第1章: 骨折した人生の路地(続き 2/2)
彼女の動きは無駄がなく、手慣れていた。
洋がぼんやりとその背中を見ていると、彼女はふと振り返り、ほのかに笑った。
「お腹、空いていませんか? 何か作りますよ」
「……レトルトでいいです」
「駄目です。栄養をつけないと、骨が癒えません」
そう言うと、彼女は買い置きの野菜と冷蔵庫の残り物を手際よく取り出し、台所に立った。
包丁の刻む音。
油の弾ける匂い。
ふと、この部屋にこんな生活音が響くのは、いつのことだったか。
妻の友江は、決して料理が好きではなく、夕食は総菜か外食が多かった。
こうして誰かが自分のために台所に立つ光景は、遠い記憶の彼方に霞んでいた。
「的場さん、食べられますか?」
「……ああ、ありがとう」
置かれたお膳には、ほうれん草のお浸しと、鯖の塩焼き、そして具だくさんの味噌汁が並んでいる。
どれも素朴な家庭の味で、洋は箸を取ると、無言で口に運んだ。
熱い。
美味しい。
その当たり前の感覚が、なぜか胸の奥をじんと熱くした。
それからというもの、叶の訪れは毎日決まって夕方になった。
彼女はケアホームの勤務を終えると、そのまま洋のアパートへ直行し、食事の支度をし、洗い物をし、洗濯物をまとめて持ち帰る。
彼女の自宅には洗濯機がないから、と説明しながら。
「トイレ……大丈夫ですか?」
一週間が過ぎた頃、叶は少し躊躇いがちに尋ねた。
洋は顔を上げ、すぐに俯いた。
「……松葉杖があれば、どうにかなります」
「でも、立ったり座ったりが大変でしょう? 私、手を貸しますよ」
「いや、それは……」
「的場さん。遠慮しないでください。私、プロですから」
叶の口調は柔らかいが、決して引かない。
彼女は洋の脇に歩み寄り、そっと彼の肘を支える。
洋はぎこちなく立ち上がり、松葉杖をついてトイレへと向かう。
叶はその横に寄り添い、ドアが開くまで待っていた。
中で用を足す間、洋はドアの向こうに彼女の気配を感じながら、恥ずかしさで頬が火照るのを抑えきれなかった。
六十歳の男が、こんな風に世話になること。
それも、まだ若く、清楚な印象の女性に。
「的場さん、終わりましたか?」
「……ああ」
ドアを開けると、叶がにっこりと笑って待っていた。
その笑顔には、一切の曇りがなかった。
純粋に、彼の役に立ちたいという思いだけが滲んでいるように見えた。
しかし、洋はふと気づいた。
彼女が屈んだ時、首筋から漂うほのかな石鹸の香り。
エプロンの胸元から覗く鎖骨のくぼみ。
そして、彼女が洗濯物をまとめる際に、うっかり短いスカートの裾が少し上がり、見えたふくらはぎの滑らかな曲線。
清楚でありながら、どこか色気をまとっている。
そんな彼女を、男として意識してしまう自分がいた。
――とんでもない。
――こんな状況で、何を考えているんだ。
自分自身を叱りつけながらも、洋の目はつい、叶の動きを追ってしまう。
彼女は気づいていない。
いや、気づいているふりをしているだけなのか。
その真意はわからなかった。
ある日、入浴の補助を頼まれた時だった。
洋は浴槽の縁に腰かけ、叶がシャワーチェアを準備するのを待っていた。
「的場さん、お服、脱ぎましょうか?」
「……それは、自分で」
「でも、バランスを崩したら危ないです。少しだけ、お手伝いします」
叶はそっと近づき、洋のシャツのボタンを外し始めた。
彼女の指先が、時折、洋の胸板に触れる。
そのたびに、洋は身体を硬直させる。
シャツが脱がされ、次はズボン。
ベルトを外す時、叶の顔が洋の腰の高さに近づく。
その吐息が、布地の上から感じられるような気がした。
そして、叶がしゃがみ込み、ズボンの裾を足首まで下ろそうとした瞬間。
洋は、思わず息をのんだ。
しゃがんだ姿勢の彼女の、太ももの間。
薄いベージュのパンティーが、ぴったりと密着し、その中央に柔らかな割れ目の形が浮かび上がっている。
布地が陰唇に食い込み、左右に膨らんだ肉の襞の輪郭までが、透けて見えるような気がした。
「……っ」
股間が、じわりと熱を帯びた。
六十歳の男の身体が、こんなにも素直に反応するのかと、自分自身に驚きながらも、洋は目を逸らすことができなかった。
叶は何も気づかぬふりで、ズボンを完全に脱がせると、顔を上げた。
その時、彼女の視線は、自然と洋の股間へと落ちた。
そして、わずかに目を見開いた。
トレーナーの下で、彼の陰茎がゆるやかに膨らみ、布地を押し上げているのが見えたからだ。
一瞬、時間が止まった。
叶の頬が、微かに赤らんだ。
しかし彼女は、すぐに平静な表情を取り戻し、そっと手を伸ばした。
「的場さん……転ばないように、肩に掴まってください」
声は少しだけ震えていた。
あるいは、それは洋の気のせいだったかもしれない。
ただ、彼女の耳たぶが、まるで内侧から灯りがともったように赤くなっているのは、確かだった。
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