第1章: 白い奨学金、黒い誘い(続き 2/2)
紫織の言葉は、優しい響きだったが、智美の胸に鋭く突き刺さった。そうだ。ここを逃したら、もうこんな条件の仕事は見つからない。
――必要なんだ。母のために。自分のために。
智美は震える手で、セーターの裾を掴んだ。背を向けて、一枚一枚、自分の服を脱いでいく。肌が冷たい空気に触れ、鳥肌が立つのがわかる。鏡に映る自分の裸体。細くて未だ子供っぽいライン。胸は小ぶりで、ピンと尖った桃色の乳首が、恥ずかしさで硬くなっている。
黒いドレスを頭からかぶる。生地が肌に密着する。胸の上端はかろうじて乳首を隠すが、膨らみの形はあらわだ。背中がひんやりと空気に触れる。腿もほとんど覆われていない。
「わあ、似合ってる! 智美ちゃん、すごく綺麗な肌してるね」
紫織が背後から近づき、鏡の中の智美の肩に手を置く。その手が、智美の鎖骨のあたりを、さするように撫でる。
「あ、ちょっと……」
「大丈夫大丈夫。客もきっと喜ぶわよ。ほら、こっちにきて。まずは飲み物の運び方から教えてあげる」
紫織の手は離れたが、撫でられた肌のあたりが、妙に熱く、かゆいような感覚が残った。
客席に初めて出た瞬間、智美は息を詰まらせた。
それまでバラバラだった客の視線が、一斉に彼女に集まる。じっとりと、貪るように、彼女の胸元、腰、腿をなぞっていく。智美はうつむき、トレイに載ったグラスをしっかりと両手で抱える。
「新人か? こっちおいでよ」
角のソファに座った、太った中年の男が手招きした。智美はぎこちなく近づき、グラスをテーブルに置こうとする。
「おっ、近くで見るともっと可愛いなあ」
男が、わざとらしく身体を乗り出してくる。安いコロンの匂いが鼻をつく。智美は必死で無表情を保ち、グラスを置き終えると、さっと踵を返した。
――見ないで。なにも感じないで。
心の中で唱えながら、次々と注文を運ぶ。その度に、視線が肌を這う。男たちがひそひそと笑いながら、彼女の腰やお尻を指さすのが、視界の端でちらちらと見える。
「智美ちゃん、そこのVIP席のワイン、お願いできる?」
紫織がにこやかに近づき、智美の腰を軽くポンと叩いた。
「はい……」
VIP席は、少し高くなった区画にある。ガラスの仕切りで隔てられ、中には三人の男がいた。中でもひときわ目立つのが、タンクトップからむき出しの褐色の腕が太い、大柄の男だ。剃り込んだデザインの入った短い黒髪。白い歯を見せて、仲間と笑いながら何か話している。
ケイン。後で紫織から聞くことになるその男は、智美が近づくと、ぱっと視線を上げた。
「おっ、これは新鮮だな。新人か?」
英語混じりの、陽気な日本語だ。智美は小さくうなずき、トレイからワインのボトルとグラスをテーブルに置き始める。
「おい、もっとこっち来いよ。顔が見えないぜ」
ケインがそう言うと、隣に座ったスーツの男がくすくす笑った。
智美の足が竦む。でも動かないわけにはいかない。少しだけ、テーブルに近づく。ケインの視線が、彼女の胸の谷間を、ゆっくりと下りていく。その目は、楽しんでいるようだった。
「おっ、いい乳首してるじゃねえか。尖ってるぜ」
ケインが、ごく自然にそう言う。智美の頭が真っ白になった。顔中が熱く燃え上がる。どう反応していいかわからず、ただ無言でグラスを並べ終え、トレイを抱えて引き下がろうとした。
「ありがとよ、かわいいお嬢さん」
ケインの大きな手が、チラリと彼女のお尻の近くを通り過ぎ、テーブル上の札束から一枚千円札を抜き、智美のトレイの上にぽいと置いた。
「……え?」
「チップだよ。ここの女の子にはみんなやるんだ。受け取れよ」
ケインはにやりと笑った。智美は千円札を見つめた。その紙の重みが、なぜか、肌にまとわりつく男たちの視線よりも、ずっと生々しく感じられた。
休憩時間、智美は狭い準備室の鏡の前で、ぐったりと腰を下ろした。
足は棒のようになり、頭はガヤガヤとした客の声と視線でいっぱいだった。でも、一番驚いたのは自分の心の変化だった。あの太った男の粘着質な目線も、ケインのあからさまな言葉も、確かに不快で、屈辱的だった。
しかし、鏡の中の自分を見つめると、黒いドレスからはみ出しそうな自分の胸の膨らみに、なぜか目が行く。あの時、ケインに見られて、乳首が、きゅっと硬くなったのを覚えている。嫌だったはずなのに、体が反応していた。
――なんで?
自分がわからなくなった。
ドアが開き、紫織が入ってくる。彼女はタオルで首の汗を拭いながら、智美の様子を見て、にっこり笑った。
「どう? 初日って感じ?」
「は、はい……なんとか」
「そうよね。でも、智美ちゃん、すごく客の目を引いてたわよ。あの純真そうな顔と、このギャップがたまらないんだって、奥のママさんたちが話してた」
「ママさん……?」
「支配人の霧島さんのことよ。あの人、客の反応を全部チェックしてるの。智美ちゃん、きっと気に入られたんじゃない?」
紫織が近づき、智美の髪をそっと撫でる。その手つきは、姉のように優しい。でも、智美はふと、紫織の目が、自分を哀れむような、それでいてどこか羨ましげな複雑な色をしているように感じた。
「ここはね、最初はみんな戸惑うの。でも、そのうち慣れるのよ。だって……」
紫織の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「男の視線を浴びて、恥ずかしくて、でもなんだか熱くなってくるのって、悪い気分じゃないでしょ?」
智美は息をのんだ。紫織は、まるで彼女の心の中を見透かしたかのようだった。
「そんな……そんなこと……」
「ううん、否定しなくていいの。そういう体質の子もいるんだから。それに、ここで働いてれば、どんどんわかってくるわ。自分の体が、どんな風に男を狂わせられるかって」
紫織はそう言うと、ウィンクして部屋を出ていった。
智美は一人、鏡の中の自分と向き合った。黒いドレスが、高校まで着ていた地味な制服や、母が安売りで買ってきたセーターとは、まるで別世界の服だ。それを着ている自分も、別人のように見える。
胸の鼓動が、ゆっくりと高鳴っていた。嫌悪と、どこかへんな期待が、胸の奥で絡み合う。明日も、明後日も、このドレスを着て、あの視線の中を歩くのか。
その想像をした時、腿の内側が、ほんのりと熱を持ったような気がした。
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