第1章: おじさんの匂い、安心するの

第1章: おじさんの匂い、安心するの
五月の陽光が、まだ開けっぱなしの窓から白く射し込み、埃の舞う室内にじっとりと汗ばんだ空気を満たしていた。渡辺慎一は、自分の年齢を思い知るような重いダンボール箱を腰の辺りで支えながら、息を切らしていた。六十三歳という歳には、若い頃のような無茶はきかない。背中には汗のじっとりとした膜が張り、無地の綿シャツは肌に張り付いて不快なほどの熱をこもらせている。引っ越しの手伝いを申し出たのは、たまたま隣のアパートに越してきたという若い女性、佐伯舞が一人で荷物を運ぶ姿を見かけて、放っておけなかったからだ。彼女が頼りなさげにこぼした「おじさん、もしよかったら少し手伝っていただけませんか」という声に、抗う理由はどこにもなかった。そう、彼女は自分を「おじさん」と呼んだ。最初は少しだけ胸に刺さるようなものがあったが、その無垢な眼差しと、申し訳なさそうに首をかしげる仕草に、すぐに許してしまった。
「慎さん、大丈夫ですか?無理しないでくださいね、こっちは軽いから」
その声が背後から響き、慎一は振り返った。佐伯舞は、長くウェーブのかかった栗色の髪を首筋でひとつに縛り、Tシャツの袖が腕を上げるたびに滑り落ちて、汗で濡れた白い脇の下をちらりと見せている。彼女の身体は、スレンダーでありながら、出産を経験した女ならではの柔らかな曲線を帯びていて、動くたびにその豊かな尻がジーンズの生地の上で魅力的に揺れた。その姿に、慎一はふと、自分の枯れた心臓がざわめくのを感じた。久しく感じていなかった、まるで乾いた地面が雨を待ちわびるような、そんな渇きが。彼女の大きなヘーゼル色の瞳は、汗で少し潤んで見え、その視線が自分に注がれるだけで、老いた体の芯からじんわりと熱が込み上げてくるようだった。
「ああ、大丈夫だ。お前さんの方が大変だろう。子供さんは?」
「由紀はお絵描きしてる。ほら、あそこ」
舞が指差す隅には、五歳になる娘の由紀が、キャラクターもののTシャツを着て、床に広げった画用紙に夢中になっていた。小柄な彼女は、時々こちらをちらちらと見ては、すぐに視線を逸らす。人見知りするらしいが、母親である舞の言うことには素直に従う、可愛らしい子だ。そんな母と子の姿が、慎一の孤独な日常にはない温かさを放っていて、胸が温かくなるような、そして同時にどこか切ないような気持ちにさせられた。
「おじさんみたいな人、大好きなんです」
突然、舞がそう言った。ダンボールを重ねていた慎一の隣に、ぴたりと寄ってきて言った。彼女の甘い、でも汗で少し塩辛い匂いが鼻をつく。その距離の近さに、慎一は心臓がどきりと音を立てたのを隠せない。
「え、そうか」
「はい。なんだか、すごく安心するんです。うちの父さんも、こんな感じでしたから」
そう言って、舞は慎一の腕にそっと自分の腕を絡ませた。その柔らかく、温かい肌の感触に、慎一は息を呑んだ。若い女の肌は、こうも滑らかで、弾力があるものなのか。妻に死なれてから十年、他人の女と肌を触れ合わせることなどなかった自分にとって、その感触はあまりにも鮮烈で、忘れていた欲望の火種に、油を注がれたような衝撃だった。彼女は無垢だ。その眼差しには、下心や計算といったものは一切見えない。ただ純粋に、父親を懐かしむように、自分に甘えてきているだけなのだ。そう分かっていながら、慎一の体は勝手に反応してしまう。絡められた腕から伝わる熱が、血管を伝って全身に駆け巡り、股間がじりじりと疼き始めるのを感じた。
「お父さん…か」
「はい。早く亡くなっちゃったけど、優しい人でした。慎さんに、ちょっと似てるかも」
舞は顔を慎一の肩に寄せ、深く息を吸い込んだ。その瞬間、慎一は自分の体の匂いを意識してしまって固くなった。汗と、加齢と、そして少しの洗剤の匂いが混ざり合った、決して快いとは言えない「おじさん」の匂い。若い女に嗅がれるようなものではない。羞恥と嫌悪がこみ上げてくるが、次の瞬間、舞の言葉がそれを粉々に打ち砕いた。
「……この匂い、お父さんの匂いに似てる。安心するの」
なんだ、というのだ。この老いた男の、汗で蒸れたような体臭を。彼女は小首をかしげ、本当に安心したような表情で、慎一の胸に顔をうずめた。その栗色の髪が、顎にちくちくと触れる。その仕草はあまりにも無防備で、だからこそ、慎一の心の鎧を容赦なく剥がしていく。これは誘惑なのか。それとも、ただの無垢な甘えなのか。判断がつかない。ただ確実に言えるのは、自分の体が、この若い母親の無垢な求めに、喜びで応えようとしているということだ。彼女の吐息が、シャツの生地を通して胸の皮膚に温かく伝わり、その熱が胸の奥でじくじくと疼かせる。抑え込んできた、男としての本能が、静かに、しかし確かに目覚め始めていた。まるで冬眠から覚めた熊のように、長い飢えの後に、目の前に現れた温かい獲物を見つめるような、そんな原始的な眼差しで、慎一は舞の頭を無意識に撫でていた。その指先に伝わる、髪の柔らかさと、彼女の体温。この夜、二人の間に何かが起こる予感が、部屋に満ちる汗の匂いと混じり合って、濃密に立ち込めていくのを感じていた。

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