第2章: 男の匂いが満ちる、禁断の脱衣所

第2章: 男の匂いが満ちる、禁断の脱衣所
隣町の、誰も自分の素性を知っているはずのない町民プール。
その分厚いスチール製のドアの前で、慈は足が競るのを感じていた。
夏の強い日差しがアスファルトを焼きつけ、その熱が裸足の裏からじんわりと伝わってくる。
だが、慈の身体を震えさせているのは、その陽炎の揺れる暑さではなかった。
目の前には「男子更衣室」と書かれた、冷たい文字が浮かび、その向こう側から漏れてくるのは、プール特有の塩素の匂いと、もう一つ。
もっと動物的で、濃密で、生々しい匂い。
男の体の匂いだ。
無邪気な笑い声、甲高い叫び声、そして低いどよめき。
何より、その空気そのものが持つ、女である自分が決して立ち入ってはならないという絶対的な領域感。
恐怖と期待が入り混じった、甘い熱が慈の背骨を伝って痺れるように這い上がり、うなじでじっとりと汗をにじませた。
胸の下で、小さな心臓が鳥の雛のように怯え、小刻みに脈打っている。
今日、自分はここに入る。
その決意を固め直し、慈はぐっと唇を噛みしめ、震える指先でドアのノブを握りしめた。
ぐっと、重い音を立ててドアが開く。
と同時に、湯気と汗と体臭が渦巻く、粘膜を抉るような熱気と匂いの塊が慈の顔を叩きつけた。
息が詰まる。
そこはまさに、男だけの世界だった。
視界の隅から向こう側まで、様々な年齢の裸体が無防備に行き交っている。
水滴を弾く、隆々とした筋肉の背中。
まだ幼く、無防備なぷくっとお腹をした小さな男の子。
そして、何の恥じらいもなく晒された、無数の陰部たち。
黒々と濃い毛むくじゃらの陰嚢に揺れる、太い男根。
まだ幼く、無垢に勃起している小さなペニス。
それらが一つの風景として、慈の瞳に深く焼き付いていく。
見てはいけない、見てはいけないと頭では思っているのに、目は勝手にあちこちを巡ってしまう。
はぁ、と熱い息が漏れる。
小さな声で喘いでしまったことに気づき、慈は顔を真っ赤にして、一番奥の空いているロッカーへと急いだ。
足元はタイルが濡れていて、冷たい感触が足の裏を伝わる。
ギィ、と甲高い金属音、遠くで響く男たちの大声、シャワーから迸る水の奔流が、ザーザーと床を打つ。
その一つ一つが、慈の神経を逆なでするように、耳に鋭く突き刺さる。
(だめ、見つかっちゃう…誰も、私が女の子だって気づかないで…お願い…)
心の中で必死に祈りながら、震える指先で小さな鍵をロッカーの穴に差し込もうとする。
焦りと羞恥で滲む汗で、鍵が何度も滑る。
指先がヌルヌルとベタつく。
その時、隣のロッカーのドアが開く音がした。
気づくと、小さな男の子と、その父親らしい男が立っていた。
男の子は、慈と同じくらいの年齢か、それより少し幼いだろうか。
くりくりとした大きな瞳で、慈をちらりと見て、すぐに自分のロッカーを開けるのに夢中になっている。
お父さんの方は、少し疲れたような、それでいて穏やかな眼差しをした男性だ。
少し寝癖のついた黒髪に、口元は優しい。
その大きな身体が、慈の視界の半分を覆い隠してしまうほど、圧倒的な存在感を放っていた。
慈は思わず息を呑み、ロッカーに背中を押し付けて動けなくなってしまった。
お父さん、鈴木さんは、慈に気づくと、にっこりと微笑んだ。
「どうも、こんにちは。暑いねえ」
低く、落ち着いた、それでいて温かい響きを持つ声。
その声に、慈は小さく頷くことしかできなかった。
声が出ない。
鈴木さんは何も疑っていない。
自分を、息子の悠と同じような、プールに来た男の子だと思っている。
その無自覚な優しさが、かえって慈の胸を締め付ける。
石鹸の清潔な香りの下に、汗と成熟した男の体臭が、まるで生き物のように鼻孔を這い上がってくる。
どこか安心するような、それでいて雌を本能的に圧倒するような匂い。
くぅっ、と喉の奥で押し殺したような声が漏れる。
下腹部から、じわじわと広がる熱。
これは恐怖だけではない。
幼い頃、あのお兄ちゃんに無理やりパンツを脱がされ、アソコを指でぐりぐりと弄ばれた時に感じたのと同じ、屈辱的で、どこか破滅的な快感の予感。
慈は自分の女としての身体が、たった一人の男の匂いに反応して、勝手に疼き始めている事実に、激しい自己嫌悪と吐き気がこみ上げてくる。
「お父さん、早く泳ごうよ!」
隣で、息子の悠が元気に叫ぶ。
「おお、わかった。じゃあ、着替えるか」
鈴木さんはそう言って、自分のTシャツの裾を掴んだ。
慈の視線は、抗いがたく、その動く指先に吸い寄せられていく。
やめて、見ちゃダメ…と頭で叫んでも、視線は鈴木さんの、ベルトに伸びたその指先に、磁石に吸い付くように固定されてしまう。
鈴木さんがTシャツを頭から脱ぎ捨てると、そこには、程よく鍛えられた、ごつごつとした腹筋と、そこから胸へと続く、薄っすらと黒い毛が生えた胸板が現れた。
慈は見たこともない、大人の男性の裸を、こんな間近で見たのは初めてだった。
胸のあたりが、きゅうっと締め付けられるような感覚。
Tシャツの生地の下で、自分でも気づくほど小さな乳首が、うずうずと硬くこぶしを握り返しているのを感じた。
鈴木さんは次に、ベルトのバックルに手をかけた。
カチリ、と乾いた金属音が、慈の鼓動と同じくらいに大きく響いた。
慈は息を殺し、まるで祭壇に捧げられた生贄のように、次の瞬間を待ちわびていた。
鈴木さんの、あの雄々しい身体が、慈の視界と思考、そして抑えつけてきた女としての本能のすべてを、これから完全に蹂躙していくのだと、本能的に悟ってしまった。
コメント