第2章: 初めての舞台、剥かれる羞恥

第2章: 初めての舞台、剥かれる羞恥
「ヴェール」で働き始めて、ちょうど一ヶ月が経とうとしていた。
伝票の束を片手にバーカウンター裏を整理していると、背後の影が静かに伸びた。
振り向くと、霧島涼が立っていた。
「目黒」
いつもと変わらない低く平たい声で、彼は智美を呼んだ。
「はい」
「ちょっと話がある。奥の部屋へ来い」
涼はそう言うと、振り返らずに従業員用のドアへ歩き出した。
智美は胸の奥で小さく波打つ不安を押し殺し、彼の後を追った。
ドアの向こうは、面接の時にも通った薄暗い廊下だった。
壁に沿って進み、一番奥の扉の前で涼は立ち止まった。
「ここだ」
彼がノブを回すと、中は簡素な事務所のような部屋だった。
デスクが一つ、それに合わせて二脚の椅子。
窓はなく、天井のダウンライトだけが冷たい光を落としている。
「座れ」
涼は自分のデスクの向こう側の椅子に腰を下ろした。
智美は反対側の椅子に、そっと腰をかけた。
革の表面が冷たく、彼女の太腿の裏に張り付くようだった。
「一ヶ月経ったな。接客も、だいぶ慣れたみたいだ」
涼はデスクの上に組んだ指の上から、智美を見つめた。
「はい……なんとか」
「客の評判も悪くない。特に、お前の『清潔感』と『照れ』がいいらしい」
智美は下を向いた。
照れ――その言葉が、ここの一ヶ月で浴び続けた数え切れない視線を、一瞬で蘇らせた。
男たちの目が肌を舐める感触。
声をかけられる度に震える背筋。
それでも、もらうチップの額は確かに大きかった。
時給三千円に加えて、一晩で五千円、ときには一万円近くが手に入ることもある。
母に渡す生活費と、自分で貯めている学費の貯金は、確実に増えていた。
「で、だ」
涼の声が、智美の思考を遮った。
「給料を上げる代わりに、もう一歩踏み込んだ仕事をしてほしい」
彼女はゆっくりと顔を上げた。
「踏み込んだ……仕事、ですか」
「ああ。舞台に立つんだ」
――舞台。
その言葉が、智美の耳の中で鈍く響いた。
「ヴェール」には、店内の一角に小さな円形の舞台があった。
週に数回、紫織や他の女性たちがそこで踊り、ときに服を脱いでいった。
智美はこれまで、給仕をしながらちらりと目にするだけだった。
でも、あのスポットライトの下で、客の視線を一身に浴びながら体を晒すことの意味は、薄々わかっていた。
「何を……するんですか」
声が、わずかに震えていることに自分で気づいた。
「大したことじゃない。ノースリーブのワンピースを着て、客の前でそれを脱ぐだけだ。中には水着を着ているから、それ以上は脱がない」
涼の説明は、淡々としていた。
「ワンピースを脱いで、水着姿を見せるだけ。時間は五分もかからん。一回の出演で、給料は一晩分の基本給に加えて別途三万円出す」
三万円。
智美の頭の中で、数字が瞬時に変換された。
母のパート代の二日分。
自分の一ヶ月分の食費。
大学の教科書一冊分。
「嫌なら断ってもいい」
涼が言った。
「だが、お前がここで働き続けるなら、いつかはこういう仕事も回ってくる。それに……」
彼は一呼吸置いた。
「水着姿を見せるだけの舞台で三万円。他で、そんな単価の仕事がすぐに見つかるか?」
智美は唇を噛んだ。
母の顔が浮かんだ。
夕食の支度をしながら、こっそりと肩を揉む仕草。
安い化粧品で誤魔化している、目の下のくま。
「智美ちゃんには、勉強だけしっかりやってほしいのよ」
いつもそう言いながら、自分が着古したセーターを智美に譲る母。
――私が、なんとかしなくちゃ。
歯を食いしばる力が、頬の内側に痛みを走らせた。
「……わかりました」
声は、かすれていた。
「やります」
涼は微かに頷いた。
「よし。では明後日の夜、ステージに立ってもらう。詳細は藤堂が教える」
事務所を出ようとした時、涼がもう一言加えた。
「覚悟はできたな」
それは問いかけではなく、確認だった。
智美は振り向かず、小さくうなずいた。
その夜、閉店後の掃除をしながら、智美は紫織に声をかけられた。
「智美ちゃん、舞台に出るんだって?」
紫織は雑巾を手に、にっこりと笑った。
「霧島さんから、聞いたよ。おめでとう、ステップアップだね」
「……おめでとう、って」
智美はモップを止めた。
「そんなこと、言えるんですか」
「言えるよ。だって、ここで生き残るための最初の関門だから」
紫織はそっと智美の肩に手を置いた。
「私も最初はそうだった。本当に、ただの水着ショーだって思ってた」
「でも……」
「うん。でも、客の視線は全然違うんだよね。給仕の時みたいにちらちら見られるんじゃなくて、全員がこっちを向いて、全身をじっくり見てくるの」
紫織の声は、どこか遠い目をして柔らかくなった。
「恥ずかしくて、最初は震えが止まらなかった。でもね……」
彼女は智美の耳元に口を寄せた。
「その恥ずかしさの奥に、なにか熱いものが湧いてくるの。気づいたら、体の芯がほてってきて、股の間がじんわり濡れてきたりして」
「そんな……」
「あるのよ。智美ちゃんだって、給仕してる時、男の人にじろじろ見られて、なんか変な感じになったことあるでしょ?」
智美は黙った。
確かにあった。
先週、VIP席の紳士からチップをもらった時、彼の指がわずかに自分の手のひらを撫でた。
その瞬間、背筋がぞくっと震えて、お腹のあたりが熱くなった。
「それの、もっと強い版だと思えばいいの。怖がらなくていいよ。慣れるから」
紫織は智美の頬をそっとつついた。
「それに、学費でしょ? 大事なもののために、少しずつできることを増やしていくんだよ」
――学費。
その言葉が、最後の迷いを押しつぶした。
明後日。
舞台は、夜の部が最も賑わう午後十時から始まる。
智美は楽屋と呼ばれる小さな部屋で、紫織から渡されたワンピースに着替えた。
薄いピンク色のノースリーブで、胸元はレースが透けて見えるほど薄く、裾は大腿の半分までしかない。
「これが、脱ぐ前の衣装ね。中には、これをつけて」
紫織が手渡したのは、小さな布の塊だった。
広げると、それは極小のビキニだった。
胸を覆う部分は三角形がやっとで、紐で結ぶだけ。
下は、股の部分が細い紐で、後ろは尻の割れ目に食い込むようなTバック型だ。
「これ……着るんですか」
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