寝たふりを決め込んだ俺の耳にぬちゃぬちゃと響く親友の肉棒を咥え込んだ恋人の秘部が奏でる粘液音と「徹のおちんぽ気持ちいい」という喘ぎ声
あらすじ
二月の凍えるような金曜の夜、地方国立大学二年の田村司の1Kアパートに彼女の友永夢愛と親友の渡辺徹が集まった。三人はいつものようにコタツに足を突っ込み、安いチューハイとつまみを広げて酒盛りを始める。夢愛は塾講師のバイト上がりで少し疲れた様子だったが、司が用意した鍋をつつきながら笑顔を見せる。徹は相変わらずの明るさで大学の噂話やサークルの愚痴を振りまき、司もそれに応じて笑い合う。しかし酒が回るにつれ、司は徹が時折見せる一瞬の冷めた視線に気づかない。徹は高校時代、常に司が部活でも恋愛でも優位に立っていたことへの鬱屈を抱えており、この夜、それを解放しようと決意していたのだ。夢愛はそんな徹の内面を知らず、彼の優しい言葉に徐々に心を許していく。司は酒に弱く、早々に顔を赤らめてコタツに突っ伏し寝入ってしまう。夢愛と徹だけが取り残された部屋で、コタツのぬくもりだけが静かに三人を包み込んでいた。
第1章 酒とコタツと三人の夜

第1章: 酒とコタツと三人の夜
二月の金曜日。外は骨の芯まで凍みるような寒さで、アパートの窓ガラスには吐息のような結露がびっしりと張り付いていた。田村司の1Kアパートの部屋の中央には、去年の冬に三人で買いに行った大きなコタツがどっしりと置かれていて、その温もりだけがこの狭い空間を満たしていた。壁に掛けられた時計の針音が、妙に際立って聞こえる夜だった。
司は台所で鍋の用意をしながら、時計をちらりと見た。午後八時を回ったところだ。バイト終わりの夢愛が来るにはちょうどいい時間だった。まな板の上では長葱が白くしっとりと切り分けられ、鍋の中では昆布出汁が静かに湯気を立て始めている。
「司、ただいまー」
ドアが開いて、友永夢愛が疲れた様子で顔を出した。彼女は薄いコートを脱ぎながら、コタツの方へまっすぐに向かう。腰まで届く長い黒髪が冬の静電気で少し浮いていて、白いうなじに絡みつく様子を見るだけで司は微笑ましくなった。
「おかえり、夢愛。寒かっただろ」
「うん、もう凍えちゃった。早くコタツ入りたい」
夢愛がコートの襟元を緩めると、白い冬ニットの下で胸がふわりと揺れた。その瞬間を目にした司の喉が鳴るのを、夢愛は気づいていたのか、口元をふっと緩めた。ボタンを一つ外した胸元には、鎖骨のくぼみが薄く影を落とし、その先に小さな谷間がちらりとのぞいている。司は慌てて目を逸らした。寒さのせいか、彼女の乳首がニットの下で硬く立っているのが見えたような気がした。それだけで頭の芯が痺れるように熱かった。
「コタツ入ろう」
夢愛はコタツ布団をめくって足を滑り込ませると、小さく息を吐いた。その仕草が子猫のように可愛らしくて、司は目を細める。
「鍋、もうすぐできるからな」
「わかった。あ、そうだ、徹は?」
「さっき連絡来て、もう着くって」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、またドアが開いた。今度は渡辺徹だ。がっしりした体格にデニムとトレーナーというラフな格好で、手にコンビニの袋を提げている。肩幅が広く、首から胸元にかけての肉付きが逞しくて、司は彼を見るたびに密かな劣等感を抱いた。
「よっ、お邪魔しまーす。酒買ってきたぜ。今日はチューハイと、あと適当につまみも」
「おう、ありがとう。助かるよ」
徹は夢愛の向かい側に座り、買ってきた缶チューハイをコタツの上に並べ始めた。彼の細い目は笑っているようにも見えるが、どこか冷めた光を宿していて、しかし司はそれに気づかなかった。気づくはずもなかった。高校時代から三年以上の付き合いになる親友の、その内面に渦巻く鬱屈した感情など。
「今日の塾、どうだった? 夢愛」
徹が缶を開けながら尋ねると、夢愛は少し疲れた顔で笑った。
「もー、今日は中学生の子が全然宿題やってこなくて。冬期講習の申し込みもあってバタバタだったのよ」
「へえ、大変だな。司は今日何してたんだ?」
「俺はサークルの後、ずっと家で課題やってたよ。レポートが溜まっててさ」
「真面目だなあ、相変わらず」
徹は笑いながら酒をあおった。その笑顔の裏に、わずかな嘲笑が潜んでいることを、司はまたしても見逃した。
「わ、そうだ、これ食べていい? 昨日の残りの唐揚げ」
夢愛が立ち上がって台所へ向かう。その時、彼女の動きに合わせて黒い髪がふわりと舞い、薄いニットの下で胸が大きく揺れた。司はまたしても目を吸い寄せられ、慌てて箸を取った。徹は一瞬、缶を口元に運ぶ手を止め、夢愛の背中を追いかけた。細い腰から丸く張り出した尻が、タイトなスカートの下でしっとりと主張している。あの肉感的な曲線は、男なら誰でも見入ってしまう密度を秘めていた。
「司ってば、どれ入れたの? って、あ、箸落としそうになってるよ」
「え、あ、わりい。ちょっと手が滑って」
司がしどろもどろになると、夢愛はくすっと笑い、コタツに戻ってきた。彼女が体を捻るたびに、ニットの胸元が引っ張られ、そこに浮かぶ柔らかな膨らみが存在感を増す。司の鼓動が速くなる。
「そういえば、テニスサークルの合宿の話、聞いたか?」
徹が唐突に切り出した。
「ああ、三月のだろ?」
「そうそれ。俺、バイトのシフト入れちゃっててさ。多分行けないわ」
「マジか。残念だな」
司は残念そうに言ったが、実は内心では少しほっとしていた。徹がいないなら、夢愛と二人で過ごす時間が増えるかもしれない。そんな浅はかな考えがよぎったのだ。
夢愛は鍋の具を夢中で口に運びながら、時折司の方を見ては微笑む。その笑顔は甘くて柔らかくて、彼女の恋人でいられることが司には誇らしかった。彼女が顔を傾けるたびに、黒髪が白い頬を滑り落ち、首筋の白さが際立つ。白いなめらかな肌に、冬の乾燥した空気が触れてできる産毛の淡い翳りさえも、司の目には艶めかしく映った。
「なあ、夢愛。司と付き合ってどのくらいになるんだっけ」
徹が何気ない調子で尋ねた。
「えっと、一年と三ヶ月くらいかな。ね、司」
「そうだな。大学入ってすぐだったもんな」
「へえ、そんなに経つのか。ラブラブだねえ」
徹は缶を傾けながら、目だけで笑った。その視線が一瞬、夢愛の身体を舐めるように這ったことに、司はまったく気づかなかった。夢愛もまた、酒のせいで頬を少し赤らめながら、何事もなく笑っていた。
「あ、でも徹は彼女作らないの? 意外とモテそうなのに」
夢愛が無邪気に尋ねる。
「いやあ、俺はいいよ。めんどくさいし」
「なにそれ、もったいなーい」
「そうかあ? ま、そのうちな」
徹はそう言って、残りのチューハイを一気に飲み干した。そして新しい缶を開けると、司の方に押しやった。
「司も飲めよ。今日は金曜だし、明日は休みだろ」
「おう、ありがとう。でも俺、あんまり強くないからさ」
「大丈夫大丈夫。弱くても楽しく飲めればいいんだよ」
司は仕方なく缶を受け取り、口をつけた。アルコールの苦味が舌の上に広がり、喉を通り抜けていく。三杯目のチューハイを飲み干したあたりから、頭の奥がじんわりと熱くなってきた。
「あ、俺もうダメかも……顔熱い」
「司、もう酔ったの? 早すぎだよー」
夢愛がくすくす笑う。彼女は酒に強く、まだまだ余裕の表情だった。頬を紅潮させた彼女の唇が、つやつやと光っていて、司はまたしても目が離せなくなった。
「わりい……ちょっと横になるわ」
司はコタツに突っ伏した。布団の感触が頬に当たって柔らかく、そのまま目を閉じると、頭の中がぐるぐると回り始めた。夢愛と徹の話し声が遠くに聞こえる。
「大丈夫かよ司。ほんと弱いなあ」
「すぐ寝ちゃうんだから。もう、仕方ないなあ」
夢愛の声がくすぐったくて、でもそれが心地よくて、司の意識はゆっくりと闇の中に溶けていった。眠りの入口で、彼女の声が水の中を揺れるように反響した。
コタツの温もりが全身を包み込み、鍋の残り香と酒の匂いが混ざり合って部屋に漂っている。布団の擦れる微かな音と、遠くで笑う二人の声だけが、司の眠りを優しく見守るように響いていた。吐息の熱にまぎれて、きんとした冬の匂いが鼻の奥を刺す。味付けされた出汁の甘い香りが、溶けた鶏の脂と絡み合い、部屋の空気を重く濃いものに変えていた。
その時、徹が見せた小さな笑みを、司は見ることができなかった。夢愛がその笑みに少し戸惑いながらも、つられて微笑み返したことも。コタツの温もりが、ゆっくりと何か別のものに変わろうとしていることにも、すべて気づかぬまま、司は深い眠りに落ちていった。
部屋には夢愛と徹だけが取り残され、鍋の火も消えて、静けさが降り積もっていく。窓の外では風が吹きすさび、二月の凍てつくような寒さが続いていたが、コタツの中だけはぬくぬくと温かく、まるで三人を包み込む繭のような空間を作り出していた。コタツの布団が時折、夢愛の膝のあたりでふわりと動き、彼女の素足の爪先が徹の足に触れた。その小さな接触は、どちらのものでもない熱を帯びていた。
その繭の中で、夢愛は徹と視線を交わし、小さく首をかしげる。徹は何も言わず、ただ優しく微笑みかけていた。その微笑みの奥に、長年温めてきた暗い決意が潜んでいることを、まだ誰も知らなかった。
第2章 目覚めと騎乗位の光景

目覚めは、喉の奥に張り付いた砂漠のような渇きから始まった。舌の根から咽頭にかけて、乾いた砂を噛み締めたような不快なざらつきがこびりついている。どれほど眠り込んでいたのか、頭の芯はまだぐらぐらと揺れ、こめかみの内側で鈍い痛みが脈打っていた。アルコールはとうに抜けきってはいない。瞼の裏にまだ眠気が糊のように貼り付いていて、身体はコタツの温もりに溶け込んだまま、指一本動かすことすら億劫だった。水を飲まなければ。そう思うのに、司の身体はまるで他人のもののように動こうとしない。
その時だった。
くちゅ、と。
ぬちゃ、と。
何かが濡れた布を揉みしだくような、粘着質で湿り気を帯びた音が、すぐ隣から届いた。夢の続きか、あるいはコタツの上で誰かが酒をこぼしたのか。そんな現実的な言い訳が一瞬脳裏をよぎる。だが音は止まない。いや、むしろ、その粘度を増しながら、一定のリズムを刻み始める。
くちゅくちゅ、ぬちゃぬちゃ。
偶発的なものではない。誰かが意図的に、何かを掻き混ぜているような、あの粘液質の響き。閉じたままの目の裏で、司の心臓がじわりと速度を上げていく。寝返りを打とうとした身体は、まるで巨大な手のひらで押さえつけられたかのように硬直していた。確かめなければならない、という本能と、目を開けてはいけない、という予感に近い恐怖がせめぎ合い、彼は必死に呼吸を整えると、まだ眠っているかのように、ほんの僅かだけ瞼を持ち上げた。
視界の端に、橙色の光が滲んでくる。
コタツの上の小さな間接照明だけが灯されていて、部屋全体を薄ぼんやりと浮かび上がらせていた。陰影を孕んだその光が、コタツ布団の上で動く影を照らし出す。司は息を呑んだ。いや、呑みかけて、必死でそれを殺した。
夢愛がいた。全裸だった。コタツの布団の上に膝立ちになり、誰かの腰の上に跨っている。腰まで届く黒髪が背中から腰へかけて波打ち、その下で、白く滑らかな尻が上下に、激しく動いていた。照明の光を吸い込んだ肌は、まるでそれ自体が発光しているかのように、ぼんやりと白く浮かんでいる。その白い尻が上がり、下がる。上がり、下がる。その動きに合わせて、先ほどから聞こえていた湿った音が、一層はっきりと司の鼓膜を刺した。
ずぶり、ぐちゅっ、ぬちゃっ。
結合部から漏れる水音だった。夢愛の膣を、何かが貫いている。異様に太く逞しい肉の塊が、彼女の一番深い場所までずぶずぶと沈み込み、引き抜かれるたびにぬらぬらと光っている。それは徹のペニスだった。
目の奥が、熱かった。脳が現実を拒絶しようとしているのに、視覚と聴覚は容赦なく情報を送り続ける。さっきまでは心地よかったはずのコタツの温もりが、今は熱すぎて、皮膚の表面がじりじりと灼けていた。
夢愛が腰をくねらせる。白い尻が円を描くように回り、徹のペニスを根元まで呑み込んだ。結合部からグチョンと粘着質な音が漏れ、太腿の内側を伝う透明な液体が、コタツ布団の上に小さな染みを作っている。
「あぁ……すごい……」
夢愛の口から、甘く蕩けた声が漏れた。司がこれまで聞いたこともない、熱に浮かされたような響き。彼女は両手を徹の胸板につき、爪を立てるようにしてしがみつきながら、腰の動きを速めていく。ずりゅっ、ずりゅっ、ずりゅっ。
その時、徹が低く笑う気配がした。片手が夢愛の腰に伸び、動きを制するように軽く押さえつける。
「あんま激しく揺れるなよ。声も我慢できてねえし。司が起きちまうだろ」
心臓が一瞬止まりかけた。眠っているはずの恋人を気遣う、その口ぶり。常軌を逸した背徳感が、耳の奥に突き刺さる。
「だって……だって、おちんぽ気持ちいいんだもん……腰、止まんない、の……」
夢愛はそう囁くと、唾液で光る唇を半開きにしたまま、クチュリと音を立てて腰を沈めた。彼女の言葉からは、司が聞いているかもしれないという警戒心すら溶け去っていて、ただ目の前の肉棒に蕩けきった女の匂いだけが滲んでいた。
「徹の……太い……やっぱり、これ……」
その囁きが耳に届くたび、胸の奥で何かが軋んだ。拳を握りしめたい衝動に駆られたが、手を動かせば布団が擦れて、寝ているふりがばれてしまう。ばれてしまったら、この光景を認めなければならなくなる。恋人と親友の裏切りを、直視しなければならなくなる。それが怖かった。だから司は、ただ寝たふりを続けるしかなかった。
徹の口元が、薄暗い中で笑みの形に歪むのが見えた気がした。
「声、出そうになって止められねえんだろ。腰、振らずにいられねえんだろ。……お前、そういう女なんだよ」
その言葉に、夢愛の太腿がピクリと反応した。彼女は何かを言い返そうとしたのか、小さく首を振ったが、結局は徹の逞しい胸に縋りついて、グラインドさせるように腰を回し始める。結合部から混じり合った体液が伝い落ち、二人の下腹部をぬらぬらと光らせた。
司の身体は、じっとりとした汗でシーツに貼り付いていた。湿った布団の感触が背中から太腿の裏にまでまとわりついて、動くたびではない、動かないからこそ、その不快な湿り気をいやでも意識させられる。自分の汗ではない。布団自体が、部屋の熱と三人分の体温を吸い込み、ぐっしょりと重くなっていた。
空気は生暖かく澱んでいた。汗と、アルコールの甘ったるい残り香と、そして二人の身体から立ち上る獣じみた匂い。その匂いが波のように押し寄せてきて、司の鼻腔の奥に粘りつく。吐き気をもよおすほどなのに、そこから逃れることもできず、ただ天井の薄明かりを見つめながら、布団の湿り気に背中を沈めているしかなかった。
徹は時折低く吐息を漏らすだけで、夢愛の腰の動きに合わせて、下から突き上げるように腰を浮かせている。筋肉質な太腿がコタツ布団の下で盛り上がり、そのたびに夢愛の身体が小さく跳ねた。
「んっ、あ、そこ……そこ、だめ、当たる……」
夢愛の声が震える。彼女は片手を自分の口元に持っていき、指を噛むようにして声を押し殺そうとした。しかし溢れ出る嬌声は止められず、くぐもったそれが、いっそう淫らに響く。
クチュクチュ、グチョン、ヌチャンッ。
水音が激しさを増す。その合間に、徹が何かを囁く気配がした。声は低く、言葉の輪郭は司の耳に届くまでにぼやけてしまう。「……違うだろ」とか「……ほら、もっと」とか、そんな断片だけが時折、耳の奥に引っかかる。すべてを聞き取れない。そのことが、司の苛立ちをかき立てた。聞こえているのに、聞き取れない。目の前で起きていることを知っているのに、その中心にある言葉だけが、もどかしいほど遠い。彼は耳を澄ませようと無意識のうちに首の筋肉を緊張させたが、やはり徹の声は、水音と夢愛の喘ぎの狭間に沈んでいくだけだった。
夢愛の白い尻が、先ほどよりも速く上下し始めた。彼女の太腿の内側を愛液が伝い落ち、徹の陰毛を濡らし、その下の布団までぐっしょりと湿らせているのが、薄明かりの中でも見て取れる。発酵したような、チーズのような、むっとする性の匂いがコタツの熱気に乗って漂い、司の鼻を刺した。
「夢愛……腰、動かすの上手くなったな」
徹の声が、抑えたトーンで鼓膜を撫でる。愉悦が混じっていた。
「誰と練習したんだよ」
「ん……言わない……言えない、くせに……」
夢愛は答えながらも腰を止めない。それどころか、もっと深く繋がろうとするかのように、尻をぐいぐいと押し付けた。彼女の背中がしなり、肩甲骨のあたりに薄く汗が浮かんで、照明の光を反射している。
その時、夢愛が振り返った気がした。腰を動かしたまま、ほんの一瞬、肩越しに司の方を振り返る。いや、振り返ろうとしたのかもしれない。彼女の横顔が、乱れた黒髪の合間から見えた。その瞳が、確かに司の方を向いていた。ほんの数秒にも満たない、その一瞬の視線だけで、夢愛の罪悪感が司の胸に流れ込んでくる。彼女は迷っていた。いや、迷いながらも、腰は止められない。止められない自分を、司に見つかってしまうかもしれないと怯えている。快感の底で、ほんの僅かな良心が、最後の澱のように沈んでいる。そんな光景が、司の網膜に深く突き刺さった。なのに、彼女の腰は動きを止めない。むしろ、振り返ったことで司の寝顔を確かめ、それが逆説的に彼女の淫熱を煽ったかのように、次の瞬間には、より深く、より巧みな動きで徹の肉棒をしゃぶり上げていた。
「司じゃ、こんな風にしてくれなかったんだろ」
その言葉が、刃物のように司の胸を刺した。徹の声には、嘲りと、長年溜め込んできた鬱屈があった。司は布団の下で、唇の裏を噛み締める。歯が肉に食い込んで、鉄の味が口の中に広がった。
でも動けない。動けなかった。
夢愛は何も答えず、ただ腰の動きを激しくするだけだった。無言であることが、徹の言葉を肯定しているかのようだった。だが、その横顔には泣き出す寸前のような歪みがあって、徹の指が白い尻の肉に深く食い込むたび、彼女の口からは「ごめん、ごめんなさい」という、誰に向けたものかわからない程にか細い謝罪の言葉が、喘ぎに混じって落ちていく。その声は司の耳に届くか届かないかの瀬戸際で震えていた。聞こえた瞬間、司の胸は、怒りよりも先に、言いようのない哀しさでぎちりと締め付けられる。
ずぶっ、ずぶずぶずぶっ。
「あっ、あっ、あっ……だめ、また、私……そんなに突いたら、ほんとに声、出ちゃ……っ」
夢愛の声が切羽詰まったものに変わる。膝ががくがくと震え始め、上半身ががっくりと前に倒れかけた。その拍子に、結合部から愛液がぐちゅりと搾り出されて、太腿を伝い落ちる。
ニュチュ、じゅぷり。
徹が下から腰を突き上げた。両手が夢愛の尻を鷲掴みにし、そのまま強引に引き寄せる。白い双丘が指の間からはみ出し、柔らかく形を変えるのが見えた。
「ひぁっ……!」
夢愛が小さく悲鳴を上げる。苦痛ではない、明らかに快感に突き上げられた声。彼女は首をのけぞらせ、長い黒髪が背中を滑り落ちる。
その余韻が消えぬうちに、徹の低い囁きが追いかけた。だがその言葉は、また司の耳に完全には届かない。切れ切れの音だけが、湿った空気の層を抜けてくる。「……いい……どうせ……」という断片だけが、妙に明瞭に鼓膜を叩いた。司は唇の裏を噛みちぎってしまいそうだった。聞き取れない言葉に、ありもしない台詞を勝手に当てはめてしまう。そのたびに胸の奥がぐちゃぐちゃに掻き回される。何を言っているのか、知りたい。いや、知りたくない。その狭間で、司はただ、自分の心臓の音だけが耳の中でうるさく鳴り響くのを聞いていた。
夢愛が潤んだ瞳で徹を見下ろした。口元が泣き笑いのように歪む。指先を徹の胸板に沈めると、抗いきれない淫熱に押し流されるように、そっと腰を回し始めた。
司は息を殺した。目蓋を閉じたい衝動に駆られたが、それでも見てしまう。見るのをやめられなかった。目の前の光景が悪夢であることを願いながら、それでも一瞬一瞬を、網膜に焼き付けている自分がいた。
葡萄色の間接照明が、二人の濡れた肌を照らす。グシュグシュと音を立てる結合部。紅潮した夢愛の頬と、波打つ腰。徹の逞しい太腿と、彼女の白い尻のコントラスト。そのすべてが、ぬかるんだ闇の中で腐って光る果実のように、司の目の裏にこびりつく。
コタツの温もりだけが、何も変わらず三人を包み込んでいた。その変わりようのなさが、逆に恐ろしかった。世界はさっきまでと何も変わっていないのに、司の内側でだけ、すべてが音を立てて崩れ落ちていく。
夢愛が再び腰を振り始める。白い尻が上下する。そのたびに、ぬちゃぬちゃという水音が静かな部屋に響き渡った。司の背中と布団の間で、汗と湿気がぐっしょりと澱んで、身体全体を沈み込ませるように重かった。
第3章 親友の告白と恋人の絶頂

第3章: 親友の告白と恋人の絶頂
布団の中で、司は瞼を薄く開いたまま、眼球だけを動かしてコタツの上を凝視した。汗の匂いと、むっとした生温かい空気とが、何層にも重なって鼻の奥にへばりつく。呼吸を浅く、音を殺しながら、司は自分という存在を消失させようと必死だった。しかし、まぶたの裏で脈打つ血管と、凍りつくほどに冴えてしまった聴覚だけが、彼を現実に縫いとめている。
夢愛の腰は、もう自分の意志とは別のものに操られているようだった。白くしなやかな彼女の背が、静かな獣のようにしなっては沈み、そのたびに丸い尻がぐちゅり、ぬちゃり、と濡れた肉を食い合わせた。結合部のあたりで、徹の太いものが消えては現れ、現れては消える。橙色の照明の下で、夢愛の汗ばんだ肌は水あめを流したように照り、骨の浮く肩甲骨が、喘ぎに合わせて左右へ寄せては開く。司は自分の喉が引きつるのを感じた。これは悪夢だ、と心の中で繰り返した。だが、鼓膜に貼りつく水音は、夢であっていいはずがなかった。
ぬぷ、ちゅ。くちゅくちゅ。
「あ……そ、そこ、だめ……おかしくなっちゃう……とおる、とおるの、おちんぽ……あったかくて、ふとくて……」
夢愛の声は細く、唾液を含んで震えていた。彼女は上体を後ろへ反らし、左右に頭を振る。長い黒髪が汗で肌に張りつき、首から鎖骨へ、銀の糸のように絡まっている。腰はまったく止まらない。太股の内側がぴちゃぴちゃと音を立て、コタツ布団の上に透明な染みを増やしていた。司は目玉をじっと動かし、その滴りが布の繊維に吸われていくのを眺めた。まるで自分の身体から血の気が引いていく音のように思えた。
「夢愛、動きが淫乱だぞ。腰がもう、べろべろしてる」
「んんっ……だって……ちょう、気持ちいいんだもん……しらない、わたし……こんな身体じゃなかったのに……」
夢愛が首をくっと仰け反らせ、片手で髪をかき上げる。その拍子に、汗で透き通った鎖骨のくぼみや、薄い脂肪の下で浮いた肋骨の影が、司の視界に焼きついた。以前、彼女の脇腹に触れたときの柔らかさを、司は一瞬だけ思い出した。だが、いま、彼女の肌は徹の指の形に沈み、徹の掌の熱を食べて溶けている。思わず唇を噛みしめると、血の味に似た苦さが口の中に広がった。
グチョッ。ドチュンッ。
徹が下から腰を突き上げ、夢愛の身体が弾んだ。彼女の悲鳴が、息とつながったまま迸る。
「ひぅうっ、お、おくっ、しきゅうまで、とどいてる……!」
「司ので届いたことあるか? そんな細いんじゃ、奥までなんて夢の話だろ」
徹の声は笑っているのに冷たかった。感情の熱が、舌先にだけ乗った言葉だった。夢愛はしばらく応えなかった。ただ、ぬかるみの中で喘ぐことだけに専念しているようだった。やがて彼女は、消え入りそうな声で答えた。
「……ない、とどかない……司のは、やさしくて、ちいさくて、おくまでなんて、とどいたことない……だから、こんなの、わたし……しらないの……」
喉の奥から絞り出されたその告白は、部屋の中をぐるぐると回って、司の頭蓋の内壁に粘りついた。彼の胸の底で何かがぐちゃりと潰れる。怒り、ではない。もっと湿った、情けなさと恥辱が混じったものが、腹の奥で腐り始める。司は小さく息を吐いた。指先を布団の下で丸める。爪が手のひらに食い込む痛みが、むしろ正気を保つための錨だった。
「おい、夢愛。もっと腰振れ。司にも聞こえるように、ぐちゅぐちゅ鳴らしてやれよ」
「や、やだ……そんなこと、できない……」
「できないのに、もう濡れすぎて泡立ってる。ほら、音がしてる。耳、澄ませ。司の目の前で、夢愛のここが俺のちんぽをしゃぶってる音だ」
ぬちゃあ、グチュグチュ、じゅぶり。徹がわざと深く、ゆっくりと突き上げる。夢愛の膣はまるで熟れた果実のように液を溢れさせ、徹の陰毛を白く染めていた。透明と白濁が混ざって粘ついた泡が、結合部の縁に輪のようにこびりついている。司は息をするのも忘れた。空間ごと溶けた砂糖菓子を呑まされているようだった。目玉が熱い。涙がにじんでいるのか、視界の端で橙色がぐにゃりと歪んで揺れた。
「とおる……とおるのおちんぽ……すき、だいすき……もっと、ずりゅずりゅって、なか、混ぜて……わたし、なんでもするから……ヤってるあいだだけは、司のこと、考えたくないの……」
そのとき、夢愛は一瞬だけ、司のほうを振り向いた。しかし、視線は寝ているはずの彼の顔には合わず、そのまま宙を泳いだ。何かを恐れるように、何かを振り切るように、彼女は再び徹の胸に両手をつき、自ら腰を振り下ろし始める。彼女の尻がぶるぶると震え、肉と肉の打つ音が、ぬかるんだ粘液音と混ざって、部屋の壁に染み込んでいく。
ぐちゅんっ、ぱんっ、ぬぷぷっ。
「あ、あ、また……わたし、いく、いく……さっきから、ずっと、いってるのに、おなかの奥が……きゅうって、しぼられるみたいに……」
「イけよ。俺も、そろそろお前ん中に出したくなってきた」
「だめ、中はだめ……とおる、おくにだしたら、ほんとに、わたし、ぜったい、もどれなくなる……っ、でも、いくの、もう、とめられない……ひ、うそ、きもちいい、とおる、とおる……!」
夢愛の背中が弓なりにしなった。きつく閉じたまぶたの下で、眼球が白いところをさらしている。司には見慣れたはずの彼女の横顔が、いまは知らない女のものだった。膣口からじゅぷ、と液がほとばしり、徹の下腹を伝ってコタツに落ちる。夢愛の太腿がけいれんしたように内側へ閉じ、そのまま大きく痙攣した。肩が息を求めて浅く激しい。胸の先の乳首が、ひくつくたびに汗に濡れて光る。司の鼓膜には、彼女がつい今しがた叫んだ「とおる」という音だけが耳の奥で何度も木霊していた。
やがて、夢愛はぐったりと徹の胸へ崩れた。 自分の呼吸を整えながら、彼女はしばらく小さく震えていた。徹はそんな夢愛の後頭部を撫でる。まるで、壊れかけた玩具を労る手つきだった。
「出していいか」と徹が低く問うた。
夢愛は顔を上げ、少しだけ迷ったあとに、こくりと頷いた。
「……下で、咥えるから。口に、ちょうだい」
彼女はそのまま、徹の腹の上を這うように下がり、彼の股のあいだに顔を埋める。立ち上がった肉棒が、ぬらぬらと自分の蜜を絡めたまま、空気の中で重たげに揺れた。夢愛はそれを目を細めて見つめ、そっと頬を寄せた。肌に押し当て、においを吸っているようだった。
「……熱い。これが、わたしをおかしくした、とおるの……」
彼女は亀頭に唇を寄せ、ゆっくりと口を開いた。ぬるんと膨れた先端を唇で包むと、そのまま、じゅぷり、と音を立てて含んでいく。両手は根本と睾丸をそっと支えていた。彼女の舌が裏筋をたどるたび、徹の太い肉棒がびく、と跳ねる。司は唇を噛みながら、夢愛の頬が吸盤のように肉棒へ張りつき、耳のそばの髪が汗でぬれて、口元へ張りついていく様を凝視した。
ちゅぱ、ちゅちゅ、れろろ。
「上手い。喉の奥、使え。このまま吸ってりゃ、すぐ出る」
「ん、んぶ……ちゅぽっ……とおるの、口のなかで、ふえていってるみたい……」夢愛は一瞬口を離すと、こんこんと軽く咳き込み、唾液と先走りの混じった糸を切った。それでも彼女の指は肉棒を離さない。汗ばんだ手のひらで、重い竿をやわやわと扱きながら、彼女はもう一度、今度は根本近くまで咥え込んだ。
「んん……っ、……ふか、い……喉、とどか、ない……」
目じりに涙をためながら、彼女は熱心に首を前後させた。じゅぼじゅぼ、グチュ、ピチャ、湿った音が絶えない。顎の下を唾液が伝い、胸元へ垂れてくすんだ光を放っていた。司は自分の股間が反応しそうになるのを感じ、布団の中で太腿を強く押さえつけた。こうしている間にも、身体だけは正直に、目の前の光景を欲望として受け取ってしまう。そのことが、何よりもおぞましかった。
「……出る、夢愛。舌、出してろ」
「ん、ぅん……きて、とおる……おちんぽ汁ちょうだい……」
夢愛は口を開け、舌を差し出した。舌の上は唾液でぬめり、徹の先端が赤く勃起している。彼女の黒い瞳が、蕩けて徹だけを見上げていた。徹の下腹が大きく膨らむように緊張し、棒が一際硬く反り返る。どく、どく、どく、と脈打つたび、先端から白濁が重たげに噴き出した。それは彼女の舌の上に落ち、顎へ飛び、鼻先にまでかかる。夢愛はまばたきもせず、射精の一筋一筋を舌で受けていた。唇の端から白く濁った涎が垂れて、あごを伝い、彼女の小さな乳首の上に落ちる。
「……にがい。へへ」
喉を鳴らすようにして精液を飲み下し、彼女は舌に乗った残りをわざとべろりと見せてから、呑み込んだ。その笑みは、司が四六時中そばで見てきた甘やかなものだったのに、いまはすっかり別の男の味に染まっていた。
司はまぶたを力づくで押し下げようとして、やめた。視界を断った瞬間、音が逃げ場をなくして全身を食い破りそうだったからだ。だが、見開いたまま保つ視界もまた、彼を責めた。露骨なまでに恋人だった女が、親友だった男の肉に奉仕し、白く濁った体液を飲み込んでいる。その光景は、甘く饐えた匂いとともに、司の喉の奥にまで入り込んでくるようだった。吐きそうなのに、目が離せない。唇の裏を噛みしめて、司は身動きひとつできずにいた。怒りよりも、悔しさよりも、はじめに来たのは、目元ににじむ熱い雫だった。それを布団に押しつけ、彼はさらに深く、呼吸を殺した。布団の中の空気までが、二人の営みのにおいで満ちていて、司は息をするたび、世界ごと裏切られているようだった。
第4章 勝利宣言と寝たふりの葛藤

第4章: 勝利宣言と寝たふりの葛藤
行為の余韻が、まだ部屋の空気にべったりと張り付いていた。発酵したようなチーズにも似た性の匂いがコタツの熱気と混ざり合い、閉め切った窓の結露が橙色の間接照明をぼんやりと拡散させている。夢愛と徹は、互いの汗に濡れた肌を寄せ合って、コタツにだらしなくもたれかかっていた。
テーブルの上には、ぬるくなった缶チューハイが二本、飲みかけのまま放置されている。徹はその一本を手に取ると、軽く口をつけてから、低く、しかし妙に落ち着き払った声で呟いた。
「なあ、夢愛」
彼の細い目は、どこか遠くを見るように細められていて、しかし口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。
「俺さ、高校ん時からずっと思ってたんだよ。司ばっかりが、いつもいい思いをしてたって」
夢愛は徹の胸に頬を寄せたまま、ゆっくりと顔を上げた。彼女の長い黒髪が徹の肩に張り付き、汗ばんだ肌の間からとくとくと鼓動が伝わる。
「どういうこと?」
「部活のレギュラーも、文化祭の実行委員も、教師からの信頼も、ぜんぶ司が持ってった。俺はずっと、あいつの引き立て役だったんだ」
徹は缶をコタツの上に置くと、空いた手で夢愛の髪を梳いた。指が髪の毛の間をくぐり抜け、うなじの産毛をそっと撫でる。
「悔しかった、とは違うんだ。そうじゃなくて、当たり前だと思われてるのが、一番むかついた。俺はいてもいなくても同じで、司さえいればそれでいいんだって、そんな顔を周りが平気でするのが、たまらなく嫌だった」
夢愛は黙ってその言葉を聞いていた。彼女が司という存在に対して抱いてきた優しさや好意が、徹の口から出るたびに、まるで別の生き物のように変質していく気がしたのだ。
「だからさ、夢愛みたいな可愛い子が司の彼女って知った時は、ほんとに笑ったよ。またかってな」
「徹……」
「でもな、今日、初めて司に勝った気がする」
徹の声が、少しだけ震えた。怒りでも悲しみでもなく、むしろ解放感に近い何かが、彼の喉を震わせている。夢愛はそんな徹を見上げながら、そっと彼の腿に手を滑らせた。逞しい太腿の内側に指が触れ、まだ湿り気を帯びた陰毛の茂みをくぐって、そこにある半ば勃ち上がった肉茎にそっと触れる。
「勝った、って言うんだ」
夢愛の声は、甘く、そして少しだけ責めるような響きを帯びていた。
「私、徹の勝ち誇るための道具だったの?」
「違うさ。でも、そう思われても仕方ないことはしたよ」
徹は夢愛の手が自分のペニスに触れるのを拒まなかった。それどころか、彼女の指が血管の浮き出た表面を這うたび、くすぐったそうに腰を微かに揺らす。ぬるついた先走りが指の腹に絡み、じゅぷりと小さな粘液音を立てた。
「夢愛、お前、どうしたい?」
徹が尋ねると、夢愛はしばらく指を動かしながら考え込んでいたが、やがて小さく息を吐いてから言った。
「司は優しいよ。ほんとに優しいの。でも、今日のこと、司には言えないよね」
彼女の指が、徹のペニスの裏筋をゆっくりとなぞる。爪の先が、敏感な亀頭のふちを引っかくように動いて、徹は思わず低く唸った。
「言えるわけないよ。言ったら終わりだ」
「うん……終わっちゃう」
夢愛はそう言いながら、徹の胸に顔を埋めた。彼の胸板は汗の匂いと微かな酒の匂いが混じっていて、そのむっとするような男の匂いが、彼女の鼻腔をくすぐる。彼女は右手で徹のペニスをそっと握りしめたまま、親指で亀頭の先端をくりくりと捏ね始めた。
「でも、私……また徹の欲しい」
その言葉が、部屋の静寂を切り裂いた。
司は布団の下で、心臓が止まるかと思った。拳はすでに握りしめられていて、爪が手のひらに食い込んで皮膚が裂けている感触があったが、痛みなど感じている余裕はない。ただ夢愛の「またしたい」の一言が、耳の奥でぐるぐると反響し続けている。
やっぱり。やっぱり夢愛も、徹のことを求めているんだ。
頭の芯がじんと痺れ、目の奥が熱くなる。唇の裏を噛み締めすぎて、口の中に鉄の味が広がっていた。起きて問い詰めたい。いや、問い詰めるだけでは済まない。怒鳴り散らして、徹を殴りつけて、夢愛に何をしているんだと叫びたい。しかし、その想像の先には必ず、二人が去っていく光景が浮かんだ。
夢愛が自分の元を去り、徹が親友ではなくなる。大学でもサークルでも、これまで当然のように一緒にいた二人が、自分の前から消える。そんな未来を思い描いただけで、司の腹の底から冷たい何かがせり上がってきて、全身が凍りついた。
動けない。動いてはいけない。いや、動きたくないのか。
自分のこの怯えは、果たして愛情から来るものなのか。それともただの臆病さか。司は自分でもわからなくなっていた。ただ、裏切られたという怒りと悲しみが胸の中で渦を巻き、それが行き場を失って自分自身を傷つけ始めていることだけは、はっきりと感じ取れた。
「またしたい、か」
徹がゆっくりと繰り返した。彼の声には、微かな得意げな響きが滲んでいる。
「司がいるのに?」
「徹が言わせてるんだよ、そんなこと」
夢愛は拗ねたような口調で言い返しながら、指の動きを止めなかった。彼女の手の中で、徹のペニスが硬度を取り戻し始め、ぬるぬるとした愛液と先走りが混ざり合って、指の間から音を立てている。くちゅ、ぬちゃ、という粘着質なリズムが、また部屋に流れ出した。
「言わせてるんじゃない。お前が言いたいんだろ」
「……うん。言いたいの」
夢愛は顔を上げ、徹の顎のあたりを見つめながら、恥ずかしそうに唇を尖らせた。
「だって、徹のおちんぽ、太くて、硬くて、奥までガンガン当たるんだもん。司のよりずっと気持ちいいの。こんなの初めてで、どうしたらいいかわかんない」
そのあまりに赤裸々な言葉に、司は胸の内で何かが壊れるのを感じた。まるでガラスがひび割れるような、それでいて肉が裂けるような、痛いのか熱いのかも判別できない感覚が、胸の中心からじわじわと広がっていく。
俺のよりずっと気持ちいい。
夢愛ははっきりとそう言った。さっきのセックス中にも「司のとは全然違う」と言っていたが、今のはさらに生々しく、残酷だった。コタツの温もりが、焦熱の拷問のように感じられる。早くこの場から逃げ出したかった。しかし身体は布団に縫い付けられたかのように動かず、ただ歯を食いしばって、こぼれそうになる嗚咽を必死で押し殺すことしかできなかった。
徹が小さく笑った。それは嘲笑というより、むしろ深い満足感に満ちた吐息のような笑みだった。
「そうかよ。そんなに気持ちいいか」
「うん……だめなのに、体が勝手に欲しがっちゃうの。徹に抱かれてると、全部どうでもよくなっちゃう」
夢愛の声はもう、後悔や罪悪感よりも、目の前の欲望に素直に染まっていた。彼女は片手で徹の根元を握りしめ、もう片方の手で彼の陰嚢をそっと揉みほぐしながら、舌なめずりをするように唇を湿らせた。
「でも、もし司が起きたら?」
「起きないよ。あいつは酒に弱いし、一度寝たら朝まで起きやしない」
徹はあっさりと言い放った。その言葉には、司に対する侮りと、長年溜め込んできた優越感が透けて見えた。彼は夢愛の手をそっと外すと、代わりに自分の大きな手のひらで彼女の白い尻を包み込んだ。指が柔らかな双丘の谷間に沈み込み、汗でしっとりと濡れた肌を弄ぶ。
「それに、もし起きたところで、俺はもう構わない」
「構わないって、どういうこと?」
「そのまま見せつけてやってもいいってことだよ。俺がお前を抱いてるところを、全部見せてやりたいくらいだ」
徹の声には、抑えきれないほどの暗い情熱が込められていた。高校時代、教室の隅で、部活のベンチで、飲み会の席で、何度も何度も感じてきた劣等感が、今この瞬間、すべて溶けて消えていく。そんな錯覚が、彼をさらに大胆にさせた。
司はその言葉の一語一句を、鼓膜の奥に刻み込むようにして聞いていた。見せつけてやりたい。親友が、自分の恋人を抱きながら、そう言い放った。怒りを通り越して、ただただ虚無に近い感情が胸に広がっていく。これほどまでに憎まれていたのか。これほどまでに、奪いたかったのか。
拳を握る力が、少しだけ緩んだ。握りしめることにも疲れてしまったのか、それともすべてを諦め始めているのか、司自身にもわからない。ただ、コタツの温もりだけが、変わらず三人を包み込んでいて、その変わらなさが不気味だった。
世界は何も変わっていない。春になればまた大学に行き、サークルがあり、バイトがあり、三人で酒を飲む日が来るかもしれない。だが、司の心の中でだけ、すべてが音を立てて崩れ落ち、二度と元には戻らないのだ。コタツのぬくもりが、まるで冷たい棺の内側のように感じられたのは、きっとそのせいだった。
夢愛は徹の言葉に少しだけ黙り込んだが、やがてくすりと笑った。
「徹って、意外と意地悪なんだね」
「今さらかよ。ずっとそうだよ、俺は」
「知らなかった。だっていつも明るくて、優しい人だと思ってたから」
「それはお前が、俺のことをちゃんと見てなかっただけだ」
徹はそう言って、夢愛の尻を軽く叩いた。ぱちん、という乾いた音が部屋に響き、夢愛が小さく悲鳴を上げる。しかしその声はすぐに甘い笑い声に変わり、彼女は徹の胸にしがみついた。
「これからはちゃんと見るよ。徹のこと」
「司のことは?」
「司は……司は、私にとって優しい人だけど、でも……」
夢愛は言葉を濁し、徹の肩に額を押し付けた。その沈黙が、すべてを物語っていた。彼女は選んだのだ。徹の太いペニスが与える快楽を。そして司は、その沈黙によって、完全に切り捨てられた。
司は目を閉じた。もう何も見たくなかった。しかし閉じた瞼の裏にまで、夢愛の白い肌と、徹の歪んだ笑みが焼き付いて離れない。耳の奥では、さっきまでの嬌声と粘液音が、いつまでも繰り返し響いていた。
コタツのタイマーが切れるかすかな音がして、部屋がほんの少しだけ暗くなる。外では風が吹きすさび、二月の凍てつく空気が窓ガラスを震わせていた。だが部屋の中だけは、三人の体温と熱気がまだ生温く滞留していて、その空気が、司にとっては吐き気を催すほどに息苦しかった。
第5章 ゴミ箱と虚無の朝

第5章: ゴミ箱と虚無の朝
窓の外が、ゆっくりと白み始めていた。カーテンの隙間から差し込む冬の朝日は弱々しく、部屋の埃を浮かび上がらせるだけで、何も暖めてはくれない。コタツの温もりだけが、変わらず三人分の体温を抱え込んだまま、布団の中でじんわりと生き続けていた。
徹が最初に動いた。
「そろそろ時間だな」
低く抑えた声が、静寂を破る。彼はゆっくりと身体を起こし、床に落ちていた自分のトレーナーを拾い上げた。夢愛もまた、徹の胸から顔を離し、名残惜しそうに瞼をこすりながら上体を起こす。彼女の長い黒髪が乱れて背中に張り付き、その白い肌が薄明かりの中でぼんやりと浮かび上がっていた。
「もう朝かあ……早いね」
夢愛の声はまだ眠気を含んでいて、舌っ足らずだった。彼女は床に脱ぎ散らかされた自分の下着とブラウスを見つけ、手探りで拾い集める。
「あんまり長居すると、司が起きちゃうかもね」
そう言いながら、夢愛はちらりと司の方を見た。司は必死に寝たふりを続けていた。呼吸のリズムを崩さず、閉じた瞼の裏で、鼓膜だけが二人の一挙手一投足を追いかけている。
「そうだな。ま、起きても構わないけど」
徹は微かに笑いながら、ジーンズを履き、ベルトを締めた。革の擦れる音と金具のぶつかる小さな金属音が、やけに耳につく。
「でも、今日はやめておくよ。朝から気まずいのもな」
夢愛はブラウスのボタンを留めながら、小さく笑った。
「徹も案外、肝心なとこでビビりなんだね」
「うるさいな。誰かさんが、司には言えないって言うからだろ」
徹はそう言い返しながら、床に落ちていた夢愛のスカートを拾い、彼女に手渡した。夢愛はそれを受け取り、腰に巻きつけながら、いたずらっぽく唇を尖らせる。
「だって、言えないもん。言ったら終わりだもん」
「終わりなのは、俺も同じだ。だからまあ、これからはこっそりだな」
「こっそり、ね。なんだか悪いことしてるみたい」
「悪いことしてるんだよ。俺たち」
徹の声は冷めていたが、その口元には歪んだ充足感が浮かんでいた。彼はテーブルの上の缶チューハイの空き缶をゴミ袋に突っ込みながら、部屋を見渡す。昨夜、三人で鍋をつつき、笑い合った部屋が、今はまったく違う表情で朝の光に照らされている。
司は布団の中で、奥歯を噛み締め続けていた。歯の根がきしみ、こめかみのあたりに力が入る。こっそり。これからも続けるつもりなのか。二人は、俺に隠れて、またこんなことをするのか。怒りと悲しみが、胃の底でぐるぐると渦を巻き、吐き気にも似た重さで腹の奥に沈殿していく。
それでも、司は動けなかった。目を開けて、「お前たち、何をしているんだ」と叫ぶことが、どうしてもできなかった。たった今、目の前で行われていた裏切りを面と向かって指摘してしまえば、本当にすべてが終わる。その終わりを、受け入れる勇気が、司にはなかった。臆病者。ずっと徹には、明るくて、みんなに好かれて、優しいヤツだと思われていた。違う。違うんだ。俺はただ、傷つくのが怖かっただけだ。
夢愛は鏡の前で髪を整えていた。小さな手鏡を取り出し、指で前髪をとかし、結んだりほどいたりしながら、その仕草はいつもと変わらない朝のルーティンに見えた。ただ一つ違うのは、彼女の肌がまだうっすらと火照っていて、首筋に徹のつけた小さな赤い痕が残っていることだった。それはまるで、誰かに所有を主張するかのような印だった。
「そろそろ出るわ」
夢愛が振り返って言った。彼女はコートを羽織り、マフラーを首に巻く。
「ああ、俺もだ。ここにいると、さすがにバレる」
徹もダウンジャケットを手に取り、ファスナーを一気に上げた。二人は玄関に向かいながら、声を潜めて何かを話している。夢愛がくすくすと笑い、徹が低く応じる。そのやりとりは、昨夜の行為の余韻をまだ引きずっているようで、司には耐えがたいほど親密に聞こえた。
玄関のドアが開く音。冷たい外気が部屋の中に流れ込み、コタツの温もりを一瞬だけ攪拌する。
「じゃあ、またな」
徹の声。
「うん、楽しかった。またね」
夢愛の声。楽しかった。その一言が、とどめだった。彼女の声には罪悪感や後悔の色がまるでなく、むしろ秘密の遊びを楽しむ少女のような無邪気さがあった。司は布団に顔を埋めた。唇の裏を噛み切りそうになりながら、声にならない嗚咽を押し殺す。
ドアが閉まる。鍵のかかる金属音。
静寂が、部屋を支配した。
司はそれでもしばらく、動けなかった。いや、動こうとしなかった。動いてしまえば、この悪夢が現実だったと認めることになる。コタツの温もりだけが、さっきまで三人を包んでいたぬくもりだけが、何も変わらずに司の身体を支えていた。その温もりが、今は無性に憎かった。
目を開ける。
天井の木目が、ぼんやりと視界に入る。何度も見慣れた、アパートの古びた天井。昨日までは、ここが自分の城だった。夢愛と徹が来て、笑って、飲んで、いつもの日常を繰り返すだけの、安心できる場所だった。だが今は、すべてが違って見える。壁も、床も、コタツも、すべてが裏切りの舞台装置に過ぎなかったかのように、よそよそしく、冷たく感じられた。
司はようやく身体を起こした。頭が重く、こめかみのあたりに鈍い痛みがある。酒の残りか、それとも一睡もできなかったせいか、判断がつかなかった。喉の奥はカラカラに乾いていて、唾を飲み込もうとしても舌が上顎に張り付くだけだ。
彼は立ち上がり、ふらつく足取りで台所へ向かった。蛇口をひねると、冷たい水道水が勢いよく流れ出す。コップを取るのも億劫で、直接口をつけて水を飲んだ。冷たさが喉を通り抜け、胃のあたりに染み渡る。昨夜、この喉の渇きで目を覚まさなければ、何も知らずに朝を迎えられたのかもしれない。いや、いつかは知ることになったはずだ。徹の目に宿っていた暗い炎に、もっと早く気づくべきだった。
水を飲み干し、蛇口を閉める。部屋に戻ると、コタツの上が目に入った。空き缶と、つまみの残りが散乱している。夢愛の箸が、テーブルの端に無造作に置かれたままだった。その箸の先が、ほんの少しだけ濡れているような気がして、司は目を逸らした。
その時、ゴミ箱が視界の端に入った。
小さなビニール袋がかけられただけの、簡素なゴミ箱。昨夜、徹が空き缶を捨てたばかりで、まだ袋の口が開いている。その中に、ティッシュが何枚か丸められて捨てられていた。
司の足が、勝手にゴミ箱の方へ向かう。近づくにつれて、むっとするような匂いが鼻をついた。チーズにも似た、発酵したような、甘くてしつこい性の残り香。昨夜、夢愛の身体から立ち上っていたのと同じ匂いだった。
彼はしゃがみ込み、ゴミ箱の中を覗き込んだ。丸められたティッシュの表面は、ところどころが濡れて半透明になり、中に吸い込まれた白濁の液体が透けて見える。間違いなく精液だった。徹が射精した後、夢愛が口から溢した分を拭いたものか、それとも二度目の行為の痕跡か。司には判断がつかなかったが、そんなことはどうでもよかった。ただ、そこに確かに、二人の淫らな行為の証拠が存在していた。
一枚のティッシュを、指先でつまみ上げる。まだ湿り気を帯びていて、ひんやりと冷たい。その感触が、妙に生々しかった。昨夜の夢愛の声が、耳の奥で蘇る。
「あぁ……すごい……」 「硬い……司のとは、全然、違う……」 「徹のおちんぽ、太くて、気持ちいいの……」 「またしたい」
ぐちゅ、ぬちゃ、ずぶずぶ、という粘液音。白い尻が上下に跳ねる光景。結合部から溢れる愛液の輝き。口内に射精され、こくんと飲み干す夢愛の喉の動き。
すべてが、このティッシュ一枚に凝縮されているような気がした。司はティッシュを握りしめた。爪の先に、生温かい湿り気が伝う。精液が、指の間からじわりと滲み出た。
涙が、静かにこぼれ落ちた。
目頭が熱くなり、次の瞬間には、視界が歪んでいた。涙はとめどなく溢れ、司の頰を伝い、顎から床に落ちて小さな染みを作る。彼は声を押し殺して泣いた。嗚咽が喉の奥で詰まり、肩が震え、息がまともにできなくなる。拳に握りしめたティッシュが、ぐしゃりと潰れて、精液と涙が混ざり合った。
何も言えなかった。何もできなかった。目の前で恋人が犯され、親友に嘲笑われ、それでも寝たふりしかできなかった自分が、情けなくて、惨めで、どうしようもなく醜かった。怒りはどこへ消えたのか。今はただ、悲しみと自己嫌悪だけが、胸の奥をえぐるように痛めつける。
どれだけそうしていたのか。カーテンの隙間から差し込む朝日が、少しずつ角度を変え、部屋の中の明るさが増していく。コタツのタイマーが切れて、微かにカチリと音がした。温もりが、ゆっくりと失われていく。
司は顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、部屋を見渡す。鍋はテーブルの上で冷え切っている。空き缶は数本が転がっている。夢愛の髪ゴムが、コタツ布団の隅に落ちていた。それを拾い上げ、手のひらに乗せる。まだ彼女の髪の匂いが、かすかに残っていた。シャンプーの花の香りと、徹の汗の匂いが、混ざり合っているような気がした。
司は立ち上がった。膝の力が抜けそうだったが、歯を食いしばって耐える。ゴミ箱の中のティッシュを、もう一度見下ろした。この部屋に残された、すべての証拠を、彼はどうすればいいのか。捨てることも、取っておくこともできず、ただ立ち尽くす。
カーテンを開けると、冬の朝日が部屋の中にいっせいに流れ込んだ。外は快晴で、凍てつくような空気が窓ガラス越しにも感じられる。遠くで、自転車のベルが鳴り、近所の犬が吠えていた。世界は、昨夜の出来事などまるでなかったかのように、いつもの朝を迎えている。
でも、司の中の世界だけは、決定的に変わってしまった。
今日も大学がある。明日も、明後日も。サークルがあり、バイトがあり、夢愛と徹と顔を合わせる日常が、これからも続いていく。しかしその日常は、もはや昨日までのものとは違う。笑顔の裏に潜む嘘、友情という名の劣等感、愛情と欺瞞の共存。司はそのすべてを知ってしまった。知りながら、何も言えない自分も、思い知らされた。
彼はゴミ箱に手を伸ばし、精液で濡れたティッシュを、もう一度ビニール袋の奥に押し込んだ。指先に残るぬめりが、いつまでも消えない。水道でもう一度手を洗い、冷たい水で顔を濡らす。鏡を見ると、目の周りが赤く腫れ上がった、情けない顔の男が映っていた。
部屋に戻り、コタツの電源を入れる。コードがつながり、温風が再び布団の中に吹き込み始めた。何も変わらない温もり。でも、この温もりも、もう司のものではない気がした。布団にしみ込んだ三人分の体温が、嘘と裏切りの熱のように思えて、居心地が悪い。
それでも、司はコタツに足を入れた。いつもの場所。昨日までと、同じ場所。彼はテーブルに突っ伏し、目を閉じた。瞼の裏に、夢愛の白い尻が、徹の歪んだ笑みが、ぬちゃぬちゃという粘液音が、何度も何度も再生される。
何もできなかった。何も言えなかった。
ただ、その無力さだけが、司の心に深く突き刺さり、抜けることなく朝の光の中で鈍く疼き続けた。冬の静かな朝だった。あまりにも静かで、その静けさが、かえって残酷だった。司はただ、日常という名の虚無の中に、立ち尽くすことしかできなかった。
第6章 決別と再生の季節

数日が過ぎても、司は自室の冷たいフローリングに座り込んだままだった。コタツはない。冬の底冷えが板の目地から這い上がり、薄いスウェット越しに骨の奥までしみ込んでくる。司は背を丸め、両膝を抱え、時折こめかみに滲む汗を乱暴に拭った。あの夜のことを思い出すたび、胸の真ん中に楔を打ち込まれるような痛みが走る。夢愛の白い肌。徹の歪んだ口元。それから、ぐちょん、ぐちゅ、と耳の奥にへばりついた粘液質な水音。静まり返った部屋の中で、瞼の裏に貼りついた残像だけが、意志を持つ生き物のように勝手に明滅した。司は拳を握りしめ、歯を食いしばる。なぜあの時、飛び起きなかったのか。なぜ寝たふりなんてしたのか。自責の刃が、腹の内側から何度も何度も臓物を掻き回した。怒りは徹に向かい、悲しみは夢愛へと流れた。けれど、それ以上に強く、自分自身の弱さへの苛立ちが、じわじわと腹の底で温度を上げていく。じっとりと水分を含んだ陰火のような怒りが、指先を震わせた。
部屋の片隅には、つい数日前まで当たり前にあったコタツの残像が淡く浮かんでいる。いや、実際にはもう、この部屋にコタツはなかった。あの夜使われたコタツは、元々この部屋のものではなかった。気づけば二人が持ち込んでいた、あの夜のための舞台装置のようなものだったのだ。撤去されたフローリングの一画が、奇妙に広く、異様に白く浮かんで見える。残された凹みのような空白が、ここに確かに三人分の体温が重なっていた時間があったことを、容赦なく司に突きつける。冷たい板床に手のひらを這わせると、表面はからからに乾いている。それなのに、指の先にはぬるつく記憶がまとわりついて離れない。夢愛の汗と唾液と愛液が、木目に染み込んでいるような錯覚。実際には何も染みていやしないことを、指先が温度として知っているのに、脳はあの夜の感触ばかりを繰り返し再生した。
初めの三日間、司は布団から出られなかった。いや、布団にすらまともに入っていなかった。床に座り込んだまま壁に背を預け、眠気が限界を超えるとその場で崩れ落ち、冷たい板の上で浅い睡りに落ちる。目が覚めると、頬に床の硬さが染み込んでいて、口の中は乾き、胃は空腹を通り越して痙攣を起こしている。それでも、食べる気にも、飲む気にもなれなかった。ペットボトルの水だけが、部屋の隅で残量を減らしていく。四日目の朝、ようやく司は身体を起こし、浴室へ向かった。湯を出す力もなく、冷たいシャワーを浴びた。弾ける水滴が肌を刺し、三日分の皮脂と汗と涙の残滓を押し流していく。排水口に吸い込まれていく濁った水を見つめながら、それでも自分は生きているのだと、その温度の痛みだけが教えてくれていた。五日目、彼は無理やりにでも何かを腹に入れようと、台所に立ってカップ麺に湯を注いだ。麺が戻るまでの三分間が、やけに長く、そして曖昧に感じられた。箸を持った右手の先が自分のものではないようで、それでも五口だけ、胃に流し込んだ。六日目、ようやく洗濯機を回した。回転するドラムの音が、静寂とあの夜の残響に浸された部屋に、鈍い現実感を取り戻していく。七日目の夜、彼は壁にもたれて目を閉じていた。天井の蛍光灯は切れかけたまま点滅を繰り返し、部屋の明暗を不規則に揺らしている。その明滅のリズムに、あの夜の夢愛の腰の動きが重なる。白い尻が、暗がりの中でくい、くい、と跳ねる。あの肉感的な半球が重力に逆らって揺れるたび、ぬちゃ、ぐちゅ、という粘着音が空気を裂いた。太く逞しい肉棒が、夢愛の襞の谷間を深く穿ち、引き抜かれる瞬間に内壁が外へめくれそうなほど吸い付いている。その映像は、目を開けても閉じても消えない。脳の裏側に張りついた網膜の残像として、司の視界のすべてを侵食していた。爪が食い込むまで拳を握り、太腿の上に乗せた両手が細かく震えるのを止められない。怒りと悲しみが冷たく背骨へと収まっていく一方で、もっと薄暗い、名も呼べない感情が、腹の底に熱い泥のように澱み始めていた。
司はゆっくりと膝を抱え直す。これは誰かのせいにする話ではない。徹の劣等感や夢愛の淫蕩さを責めたところで、自分の足元に空いた穴は埋まらない。あの夜、寝たふりをして、目を閉じて、音だけを全身で浴びた自分。卑怯で、臆病で、情けない。けれど確かにそこにいて、彼らの汗の匂いを吸い込み、粘液音を鼓膜の内側で反芻した自分。その自分と、これからどう向き合っていくか。司は壁に手をついて立ち上がる。足の裏が冷たい床に張りつく感触が、妙に現実的だった。冷えた四肢に血を巡らせ、ひとつ深く息を吸って、吐く。白い吐息のようなものは出ない。それでも、胸の真ん中に、冷たく硬い決意が据わるのを感じた。もう寝たふりはしない。目を開けて、現実を見据えよう。けれどその現実が何を意味するのか、司にはまだうまく言葉にできなかった。
翌朝、司はテニスサークルの荷物を片付けるため、体育館脇のクラブハウスへと足を運んだ。二月の終わり、春にはまだ遠い凍てつく風が、窓のない廊下を吹き抜けていく。剥き出しのコンクリートの壁が、侵入者を拒むように冷たい気配を放っていた。ロッカーの鍵を回す金属音が、静まり返った空間にやけに鋭く響く。普段なら仲間の笑い声やラケットの打球音でにぎやかな場所が、今日は異様なほど静寂に満ちていた。司は自分のロッカーの前に立ち、冷たい鉄の扉を開いた。中からこぼれ出るのは、汗の染みついたグリップテープの甘酸っぱい匂いと、数ヶ月前に夢愛がふざけて貼った猫のシール。歪んだ顔の猫が、傾いたままこちらを見上げている。それを指先でそっとなぞり、それからゆっくりと丁寧に剥がした。剥がした跡には、わずかに糊の白い痕が残っている。指先に触れるそのざらつきが、もう戻らない時間のかさぶたのような手触りに思えた。
「やめるんだって?」
突然、背後から声がかかった。振り返ると、同学部の二年生でサークル副代表の川上が、いつのまにか入口に立っている。腕を組み、眉をひそめて司を見つめていた。その視線には、とがめるような色と、いくぶんの心配が混ざっている。司は一瞬だけ呼吸を止め、それから短く「ああ」と答えた。ロッカーから荷物を取り出す手はすでに冷え切っていて、ラケットケースのファスナーを閉める音が、静けさの中でやけに鋭く耳を刺す。シューズ袋を肩にかけると、川上が一歩踏み出して距離を詰めてきた。彼のスニーカーの底が、床の砂を小刻みに鳴らす。
「理由、聞いてもいいか」
「ちょっとな。個人的なことで」
「徹と、それから夢愛ちゃんと、何かあったんだろ」
川上の声は低く、しかし確信めいた響きを帯びていた。司は答えなかった。ただ手を止め、ロッカーの金属の冷たさを指先に感じながら、小さく息を吐く。その吐息は白くはないが、空気に混じってすぐに消えた。川上は続ける。
「お前がやめるとか言い出した途端、あの二人、やけにぎくしゃくし始めたからな。サークルにもあんまり顔出さなくなったし。みんな薄々、何かあったんだろうなくらいは察してる」
「そうか」
「言いたくないならいい。でもな、司」
川上はさらに一歩踏み出し、司の肩に手を置いた。骨ばった、テニスのグリップで硬くなった指先が、わずかに司の肩を押す。その体温が、冬の寒さの中で妙に熱く、生々しく食い込んだ。人肌の温かさが、かえって自分の孤独の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。司は視線を落としたまま、自分の指先をロッカーの縁に置いた。冷えた鉄が、体温を吸い取っていく。
「お前がいなくなると、けっこう困るんだよ。ほかの連中もそう思ってる」
その言葉に、司はかすかに口元を緩めた。笑みと呼べるほど大げさなものではなかったが、ここ数日、彼の顔から消えていた表情の、潤みのような断片だった。頬の肉が動いたことで、張りつめた皮膚が少しだけほぐれた気がする。
「悪いな。でも、もう決めたことなんだ。やめるとは言ってない。ちょっと、距離を置きたいだけなんだ」
川上はしばらく黙っていた。やがてため息混じりにうなずく。
「そっか。まあ、お前がそう決めたなら、引き止めたりはしねえよ。ただ、たまにはメシでも行こうぜ」
「ああ、そうだな」
司はそれだけ言うと、ラケットケースを抱え直し、クラブハウスを後にした。外に出ると、乾いた北風が容赦なく頬を撫でる。空はどこまでも澄み切った冬の青に覆われていて、その透明さがかえって胸にしみた。澄み切った冬の空は、まるで世界の神経が剥き出しになったように鋭く、司の眼球の裏まで突き刺してくる。彼は息を呑み、マフラーを巻き直しながら歩き出した。耳の奥では、まだ川上の体温が肩に残っている。それがじわじわと冷えていくのが、妙に悲しかった。
結局、司はサークルを正式には辞めないまま、ただ顔を出さなくなった。退会届も出さなかった。荷物は持ち帰ったが、連絡先は残した。川上からのたまの誘いにも、時折うなずくだけで、実際に会うことはなかった。大学のキャンパスで仲間の姿を見かけても、司は遠回りをした。ラケットを振る音や、ボレーの掛け声が聞こえてきても、自分はその場所にいていい人間ではない気がした。意志が揺らぐのが怖かったのではなく、あの場所に戻れば、否応なくあの夜の三人の輪郭が浮かび上がる。司は、逃げるように歩き続けた。
あれから司は、夢愛にも徹にも、一言も連絡を入れなかった。携帯電話の着信履歴には二人の名前が何度か並んでいたが、いずれも無視した。最初は着信音が鳴るたびに心臓が跳ね、手が震えた。ポケットの中で振動する携帯の感触が、内臓をじかに揺すぶるようで、息苦しくなる。それでも出なかった。出ればきっと、何か言われる。謝罪か、言い訳か、あるいは逆ギレか。いずれにせよ、自分の決断を揺るがす言葉が飛び出すに違いない。司は携帯を机の上に伏せて置き、その上からクッションを押し当てた。音が鈍るたびに、心臓の跳ねる数が少しだけ落ちていく。
大学のポータルサイトには、履修登録の案内やサークルの活動報告が流れていた。司はある日、何気なくサークルの掲示板を開き、そしてすぐに閉じた。確かにそこには、夢愛と徹が二人で参加した練習会の記録が、写真つきで残されていた。それ以来、司は自分から二人の近況を探ることをやめた。けれど、情報は否応なく入ってくる。学内で夢愛を見かけた知人から、何げない会話の中で名前を出されたことも一度や二度ではない。そのたびに、司は「へえ」とだけ返し、話題を切った。知りたくなかった。けれど、知ってしまった。二人は今も、隣同士で過ごしているらしい。その事実を、司は持て余しながらも、静かに心の奥へ沈めていった。
そして何より、二人の声を聞くのが怖かった。あの夜、コタツの中で聞いた夢愛の甘い喘ぎ声と、徹の低い嘲笑が、まだ耳の奥にこびりついている。鼓膜のすぐ裏に、薄い粘膜のような膜が張っていて、電話越しに声を聞けば、それが一気に破れてあの夜の音が溢れ出してくる。それを避けたかった。司は自分の耳を指で塞ぎ、まぶたを閉じる。静けさの中で、自分の血流の音だけがどくどくと鳴っていた。それはあの夜、心臓が張り裂けそうだった時の音に似ていた。
代わりに司が選んだのは、沈黙だった。夢愛とのラインのトーク履歴を削除し、徹の連絡先を着信拒否に設定した。画面を操作する指先が冷たく、小さなタップ音が妙に部屋に響く。削除完了の表示を見つめるうち、胃のあたりがすっと冷めていくようだった。大学の講義でも、二人の姿を遠くに見かければ、階段を迂回して別の通路を使った。靴音を殺し、柱の陰に身を潜める。まるで自分の方が悪いことをしたかのような後ろめたさが、しばらくは背中にまとわりついた。冬の冷たい廊下で、自分の吐息の白さだけが、やけに生々しく目の前に残る。
それは間違いだと、司は自分に言い聞かせた。徹の劣等感は、徹自身が抱えてきたものだ。高校時代、部活のレギュラーも、文化祭の実行委員も、教師からの信頼も、徹が言うほど司が独り占めしていたわけではない。むしろ徹は、自分から一歩引いて、安全な場所から司を眺めていただけではなかったか。それなのに、すべてを司のせいにして、夢愛を奪うことでしか自分の価値を証明できなかった徹の弱さ。それは徹の問題であって、司が背負うべき荷物ではない。そう考えると、心の底でふつふつと煮えたぎるものがある。怒りとは違う、もっと乾いた、砂を噛むような悔しさ。奥歯を噛みしめると、ギリ、と骨の音が頭蓋に響いた。
そして夢愛。司は彼女を愛していた。春の陽だまりのような笑顔も、甘えてくるときに小さく首を傾げる癖も、不意に触れた指先の柔らかさも。それは本当だ。しかし、徹のペニスに気持ちいいと言い、自ら口を開けて精液を飲み干したのは、誰の意志でもない、夢愛自身だった。あの場に流されたのだとしても、流された先で彼女は確かに快楽を選んだ。その事実は、決して消せない。司は唇を噛む。下唇の皮膚が切れて、わずかに血の味が広がった。鉄の味。生々しい。けれど、それが現実だった。
司は自分の部屋で、何度もそう考えた。夜、布団にくるまりながら、あの夜のことを反芻した。コタツはない。部屋は冷え切っていて、吐く息が白く浮かぶ。エアコンの温風も毛布も追いつかない寒さの中で、彼はひとり、布団の下で拳を握りしめ、歯を食いしばって耐えた。目を閉じれば、今でも夢愛の白い尻が上下に跳ねる光景が瞼の裏に焼き付いている。ぐちょん、ぬちゃ、という粘液音。太く逞しい肉棒が愛液にまみれて光る様。徹の歪んだ笑み。司の喉が、ヒュ、と細く鳴る。心臓が肋骨の内側を拳で殴るようで、うつ伏せになると心音が布団に吸い込まれていく。
思い出すたび、胸が痛んだ。怒りが湧き、悲しみが込み上げ、そしてどうしようもない無力感が全身を包んだ。けれど、もはや寝たふりはしなかった。少なくとも自分の心の中では、目を背けずに現実を見据えようとする。それが彼に残された、ただひとつの骨組みだった。眠れない夜、天井の木目が、あの夜の夢愛の背筋のようにうねって見える。まぶたを閉じると今度は、愛液で濡れ光る肉棒の形が浮かんだ。悍ましくて、目を開ける。暗い部屋の冷たい空気が、彼の汗ばんだ額をなぞっていった。
三月に入り、春休みが始まる頃、キャンパスの沈丁花の蕾はまだ固く閉じたまま、風にわずかに粉っぽい匂いを乗せていた。司は時折、図書館と自宅を往復するだけの生活を送っていた。繁華街から遠い道を選び、薄暗い歩道橋の上で、時折足を止める。錆びた手すりから下を覗くと、道路を流れる車のヘッドライトが、連鎖する光の糸のように見えた。何かを考えようとしても、考えはいつもあの夜に戻ってしまう。三人分の体温が重なった暗がりに、心が吸い寄せられていく。彼は目を閉じ、冷たい空気を肺いっぱいに吸った。
そんなある日、彼は夢愛の近況を知った。といっても、自分から探したわけではない。生協の書籍部で立ち読みをしていると、耳の奥に、聞き慣れた声が不意に飛び込んできた。彼は本で顔を隠すように背を向け、息を潜めた。声の主は夢愛で、友人の女子学生と話していた。その日の午後、また徹と会うらしい、という内容が断片的に聞こえてくる。彼女の声は、昔のように明るく弾むのではなく、どこか緊張を含んだ、それでいて低く甘ったるい響きだった。友人から「またあいつんち?」とひやかされると、夢愛は「んー」とだけ返して、笑いを噛み殺すような吐息をこぼした。司は、自分が彼女に近づいてはいけないことを、その瞬間はっきりと理解した。知ってしまった。彼女は今日、徹の家へ行く。それならば、自分は今日、この時間、この場所で彼女に会ってはいけない。彼は自ら彼女との遭遇を避けることを、自分の意志として選んだ。会いたいと望みながら、会うことを放棄する。それは寝たふりとは違う。目を開けたまま、そこにいないことを選ぶ。彼は本棚の陰で、脊柱に冷たい汗が伝うのを感じながら、夢愛が友人と連れ立って図書館の出入口へ去っていく足音を、数秒ごとに遠ざかるまま、じっと聞き続けた。
眠れない夜は、決まって三時を過ぎた頃に携帯を手に取る。着信履歴に並んだままの二人の名前を、消すことも、開くこともできずに、親指で何度も画面の上を滑らせる。まるで傷跡に触れるように。震える指先が、ガラス面に体温の跡を残す。その跡はすぐに消え、暗い部屋の中で、自分の顔だけがぼんやりと映った。彼は自分の顔をまっすぐに見られない。そこには、あの夜に目を閉じた卑怯者の顔が、うっすらと透けているようだった。
不眠のまま朝を迎えた日、司は散歩がてら知らない通りを歩いた。太陽の光が久しぶりに痛いほど明るく、彼の肌と瞳を刺す。ふと、整備された公園のそばを歩いていると、近道をしようとしてベビーカーを押す母親と、大きなレジ袋を持った女性二人が立ち話をしている姿が目に映った。狭い歩道だった。男なら、道を譲るなど愛想を振りまく必要はどこにもない。けれども、この道を歩く人間があと一人増えれば、彼女たちは会釈をし、どうぞ、と避けてくれる。そうさせることが、妙に息苦しい。司は一度だけ、踵を返して別の路地へ入ろうとした。そこには、花壇の縁に腰掛ける女の子がいた。白いカーディガンを肩から羽織り、膝には開いた文庫本を伏せている。年の頃は、司よりいくつか上。左の薬指に、小さな指輪が光っていた。女の子、と呼ぶには、落ち着いた雰囲気が漂っている。司が足を止めると、彼女は本から顔を上げて、首をかしげた。
「この先、行き止まりだけど……何か探してるの?」
その声は、初めて触れたのに、どこか懐かしい柔らかさだった。司は数秒だけ、彼女の顔を見つめ、それから「いえ、道を変えるだけです」と答えた。声がかすれて、普段より低く、喉が少し痛かった。彼女は微笑んで、伏せていた本に視線を戻した。それ以上の会話はない。たったそれだけのやり取りが、彼には眩しすぎた。この世界には、あの夜とも、夢愛とも、徹とも何の関係もない人間が当たり前に生きている。彼女の指先で微かに揺れるページの端が、風にめくれる一瞬、世界の呼吸が、まだ続いているのだと教えてくれた。司はなおも浮遊するような足取りで、来た道を戻った。背中に、彼女の文庫本の紙の匂いが、春の陽気に混じって薄く残っていた。
司は何も行動しなかった。一日中、川沿いの道をあてもなく歩き、日が傾くと部屋へ戻る。ベッドに座り込んだまま、スマートフォンの画面を消し、布団の中に潜り込む。布団の冷たい面が、頬の骨に張りつく。目を閉じても閉じなくても、耳の奥ではくちゅ、ぐちゅ、という粘液音が、一定の間隔で鳴り続けた。まるで耳の内部に、彼ら二人だけの性器の蠕動が住み着いてしまったように。太腿から布団の熱が逃げていく。足先が感覚を失い、やがて自分の輪郭が薄れていく。それでも、あの音だけは、夜明けまで消えなかった。
大学の講義は、春休みを挟んで呆気なく遠くなった。図書館の自習室で読む本の頁は、どこを読んでも同じ話のように思えた。就職のことを考えようとしても、手帳を開く気になれない。未来の自分は、いつまで経っても白い布の向こう側にいて、実体を持たなかった。履歴書を買いに行くこともなく、ただ予定のない日々を、眠れない夜とともにやり過ごした。
それでも春は、待ってはくれなかった。三月中旬、大学のキャリアセンターから届いた一通のメールが、沈黙を破る。大手商社のインターンシップ選考会の知らせだった。司はその通知を、部屋の明かりを消した薄闇の中で開いた。液晶の青白い光が、落ちくぼんだ頬の輪郭を浮かび上がらせる。指先が、画面の上でしばらく止まった。まともに眠れていない証拠に、視界の端が時折ちらつく。それでも、その文字の並びを見た瞬間、冷たい床に座り込んだままの時間が、わずかに息を吹き返したような気がした。
大手商社。考えたこともなかった進路ではなかった。高校の頃から、漠然と世界を相手に働きたいと思っていた。テニスサークルの帰り道、夢愛に話したことがある。彼女は「司ならきっと、すごく大きな会社でばりばり働けるよ」と笑った。あの笑顔の隣で、司は照れくさそうに頭をかいていた。徹は少し離れた場所で、黙ってラケットバッグを背負い直していた。思い出は、いつもこうして滑り込んでくる。司は一度だけ、唇を強く噛んだ。下唇の傷が、まだ少し痛む。鉄の味。けれど今度は、それを飲み込んだ。
次の朝、司は久しぶりにスーツの必要性を思い出し、クローゼットの扉を開けた。ハンガーラックにかかったシャツの裾から、干からびた空気の匂いが立ちのぼる。奥に畳まれたままの就活ノートの表紙には、夢愛が落書きした小さな星が残っていた。消さなかった。消せなかった。けれど、開いた。インターンシップの応募締切まで、あと十日。司はその数字を手帳に書き込み、冷たい机の前に座った。久しぶりに触れたペン先が、紙の上で滑る。震えていた指は、やがて静かに、彼自身の言葉を刻み始めた。
徹と夢愛のことを知りながら、司は何も言えなかった。言えることが何もない、と言った方が正しいのかもしれない。恋人を奪われた者として、苦しみをぶつける言葉はいくつも浮かぶのに、それが自分の口から出ていく姿を、司はどうしても想像できなかった。仮に口にしたところで、夢愛の身体の中に埋め込まれた快楽の記憶は消えない。徹の肉体に刻まれた征服の満足も消えない。何を言っても、何をしても、あの夜の濡れた音と熱は、もう世界の一部として存在してしまっている。司はただ、ハンガーラックに掛かった洗濯済みのスウェットの袖を握り、形だけの抵抗のように、布を手の中で丸めた。
だが、その手で今度は、スーツの袖を通した。面接会場の鏡に映る自分の顔は、自分でも驚くほど落ち着いていた。目の下の隈は、眠れない夜の数をそのまま物語っていたが、口元だけは、かつてコートで笑っていた頃の名残りを保っている。質疑応答の間、あの夜の粘液音が脳裏を掠めた。けれど司は、その音から目を逸らさなかった。鼓膜の裏で反響する水音を、心臓の音と一緒に聞きながら、それでも目の前の質問に、ひとつひとつ言葉を返していく。あの夜、自分が失ったものと、これから自分が進む道は、同じ身体の内側にある。それを引き裂くのではなく、抱えたまま歩く。司の声音は、最後まで震えなかった。
春の気配が近づいても、司の部屋の冷たさは変わらなかった。夜の底で、体を小さく丸めて、布団の縁を握る。鼻の奥には、もう存在しないコタツで彼らが放った汗と精液の匂いが、記憶の濃度を増して漂っている。目を閉じる。暗がりの向こうで、夢愛の白い臀部が、何かを乞うようにくい、と跳ねた。耳の奥で、ぬちゃり、と愛液の音が鳴る。それらはもう、思考の外側で勝手に再生される。司は喉を絞めつけられるように息を吐き、身動き一つしないまま、ただ、夜明けが来るのを待った。
けれど、その夜明けは、もう何もしないまま迎えるものではなかった。司は布団から片腕を出し、机の上に置いた手帳を引き寄せる。ページを開くと、インターンシップの選考通過の通知を書き留めた文字が、細い朝の光を浴びていた。あの夜の音は、消えない。夢愛の肌の白さも、徹の歪んだ笑みも、自分の中に住み続ける。それでも、自分の足で立って、一歩を踏み出した先に、選考通過という事実が積み上がった。苦しみながらも、目を逸らさずに進んだからこそ、たどり着いた場所がある。司は手帳を胸に抱え、冷たい布団の中で、静かに目を閉じた。
第7章 「残光と旅立ちの春」

第7章: 「春の残香」
三月に入っても、この街の朝はまだ冬の記憶を骨の奥まで残していた。窓ガラスに張りついた結露を、司は指の腹でなぞるように拭きながら、外を眺める。水滴の筋が幾筋も走って、その向こうに見える光景を歪ませていた。駐車場の片隅へ積まれた粗大ゴミの山。布団を剥がされたコタツの木枠が、肉を削ぎ落とされた獣の骨格のように、無機質な朝の光へさらされている。指先に触れるガラスは冷たく、湿り気を帯びた空気が鼻の奥に刺さるようだった。
あの夜から、一年と少しの月日が流れていた。
大手商社の内定式は、つい先週のことだ。東京本社の大会議室に、全国から集められた内定者たちが十人ずつの列を作って並び、人事部長の訓辞を聞く。空調の効きすぎた部屋にスーツの黒がずらりと揃い、誰もが同じような顔をしていた。期待と不安が入り混じった空気の中で、司は不思議なくらい落ち着いていた。むしろ、早くこの場所を離れたい。その思いだけが、安物のスーツの内側でじわりと熱を持ち、背中の中央を汗が一筋、伝い落ちていくのを感じていた。
内定式の後、同じテーブルになった他大学の学生数人と軽く飲みに行った。そのうちの一人、明るい栗色の髪をした女子学生が、グラスを傾けながら尋ねてくる。
「田村くんはさ、大学で一番思い出に残ってることって何?」
司は少しだけ間を置いて、ビールジョッキの泡が消えていくのを眺めた。細かな泡がはじける音だけが、耳の奥でしばらくちりちりと鳴っていた。グラスを持つ指先に伝わる冷気が、やけに鮮明だった。
「そうだな……人間関係、かな」
「えー、なにそれ、もっと具体的に教えてよ」
彼女が首を傾げて笑いながら促す。その動きにつられて栗色の髪が揺れ、シャンプーのような人工的な香りがわずかに漂った。司はただ微笑むだけだった。その一言に、あの夜の湿度も、寝室に澱んでいた甘ったるい匂いも、ぬちゃぬちゃと絡みつくような粘液音も、すべてが溶け込んでいた。彼女にわかるはずがない。わかってもらう必要もなかった。ビールを含むと、舌の根に苦味が広がり、喉を流れ落ちる際に胸の奥がかすかに熱を持つ。その感覚だけが、自分と世界を繋いでいた。
アパートの部屋は、引っ越し準備でずいぶんとがらんとしていた。壁に貼っていたポスターは剥がされ、日焼けした紙の跡だけが、壁紙の色をまだらに変えている。本棚の本はすでに段ボール箱へ詰め終えていて、養生テープの匂いが部屋全体に流れていた。カーテンを外した窓からは、午後の陽射しが遠慮なく差し込んで、床に積もった埃を金色に輝かせている。空気の中に、かすかにカビと古畳の匂いが澱んで、鼻の奥に張りつくようだった。
段ボール箱の隙間から、折り畳まれたこたつ布団の端が見えた。母が送ってくれた新品の家電と違い、中古で買った家具類は処分するつもりでいたが、この布団だけは捨てる機会を逃していた。指で触れると、表面のポリエステル特有の冷たい手触りが手のひらにまとわりつく。染みのようなものはもう洗濯で消えているはずなのに、なぜか触れた指先が、あの夜の匂いを覚えている気がした。
その週末、サークルの後輩たちが送別会を開いてくれた。場所は大学近くの居酒屋で、二十人近い後輩や同期の一部が集まってくれる。もうサークルをやめて一年近く経つのに、こうして声をかけてもらえるのはありがたかった。店内は揚げ物の油の匂いと酒の匂いが混ざり、奥の座敷からは威勢のいい声が響いている。
「田村さん、東京行っちゃうんすかあ。寂しくなりますよ」
二年生の後輩が、少しだけ涙ぐみながら言う。司は照れくさそうに頭をかいた。乾いた指先が、自分の髪を擦る音が鮮明に聞こえる。
「たまには戻ってくるよ。お前らこそ、サークルしっかり盛り上げろよな」
「でも、田村さんがいなくなった後、サークルの中がちょっとギスギスしてたんですよね」
別の後輩が、声を潜めてそう言った。テーブルの上の枝豆の皿が、誰かの手によって回される。
「渡辺さんと友永さんが付き合いだしたのはいいんですけど、なんか周りが微妙な空気になってて。結局、お二人とも最近はほとんど顔出さないし」
司は黙ってビールを一口含んだ。喉を流れ落ちる冷たい苦味が、なぜか心地よかった。炭酸の刺激が、舌の上でちりちりと弾けている。
「そうか」
「友永さん、就活が全然うまくいってないって噂ですよ。教員採用、また落ちたとかで、親と街中で言い争ってるのを見たって人もいて」
その言葉に、司の胸がほんの少しだけ痛んだ。左胸の奥、心臓のすぐ上のあたりが、ぬるま湯に浸した古傷のように鈍く脈打つ。しかしそれは、かつて感じたような鋭い痛みではなかった。まるで、ずいぶん昔にできた傷跡を、うっかり撫でてしまったような、鈍く遠い疼きだった。
「……そうか」
司はもう一度、同じ言葉を繰り返した。それ以上、何も言わなかった。何も言う必要がなかった。ビールをまた一口。今度は味が薄く感じる。喉の奥に苦味だけが残って、胸の底に溜まっていく。
送別会が終わり、後輩たちと別れて一人で歩き出す。夜風はまだ冷たく、コートの襟を立てながらアパートへの道を急いだ。靴底がアスファルトを擦る音が、静かな夜道に不格好に響く。駅前の大通りを抜け、住宅街に入ろうとした時だ。
コンビニの明かりが、歩道に細長い影を落としている。その影の向こうに、二人の人影があった。一人はコートを着た中年の女性。もう一人は、その女性に叱られるようにしてうつむいている、痩せた若い女。
夢愛だった。
彼女の長かった黒髪は、肩のあたりで無造作に切られていて、以前のような艶がない。コートの下から覗くスカートは皺が目立ち、どこか疲れた雰囲気が全身から滲み出ていた。あの白くなめらかだった肌も、夜の街灯の下では青白くくすんで見える。司の目が、否応なく彼女の輪郭を捉えてしまう。痩せた頬。落ちくぼんだ目の縁。かさついた唇。
「あんた、また面接落ちたんだってね。いったい何度目だと思ってるの。父さんにどう説明すればいいんだか」
母親の声が、静かな住宅街に鋭く響いた。その声は冷たい針のようで、耳に刺さる。
「ごめん……でも、ちゃんと受けてるんだけど……」
夢愛の声は小さく、震えていた。
「ちゃんとって、結果が出なきゃ意味ないでしょ。あの真面目そうな好青年の彼氏はどうしたの。彼は就職決まったの?」
「決まったみたいだよ……でも……別れた。もう、ずいぶん前に」
「あんたねえ、ほんとに何をやってるんだか」
母親のため息が、白い息とともに夜気に溶けていく。夢愛はただうつむき、両手で鞄の持ち手をぎゅっと握りしめていた。指の関節が、街灯の下で白く浮かび上がっている。
司は、コンビニの陰に立ち止まった。心臓が少しだけ早鐘を打っている。しかしそれは、あの朝のような恐怖や怒りではなかった。ただ、確かめたいと思ったのだ。自分はもう、この光景を見ても動揺しないということを。コートの内側で、掌がじっとりと汗ばんでいく。指先がわずかに震えているのを、服の布に押しつけて止めた。
夢愛が顔を上げた。街灯の光が、彼女のやつれた頬を照らし出す。その目は、どこか虚ろで、闇そのものを吸い込んだように沈んでいる。かつてコタツの中で見せたような、いたずらっぽい輝きは、まぶたの裏にも残っていなかった。あのぬちゃぬちゃという音とともに、誰かの名を呼んでいた唇は、今は青ざめてかすかに震えているだけだ。
司は、一歩も動かなかった。声をかけることもなく、ただ静かにその場を離れた。それは逃避ではない。自分でも不思議なくらい、何の未練も湧かなかった。靴音を忍ばせて、コンビニの裏手へ回り、遠回りの道を選ぶ。冷えた夜気が、強ばった頬をゆっくりと冷やしていった。
しかし、胸の奥底では、まだ何かが疼いていた。傷を通り越して、そこに在るだけで傾いでいる心の芯が、音もなくひび割れている気配がした。
翌朝、大家に鍵を返すために管理人室のチャイムを鳴らした。七十歳近い大家は、いつも庭いじりをしていて日焼けした顔に皺を深く刻みながら、にこりと笑った。管理人が出す茶の匂いだろうか、湿った木と古い畳の香りが漏れてくる。
「長い間、ありがとうございました」
司が頭を下げると、大家は手をひらひらと振った。
「あんたはいつも家賃をきちんと払ってくれたからね。最近にはない、いい若者だったよ。東京でも頑張るんだよ」
「はい」
司は鍵を差し出し、最後にもう一度だけアパートの外観を見上げた。築三十年の二階建て。壁に張りつく黒い雨染み。錆の浮いた手すり。その一室で、自分は泣き、怒り、そして静かに決断した。この場所で得た傷も、それを乗り越えた時間も、すべてが司の一部になっている。……そう思い込もうとしている自分もいた。
部屋に戻り、最後の荷物をまとめる。窓を開けると、眩しい春の陽射しが一気に流れ込んできた。カーテンをもう取り外した窓枠からは、近所の公園の桜並木が見える。蕾はまだ固いが、枝の先がほんのりと赤らんで、春の準備を静かに始めていた。暖かい光が目に染みるようで、司はしばらく瞼を閉じた。まぶたの裏が、赤と黒のまだらに染まる。
ふと、押し入れの前に置いたままの段ボール箱に目が行った。朝、大家に鍵を返す前に、まだ中身を整理していない箱がひとつだけ残っている。中身は、あの夜の片付けでそのままになっていたものだった。司はゆっくりと床に膝をつき、箱を開けた。
折り畳まれたこたつ布団。そして、その上に無造作に置かれた木製のコタツ台。脚の一本は、あの夜に誰かが蹴ったのか、継ぎ目から僅かに緩んでいた。表面には乾いた染みがいくつか残っていて、時間の経った今では、それが何だったのか判然としない。強いて目を凝らせば、微かに薄茶色の輪郭が浮かんでいるだけだ。
司の指先が、布団の表面をそっと撫でた。すると、閉じ込められていた匂いがほんの少しだけ立つ。洗剤の匂い。カビの匂い。それから、ほんの僅かだけ、甘ったるいような、酸っぱいような、あの夜の残滓。鼻の奥が、かつての光景を拒めずにいた。
その瞬間、耳の奥で、ぬちゃぬちゃと濡れそぼる音が再現された。微かなのだが、はっきりと、自分の鼓動に重なって聞こえる。ぬちゃ……くちゅ。生暖かく粘つく粘膜の音。夢愛の上気した肌。徹の太い指。鼓動が速まり、こめかみに力が入る。司は奥歯を強く噛みしめた。あの夜と同じように。目に入るこたつ台の木目が、濁った夕闇の中で浮かび上がる。床に光る汗の筋。押し入れの引き戸に映る揺れる影。
頭を振って現実へ戻る。部屋はしんと静まり返っていて、窓から差す光が、指先の埃を照らし出すだけだった。外から遠く、自転車のベルが一つ鳴った。司は急いで段ボール箱を閉じ、ガムテープを貼った。指が微かに震えていた。私は、思い切れていない。図らずも指先が語る真実に、司は焦りとも似た痛みを噛み殺す。しかし、決断は決断だ。ガムテープを貼り終えた指先を、しばらく強く握りしめた。
床に残った小さな傷や、壁に貼ったポスターの跡を見渡しながら、司は小さく息を吐いた。ここにはもう、コタツもなければ、鍋を囲んだ三人の笑い声もない。ただ、静かな部屋が朝の光に照らされているだけだ。
司は最後に部屋の中央に立ち、誰にともなく呟いた。
「じゃあな」
その声は、がらんとした室内に溶けていった。それから彼は、きっぱりと背を向けて、ドアノブに手をかける。金属の冷たい感触が、手のひらに心地よかった。新しい生活の始まりを告げる感触のはずだった。指先がドアノブに吸いつくように冷え、その冷たさが逆に体の輪郭を確かにしていた。司は後ろを振り返らなかった。振り返ったら、足が止まる気がした。
外に出ると、春の風が優しく頬を撫でた。どこかでウグイスが、まだ下手くそな鳴き声を響かせている。司は駅へ向かう坂道を、いつもよりゆっくりと歩き出した。スーツケースの車輪が、アスファルトの上で乾いた音を立てる。その音が自分の内側の沈黙をなぞるようで、司は少しだけ歩調を速めた。
歩きながら、司の脳裏には、捨てていった段ボール箱の中のこたつ台が浮かんでいた。あの木枠に染みついた、汗と愛液と精液の匂い。ぬちゃぬちゃという湿った音。夢愛の上気した肌。徹の太い指が彼女の白い尻に食い込む様子。そして、寝たふりをしながら奥歯を噛みしめた無力感。それらすべてが、一年経った今でも、司の心の襞の奥にこびりついて離れない。空耳のようにまた、ぬちゃ……と耳の奥で鳴った。立ち止まって辺りを見たが、風が低く唸るだけだった。
春だというのに、心の真ん中だけが冬のままだった。桜の蕾はやがてほころぶだろう。街は色づき、人々は新しい季節に足を踏み出すだろう。だが司の胸の奥には、あの夜の冷たい空気と、ぬちゃぬちゃと絡みつくような音の記憶だけが、薄れることなく堆積しつづけていた。歩くたびに、耳の裏で音が追いかけてくる。ぬちゃ、くちゅ、ぐちゅ。足音の隙間を縫って、粘液質の音が這い寄る。心臓が、その音を拍子のように打ち返した。
坂の途中で、ふと空を見上げる。雲ひとつない青空が、どこまでも広がっていた。その青さが、逆に眩しすぎて、目がしみる。目尻から涙が滲んだが、すぐに風が乾かしていく。視界がにじんで、青と桜の赤とが水彩絵の具のように溶け合った。
司は、もう行かなくては、と思いながらも、しばらくその場に立ち尽くしていた。足が、石にでもなったみたいに重い。スーツケースを握る手のひらが、じわりと汗ばんでいる。その汗が冷たい風にさらされて、指先から熱を奪っていく。耳の奥の音はもうしない。しかし、静寂の底から、ぬちゃぬちゃというあの音が消えることはなかった。
遠くで、春を告げる風が、生温く吹いていた。
登場人物
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田村司 たむら つかさ男性 ・ 19
外見: 短い黒髪、茶色の瞳、痩せ型、身長172cm。服装: スウェット、Tシャツ、カジュアルな服。明るく温和で周囲から好かれやすいが、優柔不断で核心では弱さを見せる。酒に弱く、酔うとすぐ寝てしまう。テニスサークル所属。夢愛の恋人で徹の親友。
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友永夢愛 ともなが ゆあ女性 ・ 19
外見: 腰まである長い黒髪、大きな黒目、色白でなめらかな肌、スレンダーだが尻は丸く張りがある。塾講師のバイトをしている。甘えん坊で明るい性格だが、欲望に素直で淫らな一面を秘めている。徹の巨根に心酔してしまう。
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渡辺徹 わたなべ とおる男性 ・ 19
外見: 硬い短髪の黒髪、細い目、筋肉質でがっしりした体格、身長178cm。服装: デニム、トレーナー、カジュアルな男らしい服装。高校時代からの司の親友。表面上は明るく友達思いだが、内心では司への強い劣等感と嫉妬を燃やしている。太く逞しいペニスを持つ。





