第10章: 再会と真実
第10章: 再会と真実
ホテルの宴会場は、卒業生たちの笑い声と乾杯の音で満ちていた。
クリスタルシャンデリアの光がテーブル上のグラスをきらめかせ、どこからか流れる懐かしいJ-POPの旋律が、三十年という時間を一瞬で縮めるようだった。徹は壁際の席に腰かけ、ウイスキーのロックグラスをゆっくりと回していた。同窓会に来たのは正解だったのか、いや間違いだったのか、もう判断がつかなかった。
「鈴木くん、やっぱり来てた!」
声の方に振り向くと、かつてのクラスメイトだった男がにこにこと近づいてくる。顔は確かに覚えている。でも名前が出てこない。徹は立ち上がり、苦笑いを浮かべた。
「お久しぶりです」
「本当だねー。でも変わらないよ、徹くんって呼んでもいい?まだそう呼びたくなっちゃう」
男は楽しそうに笑い、自分のビールグラスを掲げた。徹もそれに合わせ、グラスを軽く合わせる。チンというかすかな音。その音が、なぜかあの雨の日に聞こえたテレビのノイズと重なって聞こえたような気がした。
「今何してるの?俺は地元で不動産屋さんやってるんだけど」
「WEBデザインのフリーランスです」
「へえ、すごいじゃん。やっぱり徹くんは頭良かったもんね」
会話は表面的で、深みがない。お互いの人生をざっくりと知り、感慨を分かち合う。徹は相槌を打ちながらも、視線は宴会場の入口へと何度も向かった。
――来ないかもしれない。
――もう忘れているかもしれない。
そんな思いが胸をよぎるたびに、グラスを握る手に力が入った。
「あ、そういえばさ」
クラスメイトが突然、声のトーンを下げた。
「山田朋美ちゃん、来るって聞いたよ。確かまだ未定ってなってたけど、さっき実行委員の子が言ってた」
徹の心臓が、どきんと跳ねた。
「……そうなんですか」
「うん。彼女、今は都内で編集の仕事してるんだって。結婚はしてないみたいだけどね」
言葉は耳に入ってくるが、頭の中でしっかりと理解できない。ただ「来る」という事実だけが、胸の奥で熱く膨らんでいく。
その時、入口の方で小さなざわめきが起こった。
何人かの卒業生が集まり、笑い声が上がる。その中心に、一人の女性が立っていた。
肩まで伸びたストレートの黒髪。きりりとした眉、ぱっちりと大きな黒目。口元に浮かべた笑みは、どこかあどけなさを残しながらも、確かな大人の女性の佇まいをまとっていた。
――朋美。
徹は息を飲んだ。
写真ではわからなかった。でも目の前にいると、間違いなくあの子だった。十二歳の少女の面影をしっかりと残しながら、それでも洗練された大人の女性へと変貌している。
彼女は軽やかに周囲に挨拶を交わし、次第に宴会場の奥へと進んでくる。その動きはまるで水の流れのように滑らかで、徹の席の方にも近づいてきた。
距離が縮まる。
五メートル。
三メートル。
そして、彼女の視線が徹と合った。
一瞬、朋美の瞳がぱちりと見開かれた。驚きの色が走り、それからすぐに柔らかな笑みへと変わっていく。
「……わあ、鈴木徹くん?」
声は確かにあの子のものだった。でもトーンは少し低く、大人びていた。
徹はゆっくりと立ち上がる。膝が少し震えているのに気づく。
「……久しぶりだね。山田さん」
「やだ、『さん』って呼ばないでよ。相変わらず丁寧なんだから」
朋美は軽く笑い、徹の隣に空いていた席に自然に腰を下ろした。彼女の動作からは、ほのかな香水の香りが漂ってくる。フローラル系の、上品な香りだ。
「本当に久しぶり。何年ぶりだろう」
「……三十三年ぶりですね」
「そんなに?でも、徹くんって呼び方、今でもしっくりくるなあ。変わってないもの」
朋美は徹の顔をじっと見つめ、懐かしそうに目を細めた。その視線に徹は少したじろぎ、グラスに手を伸ばした。
「朋美の方は、ずいぶん変わったね」
「そりゃあね。子供のままだと困るでしょ」
彼女は軽く肩をすくめる仕草をした。その動きに、昔の面影がちらりと覗く。
しばらく、近況報告のような会話が続いた。朋美は編集プロダクションに勤め、趣味は旅行と料理だという。徹はフリーランスの仕事について簡潔に話し、特に大きな変化はないと伝えた。
会話はどこか表面を撫でるように進み、深いところには触れない。でも徹の胸の奥では、違う言葉が渦巻いていた。
――あの日のこと、覚えている?
――雨の音、テレビの映像、僕たちがしたこと。
――全部、覚えていてくれる?
「徹くん、相変わらずだね」
突然、朋美がそう呟いた。
「え?」
「なんていうか……遠くを見てるような目をしてる。昔からそうだったよね。みんなと遊んでいても、どこか別のことを考えてるみたいな」
その指摘に、徹はハッとした。彼女は覚えていた。自分のそんなところまで。
「……そうかな」
「うん。でも、それが徹くんらしいって思ってた」
朋美はグラスの水を一口飲み、ふと窓の外を見た。ホテルの窓からは、都会の夜景が広がっている。雨は降っていない。あの日とは違う。
時間は流れ、同窓会も終盤に差し掛かっていた。卒業生たちは次第に帰り支度を始め、名残惜しそうに別れを交わしている。
徹もそろそろ帰ろうと立ち上がると、朋美も一緒に席を立った。
「私ももう帰るよ。駅まで一緒に歩かない?」
「……ええ、いいよ」
二人は静かに宴会場を出た。廊下を歩き、エレベーターへ向かう。誰もいない空間に、急に緊張が走る。
エレベーターの中で、徹はふと尋ねた。
「転校した後、どうだった?」
「んー、最初は寂しかったよ。でもね、新しい学校でもすぐ友達ができたし。徹くんとの約束、覚えてる?」
約束。
――また会えるよね?絶対。
――うん。絶対会う。
あの日、雨が上がった夕暮れに交わした言葉だ。
「……覚えてる」
「私も覚えてた。でも、子供の約束って、なかなか叶わないものなんだね」
朋美は少し寂しそうに微笑んだ。その表情に、徹の胸がきゅっと締め付けられた。
ホテルを出て、駅へ向かう道を並んで歩く。夜風が肌を撫でる。街灯の光が二人の影を長く伸ばす。
そして、駅の入り口が近づいた時、朋美の足が止まった。
「ここでね」
徹も立ち止まる。もうすぐ別れだ。次に会うのは、また三十年後かもしれない。いや、もう二度と会わないかもしれない。
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