第2章: 理性の、その先

第2章: 理性の、その先
時計の針が夜更けの時を刻むにつれ、リビングの空気は粘つくように濃密さを増していた。和夫の規則正しい寝息と、明那の部屋から漏れてくるかすかなエアコンの運転音だけが、この密室の時間を静かに計っている。静子と宏大、二人の間に横たわる沈黙は、もはや気まずいものではなく、お互いの存在の熱を感じさせるほどに重く、甘やかだった。グラスに残った琥珀色の液体を、静子はそっと傾け、その冷たい感触が焦燥した喉を潤すのを感じた。氷がチリリ、と小さく音を立てる。
「お義母さん」。
宏大の低い、響きのある声が、静子の心臓を直接掴んだかのように揺さぶった。彼は少し身を乗り出し、テーブルの上の小さな照明だけが彼の鋭い横顔を浮かび上がらせていた。その視線が、ただものを見るのではない。静子の肌、その一枚の布の下にある身体の輪郭を、なぞるように、そして食べるように、貪っているのだと彼女は本能的に理解した。彼の吐息の匂いが、かすかに届く。
--何かが、おかしい。
長年閉ざされていた扉が、錆びついた蝶番を軋ませながら、ゆっくりと開く音。その音が、自分の内側から聞こえる気がした。
「…何かしら、宏大さん」
静子は必死に平静を装い、そう応えた。しかし、自分の声が微かに震えていることに、彼女は耳を塞いだかった。この若い男、娘の夫であるはずの男の前で、自分の内側で何かが崩れ落ちていく音がする。それは、長年閉ざされていた扉が、錆びついた蝶番を軋ませながら、ゆっくりと開く音に似ていた。
「いえ、ただ…」。
宏大は言葉を飲み込み、改まったような、しかしどこか危険な色を含んだ眼差しで静子を見つめた。彼の黒い瞳の奥で、何かが燃え上がっているのが見える。
「お義母さんは、本当に綺麗ですね」。
その一言が、静子が築き上げてきた理性の堤防を、容赦なく打ち砕いた。綺麗、なんて言葉は、これまで何度も聞いてきた。夫からの無責任な褒め言葉、友人同士の社交辞令。しかし、宏大の口から出たその言葉は、違った。それは、成熟した女の肉体を肯定し、その内に眠る獣性を呼び覚ます、呪文のような響きを持っていた。頬がカッと熱くなり、胸の奥で小鳥がバタバタと暴れ始めるような、恥ずかしいほどの動悸が彼女を襲う。
「もう、若い子にそんなこと言われても…恥ずかしいわよ」。
そう言って視線を逸らそうとする彼女の腕に、宏大の温かい手がそっと重なった。それは、偶然触れてしまったような軽やかさではなく、意識的で、逃れられない意志を感じさせる確かな触れ方だった。指先の熱が、薄い生地の上から静子の皮膚に染み渡り、ビクン、と背筋に快感の電流が走る。
--ああ、だめ。こんなの。夫のことを思って。娘のことを思って。
でも、身体は正直だった。その一点の接触から、抑えきれない熱が全身に広がり、太ももの付け根のあたりが、じっとりと恥ずかしい濡れ方を始めていることに、静子は気づいてしまった。自分の蜜の匂いが、薄く立ち上っているような気がした。
宏大はその反応を感じ取ったのだろう。彼の眼差しがさらに深みを増し、唇の端が、満足げに、そして少し残酷に引き上がった。
「この手、温かいですよ、お義母さん」。
彼はそう囁くと、そのまま彼女の腕を優しく掴み、自分の方へと引き寄せた。抵抗する意志は、もうどこにもなかった。静子はまるで人形のように、その力に身を任せた。テーブルの下で、彼の膝が彼女の膝にそっと触れる。その固さ、熱さ。すべてが、彼女の理性を溶かし、女としての本能だけをむき出しにしていく。これは間違いだ。罪悪感が胃の底で冷たい塊になってこびりつく。でも、その冷たさよりも、宏大から伝わってくる熱の方が、今の彼女にはずっと強烈で、甘美な誘惑だった。
「宏大さん…」。
彼女の声は、もはや嗚き声に近かった。それは助けを求める叫びなのか、それとももっと深い快楽への誘いなのか、彼女自身にも分からなかった。宏大は答えず、ただ静子の顔をじっと見つめていた。その瞳の奥に映る自分は、頬を赤らめ、唇を少し開き、まるで獲物を前にした獣のように、期待と恐怖に満ちた表情を浮かべていた。理性の、その先にある世界。そこは、罪悪感と羞恥に満ちた泥沼でありながら、同時に、これまで味わったことのないほどの快楽が約束された、甘い毒の庭だった。静子は、その目の前で、ゆっくりと、しかし確実に、自分が崩れ落ちていくのを止めることができなかった。
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