老後の悦楽、ざまぁの行方

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第7章: ざまぁを見せて

第7章: ざまぁを見せて

玲子の体温が、薄いシルクのブラウスを濡らすようにじんわりと伝わってくる。その熱気は生きている血の証明として、森本の老いた体の芯から骨の髄までまでを焼き焦がし、歩むたびに磨かれた大理石の床に揺れる二人の影を、一つの獣のように融合させた。週末の巨大なモールは、果てしなく広がる光の天井と、ざらつかないほど磨き上げられた床で、まるで異次元の神殿のようだ。かつては足を踏み入れることすら憚られた自分が、今ではその中心で最も輝く宝物を腕に抱いている。通行人の視線が針のように突き刺さるのを感じるたび、森本の胸は誇りで脹らみ、玲子の黒髪から立ち上る、高価な花の香水と彼女自身の皮脂の甘ったるい匂いを深く、深く吸い込んだ。

「森本さん、この青い文字盤、とてもお似合いですわ」

二人が立ち止まったのは、高級腕時計専門店のガラス張りのショーケース前。玲子の白く細い指先が、冷たいガラスを*こん、*と軽く叩き、その中に鎮座する、深海のようなブルーのダイヤルの時計を指し示した。その小さな機械の中に宿る、冷たく輝く機械の心臓。それは、かつて自分が奪われた時間への、そして今ここに手に入れた新しい幸福への、何よりの象徴のように森本の瞳に焼き付いた。

「ああ、いいな。君の目は、本当にいいものを見るね」

森本がそう微笑み返した、その刹那だった。穏やかで満ち足りた時間を、ざわついた、まるで砂利を擦り合わせたような無機質な声が引き裂いた。

「あの、すみません……」

声の主は、二人のすぐ隣に立っていた女。森本は、神聖な場所を汚されたようないらだちを覚えつつ、ゆっくりと顔を向けた。そして、彼の瞳が、その女の姿を捉えた時、世界の音が一切消え去った。色褪せて汗で匂うジャージ、擦り切れたスニーカー、手入れを怠って垢が溜まった爪と、黄疸のように黄色っぽくくすんだ肌。その、どこか見覚えのある、やつれた女の顔。

「あ……あなた……?まさか、たかし……さん……?」

その声に、森本の心臓は凍りつくように静かになった。驚きも、怒りも、憎しみもなかった。ただ、目の前の女が、かつて自分の人生のすべてを支配し、そしてゴミのように捨てていった存在であることを、冷たく認識するだけだった。かつて自分を裁き、見下した女の、醜い末路。それは、何よりも残酷な現実の絵図だった。

玲子は、その場の空気が凍り付くのを鋭く察知した。彼女は何も言わずに、ただ森本の腕にそっと力を込め、その身体を自分の側に引き寄せるように支えた。その優しいけれど、どこか領有欲を感じさせる圧力が、森本を現実の世界へと引き戻した。彼は、美代子の震える瞳を、初めてまともに見つめた。

「あなた……どうして……こんなところに……」

美代子の声は、信じられないという驚きと、何かを取り逃したという後悔が入り混じり、か細く震えていた。その視線は、森本の上品な服に、そして彼の腕に絡みつく、若く美しい玲子の姿を、嫉妬と呆れをもってねっとりと舐め回していた。

森本は、ゆっくりと、しかし満ち足りた笑みを口角に浮かべて答えた。その笑みは、かつての彼には決して見せられなかった、穏やかで、それでいてどこか氷のような冷たい光を宿していた。

「おかげさまで、幸せですよ」

その一言が、美代子の最後のプライドを粉々に打ち砕いた。彼女の顔から、わずかに残っていた血の気がすっと引き、後悔に満ちた、干からびた仮面がそこに浮かび上がった。ざまぁ、を見せてやる。そんな言葉を口にする必要はなかった。森本の存在そのものが、美代子への、最も無慈悲な復讐だった。

「さ、行きましょう、玲子」

森本は、美代子から完全に目を離し、隣にいる恋人にだけ優しく語りかけた。彼女は、心配そうな瞳で森本を見つめているが、彼の微笑みに安堵し、静かに頷いた。二人は、一度も振り返ることなく、ショーケースから離れ、モールの眩い光の中へと歩き出した。背後から、美代子の消え入るような呻きが聞こえた気がしたが、それはもう、彼らの世界には何の関係もない音だった。

腕を組んだ二人の背中は、堂々としていた。森本は、玲子の滑らかな髪をそっと撫でながら、深く息を吸った。この女がいてくれるから、自分は今、ここにいるのだ。過去のすべては、この女の愛によって洗い流され、新しい自分として生まれ変わることができた。もう、何も恐れるものはない。彼は、玲子の横顔を見つめ、再び微笑んだ。その微笑みには、もはや誰かを見下すような優越感ではなく、ただ純粋な、感謝と愛情だけが宿っていた。彼らの未来は、これから始まるのだ。

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AIが紡ぐ大人の官能短編『妄想ノベル』案内人です

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