で、毎日あの駅を使ってたの」

「あの電車に、乗ってたんですか。もしかしたら、どこかですれ違っていたかもしれませんね」

「きっと、そうね。エーッ、なんだか、運命みたいな気がしてきちゃったわ」

彼女が笑いすぎて、軽く咳き込んだ。吊り革が揺れ、車体が緩やかなカーブを曲がる。とたんに、彼女の身体がこちらへ傾いた。よろけたのだろうか。彼女は私の左腕に手を置き、バランスを取ろうとした。その拍子に、柔らかなものが二の腕に押し付けられる。胸だ。彼女の身体の、ふくよかで、それでいて決して重すぎない、女の感触が、薄いブラウスとカーディガン越しに、はっきりと伝わってきた。

「ごめんなさい、つい嬉しくて」

彼女は謝るどころか、手を私の腕に置いたまま、顔を伏せるように笑っている。電車の揺れに合わせて、その指先が私の前腕をなぞり、胸のやわらかさが二の腕から肘のあたりへ、ぬるりと押し付けられたまま動く。カーディガンの粗い編み目と、その下のブラウスの滑らかな布地、さらにその奥の体温が、私の腕にまとわりつくようだった。柑橘系のあの香りが、彼女のうなじのあたりから立ちのぼり、私の嗅覚をそっとくすぐる。

私の心臓は、不恰好なリズムで跳ね始めていた。ただの密着なら、満員電車で何度も経験している。けれど、これは違った。見ず知らずの六十歳の女性が、同い年ほどの男の腕に、これほど長く胸を押し当てたままでいること。それが無作為の事故ではなく、彼女の内側に潜む何かが、ほんの少し表れたもののように感じられた。てのひらが汗ばむ。股間の奥が、眠っていた血を呼び覚まされるように、じわりと熱を帯びた。

「いや、構いませんよ。電車が揺れただけですから」

私は平静を装って応えたが、声がいつもよりわずかに掠れていた。彼女は私の顔を下から覗き込むようにして、薄く開いた唇の端をきゅっと上げる。その瞳には、いたずらっぽさと、恥ずかしさと、それから生温かい欲の気配のようなものが、溶けて混ざっていた。

「的場さん、声が低くなったわ」

彼女がふふ、と笑う。吐息が私の首元にかかって、産毛が逆立つのを感じた。次の駅が近づく。車内放送が、私の最寄り駅の名前を告げた。彼女は驚いたように身体を離し、膝の上で両手を握り合わせた。手首の細さ、指の白さが妙に目について、私は自分の膝の上に置いた拳をそっと解いた。

「じゃあ、的場さんはここで降りるのね」

「ええ、そうです。高島さんの最寄りは、たしかひと駅先でしたか」

「そうなの。また来週ね」

「はい、来週。今日は楽しかったです」

電車がホームに滑り込み、私は軽く会釈をして立ち上がった。彼女は座席の隅で、胸元を隠すようにカーディガンを合わせ、恥ずかしげに小さく手を振っている。遠ざかる車窓の中で、彼女の白い顔がだんだんと空色のカーテンに溶けていった。ホームに降り立つと、春の夜風が汗ばんだ背中を冷やしていく。生ぬるい風に混じって、彼女の香りがまだ指先に残っている気がした。

私は改札を抜け、家路を急ぎながら、二の腕に残る胸の感触を反芻していた。あれは間違いなく、女の胸だった。たっぷりと重く、しかし張りを失わない熟れた果肉のような弾力が、薄い布地越しに伝わってきた。妻の身体とも、若い頃に知った女たちのそれとも違う、年輪を重ねた女だけが持つ潤いが、そこにはあった。触れたのは二の腕だけだというのに、指先が彼女の身体の輪郭を探したがっている。

家に着くと、台所から味噌汁の匂いが流れてきた。妻が夕食の仕度をしながら、テレビの音量を上げている。私は「ただいま」と声をかけ、手を洗いながら、鏡に映る自分の顔をそっと盗み見た。耳の裏に、彼女の声がまだこびりついている。

『運命みたいな気がしてきちゃったわ』

あの甘い尾を引く言い回し。あれは、六十歳の女の言葉だろうか。洗面所の水を止め、タオルで顔を拭きながら、私は出会ったばかりの女の胸の感触と、雪国の白い空とを、胸の奥で重ね合わせていた。

第2章 新緑の高原で口づけを交わしラブホテルへ

第2章のシーン

第2章: 新緑の高原で口づけを交わしラブホテルへ

次の週の教室は、いつもより長く感じられた。

講義のあいだ中、隣に座る高島千紗子の横顔が視界の端にちらついて仕方ない。耳の後ろでまとめた黒髪、うなじから肩へ流れる曲線、薄い水色のブラウスに浮かぶ胸の盛り上がり。あの電車の中で腕に感じた柔らかな重みが、まるで皮膚の下に染み込んでしまったようで、ふとした瞬間に二の腕が熱を帯びるのを自覚する。

彼女はといえば、講義の合間に小さな声で「前回の詐欺の話、面白かったわね」などと話しかけてきて、その声の甘やかな尾が耳の奥をくすぐる。笑うと細くなる飴色の瞳がこちらを向くたび、私は視線をどこへ置けばいいのか迷った。

帰りの電車でも、彼女は私の隣に腰を下ろした。乗客は少なく、車内は静かだった。窓の外には初夏へ向かう夕日が長く伸びていて、電車がカーブを曲がるたび、彼女の肩がそっとこちらへ触れる。それはもう、揺れに流されただけの偶然とは思えなかった。彼女の身体が私を意識している。その証拠に、触れた肩を引こうとしない。

「ねえ、的場さん」

吊り革の影が彼女の白い頬を横切った時、千紗子が声を潜めて言った。

「今度、新緑の高原などにドライブしたいわ。私、若い頃はよく行ったのよ。湖の周りを歩いて、高原の空気を吸うと、なんだか心が洗われるみたいで」

彼女は膝の上に置いた鞄を抱え直し、ちらと私を上目遣いに見る。その瞳が、期待とためらいの入り混じった光で濡れていた。

「いいですね、行きましょう。私もあの辺りの新緑は久しぶりです」

答えながら、私は自分の声が案外弾んでいるのに気づいた。誘われたことへの嬉しさが、理性を通り越して口先に表れている。

「それなら、来週の教室が終わった後の午後はどうかしら。お天気がよければ、湖まで足を伸ばして」

「ええ、構いませんよ。どこで待ち合わせましょうか」

「隣町同士の中間にあるコンビニはどう? 私、あそこなら電車で一本で行けるの」

「ああ、あの大きな駐車場のある店ですね。車で十五分ほどのところです」

「そうなの。待ち合わせは十一時でいいかしら。お昼は向こうで何か食べましょう」

彼女はそう言うと、桜色の口紅が薄く残る唇をほころばせた。六十歳の女の笑顔が、どうしてこんなにあどけなく見えるのか。私は当惑しながらも、その笑みに目を細めずにはいられなかった。

家に帰ってから、妻には翌週の教室の後、昔の同僚と出かけるとだけ伝えた。嘘ではない。実際、空白の日々を埋めるための外出ではある。ただ、その同僚というのが六十歳の女性であることは、口が裂けても言えなかった。妻は「あら、楽しそうでいいわね。ゆっくりしてきて」と笑い、夕食の支度に戻っていく。その後ろ姿を見つめながら、心の奥で小さく何かが軋む音を聞いたが、それは翌日には消えていた。

約束の日は、五月らしい爽やかな晴天になった。

青いポロシャツに薄手のジャケットを羽織り、普段は妻の買い物にしか使わないセダンのエンジンをかける。外気を取り込むと、風には若葉を揉んだような青臭い匂いが混ざっていた。車を走らせながら、私は何度か後部座席を振り返った。何を期待しているでもない。ただ、これから私の車に千紗子が乗る。その事実が、どうにも落ち着かなくて、心臓が胸の内側を軽く叩く。

コンビニの駐車場に着くと、彼女はすでに立っていた。

白いシャツの上に淡い若草色のカーディガンを羽織り、ベージュのパンツをすっきりと履いている。その姿は、コンビニの青い看板を背景に、場違いなほど柔らかく、鮮やかに浮き上がって見えた。私の車に気づくと、彼女は顔を上げ、片手を小さく振る。歩み寄る足取りには、年齢を感じさせない弾みがあった。

「お待たせしました。まさか先に来てるとは思いませんでしたよ」

窓を開けて声をかけると、千紗子は首をかしげるように笑った。

「私、遠足の朝みたいで、早く目が覚めちゃったの。お天気もいいし、最高のドライブ日和ね」

車に乗り込むと、彼女はシートベルトを締めながら、ほっと息をついた。柑橘系の柔らかな香りが、車内にふわりと広がる。あの日からずっと私の指先に残っていた匂いと、寸分違わない。助手席に座った千紗子の横顔を見ると、白い肌が朝の光を吸い込んで、うっすらと桜色に染まっていた。

「では、行きますか。高速に乗れば一時間もかかりません。東のインターから山道を登るルートです」

「楽しみだわ。新緑の匂いがもうしてきそう」

彼女は窓を少し開け、目を細めて外を見た。

高速に乗り、山へ向かうにつれて、車窓の緑は次第に深みを増していく。トンネルを抜けるたび、空が近くなり、雲が手に届きそうな低さで流れていた。千紗子は指で窓ガラスをなぞりながら、「あの山の形、懐かしい」とか「ああ、川がきれい」などと小さく歓声を上げる。その声を聞いていると、私まで青春の遠足に連れ戻されるような、浮き立った気持ちになった。

高原の駐車場に車を停め、外に出る。空気がひんやりとしていて、鼻の奥がすっと冷えた。深い緑の匂い、それから水の匂い。アスファルトの照り返しに慣れた身体には、あまりに澄んだ空気が少し眩しい。

「気持ちいいわね。この感じ、何年ぶりかしら」

千紗子が両腕を軽く広げて、胸いっぱいに空気を吸い込む。薄いブラウスの下で、ふくよかな乳房が持ち上がるのが見えた。それは決して若い女のような張りではない。けれど、重力に抗うのではなく、重力に従って豊かに流れ落ちるような、熟れた果実の重みがあった。私は不意に目をそらした。

「湖まで歩きましょう。遊歩道が整備されてるはずです」

彼女と並んで歩く。足元には木漏れ日がゆらゆらと揺れ、新緑の葉擦れの音がさわさわと耳に心地よい。千紗子は時々足を止めて、木々の間から見える湖面を指さした。

「見て、あの湖。水面がキラキラして、まるで光の粒を撒いたみたい」

彼女の声が高く弾む。私は彼女の指さす方を見て、その景色を胸に焼き付けた。湖は深い藍色と若葉色を混ぜたような色をしていて、岸辺には白い花が点々と咲いている。彼女の故郷、信州の高原を思わせる清冽な風景だった。

三十分ほど歩いただろうか。湖の北側、展望の開けた小さな休憩所のベンチに、二人で腰を下ろした。ひんやりとした風が吹き抜け、彼女の髪の一筋が白い頬に貼りつく。私は息を詰めてそれを見ていた。

「嬉しいわ。こんな気分って久しぶりョ」

千紗子が突然、こちらを向いた。そして、片目をつむってみせた。六十歳の女のウィンク。それは場所も年代もわきまえないほど無邪気で、彼女の長い人生を一瞬で巻き戻す魔法のようだった。私は言葉を失い、彼女の琥珀色の瞳を見つめ返した。ベンチの木の温み、風の匂い、湖のきらめき、すべてが遠のく。

気づいた時には、彼女の肩を抱き寄せていた。

引き寄せると同時に、彼女の身体がかすかに震える。私はもう何も考えず、千紗子の薄い唇に、自分の唇を押し当てていた。彼女の唇は柔らかく、ひんやりとしていた。けれど触れ合った端から、内側から熱いものが滲み出してくる。鼻先が触れ、彼女の柑橘系の匂いが肺を満たす。

「ん……っ」

千紗子の吐息が唇の隙間から漏れる。彼女の手が、迷いながら私の胸元のシャツを掴んだ。その指先に力がこもるのを感じて、私は押しつけるように唇を重ねた。閉じた唇を、舌先で割り開く。六十歳の女の口内は、思ったよりずっと熱く、甘く湿っていた。私の舌が彼女の舌に触れると、千紗子は鼻にかかった声を漏らし、びくりと肩を震わせる。

「ウ~っ……モットモット」

くぐもった声が、私たちの唇の隙間から溶け出した。彼女の方からも舌を差し出してきて、互いの唾液がぬちゃりと混ざる。その音が、静かな高原の空気にやけに生々しく響く。若い頃に味わった接吻とは違う。舌の表面も、唾液の粘度も、どこか熟れてねっとりと甘い。長い時間を生きてきた女の口は、何十年ぶりかの深い口づけに、まるで飢えたように絡みついてきた。

「ん、ふ……ちゅっ……はぁ……」

彼女の皓い喉がのけぞり、私の舌を追いかけてくる。私は彼女の後頭部に手を回し、逃げられないように、いや、もっと深く互いの存在を確かめ合うように、舌を奥へと差し入れた。千紗子の手が私の背中に回り、指先でジャケットをぎゅっと握る。羽織ったカーディガンの裾から、汗ばむ背中の熱が伝わってくる。

長い口づけだった。唇を離しても、彼女はうっとりと目を閉じたまま、私の胸に額を押し当てて息を整えている。その吐息がシャツ越しに乳房へ届いて、胸元が汗ばむような熱を帯びた。

「的場さん、私、なんて顔してるかしら」

彼女がようやく顔を上げた。涙で潤んだ瞳が、恥じらいと喜びで揺れている。唇は唾液で濡れ、口紅の境界が溶けてぼやけていた。

「とても、綺麗ですよ」

私はそれだけ言って、彼女の前髪をそっと指で払った。千紗子は目を伏せ、私の手の甲に自分の指を重ねる。そのあいだ中、湖の水面は静かにきらめき、木々の新緑は風にさらさらと歌っていた。

帰り道、私はインターへ向かわず、来た道とは別の県道を選んだ。山を下りるにつれて、景色は高原の清冽さから、郊外の田園風景へと移り変わっていく。車内には、あの口づけの余韻が重く沈んでいて、二人とも言葉少なだった。

「あの、的場さん」

千紗子が、小さく声をかけた。私は前方を見たまま応える。

「どうしました?」

「これから、どこかでお茶でも飲まない? ……まだ家に帰りたくないの」

「お茶ですか。それなら、国道沿いに喫茶店が何軒かあったはずです」

「あの、そうじゃなくて……」

彼女が言いよどむ。私はチラリと助手席を見た。千紗子は窓の外を見つめている。その頬は夕暮れを受けて赤く染まり、耳の先まで色づいていた。

「的場さん。あそこの、派手な建物」

彼女が指をさす。目を向けると、雑木林の向こうに、アーチ型の入口が光る建物が見えた。白い外壁に赤いネオン。「ホテル」の文字が夕闇に浮かび上がっている。いかにもなラブホテルだった。けれど、彼女の指先は迷いなく、その建物に向けられていた。

車は、まるで私の意志とは別の力に動かされるように、その派手な外壁の前へ近づいていく。千紗子は両手を膝の上で結び、俯いた。長い沈黙のあと、彼女が唇を開いた。

「入ってみたい」

それは、六十歳の人妻の、かすれてもいない、はっきりとした声だった。夕闇の中で、ラブホテルの赤い灯りが彼女の白い頬を撫でる。私の心臓が、高原で交わした口づけの熱のまま、再び強く脈打ち始める。車は入口の看板を通り過ぎ、そのまま、秘密の入り口へと吸い込まれていった。

第3章 # 第3章 六十路の肌と肌がラブホテルの灯に濡れる

第3章のシーン

# 第3章 六十路の肌と肌がラブホテルの灯に濡れる

駐車場の砂利を踏む音が、やけに耳の奥で大きく響いた。蛍光灯の白い明かりがフロントガラスを滑り、千紗子の膝の上で結ばれた指先を浮かび上がらせる。エンジンを切ると、急に世界から音が消えて、自分の呼吸だけがやけに浅く聞こえた。隣の彼女は俯いたまま、白い喉をひとつ動かす。それだけで、この車がただの移動手段ではなく、二人を閉じ込める小さな密室なのだと、いまさら思い知らされる。

「的場さん」

千紗子が顔を上げずに、ほとんど囁くように言った。その声の尾が、熱い皮膚の上を這うように震えている。

「後悔、してますか?」

私はゆっくり首を振った。振りながら、自分の腹の底から、もっとあからさまな何かが熱くなって盛り上がってくるのを感じる。

「してません。このまま部屋を取るか、車を出して国道へ戻るか。選ぶとして、私なら前者ですけどね」

助手席の彼女の肩が、小さく揺れた。

「私、実は……もっと前から、あなたに触ってほしかった」

その言葉を聞いた瞬間、私はシフトレバーの上で汗ばんでいた指を、彼女の左手に重ねていた。彼女の指先は氷のように冷たく、手首のあたりには細かい鳥肌が立っている。緊張している。この人も、いま、確かに一線を踏もうとしているのだ。

「部屋に行きましょう。廊下で迷わないように、あなたの手を引きますから」

私はそう言って、一度だけ彼女の指を強く握った。千紗子はようやく顔を上げ、飴色の瞳を真っ直ぐにこちらへ向けた。泣き出しそうに潤んでいるのに、その奥には、夕闇よりも濃い期待が澱のように沈んでいる。ラブホテルのネオンが、彼女の左頬を赤く染め、右頬を青白く照らした。

「お願い。私、足がふらふらするの。手を、離さないでいてね」

彼女の声は、かすれているのに不思議なほど明瞭だった。私たちは同時にドアを開け、湿った夜風の中へ踏み出した。風には草いきれと、排気ガスと、どこかで咲いている花の甘い香りが混ざっている。私は千紗子の手を握り直し、派手な装飾の入り口をくぐった。

フロントで料金を払い、鍵を受け取る。千紗子は私の背中の後ろに隠れるように立っていて、時々、私の腰のあたりのシャツを指先でつまんでは離した。その仕草が、彼女の年齢を忘れさせるほど幼い。けれど、下着の中にまで染み込んでくるような視線は、まぎれもなく長い夜を知った女のものだった。

「ここ、ドアの鍵はこうなってるんですね。最近の若い人は、こういう所へ簡単に入るのね」

部屋に入って靴を脱ぎながら、千紗子がふう、と大きく息をつく。照明を点けた瞬間、壁一面を覆う金茶色の柄と、天井から下がる飾り明かりと、信じられないほど大きな寝台とが、二人分の影をくっきりと映し出した。部屋の中には、消毒液と芳香剤と、閉め切った空気の甘ったるさが澱んでいる。

「今の若い人たちは幸せねーっ。二人きりで、こんなに綺麗な部屋を使って。私が若い頃、こんな洒落た所はなかったわ」

彼女は手洗いの扉を開け、洗面台の蛇口を捻って手を洗った。温かい水が跳ねる小さな音が、妙に遠くから聞こえる気がする。私は彼女の背後へ歩み寄り、鏡越しに視線を合わせた。鏡の中で、六十五歳の男が、六十歳の女の肩に触れようとしている。その手は、まるで他人の手のようにゆっくりと動く。

「千紗子さん」

私は初めて、彼女の名前を教室の外で呼んだ。銀色の蛇口を止めた彼女の指が、白い陶器の縁を滑る。鏡の中で、彼女の唇が薄く開いた。

「なあに?」

振り向かずに、千紗子が応える。鏡の表面が湯気で白く曇り、二人の姿が淡く溶けていく。私はその曇り越しに、彼女の背中の曲線を見た。若草色のカーディガンを脱いでいないのに、いまにも乳房の重みで背中が前へ傾きそうに見える。首すじには、薄く汗の膜が光っていた。

「鏡の前で、あなたを抱いてもいいですか」

自分の口から出た言葉が、あまりに真っ直ぐで、喉が熱くなった。千紗子は驚いたように鏡の中の私を見つめ、それから、くすりと笑った。吐息が鏡にかかり、二人の顔を更にぼやかす。

「ええ。後ろからでも、前からでも。ねえ、そんな答え方、恥ずかしいでしょ。……私、なんだか若い子みたい。ねえ、あなた、しっかり抱いて。私、本当にふらふらなの」

彼女が振り返った。背伸びをして、両手を私の首に回す。その拍子に白いシャツの前が開きかけ、真珠色の肌と、うっすら青い血管の浮いた胸元が、鼻先に近づいた。私は両手で彼女の背中を抱きしめた。手のひらに伝わる肌の熱さ、下着の上からでもわかる肉の厚み、腰へ向かってなだらかに広がる曲線。シャツの背中はすでに汗で湿っていて、感触がしっとりと指に絡んだ。

「せっかくの化粧が崩れても、許してね」

彼女はそう言うと、自分から唇を寄せてきた。覆いかぶさるように、私の下唇を上唇で挟む。柑橘系の香水の奥に、女の皮脂の匂いがふんわりと立ち上った。唇を割って舌を差し入れると、千紗子は喉の奥で「んふ」と喘ぎ、私の舌を熱い粘膜で迎え入れた。互いの唾液が混ざり合い、ぬちゅ、くちゅ、という粘着質な音が、静かな部屋にやけに艶かしく響く。

彼女の口内を探りながら、私はカーディガンを肩から剥ぎ、ブラウス地の上から胸の膨らみを掌で包む。人差し指と中指で下着のホックの溝を探り、その下の肉を揉むように確かめる。たわわに熟れた双丘は、重力に抗わず、けれどたしかな弾力で掌を押し返した。胸の頂が、薄い布を突き上げるように硬く尖っている。

「縛ってあるの?」私の口の中へ熱い吐息が流れ込んでくる。

「ブラジャーのことね。ええ、前開きのものです。もう、こんな年だから、楽なのしか使ってなかったの。今日だけ、ちがうの。ほら」

彼女は私の手を胸元へ導いた。私の指先が、ブラウスの合わせ目から中へ滑り込み、汗ばんだ肌とレースの縁に触れる。真珠の光沢を持つ前開きのブラジャー。私は迷いなく金具を外し、こぼれ出た乳房を直に握った。しっとりとして、それでいて内側から熱を発している。指の間にあふれる白い肉は、年齢を重ねた女特有の柔らかさで、触れているだけで掌が溶けてしまいそうだった。

「ああ……っ」

千紗子が目を閉じ、首をのけぞらせる。ブラウスをたくし上げ、胸を露わにした。のしかかるように重い乳房が、重力に素直に流れ、乳首が葡萄色に熟して上を向いている。その乳輪の周りに、細かい汗の粒が無数に光り、まるで夜明けの湖畔で見た新芽の露を思わせた。あの高原で見上げた空の美しさが、いま、この胸元に宿っている。私はその片方を口に含み、舌先で乳首を転がした。

「ひゃあ……っ、そんな、いきなり」

彼女は身を捩ったが、私の頭を抱え込み、むしろ乳房を押し付けてくる。私はもう片方の胸を下から揉み上げ、ふくらみの奥を掌で確かめながら、乳首を唇ではんだ。唾液に濡れた乳輪が、照明に照らされてぬらぬらと輝く。閉めたばかりの口の端から、声を殺しきれない千紗子の喘ぎが、幾度も漏れ出した。

「ね、あなたも脱いで。私だけなんて、恥ずかしいじゃない」

彼女は上気した頬のまま、私のポロシャツの裣を引いた。肌が離れる時、彼女の指が脇腹を這う。何年も妻に触れてもらっていなかった場所を、他人の女が迷いなく確かめていく。焦れて、背中からシャツをたくし上げると、千紗子が笑った。

「我慢できないの?」

「あなたには言われたくありませんね。その手は、どこを触ってるんです」

彼女の指が、私のベルトの金具を弄っている。私たちの節くれ立った指先が互いの身体の上で交差し、ときにぶつかり、ときに絡み合いながら、残った衣類を剥ぎ取っていった。

裸になった千紗子は、丸みを帯びた肩と、張りやわらかな腹と、その下に黒い茂りを灯した太ももが、一片の布もなく続いていた。彼女は私の目をまっすぐ見つめ、両腕を持ち上げるようにして、白い脇を見せた。乳房が、わずかに左右へ揺れる。

「こんな身体でも、綺麗って思ってくれる?」

その問いには、駆け引きの色がなかった。私は床に脱ぎ散らかした服の上から彼女に歩み寄り、濡れた下唇を指でなぞった。

「綺麗ですよ。触れるたびに、若い娘とは違う深さがある。恐ろしいくらい、身体が覚えているんです」

私の返答に、千紗子は目を閉じ、長い溜息をもらす。それから、私の性器へ手を這わせてきた。十分に血を集めて起き上がったそれが、彼女の白い指に包まれる。千紗子の手は小さくて、節が確かに老いているのに、その動きは水が流れるように滑らかだった。

「ああ、熱いのね。嬉しい。私のところも、触ってみる? ……もう、ひどいことになってるの」

鼻にかかった甘い声が、耳の産毛を震わせる。私は彼女を抱き上げるようにして、寝台の縁まで運んだ。古い花の匂いがする布団が、沈むように重い。千紗子が仰向けに倒れ、私の手を取って、力の抜けきらない太ももの奥へと導いた。

「恥ずかしいけれど、来て。あなたの指で、私の湿った場所を確かめて」

彼女の脚は、外側へゆっくり開かれた。私は喉を鳴らして、その茂みに指を滑らせる。黒い毛が汗と涎のようにしっとりと絡みつき、その奥の粘膜が、ぬるりと指を咥えこむ。肉襞は熱湯のような温度を失わず、外縁から奥へ向かって細かく震えていた。

「くちゅ……」

中指を押し込むと、粘液の音が湿り気を伴って手首にまで響いた。千紗子の眉が歪み、唇から熱い溜息が迸る。

「ああ……っ、いい。気持ちいい。的場さん、もっと、あなたの指、もっと奥へ」

私は彼女の上に覆い被さり、耳元で囁いた。

「声を我慢しなくていいですよ。この部屋は、そのためにあります」

千紗子は小さく首を振り、目をぎゅっと瞑った。

「駄目よ。お隣に聞こえるじゃない。でも、ああ、指、曲げて……そこ、そう、ああんっ」

彼女の声は、私の指の動きに合わせて波打つ。内襞がぎゅうぎゅうと収縮し、抜き差しするたびに発情の粘液が溢れ、掌まで濡らした。匂いが立っている。女の奥からたちのぼる、酸っぱく、生ぬるい、発酵した果実のような匂い。あの湖のほとりでかいだ泥と若草の混じった風とは違う。けれど、同じ命の有機的な匂いが、まとわりつくように私の鼻腔を満たす。

「もう我慢できない。あなたの中へ入りたい」

うわごとのように言って、私は千紗子の両脚を開かせた。彼女はとろけた眼差しで私の腰を見ている。

「抱いて欲しい。私、十年以上、こんなふうじゃなかったの。お願い。あなたの思うままに、突き入れて」

掌を腰に添え、熟れて開いた花弁へ先端をあてがった瞬間、千紗子の腹がびくりと波打った。次の瞬間、私自身の渇きが理性の外へ溢れ出し、一息に奥まで突き入っていく。ぬちゃり、という従順な音。子宮の入り口を叩く熱い肉襞が、根元まで包み込んでくる。六十代の女の胎内は、驚くほど狭く、潤いに満ちていた。

「ひいぃ……っ、あつ、ああ、おく、来てる」

千紗子が喉を反らし、爪を私の背中へ突き立てた。私は腰を引き、濡れそぼる入り口の浅い場所を擦ってから、もう一度、奥をえぐる。がちゅ、という骨盤の音を、肉襞がやわらかく吸収する。

「わかりますか。私の、オマンコ、気持ちイイ……っ?」

卑猥な言葉を、千紗子は泣きそうな声で口にした。耳を疑うほどあけすけで、それでいて、この人の口から出ると無垢な告白のように聞こえる。

「ああ、最高に締まります。あなたの奥が、干からびた私の芯に火を点ける」

ぐい、と奥を突き上げると、千紗子は「あんっ、あ、あ、そう、そこ、よ」と途切れ途切れに喘いだ。私は男の体重を残さぬよう肘をつき、年齢を重ねた互いの肉が油断すれば重なって潰れてしまいそうな角度を取る。彼女の下腹の柔らかさ、太ももの肉のぬくもり、汗ばんだ腹と腹が貼り合うたびに、ぱちぱちと粘液の橋が切れる。

「はあぁ……あん、まだ、もっともっと。私、欲しかったの。こうして中をいっぱいにされるの、十年も、ずっと」

千紗子の内壁が波打ち、私の逸物に絡みつく。粘度の高い潤滑が、結合部から泡立つ音を立て始めた。規則的な抽送。そのたびに彼女の乳房が揺れ、腹が波立ち、首筋に汗が伝う。紅鮭色に染まった鎖骨のあたりから、女の熟れた汗の匂いが立ちのぼる。

「ああ、おまんこが、気持ちイイの、まだ、いかないで、いっしょに、いっしょにいって」

汗に濡れた前髪を額に張りつかせ、千紗子は両脚を私の腰へ巻きつけた。かかとが私の尻を叩き、もっと深くとねだるように押し込んでくる。私は腰の速度を上げた。肌を打つ乾いた音と、肉筒を掻き回す湿った音とが、交互に部屋へ響く。

「駄目、私、おかしくなる。ねえ、あなた、ああ、中に、中にちょうだい」

そう言った千紗子の声は、泣き声に似ていた。長い孤独を埋めるよう、私は何度も彼女の最奥を突いた。子宮口をこじ開けるように。互いの体臭と唾液の匂い、女の蜜の匂いがシーツの上で熟れ合っていく。彼女が背を弓なりにした。

「いく、いっちゃう、ああ、あなた、私、あなたの熱、すごい、くる、くるっ」

どくん、と彼女の胎内が収縮し、私自身も追い立てられる。千紗子の顔が、苦痛と法悦のあわいで歪み、半開きの口からだらしなく舌が覗いた。六十歳の女の、何も取り繕わない痴態。私は彼女の耳元で、ちさこさん、と名を呼びながら、熱い奔流を奥深く放った。

「んうう……っ、あつ……」

痙攣のような震えが、互いの下腹を往復する。私は千紗子の中に埋まったまま、彼女の背中がようやく弛緩するのを待った。心臓の音が、胸の骨を突き破りそうだった。汗水まみれの額を彼女の首筋へ落とすと、ひくりと小さく跳ね、彼女の腕が、私の首を抱きしめてきた。

「的場さん、私、あなたの中にいたかったの……。ごめんなさい、私、こんなに浅ましくて」

潤んだ瞳の端から、涙が一筋流れて、金茶色の壁に微かに反射する。私は千紗子のわき腹を擦りながら、彼女の額に唇を置いた。

「浅ましくなんかないです。あなたが我慢していた時間を、私が引き受ける。それでは駄目ですか」

千紗子は涙のあいだから笑い、私の胸へ頬を押し当てた。さっきまで荒々しく求めていた女が、いまは産まれたばかりのように柔らかく私の傍に寄り添っている。私たちは体液に塗れたまま、その日、二度目の交わりを果たした。今度は彼女が上になった。白い肉づきの腰が、私の上でゆっくりと波をうつ。ねっとりとした一番深い場所を擦りつけられ、私のほうが息を乱した。千紗子は嬉しそうに目を細め、自分の乳房を揉みながら、私の腹の上でほそい喘ぎを落とす。

それから私たちは、月に二度の教室の内、一度を欠席し、午後をあてのない魂胆に充てるようになった。彼女が電話をかけてくる。短い内容、ふたりの都合。そして次の週、決まって同じラブホテルの、金茶色の壁の部屋。派手な外壁の前を通るたびに、彼女はいまだにはにかんだ声を出す。

バックが好いと思う。年に数度、彼女の尻を高く掲げさせ、戸惑いながらも私を迎え入れる姿は、成熟した女の底知れなさをまざまざと見せつけた。失禁を恐れるように内腿を震わせ、肩甲骨のあいだに汗の池を作り、ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てる。雪崩れるような絶頂。だが二十代の娘のように軽くはない。すべての快楽に、一瞬の寂しさが影法師のように付きまとう。

二年目が始まる頃、私たちは偽りの親睦旅行に乗り出した。

「ねえ、的場さん。私、一度でいいから、旅館の温泉で、浴衣のまま抱かれたいの」

彼女の申し出は、いつもの甘え声なのに、頬の紅さはそれよりも濃かった。妻には地区の会合があるから一泊すると言い置き、私は千紗子と隣駅の手前で落ち合った。電車の座席に並んで座るのも、初めて彼女の胸が腕に当たったあの春以来、実に久しぶりだった。車窓を過ぎる郊外の緑が、新緑の高原を思わせる。あの湖のほとりの口づけ。二人の始まりを反芻するような車体の揺れが、ふたつの身体を軽くぶつけ合わせた。

「あの時も、こうして揺れてたわね。私、驚かせちゃったかしら」

彼女は窓ガラスに映る私の瞳を捕まえて笑う。

「いいえ。むしろ、あれがなければ、今こうして並んでいません」

私がそう応えると、千紗子は小さく咳払いをして、指を私の小指へ絡めた。触れ合う指先から、互いの熱が混ざっていく。

温泉街は、渓谷に沿って古い宿が肩を寄せ合っていた。夕餉を終え、部屋へ戻ると、真珠色の浴衣が脱がせて待っている。千紗子は露天風呂へは向かわず、机の前に座ったまま、浴衣の襟を左右に引いた。白い胸元が灯りに照らされて、しっとりと熟れている。

「私、お酒、いただいたの。身体の内側から、あついの。中に、入れて、鎮めて……」

普段は飲まないらしい彼女は、口元をほんのり赤くして、私の浴衣の帯を解いた。湯上がりの爪先、むやみと湿った髪、石鹸の残り香。畳の部屋に、浴衣の裾が擦れるささやかな音。彼女は私の腿に手を乗せ、上目遣いに「わたし、きっと、あなたじゃないと駄目になってる」と告げた。昼に山道で見上げた新緑の葉ずれを思い出しながら、私は彼女の浴衣の奥へ手を滑らせた。

その夜、千紗子は初めて口で私を慰め、呑み込んだ。

浴衣の襟元から覗く白い胸の谷間が、灯りに照らされて淡く陰影を刻んでいた。彼女は座布団の上から身を乗り出すようにして、私の腿のあいだへ顔を寄せる。解かれた浴衣の前が開き、垂れた乳房が重力に従って鈍く揺れ、乳首が畳の目を掠めそうだった。

「初めてじゃないの。夫にも、したことなくて。……だから、おかしかったら、言ってね。怒らないで」

彼女は濡れた下唇を噛み、私の逸物に両手を添えた。その白い指が、すでに起き上がった肉の形を確かめるように、つたい、擦れる。そして、目を閉じたまま、ゆっくりと唇を寄せてきたのだ。

桜貝のような唇が、濡れた先端に触れた瞬間、千紗子は「あつ」と小さく喘ぎ、それから意を決したように舌を出した。唾液にぬめる舌先が、亀頭の裏のくびれをするりと拭い、そのまま幹に沿って下りていく。視線だけで追っていると、彼女はときおり上目遣いになって、潤んだ茶色い瞳で私の表情を読もうとした。何を考えているか。痛くないか。嫌じゃないか。その心が、口元の動きにいちいち現れ、それが却って、私の背筋を震わせる。

「んっ……、はむ……んっ、おおきい。こんなに、あついのね」

彼女は亀頭を唇でくわえ込み、温かい唾液で濡らしながら、ゆっくりと口腔へ招き入れる。舌の腹が、私の性器の形に沿ってねっとりと動いた。頬の内側の柔らかな粘膜が、吸い付くように包み込み、奥の狭い喉の入り口が、先端を遠慮がちに何度も啄んでくる。私は思わず腰を引きそうになるのを堪え、彼女の後頭部へ手をやった。切れ長の髪は半乾きで、触ると湯の湿気が指に移った。

「無理をしなくていい。ゆっくりで」

私の声に、千紗子は目を開けて、それでも首をゆっくりと前後させた。慣れない咽喉の使い方が、息継ぎのたびに「んぐ、んっ、ふ、んんっ」という湿った吐息と唇の粘着音を部屋に落とす。垂れた唾液が私の根本を伝い、彼女の指の腹がその滑りを補助に変えた。彼女の手が私の竿を握り直し、あふれた体液を根元から先端へ塗り広げる。ぬらぬらと光る肉茎を、彼女は申し訳なさそうに、けれど隠しきれない好奇心で見つめながら、また口を被せた。

「んんっ……、んぐ、んっ、はあぁ……」

喉の奥までくわえ込もうとするたび、彼女の眉根が切なげに寄り、目尻に涙の粒が盛り上がる。それでも彼女は、私の袋の裏まで指で弄りながら、肉茎を決して手離そうとしなかった。六十歳の女が、初めての相手の前で、初めての奉仕に身を砕いている。その姿の倒錯と献身が、私の先端を痛いほど膨らませた。

「千紗子さん、私は、もう……」

私が声を震わせると、彼女は口から溢れる唾液の糸を引きながら、私を正面から見上げた。唇は唾液と我がものでぬらぬらと濡れ、顎先から一筋、銀色のものが落ちていく。

「いいの。そのまま、私の口の中で、いっぱいに出して。のど、苦しいけれど……あなたの味、覚えておきたい」

そう告げると、彼女は再び前かがみになり、肉茎の半ばまで一息に呑み込んだ。喉の入り口が絞まり、舌が根元を押し上げるように動く。内頬がきゅうきゅうと吸い付き、唾液の海で溺れそうな熱が一気に高まった。私は彼女の頭を軽く抱き、自分の腰を突き出すあらがいに耐えられず、浅い咽の中で果てた。

「んぐっ、んっ……、んく、んっ……」

千紗子は肩を震わせ、生理の涙を頬へ零しながら、ごくり、ごくり、と喉を鳴らした。その顎の動き、唇の端からこぼれたものまで指ですくって口へ運ぶ仕草。私は彼女の頭を撫で、汗ばんだ頬を拭ってやった。

「すみません。無理をさせた」

彼女はこすれたような声で、「ううん。あなたが、私の口の中で果てる時、ずっと若い顔をしてた」と笑った。笑いながら、まだ喉の奥が熱いのか、白い首を反らす。その首筋を、私は思わず口づけした。女の汗と、温泉の名残りの石鹼の香りが、舌先に広がる。

「いいえ。ごまかさないで。あなたが夢中になる顔、初めて見たの。……それだけで、私、隅々まで、濡れてしまった」

千紗子は私の手を取り、自身の浴衣の裾の内側へ導いた。浴衣はすでに前がはだけ、白い太腿が闇の中でぼんやりと浮かんでいた。腿の付け根へ触れると、黒い茂りも生温かい体液も、何もかもが熱い。蜜はとっくに溢れ出して、内腿を太い銀線のように濡らしている。

「もう、こんなに。……触って、口で慰めてくれてる時から、ずっと、あなたの熱いものが、入ってくるところを考えてた。私、いやらしいの」

彼女自身が浴衣の帯を解き、肩から布を滑り落とす。真珠色の浴衣が膝の上に落ち、畳の上に丸く広がった。露わになった身体は、昼間の陽の下で見る新緑のやわらかさとは違う、夜の底に浮かぶ白い果実のようで、胸のふくらみから腰、尻へ向かう影が、あかりの加減で深く沈んでいる。

「きれいだ」

私は畳の上に彼女を横たえ、自らも浴衣を脱ぎ捨てた。畳の目が背中に痛くないよう、脱ぎ散らかした浴衣を敷こうとしたが、千紗子はそれを制し、「このままで、畳の固さ、私、感じたい」と言う。小さく笑って、彼女は両脚を私へ差し出した。膝を抱えるように開かれた太腿の奥、黒い陰毛のあいだから、熟れた肉のひだが花びらのように濡れ光り、密かな期待でひくついている。

私は彼女の両膝を抱え入れ、己が先端を其処へ押し当てた。さっき彼女の咽の奥で染みた熱い粘膜と、今、触れている女陰が、同じ生きもののぬくもりで私を迎える。ぬちゅり、と入り口が音を立てて亀頭を咥え込むと、千紗子は「ああっ」と腰を浮かせた。

「的場さん……、くる。私の中、全部、あなたのおちんぽで埋めて……」

全身の血が耳の奥で唸っている。私は畳に片膝をつき、ゆっくり、けれど確実に、奥へ押し入る。狭い。驚くほどに締まっていて、入り口の肉輪が、私自身を食い締めながら奥へ招き入れる。千紗子の内襞が、ふるふると震える唇のように行く手を塞ぎ、掻き分ける先端を甘く拒んで、そしてまた引き寄せた。

「ひ……、あ、ああ……、おく、奥まで……先っぽ、あたってる」

彼女の乳首が、熱に浮かされたように上を向き、ひくひくと痙攣している。私は千紗子の腰を両手でしっかりと掴み、肌を密着させるようにして、正常位の深い繋がりに沈み込んでいった。互いの吐息が顔の上で混ざり、彼女の汗ばんだ内腿が私の腰を挟んで、簡単には動けないほど強く巻きつく。

「あ、あ、あ……、そう、そこ、いっぱい、あたって、あんっ」

ゆっくりと腰を引くと、肉襞が「じゅぷっ」と追い縋るように絡み、突き返すと、ぐちゅりと奥の柔肉がへこんだ。その繰り返しが次第に速くなる。畳が二人の体重を支えきれず、きゅ、と乾いた音を漏らした。千紗子の背中と畳のあいだ、汗が染みて、すべるような熱が互いの肌を貼り合わせる。

「こんな、かたい畳の上で……、ああ、あなたの、硬いのが、私の柔らかいところ、ぐちゃぐちゃにして……」

彼女の言葉が、最後まで続かなかった。唇が開いたまま、喉の奥から「ぉ……っ」と、空気だけの叫びが溢れる。私はそれを合図に、彼女の両脚を肩へ担ぎ上げ、一層深い角度で抽送した。骨盤がぶつかり合うたび、彼女の足の甲が私の背中で跳ねる。閉じた指が、畳の目を掻きむしった。

「ふかく、ああ、もっと、もっとぉ!」

千紗子の瞳から涙がこぼれ、汗が首筋を伝って乳房の谷間へ光る。二人の結合部からは絶えず泡立ちの音がして、淫靡な汁が私の根本を濡らしていた。畳に散らばった浴衣の端が、彼女の背中の動きで押し寄せ、露わな肌を暗がりで包む。

私は彼女の乳首を指の腹で転がし、舌を深く吸い上げた。

「あっ、や、それ、ああ、いく、いっちゃう……いっしょ、いっしょに、おく、くださっ!」

内壁がすさまじい力で私を締め上げ、先端が子宮の口に吸い付く。どちらともなく二人の息が狂い、浅い抽送を幾度も繰り返した後、私自身の根元から熱いものが駆け上ってくるのを感じた。

「ちさこさん……出す、奥に出す」

「きて、ちょうだい、なか、なかに……あ、あ、あぁ──────っ」

彼女の背が弓なりに反り、引き締まった膣が絞り上げるように脈打った。私は彼女の汗ばんだ額へ自分の額を押し当て、肉茎の先で奥の奥をえぐるたび、びゅく、びゅく、と白濁を叩きつけた。千紗子は「ひああっ」と喉を仰け反らし、震える内腿を私の背に回したまま、痙攣のたび四方へ蜜を跳ばした。射精の余韻がまだ褪せないうちに、彼女の膣がとくとくと私を搾り、二人の滴りが畳に染みを作っていく。

「はあ……、ああ、畳、すごい。私、畳の上で、あなたに、ぐちゃぐちゃにされちゃった」

泣き笑いのような声が、耳元で花火のように弾ける。私は彼女の中からそっと抜く前に、くちゅり、と音を立てて浅い場所をもう一度だけ貫いた。千紗子の身体がまた跳ね、ぐったりとしながらも官能の余波を拾い続けている。

私たちは、浜に打ち上げられた生きもののように並んで仰向けになった。胸が上下し、天井の木目がゆっくりと動いて見える。交わった時の記憶が、痺れるような柔らかな熱として腹の奥に残っていた。

「後ろからも、してみる?」私はしばらくして、彼女の耳たぶを指で摘みながら尋ねた。千紗子は一瞬きょとんとし、それから「誰の、まね? 若い子みたいなことを言うのね」と、ころころ笑った。

けれど、その日の二巡目は、彼女のほうから「後ろ、してほしい」と言い出した。言い出した時の頬が、真珠色の浴衣の下から覗く耳まで真っ赤で、私はその色に促されるように動いていた。千紗子は畳に四つ這いになり、白い尻を高く掲げる。湯から上がった毛穴が、うっすらと汗を浮かべて、背骨に沿って幾筋も光っていた。私は後ろから腰を寄せ、彼女の肩甲骨のあいだに唇を這わせた。

「恥ずかしい……、こんな格好、夫にも、誰にも、見せたことない。ああ、でも、あなたに見られるの、きもちがよくて、腰が震える」

彼女の入り口は、先ほど放った私の精で白く濁り、ひだを開く内側は熟れた桃の割れ目のように充血していた。私は後背位のまま、指先でその肉を割り開き、真珠色の液体を滴らせる女陰に先端をこすりつけた。千紗子が「あっ、や、いやらしい……擦らないで、はやく」と、腰を前後に小刻みに振る。

「はやく、じゃありません。見せてください。あなたの、こんなに綺麗なところ」

「もう、煽らないで……あんっ」

ずぶり、と一度に腰を沈めると、彼女は背を反らして「ひ……っ」と空気を咽んだ。四つ這いの体勢の奥は、前から入れるよりずっと深く、私の先端が子宮口を斜めに突き上げる。内腿がぶるぶると震え、膝が畳を蹴るたび、白い尻が私の腹へ肉欲的にぶつかってきた。

「あ、あ、あ、おく、おくあたる、ああ、ん、くる、おくの、おくの、やだ、ぁあ……」

私は彼女の両腕を引いて、背中をこちらへ仰け反らせた。繋がったまま、乳房が重力に垂れて揺れ、赤く熟れた乳首を指で摘んで、引いて、回した。千紗子は「あ、あ、乳首、それ、いっしょに、やめて、ぁあ、おかしくなる」と叫び、私の膝の上で小さく跳ねる。

「おかしくなっていい。あなたの、いやらしく乱れる顔、声、音、全部、私が引き受ける」

私の息も荒く、互いの言葉が曖昧な喘ぎへ変わっていく。結合部から「ぐちゅ、ぐちゅ、ぼこ、ぬちょ」と、女の蜜と男の先走りが混ざりあった、下劣で、飾り気のない音が夜の部屋に満ちた。壁に掛かった掛け軸の滝の絵が、揺れる灯りの中で汗の影を滲ませている。

「ああ、私、後ろ、だめ、きもちよすぎて、足、力入らない……的場さん、支えて、腰、握って、もっと、もっと、奥……」

彼女の要望は、もはや語彙になっていない部分も多い。それでも、互いの身体は、もう言葉を待たずに動いた。私は片手で彼女の腹を支え、もう片方の手で落ちかける腰を引き寄せ、ひたすら最奥を突いた。千紗子の媚肉が「きゅん、きゅん」と痙攣を始め、私の根元を搾る度に、腰の奥が切なさで焼ける。

「いく……いっちゃう……的場さん、私、あなたの、あなたの、莖で、奥、突かれて……ぁあ、もう、だめ、い、あ、ぃ──────っ」

千紗子は四つ這いのまま、がくがくと全身を震わせて絶頂に沈んだ。内壁が幾重にも波打ち、私を絞り上げて放さない。私も彼女の尻を強く掴み、一番深い場所で、残った熱のすべてを注ぎ込んだ。彼女の膣が、それを残さず飲み込むのがわかる。中でとく、とく、と脈打つたび、彼女の背筋がうっとりと波打った。

「ああ……、いっぱい、でた……」

彼女は崩れ落ちるようにうつ伏せになり、腰を縫い付けたまま、小さく、何度も息を吐いた。畳に頬をつけ、とろんとした目で私を振り返る。その肩甲骨の汗の池が、静かな夜にゆっくりと光っていた。私は彼女の上に覆いかぶさり、出し切った熱の余韻を分け合うように、背中をゆっくり撫で下ろした。

「一番深い繋がり方は、朝に待っていた」

明け方、障子を通した青白い明かりの中で、隣に眠る千紗子の裸身が、昨夜の営みの名残を白く浮かび上がらせていた。乱れた浴衣はとうに畳の上で二人の重みに押されて皺になり、彼女の背中には、私の指のあとが赤く残っている。朝の光は無情に、一夜の痕を浮き彫りにする。

千紗子は薄く目を覚まし、背中を丸めて私の胸へ顔を埋めてきた。足の爪先が、まだ眠気を含んだ温度で私の太腿に触れる。その柔らかな肌のくぼみ、腰骨の張り、尻の肉のたるみさえもが、いとおしく、朝の光の中では妙にたどたどしく見えた。

「おはよう。……ねえ、これ、夢じゃないのよね」

彼女は私の胸のあたりに額を擦り付け、鎖骨を唇で挟んで、それから肩へ歯を立てるような優しい口づけを落とした。眠りの中でも、私の匂いを確かめていたいらしい。私の指が、彼女の腰をなぞって背中へ上る。汗と精液と、畳の匂いと、温泉の湯の名残りと。何もかもが混じった皮膚が、ひどく官能的なざらつきで私の指を招いていた。

「帰りたくないわ」

浴衣の襟を直しながら、千紗子がぼそりと呟く。後ろ姿の背骨が、薄い衣に浮かび、まだ朝の白い光に縁取られていた。

私は、窓の外に起き出した雀の声を聞きながら現実の時刻を意識した。朝食の膳が来るまで、あとわずか。家では妻が、そろそろ目を覚ましている頃だ。やるべきことは、山ほどある。なのに、この部屋の匂いと、彼女の後ろ姿だけは、もう少し続いていてほしいと願う自分がいる。

私は畳に散らばった浴衣のひもを手繰り寄せ、彼女の背中に触れず、声だけで応えた。

「あと二十分だけ、このままでいましょう。それから朝食を済ませて、また、来週の教室で会うんです」

千紗子は振り返り、少しだけ寂しそうに笑った。その顔に、今朝の光が優しく降りている。その光の中で、彼女の指が帯に触れた。帯結びがまだ上手くできず、弱々しい手元が、いかにも朝を惜しんでいた。

「あなたの指で、あと二十分、私のこの肌に触れていて。時間を、巻き戻してしまうのは、私のこの指だけの秘密だから」

彼女が紡いだ言葉は、夜とは違う細い声で、朝の障子のように透きとおっていた。私はその隣へ膝を寄せ、彼女の脚を、今朝の光が白く撫で上げた足首から、まだ蜜の熱が残っている太腿まで、ゆっくりと掌で包み直していった。触れるのは、もう一つの別れの始まりだった。

ああ。この感覚を、嘘の懇親旅行などではなく、正真正銘の旅の終わりだと名づけたかった。温泉宿の朝の匂い、浴衣の襟元からこぼれる彼女の鎖骨の陰影、細くて白い足首。すべてが、戻るべき生活へ手を引いている。だからこそ、欲の底はいっそう深く、甘く、とろりと濁っていく。

朝食の器の音が、廊下の向こうから近づいてくる。私は彼女の隣に座り直し、浴衣の帯を結び直してやった。指先が、どうしても、いつものようには動かなかった。

第4章 雪国へ帰る人妻と静かに終わる二年間

第4章のシーン

第4章: 雪国へ帰る人妻と静かに終わる二年間

帰京してからの一週間は、指先に染みついた温泉の湯の匂いと、千紗子の浴衣姿が網膜の裏でちらついて離れなかった。家の台所に立つ妻の横顔を見るたび、胸の奥にちいさな棘が刺さる思いがしたが、その棘は不思議と鋭くはなく、むしろ日を追うごとに鈍く熱を帯びていった。私の身体はすっかり日常の輪郭を取り戻していた。朝の新聞、昼の散歩、夜の風呂。けれど、五感のどこかが常に彼女を探している。庭の金木犀が咲き始めたある朝、風に混じって鼻先をかすめた甘い匂いに、私は思わず立ち止まった。あれは千紗子の香水に似ていた。違うとわかっていても、心臓のあたりがふわりと熱くなる。

次の教室の朝、私はいつもより三十分も早く家を出た。電車の座席に腰を下ろし、窓の外を流れる街並みを眺める。雲は分厚くたれこめ、その下を燕の群れが低く横切っていく。秋の気配を運ぶ風が、ホームの立ち食いそばの匂いを車内まで運んでくる。隣駅で千紗子が乗ってくる。彼女は私の姿を見つけると、白いニットの肩を小さく揺らして近づいてきた。

「おはよう、的場さん。早いのね」

彼女の声はいつもの甘やかな尾を引きながらも、どこか少し弾んでいた。水色のマフラーが首元でふんわりと膨らみ、頬は外気に冷やされて白く透き通っている。

「目が覚めてしまってね。今日は講義の前に、市の図書館で少し調べ物をしようかと思って」

「まあ、勉強熱心なこと。私なんて、朝ごはんを食べたら急に眠くなっちゃって、電車の中でうとうとしてたの」

彼女はそう言って、小さくあくびを噛み殺す仕草をした。その仕草が、旅館の朝に浴衣の襟を直していた時の彼女と重なって、私は急に胸の奥を掴まれたような心地になる。

教室に着くと、私たちは連れ立って会議室へ入った。今日の講義は高齢者向けの栄養指導で、管理栄養士の若い女性が色鮮やかなスライドを映しながら話を進める。千紗子は隣の席で、ときおり小さくうなずきながら、熱心にメモを取っていた。机の下で、彼女の膝がほんのわずか私の膝に触れる。布越しの温もりが、静かに、けれど明確に互いの存在を確かめ合うようで、私はノートを取るふりをしながら、胸の鼓動を整えようとした。

昼休憩の時間、私たちは中庭のベンチに並んで座った。秋の日差しは柔らかく、木々の葉がひらひらと舞い落ちてくる。千紗子は紙コップの茶を両手で包むように持ち、湯気の向こうで目を細めた。

「ねえ、的場さん。温泉、楽しかったわ。私、あれから家に帰ってからも、お風呂に入るたびに思い出してるの」

彼女の声が少しだけ沈む。私は自分の膝の上で指を組んだ。

「私もだよ。あの露天風呂の岩の冷たさと、千紗子さんの肩の温かさを、順番に思い出す」

彼女は軽く笑ったが、その瞳の奥は笑っていなかった。秋の空の底のように、どこか遠くを見つめている。私は何か別のことを考えているのだろうかと、少しだけ胸が騒いだ。

「的場さん、私ね、実は来週の教室、お休みするかもしれないの」

千紗子が唐突に言った。紙コップの湯気が、彼女の顔の前で揺れる。

「どうかしたの? 体調でも崩した?」

「そうじゃないの。ちょっと、用事ができてね。あなたには、ちゃんと話そうと思ってた。今日、帰りに少し時間をくれないかしら」

彼女は私の目を見つめて、そう告げた。その口調は柔らかかったが、何か決意のようなものが透けて見えた。私は黙ってうなずいた。木の葉が肩に落ち、彼女はそれを指先で払う。その手は、どこか震えているように見えた。

午後の講義が終わり、私たちは帰り道を歩いた。行きつけの喫茶店というほど通った店ではなかったが、教室の帰りに何度か寄った、駅裏の小さな茶店が目に入る。店の灯りが夕暮れの歩道にオレンジ色の水たまりを作っていて、千紗子は「あそこに入らない?」と、私の顔を覗き込んだ。

「ええ、そうしましょう。私も今日は少し、熱いお茶を飲みたい気分だ」

茶店の扉を押すと、焙煎した豆の匂いがふわりと押し寄せてきた。六畳ほどの店内は薄暗く、灯油ストーブの匂いがかすかに混ざる。私たちは奥のテーブルに落ち着いた。壁のスピーカーから、古いジャズが流れている。

「的場さん、コーヒーでよかった?」私はうなずき、彼女は店員に二人分の注文をした。彼女の横顔を見ながら、目の下にうっすらと疲れの色が浮かんでいることに気づく。前回の温泉以来、何かが彼女の生活に重くのしかかっている。私はコーヒーカップが運ばれてくるまでの沈黙を、ただ静かに共有した。

「先週、夫の実家から連絡があってね。お義母さんが倒れたの。それで、急遽、夫が何度かそちらへ通ってるのよ」

千紗子はカップを両手で包み、揺れる黒い液面を見つめながら言った。彼女の声は小さく、ジャズのベースに溶けて消えそうだった。

「それは大変だ。病院には入られたの?」

「ええ、幸い、命に別状はないんですって。でも、九十を過ぎてるから、これからが大変で」

差し込む夕日に、彼女の髪が一筋だけ金色に光る。

「それで、来週は私もご挨拶に伺わなくちゃいけないし、夫の実家は雪の深いところでしょう。……ねえ、的場さん。私、この教室が終わったら、あちらへ移るかもしれないの」

一瞬息が止まった。窓の外を、自転車のライトが横切っていく。店の中に、コーヒーの苦い香りが重く沈んでいた。

「夫の会社は、向こうでも働き口が見つかるらしいの。それに、義父が一人になるから……」

彼女は私の顔を見ずに、言葉を継いだ。

「そういうことでしたら、仕方ありませんね。千紗子さんが決めることですから」

私は自分の口から出た言葉が、やけに他人行儀だと思った。彼女の決断を尊重しようとすればするほど、指先が冷たくなっていく。

「的場さん、私はね、この二年間、本当に幸せだったの。あなたと出会ったこと、あの湖の新緑も、ラブホテルも、温泉旅館も、みんな、私の宝ものよ」

千紗子の声が震えた。彼女はカップを置き、白い指をテーブルの上でぎゅっと結ぶ。私はその手に自分の手を重ねようとして、すんでのところで踏みとどまった。ここは街灯の下、誰に目撃されるかわからない。そんな自制が、私たちの結末を先に見据えている。

「私もです。あなたと過ごした二年は、間違いなく、私の余生の芯になった」

私はそう言って、彼女の目をまっすぐに見た。千紗子は泣き笑いのような表情を浮かべて、それから深く息を吐いた。

「ありがとう。あなたがそう言ってくれると、なんだか、あの空気まで許されたような気分になるわ。信州の高原の匂いも、湖の底の色も、みんなあなたと一緒だったから覚えてるの」

そう語る彼女の胸元で、細い金のネックレスが揺れた。初めて教室で隣り合った日、彼女の首元で同じ星が光っていた。あれから二年。いくつもの季節が、彼女の白い肌の上を過ぎていった。

「帰りの切符、来月の初めに取るの。それまで、あと何回か、教室へは出られるわ。的場さん、よかったら、最後の日に名残の湖を見に行かない? あの高原の、新緑の湖」

彼女の提案は、まるで遠い日の幻燈のように心へ沁みてきた。

「ええ、きっと。ただ、もう湖は雪に閉ざされてるかもしれませんよ。でも、それでいい。あの湖がどんな冬を過ごしているか、あなたと見てみたい」

私たちは笑った。けれど、笑いの泡が消えると、そこには拭いがたい静寂だけが残った。互いの家庭を守るという約束を、いまさら声に出して確かめる必要はなかった。それが私たちの二年間を貫く、たった一つの掟であり、美しさの源泉でもあった。

閉講式の前日、千紗子から電話がかかってきた。夫の実家の義母が、今朝方、眠るように息を引き取ったという。彼女の声はひどく静かで、私は受話器を握りしめたまま、何度も相槌を打った。

「葬儀は向こうで営まれるわ。だから、私は明日の閉講式に出られない。それに、あなたとの湖も、もう行けそうにないの。ごめんなさい」

「謝らないでください。あなたが千紗子さんとして選んだ道です。私に遠慮することは、一つもない」

電話の奥で、千紗子が息を呑む音がした。涙をこらえているのだろうか。受話器越しの沈黙が、彼女の体温を幻のように伝えてくる。

「的場さん……あなたと過ごした日々を、私、絶対に忘れない。あなたも、時々でいいから、思い出してちょうだい」

「ええ。毎日とは言いません。けれど、湖の匂いを感じた時は、必ず」

電話が切れた。私はしばらく、緑色の受話器を握ったまま、廊下の暗がりに立ち尽くしていた。窓の外では、木枯らしが庭木を揺らし、乾いた葉がコンクリートの上を走る音がしていた。

閉講式の朝は、粉雪が舞っていた。

私はいつものように駅へ向かい、電車に乗る。車内は暖房が効き、窓ガラスの外で雪片が斜めに流れていく。あの春の日、この座席で彼女が私の腕にすがりつき、柔らかな胸を押し当てた。彼女の育った雪国の空気が、あの時、私の胸に流れ込んだ。それは電車の揺れと共に、確かに私の身体を若返らせた。

教室に着くと、隣の席は空いていた。机の上には、閉講式用の資料と、ボールペンと、厚手の封筒が載っている。私はその空席を見つめながら、二年間の記憶を静かに反芻した。金茶色の壁、湖のきらめき、浴衣の白、彼女の鼻にかかった甘い声。どれもが、昨日のことのように鮮明だ。逝ってしまったものの輪郭が、こうも胸を突くとは思わなかった。

閉講式は淡々と進み、受講生一人ひとりに修了証が手渡された。五十人分の名前が呼ばれ、会場に軽やかな拍手が何度も湧く。私の順番が来て、教壇の上で一礼した時、誰かの咳払いが遠くで聞こえた。高島千紗子の名が呼ばれることはなかった。空席のままの席に、白い封筒が一冊分だけ取り残されている。

式が終わり、人々が三々五々、会場を後にする。私は椅子に座ったまま、窓の外を流れる雪雲を仰いだ。粉雪はやがて重い牡丹雪へ変わり、生涯学習センターの中庭の芝生を、音もなく白く覆い始めていた。あの高原の湖も、いまごろ雪に閉ざされ、深い青を白の下に隠している。彼女の故郷の雪国では、もっと深い雪が降っているだろう。

胸にあるのは、後悔ではなかった。寂しさの奥に、確かな充足が横たわっている。互いの家庭を守るという、最初から共有していた掟を、私たちは一度も破らなかった。家庭は壊さない。その清冽な合意があったからこそ、私たちの肌はあれほど燃え上がり、心はあれほど深く結ばれた。雪は、その証のように静かに降り積もる。

教室内に人がいなくなった。私はようやく椅子を引き、立ち上がる。千紗子の席に歩み寄り、机の上の白い封筒を手に取るつもりはなかった。けれど、指先が自然と封筒の端にふれた。表には「高島千紗子」と、丸みのある字で書かれている。それは彼女の名札の文字に似ていた。

私は封筒を机の中央に置き直し、彼女の椅子が少し乱れたままになっているのを、静かに整えた。教室の窓から差す雪明かりは白く、やわらかく、明日の春を予感させるほの明るさをたたえていた。チェックのカーテンがかすかに揺れ、暖房の風に乗って、何故かあの柑橘系の香りが鼻先をよぎる。

それは幻だった。けれど、確かに私の鼻は、春の電車の中で初めてかいだ千紗子の匂いを覚えている。六十五の身体に、六十の女の熱が、まだ指先に残っている。この先、彼女のいない教室で、私は幾たびか、この空席の隣に腰を下ろす自分を想像するだろう。そして、そのたびに、雪国の白い風景の向こうで、彼女が夫と静かに生きていることを思う。それが、家庭を守り抜いた人間の、静かで確かな別れというものだ。

私は教室の明かりを消した。廊下に出て、階段を降りる。外はしんしんと冷え、雪が私の肩に触れては消えた。家路へ向かう足音だけが、二年間の終わりに白く響いている。

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読み終えたあとの余韻に。

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登場人物
  • 的場聡太 まとば そうた
    男性 ・ 65

    外見: 白髪交じりの短髪、穏やかな鳶色の瞳、中肉中背、背筋の伸びた落ち着いた佇まい。服装: 無地のポロシャツに綿パン、季節によって薄手のジャケット。定年まで勤め上げた元サラリーマン。物静かだが好奇心旺盛で、柔軟に物事を受け入れる。高島千紗子の無邪気さに惹かれつつも、家庭を壊す気はない現実主義者。

  • 高島千紗子 たかしま ちさこ
    女性 ・ 60

    外見: 柔らかな黒髪を耳横でまとめた髪型、笑うと細くなる茶色の瞳、ほどよい肉づきの丸みを帯びた身体、肌は白く艶がある。服装: 淡い色のブラウスにカーディガン、膝丈のスカート。夫と長年セックスレスで、内に飢えた性欲を抱えながらも明るく振る舞う。嬉しさを素直に表す甘え上手な一面と、家庭への責任感を併せ持つ。

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