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亡父の土地を守る夫が届いた二枚のDVDで最愛の妻が五人組に薬漬け凌辱され息子まで交わらされた二週間の記録

寝取られ(NTR) / 禁断/近親ぼかし系 全5章 約68分で読了(33,815字) 2026年9月23日

あらすじ

父から継いだ店舗兼住宅の土地を、半年にわたり執拗に要求してくる男たち。穏やかだった家庭に、ある日届いた二枚のDVD。そこに映っていたのは──見知らぬ男たちに囲まれ、泣き崩れる妻の姿だった。土地を守ることが、最愛の家族を壊していく。覚醒剤という悪魔の力を得た男たちは、妻の心と身体を徐々に溶かし、ついにはあってはならない領域へ踏み込ませる。映像越しにしか見届けられない夫の、長く苦い夜が始まる。

第1章 店の埃と妻の笑顔

第1章のシーン

第1章: 店の埃と妻の笑顔

六月上旬の午前十時、空はもう梅雨の気配を孕んでいて、日の光が弱い膜を通したみたいに白く濁っていた。私は店のシャッターを上げ、まだ冷たい朝の空気を店の中へ流し込む。打ち水を撒いた土間からは仄かな湿り気が立ちのぼり、乾物の入った木箱と段ボールの隅に眠る埃の匂いと混ざって、鼻の奥に甘く苦いものを残した。腕に抱えた小麦粉の袋はずしりと重たく、布越しに伝わる粉の微かなざらつきが汗ばんだ手のひらにまとわりつく。店の前を通る自転車のベルが遠くで鳴り、近所の犬が二度吠えて、やがて静かになった。私は菓子の袋を台の上に並べ、湿気で箱が膨らんでいないか指先で確かめる。こうして店先に立つと、亡き父がまだ生きていた頃と同じ時間が、身体の芯にまで流れ込んでくるようだった。

店の奥から、包丁がまな板に当たる小気味よい音が聞こえてくる。トン、トン、と軽い間隔を置いて。陽子が昼食用の野菜を刻んでいる。胡瓜だろうか。それとも人参。私は店の埃で白くなった手をエプロンで拭い、奥へ続く引戸に手をかけた瞬間、台所の方を向いた陽子の横顔が目に入った。薄い化繊のカットソーは汗を吸って背中に沿い、白いブラウス地の下で身体の線が淡く透けている。腕を動かすたび、胸元の布がほんの僅かに前へ揺れ、脂肪の重みが落ち着き先を探すように彼女の姿勢を変えさせる。私は何でもない風を装って、声を掛けた。

「昼、まだかかるか」

「あら、お腹空いたの。もうちょっとだから、店の前、拭いといてくれると助かるわ」

陽子は笑みを唇の端に乗せ、振り向かずにそう答えた。首の後ろに薄い汗の膜が浮いて、束ねた焦げ茶の髪から二、三本の毛が逃げ出している。私は何でもない風を装いながら、扉の枠に指を掛け、自分の手の甲に浮かぶ骨の形を見つめた。夫が妻に対して懐くこの微かな照れは、結婚して二十年近く経っても消えるどころか、湿度の高い日の前になると余計に濃くなる気がする。私は店へ戻り、表のタイルを箒で掃き始めた。埃が舞い、乾いた匂いが鼻を刺した。

十時半を回った頃、二階から荒い靴音が降りてきた。拓也の靴音だ。手すりを掴む気配もなく、段を二段ずつ飛ばすようにして、最後は土間に飛び降りる。白い半袖のワイシャツ、紺のズボン、襟元のボタンが一つ外れたまま。私が箒を止めて振り返ると、拓也は前髪を揺らし、眠たげな目でこっちを見た。陽子に似た黒く二重の目は、朝の光の下ではまだ焦点が甘い。

「お父さん、今日、ママは何時に出かけるんだっけ」

「さあ、聞いてないな。銀行だか買い物だか、昼には戻るって言ってたぞ」

「そっか。じゃあ夕飯、いらないかも。部活で遅くなるし」

「無理して食っていけよ。母さんが張り切るからな」

拓也は短く息を吐き、私の横を通り抜けた。洗濯した制服の袖から、微かに我が家の柔軟剤の香りがした。この香りは妻が毎日、店と台所の合間に手を動かして作っている匂いだ。拓也の背中が玄関の外へ出て行くのを見送りながら、私は箒を持つ手に力を込めた。高校生の細い肩幅、伸びかけの手足、それが遠ざかるにつれ、私の胸には「子を外に出す」ことの不思議な静けさが落ちてきた。陽子が「行ってらっしゃい」と声を弾ませるのが、奥の窓からではなく、店の横手の勝手口の辺りで聞こえた。拓也は応えもせず、ただ片手を挙げた。それを見た陽子の足音が、ぱたぱたとスリッパを鳴らして家の方へ戻っていく。

私は店先の葦簀を少し下げ、並べたばかりの米袋の重みを改めて手で確かめた。店の前を歩く近所の奥方が、買い物袋をぶら下げて軽く会釈をしていく。私も頭を下げた。頭を上げた拍子に、店の軒下に吊るした小さな風鈴が、風もないのに僅かに傾いた。そのか細い音が、私の胸の真ん中を通り過ぎる。梅雨を前にした湿った空気は、父がこの店を守っていた頃の匂いそのものだった。汗と漂白剤の混ざった日曜の匂い。父は日曜の朝になると、決まって店の土間を雑巾で拭き、漂白剤を薄めた水でタイルを洗っていた。乾いた後も、しばらくは店の中に匂いが残った。あの匂いを嗅ぐたび、私の身体はここへ連れ戻される。この土地と家が、私の骨の中に住み着いていることを思い知らされるのだ。

昼前、陽子が店の奥から顔を出し、私を呼んだ。昼飯が出来たから、奥へ来なさいという意味を、少し首を傾げる仕草だけで伝えた。私は棚の前から離れ、引戸を潜った。途端、味噌汁の湯気と胡瓜の浅漬けの塩気が鼻の入り口で重なり、空腹が一気に胃を掴んだ。大きな椀の豆腐の味噌汁に、新じゃがの煮物、大葉を巻いた出汁巻き、冷たい麦茶。旭の光はもう窓から差しているはずなのに、家の中は薄暗い。畳の冷えた感触が、土間で作業していた爪先に柔らかく触れ、座卓について火照った太腿を落ち着けると、白木の天板がひんやりして心地よかった。向かいで陽子がエプロンの裾を直しながら座る。首元の汗が、彼女がどれほど台所で立ち働いていたかを語っていた。陽子が箸を持ち上げ、私の茶碗にご飯をよそう。左手が布団の上に置いた膝に触れた。いや、違う。茶碗を受け取るとき、私の指が彼女の小指の横を掠めたのだ。他人の肌に触れられるのに弱い女で、陽子は恥ずかしそうに目を伏せた。

「沢庵、昨日漬けたのがいい具合よ。味見してみて」

私が一口かじると、嫌味のない塩気が歯に響き、かすかにぬか床の甘い酸味が鼻に抜けた。陽子の指は長いのに骨張っておらず、しかし節々に主婦としての働きの芯が通っている。私は茶碗を持ったまま、老婆のような目をした。いや、違った。私の目が汗ばんだ。

「あのな、土地の話、また断ったから」

「ええ、知ってるわ。あの人、しつこいのね。でも、あなたがお父さんから継いだ大事な土地だもの」

「ああ、お前には心配を掛けるな。だが、もし何か気になることがあれば、すぐに言ってくれ」

「ええ。でも今は何もいらないわ。これで充分よ」

陽子は湯気の向こうで笑った。口元を引き締めて笑わない女ではない。けれど私は彼女の笑い方の奥で、一日に何度も消し忘れられる感情があることに気づいていた。陽子の笑みはいつも、主婦の仕事の続きに生まれる。洗濯物を干し終えた後の乾いた手のひらのうるおい、夕餉の買い出しから戻って汗ばんだうなじ、夜、帳簿を付けるときに電卓の音が止まる一瞬、そうした生活の継ぎ目のような場所でふっと浮かぶのだ。この笑顔を守らなくてはならないと、私は箸を置いて湯呑みの側面を握った。麦茶の冷えた雫が指の腹を濡らし、細い筋になって手首へ落ちる。冷たさが骨まで届くような気がした。店の前で鳴る風鈴の音にならない揺れ、こぽりと小さな水の音が、台所の流しの奥から聞こえた。

昼食が終わると、陽子は台所で洗い物を始めた。私はエプロンを外し、樽の沢庵をもう一切れだけ取って、また店の方へ戻ろうとした。その背中を、陽子が不意に引き留める。

「ねえ、今夜もし時間があれば、健太に学校の話を聞いてやってくれない。部活が何だか視界が変わるって言い出して、最近、体のことを気にしているのよ」

「視界が変わる。目か。痛みはないのか」

「赤くならないし、休めば治るから心配ないようなのよ。でも、あなたから聞いてほしくて」

「わかった、聞けるときに聞くよ」

私は短く答えて、店先に座り込んだ。油の匂いのしない乾いた風が、蜂蜜色の菓子の包みを揺らした。袋の上に落ちた陽の光で、白じんだ街の音が奥まっていた。向かいの薬局の前で、買い物帰りの老人が一休みしている。鳩が二羽、砂利の上を忙しなく歩き回る。私は自分の呼吸が細かいことに気がついた。喉の奥に胡瓜の青い匂いがまだ残り、胃の腑が重く満ちている。健太、すなわち拓也が視界の揺らぎを訴えるなど、これまで意識したことがなかった。高校生になれば誰しも身体のどこかが変化に戸惑うものだ。私の声が暗くならないよう、お茶を一口含んでから喉を鳴らした。口の中に広がる麦茶は、もう生温くなっていた。

昼下がり、陽子が買い物に行くと言って店先を通った。薄手の白いブラウスに、くすんだクリーム色のスカート、素足を淡い肌色のパンプスに通している。出かける時だけ、彼女はほんの少しだけ背筋を伸ばす癖がある。そうして店の入り口に立つと、外の明かりが彼女の輪郭を柔らかく縁取って、ブラウスの下に透けた肌色の一部を私に見せる。濃い色の下着の気配はなく、素朴な白か生成りか、畑の小道のようだ。胸の大きな重みを、肩紐が微かに支えあぐねているような、斜めの張りが布の線になって浮いていた。太腿は生地に食い込みそうなほど肉厚で、スカートの裾が揺れるたび、膝の上まで一旦見えて、すぐに隠れる。その一瞬の白い嵩に、私は店の商品の前にいながら、心だけが滑って落ちるような感覚を覚えた。

「あんまり遅くならないようにするわ。帳簿、夜やるから、あなたも休める時間に休んで」

「ああ、気をつけてな」

陽子は軽くうなずき、パンプスの音も軽やかに店を出た。その背中が遠ざかると、私は店番用の台に片手を突き、天井の扇風機の羽が回るのを仰いだ。湿った空気が肌にまとわりつく。六月だというのに、首元はじわじわと汗ばんでいる。私は軍手を外し、ごしごしと目を擦って、在庫のメモに視線を落とした。メモには父の字と私の字が混じっていて、今日の日付けの下に菓子と乾物の数が並んでいる。土間の隅を蟻が一匹横切り、袋の影へ消えた。店そのものが、私の知らない時間をゆっくりと消化している。そう思うと、土地を売るという話の温度まで、この静けさにはまだ遠い。

夕方も近づいた。日が傾き始め、私の影が少しだけ伸びる。もう一度、シャッターを下ろす前に店先を掃き、商品を段ボールに戻す。漂白剤の匂いが甦って、今日の空気と混ざる。それは土間の染みこんだ父の日々の残り香であり、私の身体の動きと同じ型をなぞっていた。間もなく陽子が帰ってくる。あの白いブラウスが、夕方の仄暗い店の中で、やわらかく浮き上がるにちがいない。拓也は部活から遅く戻る、と夕飯前までは母との静かな時間が続く。私は手帳を閉じ、引戸の桟に手をかけて、家の匂いを嗅いだ。糠床の、いや、沢庵の酸味が闇にほのかに流れてくる。守らなければいけない暮らしが、足元からこつこつと脈打っている。土地と家、そしてあの笑顔。私は拳を一度だけ握って、掌を開いた。きっと守ってみせる。この六月の、湿りを含んだ昼下がりに、私は曇り空の向こうを、ただまっすぐ見つめていた。

第2章 湿った空気に踏み込む男たち

第2章のシーン

第2章: 湿った空気に踏み込む男たち

十月に入ってから、夕方の空気は肌に絡むような湿り気を帯びるようになった。あの六月の、炊きたての飯のような柔らかな湿度とは違う。腐葉土をひっくり返したときの、冷たくて重い、鼻の奥にへばりつく匂いが、店の土間の隅から立ちのぼってくるのを感じる。私は在庫の粉石鹸が湿気ていないか指先で確かめながら、ふと顔を上げた。西日が店の奥まで差し込んで、商品棚の影を長く歪ませている。埃の一粒一粒に火が灯ったみたいに、店内の空気が黄色く澱んで見えた。

店を畳もうと、私は表の幟を外すために外へ出た。空は茜色を通り越して、薄汚れた紫に変わりかけている。通り向かいの薬局もすでにシャッターを下ろし、街路灯がまだ点かない薄闇の中で、歩道の舗装だけが湿っぽく光っていた。シャツの襟元に汗が滲む。不快な汗だ。夏のそれとも違う、体温だけが内側にこもって、外気と馴染まない鈍い火照りが首筋から背中にかけて広がっている。今日は昼からずっとこの調子だった。朝、陽子が作ってくれた茄子の味噌汁の味を思い出せるかどうか試してみても、舌の上には埃の味しかしない。私は幟を巻き取る手を止め、もう一度、通りの奥を睨んだ。何かが来る。ずっと前から、鳩の群れが一斉に飛び立つ前の空気みたいなものを感じてはいたのだ。

「隈本さん」

声は私の背後から掛かった。振り向かずに、三秒ほど待った。幟の布を握る指にぎゅっと力が入り、巻いた布越しに自分の脈が打っているのが伝わる。それからゆっくりと振り返ると、細い身体を猫背に折り曲げるようにして、一人の男が店の入口に立っていた。金髪に近い茶髪をオールバックに流し、飴色の目が薄笑いを浮かべている。肩幅は狭く、手足だけが異様に長い。黒っぽいスーツのジャケットの下に、皺だらけの白いシャツを着て、首元のボタンだけを外していた。男の手が妙に剽悍だった。指の節が黒ずんで、手の甲には細い傷跡が幾筋も走っている。あれは道具を握る手の形だ。私はこの男を知っていた。ここ数ヶ月のうちに、土地の話をすると言って訪ねてくるようになった仲介業者の一人で、たしか浜口と名乗ったはずだ。だが、この夕方の時間に、表が閉まる間際に現れたのは初めてだった。

浜口は口を開く前に、まるで品物を値踏みするみたいな目つきで、店の中へ視線を走らせた。飴色の虹彩が、先に閉じこめられた西日を吸い込んでぬらぬらと光る。私はそれを見て、胃の奥からふつふつと湯が湧くのを感じた。六月のあいだはせいぜい二週間に一度、それも昼の明るい時間に、不動産屋の若い社員を連れて来るだけだった。だが八月を過ぎたあたりから、この浜口ひとりで来ることが増えた。そして今、男は私に向かって、粘り気のある声音を投げてきた。

「毎度どうも。ちょっと、いいっすか。時間取らせやせんから、店の奥で話でも」

私は幟を脇に置き、首を一度だけ横に振った。

「今日はもう閉める。話なら日を改めてくれ」

「そうおっしゃらず。あっしらも時間ないんすよ。上から急かされてて、その、どうしても今日、隈本さんのお耳に入れておきたい案件なんす」

浜口はガムを噛みながら言った。片方の口の端だけで笑う癖があった。噛むたびに、顎の骨がしゃりしゃりと鳴る。私は無言のまま、店の入口を背にして立った。こうするのが一番落ち着く。店の中の埃っぽい空気を背中で受け止めていると、父の影がすぐ後ろに立っている心地がした。父はこういう押しの強い客の前では、いつも黙って奥歯を噛んでいた。そして、最後には決まって「結構だ」の一言で追い返していた。私も同じように奥歯を噛んだ。

「土地の話なら、前に言った通りだ。売らない。相続した土地も、この店も、私一代で手放す気はない」

「そんな堅ぃこと言わないでくださいよ。代替地だって用意できるって、何度も申し上げてるじゃないっすか。あっしらだって、ただ払い下げりゃいいって話でもないんす。ほら、隣の駐車場、あそこ、もう話がついてるんすよ」

浜口は親指を肩の向こうへ曲げて、通りの先を示した。私は目をやった。家の西側にある古い貸し駐車場は、半年前まで近所の者が月極で借りていたはずだが、いつの間にか車が一台も停まらなくなっている。雑草が生え、フェンスには誰かが掛けたままの青いビニールシートが夕風にばたついていた。こんな身近な場所まで、もう。私は唾を飲み込み、そうやって飲み込んだ喉の動きを男に見せまいと、顎を引いた。

「何度来ようと答えは同じだ。店がある限り、私はここを動かん」

「困るんすよ。こっちも仕事なんで。ね、奥さんにも、ご一緒に聞いていただくってのはどうっすか。奥さん、今日はお留守ですか」

――奥さん。 その一言が出た瞬間、私の中で何かがぷつんと震えた。男の口調は、先ほどまでと違って急にねっとりしていた。まるで、ぬるい飴を舌先で転がすような速度で、陽子という言葉を口に含んだようだった。私はそれ以上、男の顔を見なかった。見たら、この火照りが声になってしまいそうだ。店の軒先にぶら下げたままの風鈴が、風もないのにまた傾いだ。耳の奥を刺すかすかな音が、私の苛立ちを針のように細めて突く。

「妻は出ている。お前らに会わせる理由はない」

「まあまあ、そう殺気立たないで。奥さん、綺麗だよなぁ。この辺じゃ評判っすよ。おっと、これは冗談っす。冗談」

浜口は低く笑い、ガムをぷっと地面に吐き出した。黒い革靴の先でそれを踏みにじる。私は唇を引き結んだまま、自分の手が震えないよう、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。そして、初めてはっきりと自覚した。こいつらの狙いは土地だけじゃない。そういう類の香りが、この湿った空気に混じって確かに私の方へ流れてきている。浜口の背後には、もっと大きな影がある。この男は一人では来ていない。車の中か、通りの角か、どこかで私と店とを観察している別の目が、今この瞬間にも私の額に張り付いているかもしれない。

「アニキがよろしく言ってましたよ。近いうちに、ゆっくり話しましょうって」

浜口は言うだけ言うと、背を向けて歩き出した。舗道の水たまりを革靴が踏む音が、しゃっ、しゃっと二度、濡れて響く。私は動かずに、その背中が街路灯の下を通り過ぎるのを見送った。通りの端に停まっていた黒いワンボックスカーが、エンジン音を立てて動き出す。後部座席の窓がわずかに開いていて、中の闇が湿った空気を吸い込んでいるように見えた。車が走り去った後、私は大きく息を吐いた。昼間に吸った分の空気が、ようやく肺の底まで届いたような気がした。背中のシャツは、汗で肌に張り付いていた。

店の奥から、ぱたん、という小さな物音が聞こえた。私は弾かれたように振り返った。家と店を繋ぐ引戸の陰に、陽子が立っていた。いや、隠れていた。柱の陰から、片手だけが出ている。薄い桃色のカーディガンを羽織り、白い手のひらで、戸枠の木をぎゅっと握っていた。指先が紅潮しているように見えたのは、あれは夕日ではなかった。店の中の黄ばんだ光の中で、彼女の手の白さがぼおっと浮き上がり、その向こうに肩が小さく強張っている。陽子は私を見ると、まるで息を止めていたことを思い出したかのように、何か言おうとして、唇を震わせただけで俯いた。私は引戸の方へ歩み寄り、平らな声を作った。

「帰っていたのか」

彼女はこくりと頷いた。頷く拍子に、束ねた髪から二本、焦げ茶の毛が滑り落ちて、頬に張り付いていた。汗のせいだ。十月でこの肌の汗ばみ方は、決して暑さのせいだけではない。私は靴を脱いで上がり、彼女の顔を正面から見た。化粧は薄い。口元の紅もほとんど取れかかって、素の唇の色が覗いている。頬の内側を噛んでいるのか、影が出来て、それが疲れを深く見せていた。今年の六月、茄子の味噌汁の湯気の向こうで笑っていた顔と、この顔が同じ女のものであることを、私は頭ではわかっている。だが、この二週間ほど、陽子は自分の不安を私に見せることを拒んでいる。それが歯痒くて、私は妻の腕に触れることさえ躊躇った。

「あの人、また来たのね。わたし、店の奥で……声が聞こえて」

「ああ。だが、話は終わった。心配いらない」

「あなたが無理してる顔をするから、心配になるのよ」

陽子はそう言って、ようやく私から視線を外した。声は細く、最後の「心配になるのよ」のところで、かすかに震えていた。私はその震えを、耳の奥で何度も反芻する。妻が私のために怖がっている。それなのに、私は浜口の前で、ただ立っていることしかできない。その無力さが、怒りに似た形で背骨の下からゆっくりと首の後ろまで昇ってくる。きっと今の私の顔は、自分で思うより強張っているにちがいない。彼女の額に手を当てて、大丈夫だと言ってやりたかった。その手が、男に見張られていたときのように酷く汗ばんでいそうで、出来なかった。私は腰に下げたままだった店の鍵を外し、手の中でもてあそんだ。冷たい金属の重みだけが、今の自分と家とを繋いでいる気がした。

二階への階段が軋んだ。拓也が降りてくる音だ。時刻は五時を回ったばかり、部活が早く終わったのだろう。制服の襟元を寛げ、学ランのボタンを全部外して、手にはくしゃくしゃの体操着袋を提げている。拓也は階段の途中で立ち止まり、店の入り口のあたりをじっと見た。それから台所に立つ陽子の方を向いた。

「母さん、さっき車、家の前に停まってたよな。黒いやつ」

陽子はまた、身体を小さくした。肩がひとつ跳ねる。私はすかさず口を挟んだ。

「営業マンだ。もう帰ったよ」

拓也はしばらく私の顔を窺っていた。息子の黒い目は、妻に似て二重で、なのに奥だけ妙に大人びている。思春期の子が、親の嘘を嗅ぎ分けるときの目だ。胸のあたりがちりちりと焦げつくような心地がして、私はわざと陽子から目をそらし、店の帳簿を片付ける仕草をした。拓也はそれ以上追及せず、冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出して、また二階に上がっていった。階段の軋みが遠ざかり、二階の部屋のドアが閉まると、家の中が急にしんと冷えた。こめかみの内側で、まだ浜口の声が反響している。奥さん、綺麗だよなぁ。あの言葉は、きっと聞かせるために発された。陽子の耳があることを知っていて、男は言ったのだ。そう思うと、胃の裏を無数の蟻が這いまわるような不快感に、手足の先がひたすら熱くなった。

夕食の支度をすると言う陽子を、私は一度だけ呼び止めた。

「今日は、どこにも出るなよ。店の外には私が出る。拓也にも、遅くなるなら迎えに行くから、連絡するように言ってくれ」

陽子は振り返り、しばらく私を見ていた。黒い瞳の表面に、つけっぱなしの裸電球が映って、揺れている。八月の終わり頃から、この人はこういう目をするようになった、と、今さらのように思った。私の知らない何かを、あの黒い車の中に見たような、すくんだ目。あの六月の昼下がり、買い物に出かける背中に夕日が当たっていたときの、あの柔らかく伸びやかな歩き方とは、まるで別の生き物のような緊張が、今の陽子の肩にはあった。

「……ええ。何も聞かずに、あなたの言うとおりにするわ」

「陽子、何かされていないか。男たちに、何か」

私の問いが、自分の喉の奥で異様に低く響いた。妻は答えなかった。カーディガンの襟元を両手で掻き合わせ、うなじを私に見せて、台所の奥へ引っ込んでしまった。それっきり、食卓に着くまで、私と陽子は一言も口を利かなかった。台所からは包丁の音も、葱を刻む音も聞こえてこなかった。ただ、時折、冷蔵庫の唸るような低い音と、私の腹の底でざわざわと蠢く黒い感情だけが、湿った家の中に満ちていた。

夜、三人で食卓を囲んでも、重苦しい沈黙は晴れなかった。陽子は箸を置いたまま、茶碗を持つ手を膝の上に落として、食べ物ではなく箸先ばかりを見ている。拓也は、テレビもつけずに黙々と飯を口へ運んでいたが、一度だけ顔を上げて、私と陽子を交互に見た。部活動で腹が減っているはずの年頃の息子の食が細い。茶碗を置く音が、やけに大きく響いた。私は味噌汁の味を確かめようとして、失敗した。舌がただ、ぬるいだけの液体を受け取る。あの六月に飲んだ豆腐の味噌汁は、もっと熱くて、塩気が舌に優しく跳ねた。こんな比較ばかりが頭に浮かぶ。季節は進んでいるのに、この家の時間だけが、じめじめと湿度を孕んで腐っていくようだ。

風呂から上がった後、私は居間の明かりを消さずに、帳簿を繰っていた。数字が並んでいるだけで、何も頭に入らない。店の先代から続く仕入れ先の名前を指でなぞる。スーツの男に言われた「アニキがよろしく」という科白が、胃の腑のどこかに引っかかっていて、飲み込もうとしても喉へ戻ってくる。浜口一人だけなら、まだ、あしらいようもある。だが、あの黒い車の中に見えた闇は、あれはきっと、こちらを観察するために存在している。こちらが弱まるのを、どこかで待っているやつらの、夜の動物みたいな息遣いが、この十月の湿った空気の向こうに感じられてならなかった。

私は店の鍵を握り直し、ちいさく息を吸った。土地と家と、家族を、守る。守ろうとして、今、私の手は汗ばんでいる。鍵の金具が、夜の闇を吸って冷えている。明日も明後日も、奴らは来るだろう。なのに、この家の中は、私の知らない沈黙で、ぎしぎしと軋んでいる。妻の白いうなじも、息子の黒い目も、私には助けを求めているように見えて、それでいて、私の言葉から遠ざかっていく。何かを失う予感だけが、季節の変わり目のじめつく空気に混じって、私の背中へ張り付いていた。

第3章 二週間前から消えた妻の笑み [sho→ten序盤]

第3章のシーン

第3章: 二週間前から消えた妻の笑み [sho→ten序盤]

十月下旬の水曜日、夜八時を過ぎた頃、私は店の奥の六畳間で伝票を一枚ずつめくっていた。昼間に浜口が置いていった書類の束が、まだ机の隅にそのまま積んである。中身はどれも土地の権利書の写しを求めるものや、売買の仮契約を迫る内容のものばかりで、目を通すたびに胃の底がむかむかと波立つ。数字を追おうとすると、インクの掠れの向こうから、あの男の飴色の目が覗いた。背中をべったりと冷たい汗が濡らして、肌に張り付いたシャツが窮屈だった。十月も末だというのに、家の中の空気はしっとりと重く、昼間に店先で感じた腐葉土じみた湿り気がそのまま部屋の空気に溶け込んでいるようだ。私は伝票の角を指先で折り、これ以上は頭に入らないと見切りをつけた。

居間の方から、かすかに衣擦れの音が聞こえた。陽子の気配だ。夕飯の片付けを終えた彼女は、もう三十分も洗面所と廊下を黙って往復している。私は椅子から立ち上がり、廊下へ出て、居間の入り口に立った。裸電球の薄暗い光が、畳の上に留まっている。窓の外は墨を流したような暗さで、庭木の影だけが風に揺れて、ガラスに細い枝の指を這わせている。廊下の突き当たりを見て、私は息を呑んだ。開け放しのままになった勝手口の向こう、裸足の陽子が、庭の物干し竿の下に立っている。手には洗濯物を抱えたまま、素足の爪先が濡れた土に沈んでいる。彼女は空を見上げていた。顔の半分を、家の明かりが逆光に縁取って、私の位置からではその表情はわからない。ただ、背中を丸めて立つ女の輪郭だけが、黒い木の影と重なっていた。

私は足音を殺して近づいた。土間を一歩出たところで、ひやりとした夜気が鼻を突き、庭の土の匂いと、昼の名残の生温い草の匂いが混じって私の前に流れてくる。その中に、石鹸と、それから微かに汗の薫製臭のような陽子のにおいがいた。近づいて、肩越しに彼女の前を見て、声を出した。

「そんな裸足で。冷えるぞ」

陽子はびくりと肩を震わせ、私のほうへ半身を向けた。手に抱えた洗濯物は、取り込むというより、胸の前に抱え直すための束だった。厚手のバスタオルと、拓也の体操着が、彼女の二の腕に重るように乗っている。私の足音に気づかなかったはずの彼女が、この家の空気ごと私を避けるように、横を向いた。

「ごめんなさい。ちょっと、空気を吸いたくなって」

「風邪を引いたら、拓也に弁当を作るやつがいなくなる。中に入ろう」

陽子は軽くうなずいたが、足元は動かなかった。冷たい土から伝わる夜露の湿りが、彼女の白い足の裏をじわじわと侵しているのが見える。青白い月の光が雲に遮られて、庭の隅の物干し台だけが黒く浮き出ていた。私は一歩踏み出し、彼女の手からバスタオルを取り上げた。そのはずみに、かさついた彼女の指先と手が触れた。陽子は触れた手を引っ込め、自分の濡れた足の甲へぎゅっと指を押し当てた。

「最近、おかしいぞ。夜にそうして外へ出るようになって、いつからだ」

「おかしくなんかないわ。ただ、眠れないの。横になると、妙に頭が冴えてしまって」

「男たちが、何かしたんじゃないのか。あの黒い車の連中が、お前の身に」

私の言葉が終わらないうちに、陽子はくるりと背を向けた。勝手口の裸電球が、彼女のうなじを照らして、結び直した焦げ茶の髪の生え際を淡く浮かばせる。首すじに浮いた細い産毛まではっきり見えた。彼女は何か言いたそうに唇を開き、しかし声の代わりに、ひゅう、と短い吐息を夜へ逃がした。その横顔に張り付いた表情は、怯えというより、私から隠し通せなくなった倦みのようなものだった。十月に入ってから、化粧の匂いが日に日に薄くなっている。口元には紅もなく、肌の上に粉の気配すらなかった。これが、あの六月に買い物へ出かけていた女の顔だろうか。目元の下に青い陰が落ちて、頬の内側を噛み続ける癖だけが、無理に口元を引き締めさせている。

家へ戻ると、陽子は風呂場へ向かった。洗濯物を畳んでおくから、先に休めと声を掛けたが、返事はない。脱衣所の扉が閉まる音だけが、暗い家の中に乾いて響いた。私は居間のソファに腰を下ろし、抱えてきたバスタオルを膝の上で整えた。タオルから、外の冷たい空気と、うっすらと陽子の肌が移った油の匂いが立ちのぼる。湿りを帯びた繊維の感触が、冷たいはずなのに、私の太腿に生温かくまとわりついて離れない。やがて、風呂場の奥から湯音がした。白い湯が浴槽の底で揺れる、ぽしゃりというかすかな反響。一定の間隔で、それが続いた。水を掻き回すような音でもなく、ただ浴槽のふちで揺れてあふれそうになりながら、静まり返った家全体へ滲みる。ああ、まだ肌を流してもいないな、と耳を澄まして思った。湯の中に座ったまま、膝を抱えて、動かずにいるらしい。そういうふうに、毎晩、風呂の時間だけが異様に長くなっていった。その白濁した水面の底で、何が沈んでいるか。扉の向こうを、音だけで想像した。

夜も更け、私は二階の寝室に布団を敷いた。靴下を脱いで畳に足を降ろすと、ゴツゴツした畳目が土間に疲れた足の裏を刺した。障子の桟に月の光が滲み、部屋の角々を藍色に沈める。枕元の時計は十一時を回っている。私は布団の上で仰向けになり、天井の節穴を、墨をぽたんと落とした跡のように見つめた。隣に敷かれた陽子の布団は、まだ冷たいままだった。あちらの体温が先に移っていない、糊の利いた敷き布の感触。二ヶ月前までは、こうして私が先に横になっても、陽子は化粧水をつけた手を擦りながら、ふっと笑って隣へ潜り込んできた。肩と肩が触れて、互いの足先が探り合う夜もあった。けれど、この十月に入ってからは、布団へ入る時刻も、眠る前の言葉も、すべてが彼女のほうからぷつんと途絶えてしまった。

十二時が近づいた頃、廊下を歩く音がした。畳の上ではなく、すり足のように、ほとんど音を立てずに。ふすまが開く。陽子は私の顔を見ないまま、部屋の隅を通り、自分の布団へ入った。横になっても、顔は壁のほうばかり向いている。肩から下へ、掛け布団が盛り上がり、彼女の身体の丸みだけがぽっかりとそこにある。距離が遠い。たった数十センチの畳の谷が、海峡のように冷たい。私は枕に頭を乗せ直し、小さく声を掛けた。

「この前のことは、男たちのほうから無理に何か、されなかったならいい。だが、お前は何かを隠している。今夜、庭に出ていた。昨日は、風呂から上がるのに一時間半もかかった。昔のお前なら、夕飯の後、俺の隣で帳簿の話を笑って聞いていた」

しばらく沈黙が続いた。外の風が、どこか遠くの軽トラの荷台を打っている。かすかな犬の唸りが二度、その後に、がたん、と店の方で何かが木箱に当たる音がした。あれは風か、あるいは店の前を誰かが通り、木戸へ触れたのか。私は聞き耳を立てた。風が轟々と壁を舐め、音の正体はすぐに消えた。どきりと速くなった心臓を、畳の上に押しつけるように、胸を伏せて一呼吸おいた。

「ごめんなさい」

陽子がうつぶせのまま、額を枕に擦るようにして言った。布団の裾を握る手の白さが、闇に浮かんで見える。彼女は自分の肩を縮め、私から顔を隠すように身体ごと壁の方へずらした。続けて、涙を含んだ声がのがれてくる。

「何があったか、私、どう話せばいいのか……自分の口から、言える日がくるかどうかも。でも、どうか、しばらくひとりにしておいて。あなたにまで……あの男たちの嫌な気配を、移したくないの」

「陽子。俺は夫だぞ。ひとりにしろと言われて、はいそうだと背を向けられるわけがない。お前が苦しんでいるなら、なおのこと、その顔を見せてくれ」

私の声が、思ったより強くなった。いや、強くしようとして、喉だけが詰まった。彼女は首を振る。振るたびに、髪の束が枕の上で音もなく乱れる。そこから、かすかに石鹸の花の匂いがほどけて、私の今にも崩れそうな胸の奥まで届いた。欲望というのではない。しっとりと濡れた肌が、布団の中で僅かに熱を発して、そのぬくもりが、今は痛いほど遠い。触れて確かめたいのに、彼女は壁のほうを向いたまま、声の高さだけを私の背に残している。やがて、風呂と外気で荒れた喉から、もう一度、たどたどしい声が落ちた。

「ごめんなさい。本当に……ごめんね」

それっきりだった。私は、手を伸ばせば届く距離にあるはずの妻の腰の膨らみを見つめて、指一本動かせない自分の浅ましさを噛み潰した。夜風が窓枠を揺らし、店の木箱へ何かをこすりつけるような音が、また一度だけ、家の骨を打って消えた。

翌朝、私はいつもより二時間早く目を覚ました。隣の布団は冷えきっていて、掛け布団の上には薄いカーディガンが一枚、脱ぎ捨ててあった。指先で触れると、外気を吸ってしっとりと冷たい。朝の気配のない四時半の暗さの中で、私は床の間に正座し、父の遺影の前でしばらく背筋を伸ばしていた。店の在庫を数えるでもなく、息を吐いて、吸って、吐いた。動脈の中で、昨夜の浜口の声がまだ明滅している。土地を売ってしまえば、あるいはあの黒い車は来なくなるのだろうか。いや、売れば終わりではない。連中が欲しがる間は、こちらがどこまでも揺さぶられるだけだ。私は拳を握り、開き、湿った朝の空気を喉の奥で一度だけ噛んだ。

その日からさらに五日、陽子の口数はますます減っていった。買い物へ出る回数が減り、彼女が外へ出るときは、たいてい夕暮れの薄闇の前後を選んでいた。化粧はほとんどせず、香りも石鹸ひとつになった。夫婦の間に横たわるものは夜ごとに太く、冷たく、音を失くして重なっていった。拓也はそれに気づいているのか、いないのか、家にいる間は自分の部屋にこもりきりだった。夕食に、箸の音だけが食卓の上をかしましく転がる。私と陽子、そして拓也。それぞれの呼吸の深さが違う。家族なのに、同じ空気を分け合っていない。煮物の汁が、匙を伝って舌の上でぬるく広がった。家の中が、何かに嗅ぎ回られているような、奇妙な静けさに満ちていた。

男たちはその後も、週に二度ほど店へ来た。浜口ひとりのときもあれば、スーツの男をもう一人連れて来て、地権者の書き換えと称して署名を迫ることもあった。私は毎回、同じように、店の入り口に立って断った。話し方は浜口のほうが、日に日に粘り気を増していく。指先で伝票を弾きながら、語尾に「やんす」をからめる。その癖のある音が、夕方の店先に長く尾を引いて、私の眉間の奥に疼いた。

十月も末の水曜日が来た。朝から雨のなかに、消毒液を含ませた脱脂綿のような、肌に張り付く湿気が満ちていた。店の前の排水溝からは泥と朽ち葉の生臭い匂いが立ちのぼり、窓ガラスには細かな雨粒が斜めに吸い付いていた。私は一日、店番をしながら、昼前に来た卸問屋の若い男と価格の話をし、合間ごとに妻のことを考えた。朝、陽子は台所で、私の分の目玉焼きを焼いていた。黄身の縁が固まり、白身が油ではじける音を立てても、彼女はフライパンの柄を握ったまま、じっと窓の外を見つめていた。こげる前で、ぷつん、と目を戻して火を止めた。それを見た私は、朝の食卓へ座ることができず、店へ逃げた。夫でありながら、何を守っているのか。胸の内側へ向ける刃だけが、妙に鋭かった。

夕方、雨が小降りになった。私は店のシャッターを閉め、母屋へ戻る前に、三日ぶりに郵便受けを覗いた。いつもならまとめて入っている地元の広告紙や電気の検針票が、今朝は不思議なくらい薄い。指先を差し入れると、一番奥で、四角い紙の束が濡れた金具に引っかかっていた。引っ張り出す。封筒は何の変哲もない、茶色のラミネートか何か、表面を雨粒が玉になって滑っている。差出人はない。裏にも何も書かれていない。糊付けされた口の下のあたりが、冷たい水気を含んで少し膨れていた。時刻印だの局員の丸印だのといったものも押されていない。ポストに直接投げ入れられたらしい。私は指の腹で封筒の厚みを何度か押し、どくりと打ち始めた喉の脈をやり過ごしてから、台所の昏い中へ抜けた。

暖色の豆電球だけが点いている食卓で、封を切った。中に入っていたのは、DVD-Rが二枚と、一枚の紙。白く薄いコピー用紙が、三つ折りになって、ケースの隙間に隠れるように挟まっている。広げると、パソコンで打ったこまかい明朝体が、購入したての墨汁のように濃く並んでいた。

『これは奥さんが大変よく撮れてる記念の映像だ。二枚ある。土地の件を次に来たときに判を押さなければ、この町内の全家庭と、お宅の息子の学校へ配る。お隣の回覧板ほど愉しいものはないから、ぜひそうしてほしいくらいだよ』

文面は二行で、長かった。私は紙の余白に、自分の指が押し当てられて湿ったしわを作るまで、そこを読み、また読んだ。奥さんが、よく撮れてる。町内の全家庭と、息子の学校。目の前の食卓が、ゆっくりと奥へ引いていく心地がした。耳鳴りが低く入って、台所の蛇口から、ぽた、と一滴、水が落ちた。小気味よいまでの静寂だった。私は二枚のDVDを手に取り、窓から射し込む夕闇に向けた。読み取り面に、だらしない染みのような虹色が浮かび、消える。手の震えはなかった。脇の下から腕の内側にかけて、汗がじっと沁み出すばかりだった。

夜八時。陽子が風呂に入って、もう四十分も出てこない。脱衣所の引き戸の向こうで、水音はかそけく、時々、ん、という短い吐息のようなものが、排水溝の下から跳ね返る。それが何度目かに変化したとき、私の嗅いだことのない熱い声がひやりと漏れて、また消えた。聞き間違いかもしれないと思うほど、音は薄く、短かった。私は居間のソファに座ったまま、膝の上に置いた封筒を何度も撫でた。この鼻先には、テレビの黒い液晶がある。配線も電源も、今は眠ったまま。リモコンに、DVDの電源の印がうっすら埃をかぶっている。再生する。その決心が、水底から上がる泡のように、腹のどこかでゆっくりと形を作り始めていた。私はソファの肘掛けを握りしめ、用意されたような沈黙の中で、テレビ画面に映る自分の影を、ただじっと睨んでいた。

第4章 再生

第4章のシーン

第4章 再生

リモコンの電源ボタンを、私は音もなく押し込んだ。指先に伝わるのは、あの軽い凹みの感触だけ。テレビが低く唸りを上げ、黒かった画面の中央から青白い光が、瘡蓋を剥がすようにじわりと滲み出してくる。手許のリビングはしんと冷えていて、外の雨はもうやんだらしい。雨音の代わりに、家のどこかで柱時計の針が秒を刻む音だけが、やけにくっきりと耳の内側へ張り付いていた。風呂場の気配はまだ続いている。陽子は出てこない。あの白い湯の底で、彼女の沈黙が膝を抱えて丸まっている。その様を思うと、自分の指先から血の気が引いていくのがわかったが、それでも私はソファに座り直し、冷えきった手でDVDの一枚目をつまみ上げ、トレイに滑り込ませる。機械がそれを吸い込む音。かちり、と小さく噛み合う部品の音。トレイの唸りが収まり、画面が深い藍色へ沈んでいくまでの数秒が、やけに長い。吐く息ばかりが燃え滓のように口から落ちて、膝の上でぱらぱらと崩れた。

やがて画面がざわめき、白い砂嵐が一瞬走る。次いで映し出されたのは、どこかの室内。いや、このリビングではない。壁際の棚、窓の高さ、カーテンの色、その配置が否応なく我が家へ似せられている。まるで同じ型紙から裁ち出したように、ソファの位置まで同じだ。だが画面の中の空気は、この夜半の闇とはまるで違う湿度を孕んでいた。時間は昼か夕方か。黄ばんだ照明がいくつも点いていて、光そのものが澱んでいる。見覚えのある茶色い木の床、白い壁、古い柱時計。カメラが揺れる。ぱん、と台所の方から乾いた破裂音が聞こえ、私は両手を膝の上に突き潰すようにして、画面へ顔を突き出していた。

人の声。低い笑い声、床を靴底が擦る音の連なり。レンズが横へ流れると、肌の色が一斉に映る。男が三人、いや四人いる。全裸の男が二人、下は脱いだまま上だけ黒いシャツを着た男が二人。その中心で、白いものが暴れていた。ベージュのカーディガンは襟元から肩までが無残に裂けていて、中の白いブラウスが胸元まで破かれ、生地が皮膚に濡れて貼り付いている。着衣の面影を残しているものが、かえって痛々しい。黒い瞳を限界まで見開き、逆立った声を喉から撒き散らし、男たちの腕の中で暴れる女は、間違いなく陽子だった。両腕を後ろ手に押さえられ、肩を床へ押し付けられ、だらりと崩された下半身から、見慣れたはずのベージュの下着がずり落ちそうになっている。腰の曲線が他人の膝でぐいと押し上げられ、弓なりに浮いていた。私は何か叫ぶこともできず、歯を噛み合わせたまま、画面から零れてくる妻の悲鳴を聞いていた。

「いやっ……だ、だれ、誰なの、ああっ、やめっ、やめてぇ」

映像の中の陽子が、喉を裂くようにして叫んだ。口元をぐしゃぐしゃにした涙で濡らしながら、何度も首を振っている。髪は結び目が取れて、汗ばんだ額や頬に張り付き、白いうなじが暗い男たちの肌色に囲まれて浮き上がっていた。猿ぐつわの布を噛まされた拍子に、彼女の顎が上へ反り、舌の根が空気を求めて蠢くのが見えた。男の太い指が、その無防衛な咽のくぼみを、虫けらを押し潰すようにゆっくり撫で下ろす。私は自分の指先がソファの布を掴み、冷たい汗をそこへ染み込ませていくのを、他人事のように感じていた。怒りよりも、見てしまった現実の重さが、肺から一息に体液を抜いていく。骨組みだけになった私の体が、画面の青い明かりに焼かれ続ける。

画面の端から、一人の男が立ち上がって歩み寄る。背中が映る。首すじから肩へかけて、青黒い龍の入れ墨がうごめいていた。それだけではない。二の腕の表が、怒張した血管の縞をびっしりと浮きぼらせている。筋骨の厚い背中は、呼吸ごとに汗でぬめり、光を不規則に吸っては吐いていた。男が半身になって笑うと、細い爬虫類めいた目が画面の向こう、いや、こちらを覗き込むように細められた。この男がアニキ、加持悠二。浜口の上にいた者。唇が動くが、音はくぐもっている。

「奥さんよ、暴れるのも大概にしろや。オレらの言うこと聞いてりゃ、少しは楽にしてやれるって言ってんだ」

声は、がなり立てるでもなく、ぬかるみを掴むみたいに低く湿っていた。陽子が泣きじゃくる。男が彼女の後ろで片膝を立ち、腰のあたりへ手を回す。ベージュの下着を一息に引き下ろすと、陽子の臀部が白く弾む。画面の光が、女の柔らかい膨らみの上で濡れ光る。私は息を殺し、唇の内側を噛み切る思いで見た。あの下着は、私が見知っていた妻と同じものだった。夫の前で脱いだこともある、几帳面な色の、質素で、ぬるい温度を帯びた布。それがいま、自分のものではない指の力で、恥骨の下へ捻り下げられている。

「おい、カメラ回ってるぜ。ここンとこ、隈本さんがよ、ちゃんと見られるように撮っとけ」

男が画面のこっちを指差して笑う。私は片手で口元を押さえた。歯が数本、指の骨へ食い込んでいた。そこまで映像を見て、ようやく理解してしまった。これは私の目に届いた時点で、もう完成されてしまっている。映像はこれから起こることを映しなどしない。映像は、もう済んでしまった日々の証拠として、今この夜更けに、私ひとりの目を焼いている。抵抗しながら妻が蹴り上げようとする脚。その白い太腿を、左右から男たちが抱え込み、股を割り開いていく。薄い陰毛が、黄色い照明の下であらわになる。十分に暴かれた肉びらの薄桃色が、私の知らない湿度を帯びて、カメラへ曝される。妻の陰部を、見知らぬ男の唾が濡らしていく。悲鳴の合間に、ぬぐ、ぬぐ、と男の指が粘液めいた音を掻き立てた。あの音が、テレビの安いスピーカーから、水槽の中の泥を啜るように流れてくる。肛門にまで指が這い、尻肉を押し広げられて、陽子が「ひあっ」と短く喘いだ。画面上の肉体が、ほんの少し反り返る。その身じろぎさえ、この映像では笑いの種にしかならなかった。

加持が正面に回る。背中の墨が、盛り上がる肩甲骨の上で龍の尾を波打たせる。彼が腰を落とすと、怒張した肉茎が写った。巨根、という月並みな単語を、あの肉の質量、色合い、睾丸のぬめり具合が、一挙に上書きしていく。先端は赤黒く充血していて、鈴口から垂れる透明な液が糸を曳いていた。特異なのは、その棒へ無遠慮に埋め込まれた白い粒の幾つかだ。亀頭の後ろから幹の半ばへかけて、真珠が三つか四つ、皮膚の下から隆起を作り、血管と共にうごめいて見える。私は思わず腰を浮かした。気持ち悪いという感情が、怖気という肉体的な波に変わって、背骨を細かく痙攣させる。あれを、この妻が。あの、夕餉の支度をしていた陽子が。そんな半信半疑の闇の中へ、男の腰が突き込まれるのが見えた。

ぐぷ、と、ひどく粘膜が鳴った。陽子の腰が、異物を追い出そうと跳ねる。けれど男がその両腿を脇に抱え直し、一気に奥まで埋め込むと、彼女の口から悲鳴にならない塊が迸った。喉の奥で潰れたような声音。首がのけぞり、白い喉仏のあたりが小刻みにひくつく。最初の挿入は、痛々しいほど堅く閉じたままの肉を、無理に抉じ開けるようだった。陽子の瞼はきつく閉ざされ、唇の端から小さく歯が覗く。私はその表情を、一度だけ見たことがある。出産のとき、陣痛の波に耐える彼女が、これとよく似た顔をしていた。産声が上がった同じ身で、今、見知らぬ男の怒張を受け止めている。夫として、なんという思いでこの映像を凝視すればいいのか、答えを探す間もなく、画面上の陵辱は容赦なく続いていく。ぎち、ぎち、と肉茎を抜き差しするたび、挿入部の境目が泡立ち、陽子自身の体液と男の汗が混じって、結合のたびに光る。真珠入りの隆起が、内襞を無理に押し広げては引っ掻いて、彼女の下腹を外から押し上げるほど深く沈む。私の指先は、知らず知らずのうちにソファの肘掛けを裂く勢いで爪を立てていた。唇を噛み、喉の奥で、やめろという言葉だけが渦を巻いて、吐き出せないまま飲み下される。

「ほーら奥さん、真珠の粒が当たって、いい声出せって。旦那の前で、そういう声出せねえってんなら、今たっぷり聞かせてやれや」

男の一人が陽子の頬を平手で打った。乾いた音が三度。彼女が一瞬おとなしくなった隙に、別の男が腰を押し付けて、別の穴へも指を突き込む。ぐちゃ、と指の節が尻肉に吸い付いた。その無造作な拡張に、陽子の口から「あ、あ、あう」と漏れて、唾液が顎へ流れる。画面は執拗に結合部分を大写しにして、肉茎の根本から泡立った汁が糸を曳いて落ちるのを映している。私は目を逸らそうとした。逸らそうとして、眼球だけが金縛りにあった。頭蓋骨の中で、湯気みたいな怒りがじわじわと溜まっていくのに、下半身の感覚はなぜか冷たいまま、まるで北風に当たる廃屋の柱みたいだ。ひたすら、目の前で犯されている女が、二十年前に手を取った女だという事実だけが、ぬめぬめと私の内部を削っていく。

どれくらい続いたのか、男たちが代わる代わる嬲るたびに、陽子は泣き、痙攣し、そうして抵抗のひとつひとつを萎えさせていった。横たえた姿勢のまま髪を掴まれて、別の男のものを咥えさせる。くぐもった咳き込み、唾液の泡。喉の奥へ抜けるときの、ご、という音。目は涙で濁り、瞼は腫れて、白い鼻水が唇の端まで伝っている。彼女の口が肉を吐き出しかけると、また平手が飛び、頬が震えた。けれど、その赤く揉まれた口許、もっと正確には、唇の粘膜そのものが、だんだんと男たちの望む動きをなぞり始めている。強く押さえ込まれているうちに、抵抗より先に体が動きを覚えてしまう、そんな生理の匂いが画面越しにまで届く。私は、違う、と奥歯で噛んだ。陽子は、こんな女ではない、と。だが、映像はこちらの祈りなど踏み越えて、次の段階をためらいなく晒しにかかった。

空気が変わった。男が次の道具を持ってきた。細いアンプル、それから使い捨ての注射器。無色の液体を吸い上げる浜口の横顔が、カメラにぬっと入る。ガムはもう噛んでいない。だからか、彼の飴色の目が、妙に事務的な冷たさで光っていた。

「奥さん、暴れると針が折れやすぜ。おとなしくしてりゃ、一瞬ですみやんすよ」

浜口の語尾が、あの店先での軽薄な調子のまま、だが今は凍った薄刃のように耳へ突き刺さる。陽子が首を振り、掠れた声で「や、いや、それだけは、わたし、打たないで」と喘いだ。私は唇を引き結んだまま、心の中で同じ科白を繰り返していた。やめてくれ、と。夫の祈りが通じるはずのない映像の中で、加持が陽子の肘の内側を押さえる。二の腕をきつく縛られた彼女の青白い皮膚の下へ、針の先が、ゆっくりと、確実に、沈んでいく。私はその瞬間、はっきりと痛みを感じた。自分の腕の中を、冷たい針金が這い上がってくるような、筋張った痛み。注射器の内筒が引かれ、赤黒く濁ったものが薬液に混じる。そして、それは、彼女の血の中へ戻されていく。ああ、この映像はここまで克明に、妻が薬を打たれる瞬間を捉えてしまっている。日常の仕草や、買い物の後ろ姿や、朝食の卵を焼く横顔ではなく、この、呆然とするほどあからさまな場面だけを。

薬が回り始めるまで、ほんの数十秒のことだった。陽子の黒目が、まず、いつもと違う水気を帯びた。瞼がゆっくり下がり、白いうなじが、くた、と床へ預けられる。唇が薄く開いて、浅い息を吐く。眉根の緊張が溶け、そこから先は、別人の顔だった。怖れが抜けると、しかしかえって淫らな予兆が皮膚の表面へ滲み出て、首筋から胸元にかけて紅い染みが散る。夫として、私はその顔を、知らない。知らないはずの相貌が、画面の奥で確かに呼吸している。男が問う。

「どうだ奥さん、いい気分だろ。今度こそ、あんたのほんとの声、旦那に聞かせてやんな」

陽子は答えなかった。けれど加持がゆっくり腰を進めると、彼女の両膝が、自分から開いていく。この女は、私の妻は、あれほど暴れていた水の底から、ぬるりと浮かび上がってきた。男の真珠入りの肉茎が、そのまま彼女の深い場所まで、いとも容易く突き立っていく。ずりゅ、と熱を持った音がして、結合部から白く濁った液が押し出される。むくんだ肉びらが、男の幹に食い付いて、咥え込んで離さない。その様が、テレビの明るさの下で、毛穴のひとつまでこちらに迫ってくる。私は、薬の作用が服従を早めているのだと頭では理解しつつも、それ以上に、妻の中に横たわる別の生き物が目を覚ましてしまったようにしか思えなかった。

「あ、うあ、あああ……な、に、これ、や、おく、ああっ」

陽子の口から、もう、泣き声でも悲鳴でもない音が漏れ始めた。語尾が濡れて、息が舌の上で泡立って、不規則に跳ねる。なんという声。私は背筋を指で掻き毟られたような戦慄の中で、夫として知っているはずの妻のどの部分も、この声に繋がっていないことに打ちのめされた。真珠の粒が、彼女の内襞を、擦って、抉って、子宮の入り口へ吸い付くたびに、陽子の足先が突っ張って、床から浮く。すらりと伸びた白い腿が、男の腰の動きに合わせてゆらゆらと開閉し、ついに自分から相手の腰を足で巻き付かせる。男が耳元で「奥さんのここ、真珠に絡みついて離さねえぜ。旦那には内緒だなあ」と囁くと、彼女は細かく頷くように顎を揺らし、舌を出して喘いだ。

「ほらよ、腰、動かせ。自分で気持ちいいとこ、探れよ」

命じられるまま、陽子の腰が小刻みに揺れた。彼女の背中が畳ではなく、床の木目に貼り付いて、しどけなく這い回る。豊かな乳房が、破れたブラウスの合わせから溢れて、白磁器のように汗で光っていた。先ほどまで痛みに足掻いていた女の体が、いま眼前で、くちゅ、くちゅと粘滑な水音を奏でている。あれは、妻の奥から掻き出された音。私が生涯、耳にするはずのなかった、赤の他人の体液と交じり合う音。私は耳の穴を塞いだ。だが、手の隙間から、音は染み入ってくる。ぬぐちゅ、ぐちゅ、ぢゅぷ、ぢゅぽ、と泡を啜るような反響が、テレビの奥の薄暗い空間から、執拗に私の骨を打った。

「あ……ああっ、くる、きてる、からだ、勝手に、ああ、は、あ……っ」

絶頂の直前、陽子は、まるで水面から一気に引き上げられた魚のように、体を大きくのけぞらせた。目がひっくり返って、白目が光り、口が大きく開いたまま息を吸い込む。男が腰を怒らせて、最奥を二度、三度、突き上げると、結合部から、どぷ、どぷ、と獣じみた粘液の音が続いた。精液というより、全身から搾り出された汁、ヨーグルトのように泡立った白いものが、娘のような細い産毛を濡らし、尻の割れ目を伝い落ちていく。私の喉がひくつき、吐き気とも悲鳴ともつかない熱が込み上げた。それでも目は、画面から、妻の堕落した顔から、一瞬も離してもらえなかった。打たれた薬が、夫の知らない肉の快楽を、無理やり内側から決壊させている。快感の爆弾という言葉が頭を過り、それがまた、あの六月の昼下がりの、やわらかい日差しの中で笑っていた陽子と、どうしてもひとつに結びついては離れなかった。

やがて男たちは、飽きるように体位を変え始めた。さっきまで正面から突かれていた陽子は、無造作に髪を束ねられ、背中側から改めて貫かれる。突き上げのたび、豊かな尻が波打ち、腰を掴んだ男の指が肉へ深く沈み込んだ。彼女は四つん這いのまま、次の男のものをしゃぶらされ、咽喉の苦しさに白目を剥きながらも、自分の背後から迫る律動に合わせて膣を締め付けてみせる。肉棒が引き抜かれると、くぬ、と大陰唇が名残惜しげに追い縋り、押し出された泡が太腿の内側をつたい落ちる。そこへまた別の男が、今度は陽子を仰向けにひっくり返し、両足を肩へ担ぎ上げて一息に突き込む。彼女の口から「くっ~ん」という子犬めいた裏返りが漏れ、閉じるはずの瞼が半開きになって、黒い瞳が何も見ていないままで天井を揉み続けた。私は、切り替わる体位のたびに、妻の内部で何かが待っている、そんな不安を味わった。夫との営みで知る彼女の重みや、決して自分から腰を動かそうとしなかった慎ましさが、ここには欠片もない。誰かが触り、誰かが突くほどに、身体は期待して震えている。私は自分の爪が、いつのまにか左の手首の肉へ食い込んでいるのを、後から確認した。そこから血が滲むまで、痛みにも気づかずにいた。

画面はさらに趣向を変えて、彼女を男たちの中央へ座らせた。膝を開き、両乳を寄せて肉棒を挟ませる。浜口の膝が、それを眺めながら小さく笑う。男の一人が陽子の顎を掴み、舌を出させて、亀頭をその上で転がす。彼女はされるまま、れろれろと広い舌で舐め上げ、唾液が糸を引いて男の下生えへ滴る。その姿には、もう最初のあの、夫の名を呼ばずとも必死で家事をこなしていた女の面影など残っていない。私は胃のあたりから込み上げる苦いものを飲み下せぬまま、ただ奥歯を噛み締めて見つめ続けた。男たちは笑い声を上げ、互いに「この女はもう、どれだけ縛らなくとも逃げねえだろう」と話している。その声は、薄いスピーカーの膜を震わせて、リビングの暗がりを低く這ってくる。逃げるようにではなく、帰れない。帰せない。そう言われているようで、私は耳を塞ぐ手にいっそう力を込めた。

絶頂への導きは、若い男の卑猥な指使いに委ねられた。陽子の中へ挿れたまま指をかぎ型に曲げ、手前の荒いところを掻くように引っかかせる。彼女が小さく何度も、いや、いやと首を振る。女の、いや、がこの映像の中では、もう拒絶の響きを持っていない。待って、と懇願する呼吸に変わっている。私は股関節を冷たいもので掴まれたような心地で、それを聞いた。やめて、という言葉だけは聞ける可能性が残っていた。その望みが、薬と快楽の前でいとも脆く倒れていく。浜口が陽子の耳の後ろへ鼻先を埋め、蒸れ酸っぱい汗の匂いを嗅ぎながら舌を這わせる横顔も、カメラは克明に映していた。彼女は背筋を仰け反らせ、喉を晒しながら「あ、あう、や、まだ駄目ぇ~」と呼ぶ。その声が、夫の呼ぶ声と重なるはずもないのに、耳のどこかに引っかかって剥がれない。

その後の映像は、角度を変えた反芻のように、別の男が彼女を後ろから貫き、倒れ込む彼女の口へ別の肉をねじ込み、カメラがその重なり合った肉の皺や、だらしなく開いた後孔まで克明に映し出していく。陽子は抗うそぶりもなく、突かれるたび、は、あ、と熱い息を漏らし、身体のあちこちを痙攣させていた。時折、浮遊するような声で、うそ、とだけ零した。その一言が、彼女の内側に残った最後の何かを示すようで、私の胸を、錆びた釘で削る。私は、妻のこんな顔を知らない。知りたくなかった。知った途端に、褪せた現実の方が、もう手遅れになってしまう。

映像が細かく乱れて、一時停止されていることを知らせる青い画面。そうではない、これはそのDVDの、片面の終わりだった。画面が、結末を予告するように、ぷつん、と暗くなる。部屋が、唐突に静寂に戻った。テレビのファンが、きぃん、と耳の奥で啼いている。私はソファの背に体を預け、自分の呼吸を整えようとした。整わない。首の後ろを、氷の掌で押さえつけられている心地がする。二枚目のDVDが、茶封筒の上で、私の手を待っていた。時計の針は十一時半を回っている。深夜を過ぎれば、また新しい映像が幕を開ける。もっと酷い、と書かれた最悪の断片が、あの銀色の張り紙みたいな姿で、テーブルの上に転がっている。私はソファの肘掛けを、根こそぎ握り潰すように掴んだ。指の関節が白くなって、骨が、音を立てた。陽子はまだ、風呂から出てこない。家の中には、この青い画面の残像と、私の乾いてひび割れた呼吸とが、不穏に澱んでいた。

第5章 私は二枚目のディスクをトレイに乗せた。指先がしっとりと湿っていて、盤面に虹色の染みが滲む。肘掛けから手を離すと、革の表面に私の爪のあとが五本、白く浮かんでいた。時計の針は十二時を回ったところだ。夜が日付を食い破って、暗い方へ沈んでいく。テレビの画面がまた青白く明滅し、新しい映像の気配を部屋中に撒き散らした。

第5章のシーン

私は二枚目のディスクをトレイに乗せた。指先がしっとりと湿っていて、盤面に虹色の染みが滲む。肘掛けから手を離すと、革の表面に私の爪のあとが五本、白く浮かんでいた。時計の針は十二時を回ったところだ。夜が日付を食い破って、暗い方へ沈んでいく。テレビの画面がまた青白く明滅し、新しい映像の気配を部屋中に撒き散らした。

画面は一枚目と同じ、黄ばんだ照明の下の空間から始まった。けれど、映った瞬間に空気が違った。男たちの笑い声も、床を踏む乱暴な靴音も薄い。中央に、立っている女の姿があった。薄暗い部屋の真ん中で、まるでこの撮影のために用意された人形みたいに、両手を腿の横へ揃えて、足をしん、と閉じている。首はほんの少し傾げられ、目はカメラを真っ直ぐに見ていた。けれどその瞳の焦点は、こちらを通り抜けて、もっと遠くの、ぬめった何かを映しているようだった。

その女の下着が、赤い。

どう見ても、つい数日前まで、あのベージュの生地を身につけていた女の身体に、この薔薇色じみた布を巻きつけている。古い映画に出てくる娼婦のような、下品なレース。ブラジャーは黒と赤の染め分け、尖りきった中央に小花の刺繍まで浮いていて、重い乳房の下側が、浅いカップから堪えきれずに溢れんばかりだった。細い肩紐がうなじから腕へ斜めに落ち、腕を動かすたびに、柔らかな肉がふるりと震える。下は紐状に近い布地で、腰骨の上できつく食い込み、薄い陰毛の生え際から肉の割れ目の中程まで、ただの飾り布で蔽っている。もはや隠すための布ではない。女の急所を、観客の視線へ差し出すための、真紅の額縁だった。赤く浮く太腿の内側に、生々しい注射痕がいくつも並んでいた。虫刺されみたいに赤黒い点。一周忌の団子を貫く楊枝よりも、鈍く、醜い。あれは、薬を打つための、何度もの。

画面の中の陽子は、私に見せるための化粧を、うっすらと完成させていた。瞼に薄い紅、口元にだけ、赤い下着と同じ色を差している。その顔には、うっすら笑みが浮いていた。笑っていない唇の端だけを、ほんの僅か持ち上げる。猟犬が餌を前に舌なめずりするときのような、肉食の気配があった。私には、この女の輪郭が、どうしても陽子そのものなのに、目だけが知らない生き物の光でぬめっているように見えた。太腿の注射痕を手のひらでそっと擦ると、くすぐったそうに腰を揺らす。あの、あの仕草は、私が台所で見てきた、ぱたぱたと働く妻の筋肉の動きと同じだった。同じ肉なのに、同じ骨なのに、そこに宿っているものがまったく別の熱を帯びている。

「今日は、奥さん、自分で着て待ってたんだぜ。あっしらが何も言わないのに、部屋の隅ですっと脱いでよお」

浜口の声が、画面の外側からぬるく被さった。私は、その言葉が耳へ入った瞬間、喉の奥で何かが潰れた。下着を、自分で。待っていた。今まで私の見てきた質素な綿の白は、外ではあの女自身の選んだ象徴で、そして今この赤は、よその男のために選ばれた皮膚だった。血ではない何かが、歯茎の裏側からじわっと滲むような嫌悪が、唾と一緒に膨れた。私の知らない一日の始まりに、この赤い下着はもう準備されていたのだ。レースの花模様を指先でなぞりながら、あの女は自分の太腿に針を刺す男たちを、待っていた。

扉の開く音がした。学校帰りの拓也だった。紺のブレザー。リュックを肩から提げたまま、部活の汚れを膝にこびりつかせて、よたよたと家の中へ入ってくる。息子の黒い髪は汗で数本額に張り付き、自転車の油と芝の匂いが、画面のこちらまで抜けてくる。男たちの姿が見えた瞬間、拓也は二歩後ろへ下がり、手に持っていたリュックを床へ落とした。中から教科書が滑り出て、ぱさり、と音を立てる。

「ママ、その下着、何してるんだよ、早く着替えないと。あんたたち、また来たのか、入ってくんなよ、警察呼ぶから」

拓也の声が、少年らしく裏返り、低くなりそこねて震えている。まだ私の知っている拓也の声だった。次の瞬間、二人の男が両脇から羽交い締めにして、床に押さえつけた。息子が叫んだ。

「やめろ、離せよ、ママ、なんで笑ってるんだよ、助けて、お父さ──」

そこから先は、別の男が無理やり口を塞いで、声が、んん、と潰れた。ブレザーの肩から腕を捻り上げられ、足をばたつかせる。その痛々しい暴れ方に、私は思わずテレビへ手を伸ばしていた。画面の冷たいガラスに指が当たって、ようやく自分が現実のソファに座っていることを思い出す。陰極線の中で、息子が、私の名前を呼んだ。それは直接には届かない、撮られた日における叫びだった。指先だけが、テレビの脂と埃の混じった温度を拾って、冷めきっていた。

「坊ちゃん、いいもん打ってやっから、おとなしくしてな。ママが、とても気持ちよくしてくれるからよ」

加持が、拓也の腕を無造作にまくった。細い腕の内側へ、あの注射器が吸い寄せられるように沈んでいく。息子の身体が、びくん、とのけぞった。薬が回り始めると、拓也の首元が赤く火照り、涙で濡れた目の焦点が、じわ、と弛んでいく。それでも唇だけは、力なく「やめ、ろぉ」と幼い音を吐いていた。ところが、脱がされた制服のズボンの前は、異様に硬く膨らんでいる。まだ射精を知って幾年も経っていない十七歳の、しかし血の気の多い性器が、服の上からでも形を変えて突っ張っていた。布越しにも、その先端の湿りが、小さな染みとなって広がり始めている。

「息子に、ママのいいところ、舐めさせてみろ。さあ、そこへ顔を沈めな」

加持の声が、柔らかいけど、ぴしゃりと拓也の背を叩く。男たちの手が息子の肩を押さえ、その顔を陽子の開いた股間へ、じわじわと近づけていく。拓也の鼻先が、赤い下着へ触れた。ふるふると首を振る。けれど、注射された薬は、息子の身体から抵抗を溶かして、呼吸を浅くさせていく。私の額に、ねとつく汗が浮いた。あれは、私の子だ。小学生の頃、私の膝へ登って、店の前に停まるトラックを怖がって泣いていた子。今、その子の口から伸びた舌が、妻の割れ目を、自分の母の、陰部を、赤い紐を横へずらして覗かせた薄桃色の肉へ、ちゅ、と触れた。その舌先が、つい先ほどまで味噌汁を啜っていた唇から突き出されていることが、私の頭蓋を、鈍い金槌で叩いた。

「あ、うそ、……拓也、だめ、そんな、ママを見て、イヤ…見ちゃいやあ」

陽子の口が、初めてこの映像で親らしい拒絶を零した。両手で息子の頭を押し返そうとするけれど、拓也の吐息が股間へあたるたび、太腿の内側が波打って、腰がわずかに浮く。舌が、ぬちゃ、くちゅ、と濡れた音を立てて、赤い下着の上から割れ目を何度も往復する。頭を固定した男の手の中で、拓也の鼻と口の周りが、唾液と女の汁で、てらてら光り始めた。息子の鼻梁が、妻の肉のしわを押し上げて、くぐもった呼吸を立てる。映像のマイクが、彼の喉の奥から漏れる、むぐ、という音まで拾っていた。私の耳の釜の中で、熱い湯が沸き返る。見るな、聞くな。そう叫ぶ舌の先を、噛み切ってしまいたい。それなのに私は、画面から目を背けられず、ただ縛り付けられたように瞼を開け続けていた。

「ママ、これ、何か、おかしい、身体、熱くて、出したい気持ちが、止まらない」

拓也が、ぐじゅ、と鼻を啜る。赤い下着が、ますます愛液と涎で黒く変色していく。陽子が、あっ、と小さく喘ぎ、それから恐る恐る、息子の頭を自分から抱き寄せていた。その手つきがあまりに自然で、私の胃の腑が、するりと冷えた。最初は拒んでいたはずの指が、こわばりながらだが拓也の後頭部をなでて、自分の恥部へ、ぐっと押しつけようとしている。

「いいのよ、タクくん……もっと、舐めて。ママの、ここ、タクくんに舐めて欲しい」

違う、誰か、あの手を、拓也の頭へ、触れさせるな。なのに私の喉は干からびた井戸のようで、音ひとつ出ない。あの女は、妻は、自分の息子の舌を、明け透けに恥丘へ導いていく。肉親を肉親でなくす、あまりに丁寧な指使いだった。

やがて正面から映る陽子の肉体が、ぐいと突き上げられた。彼女が自ら、息子の腰を抱え込む形で床へ倒れ、赤い下着の股布を横へずらしきった。拓也が仰向けの陽子の上に、細い膝をぎこちなく割り入れる。どっちも息が上がって、汗で肌が白く透けていた。拓也の下腹部に、大人のような太さの陰茎が、血管を幾筋も浮かせて反り返っている。ああ、それは私の血を継いだ男根だった。その先端の、形も色も、見たことがないほど雄々しいのに、なぜだか無性に私の腹の下が痺れた。血の繋がった男のそれを、私の妻の胎が待ち侘びている。自分の中で、その二つの熱がどう繋がるのか、説明できる者などここにはいない。それでも画面の中の二人は、私の困惑など歯牙にもかけず、互いの性器を擦り寄せ合っていた。

「入れるよ、ママ、痛かったら言って。僕、どうしても、もう」

「……来なさい。拓也の、欲しい。ママの、奥に、来て、ああっ」

陽子が、自分で赤い布を押し上げ、薄く開いた肉口を指で差し開いた。小さな桜色の襞が、照明の下で、ねっとりと光を吸ってたぷたぷと蠢いている。息子の男性器がその窪みへ、ぬる、と押し当てられて、先端だけが半分沈む。粘膜が「くちゅ」と泡立った。深く、ゆっくりと、拓也の腰が落ちていく。一度入ったらずぶ、ずぶり、と水飴のような音を几帳面に響かせて、彼女の奥まで、実の子の肉の柱が根元まで呑まれていった。あの音は、私が寝室で聞いてきた、妻の胎が男を受け入れるときの水音に、どこまでもよく似ていた。違うのは、その肉をもって彼女を開いているのが、私でも他人でもなく、私の血を分けた十七歳の少年だという一点だけで、だからこそ、その音はこれまでで最も深く、耳の奥の骨へまで突き刺さった。

「ママの中、僕の、とけてるみたいに熱くて、ひくひくして、気持ちいい、出る、もう出ちゃう」

「ああ、あ、拓也、動いて、好きに突いて、ママの、奥、ああ……や、あ、い、こう、くる、ああッ」

陽子の全身が、硬直と弛緩を繰り返す。腰が、弓みたいに跳ねた。画面に、結合部のぬめる音が、ぐぷ、ぐぷ、じゅるじゅる、と卑猥な濃度で積もっていく。息子の腰の薄い肉が、母の尻たぶへ打ち付けられて、赤黒い肉枷を作る。快感の波に、陽子の秀でた乳房が揺れ、下着から逃げた乳輪が、ぷっくりした粒を震わせていた。私の知らない、義母でもなく、実の、母が。画面の隅で、男たちが手を叩く音。ぱち、ぱち、と、およそ交歓の場に似つかわしくない、整然とした卑しさで、その手は息子の尻の動きに合わせて打たれていた。

「いいか、坊ちゃん、これからずっと、ママの裸を思い出しながら抜け。けど今だけは、この悦い乳で、あんたのザーメン、たっぷり搾り出せ。ほら、ママの乳首、もっと腰に咥えて吸い上げろ」

加持が、陰茎を握り直すよう、拓也の腰を叩いた。音が、肉に吸い付くように、ぺちん、と鳴る。拓也の目の縁が、媚薬のぼんやりした光と、荒い情欲で濡れている。彼は母の胸へしゃぶりつき、乳首をこりこりと舌で転がしながら、下腹を強く擦り付けた。二人の肌が、ひた、と密着するたび、腹と腹の間に溜まった汗が糸を引いた。乳首を吸われるたび、陽子の喉から、ひゅ、と空気の抜ける音がして、胎の奥がきゅうきゅうと息子の先端を締めつけていた。

「ママ……いく、出る、膣の中、ママの子宮に、く、る、ああ、出す、出す、ママッ」

「一緒に、いっしょ、ああ、ママも沈んでく、拓也の、タクくんのおちんちんが、奥で、育って、あああっ、あっ、あっ、いく、しんじゃうっ」

その瞬間、陽子の顔が、これまで見せたことのない深い谷へ落ちていった。眉と鼻の根が寄り、口が言葉にならない形に開く。手足の指が丸まり、拓也の背中へ爪を食いこませる。結合部の奥で、どくどくと射精の痙攣が伝わるのが、映像の音越しに、私の腹の中でも器用に反響した。濁った精液が、拓也が少し腰を引いた途端、母の割れ目から逆流して、尻の狭間をゆっくり下った。排泄物のように、白いしみが、赤い下着の端を浸していく。私はようやく、自分の口元へ涎が這っていることに気づいた。叫ぶでもなく、泡を吹くでもなく、ただ無様に、あたたかい体液だけが頬を濡らしていた。

しかし、映像はそこで終わらなかった。男たちが、薄笑いを浮かべたまま、カメラを固定位置から下ろす気配もなく、むしろレンズを二人の絡みへ、さらに這い寄らせていく。拓也は一度、精を放ったあと、白く濁ったそれを母の胎内へ残したまま、しなだれるように胸の上で浅く呼吸していた。肩が上下して、背中の汗が照明を受けて銀色に光る。あれだけ激しく腰を打ちつけたあとだから、しばらくは動けまいと、私も、そして恐らくは男たちも思っていた。

ところが陽子が、ぬるりと身を起こした。息子の腰に絡めた両脚をゆっくり解くと、赤い下着を片側だけ、肩紐ごと、するりと剥ぎ落とす。まるで安物の舞台を彩る緞帳が上がるように、重い乳房が露わになった。乳輪は赤黒く充血し、乳首は熟した木苺の粒みたいに尖っている。彼女は自分の腹の上から溢れた精液を人差し指で掬うと、口元へ運び、舌の先へちょん、とのせてから、ちゅる、と啜った。その音を、私は確かに聞いた。私の妻が、息子の精を味わうために、自らの指をしゃぶっている。唾液も愛液も混じった指を、まるで高級な飴でも堪能するみたいに、目を細めて啜っている。味を確かめるように、舌が指の腹を離れた。

「足りない、拓也。まだ全然足りないの。タクくん、ママを、タクくんのおちんちんで女にして…」

それは私が知る陽子の声から、限りなく遠い場所にある、もう一つの生き物が発した声だった。彼女は拓也の頭を抱え、汗で張り付いた前髪を掻き上げてやりながら、自分の胸元へ導いた。息子の口が、はむ、と乳首へ吸い付く。さっきまで射精の直後で、くたりと融けていたはずの体が、再びぎしぎしと軋み始める。薬はまだ、拓也の血の中で燃えている。いや、薬だけではあるまい。母の胸へ吸い付けば、男の身体は自然に火が点く。彼の下腹部では、つい今しがた注ぎ終えたはずの肉茎が、また太く充血して起き上がろうとしている。陽子はその浅ましい復活ぶりを、嬉しそうに、私へは決して見せたことのない目で撫で回した。指先は、産んだ子供の身体にこんな蠱惑があるわけがないと、疑いながらも、その肉の熱を逃さまいと、そっと握り込む。

陽子の手が、拓也の陰茎へ伸びた。精液と自分の愛液でぬるぬるした皮を、初めは恐る恐る掴み、次いで根元から亀頭へ向かって、ゆるゆると扱き上げる。どうしてあの手つきを知っている。あの力加減、手首の返し方、指先のささくれまで、お前に向けたことなど一度もなかった癖だ。くちゅ、にちゃ、と粘りつく音が、男たちのうち誰かが立てる舌なめずりの音と重なる。拓也が、は、あ、と熱い息を天井へ吐いて、腰を突き出した。すると陽子は、慈しむように額を彼の下腹へ押し当て、先端を、ぱくりと咥え込んだ。肉の輪を唇でゴムを外すように剥き、紫がかった先端を口蓋で撫で、ぬるぬると貪っていく。その顔が、カメラに向かって僅かに傾き、こちらを見ている。息子のものを咥え、頬を窄めて、ほう、と鼻から息を抜くその眼が、誰よりも淫らな雌のそれで、私の知っている妻は、もうどこにもいない。

「ママ、それ、だめ、きたない、出したばっかで、あ、ん、うあい、気持ちいい、ママの口の中、熱い、とろける、うそ、舌まで、あ゛っ」

陽子は答えず、ちゅぷ、じゅぷ、と卑猥な水音を立てながら、息子の肉茎を根元まで飲み込んだ。白濁と唾液が混ざり、口の端から泡立って顎を伝う。男たちが、画面の外で「うまそうに食うねえ」と冷やかす。陽子は気にする素振りもなく、頬を窄めて、ぢゅぷる、ぢゅるる、と吸い上げた。カメラが近寄って、彼女の口の中の肉茎が、唾液で膨れた皮を剥かれて、紫がかった先端を喉の奥へ突き込むさまを容赦なく映す。あれほど淑やかに夕食の箸を運んでいた唇が、息子の浅ましい臭いを嗅ぐために鼻を寄せ、根元の陰毛まで顔を埋めている。十七歳の若い肉の生臭い匂いを、肺いっぱいに吸い込んでいる。喉を絞めるようなその仕草は、慈母のそれではなく、明らかに獲物を啄む鳥の、鋭い下くちばしの動きだった。

そのうち拓也の腰が、自分から浮いた。小さく突き入れる。すると陽子は喉を開くように首を反らし、息子の両尻を掴んで、手の中で硬く張った肉をさらに催促した。のど、のど、と奥で声がしている。つながる息子は、目の端から涙を零しながら、獣みたいに腰を揺すり続けた。けれど先程一度、射精を終えた身体は、簡単には爆ぜない。膨らんだ欲望が、下腹の中でぐるぐると渦を巻いて、出口を探しているのが、カメラ越しの吐息の乱れだけで分かる。やがて陽子が口を離した。唇と亀頭の間に、銀色の橋がいくつも架かって、ぷつぷつと切れていった。

今度は彼女が、拓也を押し倒した。仰向けにさせた息子の腰を跨ぎ、もう乱れきった赤い下着の股布を自分からはだけさせる。カメラが彼女の後ろ、こちらに背を向けた姿を捉えた。白い背中が、暗い部屋の中で薄明るく浮かび、腰から尻へかけての肉付きが、油をひいた陶磁器のように照り光る。あの腰を、私は何年も横で眺めていた。布団の上、梅雨時の風呂上がり、朝の光の中で──だが、あの腰つきは知らない。ゆっくりと、餌を呑む蛇みたいに、自分の胎へ息子の陰茎を先端から埋め込んでいく。ぐぷ、ぬちゃ、ずぶぶ、と押し入っていく音が、マイクの限界まで膨れ上がる。陽子は顎を天井へ向けて、唇を半開きにし、鼻から甘い息ばかりを逃した。

入口まで飲み込んだところで、彼女は自分の乳房を両手で持ち上げ、息子の顔の真上へ垂らした。乳首を、拓也の唇に擦り付けるようにする。拓也は子犬のように食いついた。ちゅぱ、ちゅぱ、と舌で乳首を転がしながら、下からは何度も腰を突き上げようとする。けれど陽子が、その動きをたしなめるように腰を前後に滑らせ、ぐちゅぐちゅと肉を擦り合わせて、まだ動くな、とばかりに上から体重をかけた。母の膣が、息子の形をした若い肉柱をくわえ込み、奥のひだを擦るたび、二人の喉の奥から寸分たがわぬ吐息が交差する。その音は、親子の吐くはずのない、しかし同じ血を持つ者同士の骨の奥でしか生まれない、湿った共鳴だった。

「あ、あ、拓也、分かる? ママのここ、あなたが生まれてきた場所。あのときは、あなたの頭を、この奥から、押し出した。今タクくんは、その場所を……ふ、ああ、奥から、突いてる。産んだ場所に、今度は、お、ちんぽ、ああ、入れられて、擦って、拓也…タクくん、ママを、雌に、してもいい、ママ、もう、拓也の雌で、いい、あ゛……!」

彼女の背面から、汗が一筋、背骨の谷を伝って、窄まった肛門の位置までゆっくり落ちていく。カメラは、その汗の道を追いかけて、結合部へむしゃぶりつくように寄っていく。赤い下着が、もはやただの邪魔な綿切れと化して、二人の脇腹にひっつき、互いの肉を擦り合わせるごとにくちゃくちゃと鳴っている。膣の中から這い出した泡が、まるで二人の結合を隠すための雲みたいに、すずなりになって広がる。拓也も、負けじと母の乳房へ吸い付いたまま、下から腰を突き上げる。ばちばちと腹がぶつかる音、息子の骨盤が、産んだ母親の恥骨を砕くように押し当たる音。あれは、懐かしい筈なのに、私は群れで交わる畜生の唄にしか聞こえなかった。

拓也が、突然、陽子の腰を両手で掴んだ。力を込めて、上から押さえつける。骨ばった指先が、白い肉へ赤い痕を残す。そして母の膝が床から浮き、つま先が内側へ丸まる。一突きするたびに、あ、い、く、と短い母音が口から飛び散り、そのたびに唾液が唇を濡らして、カメラへ向かって銀色に輝く糸を跳ばした。

「出る、また、出る、ママ、子宮に、だして、種、いっぱい、ああ、聞こえてる、ママの奥の口、吸い付いてくる、やわらかい、なか、あ゛っ」

「しゃべらないで、いいの、そのまま、奥、掻き回して、子宮の入口、擦って、あ、ふ、あ゛、そこ、そこ、拓也、ママの男のように突いて、男になって、ママを、もっと、めちゃくちゃに、あ゛……!」

もう、どちらが親か子かなど、二人の間では灰汁みたいに薄れて消えている。腰と腰が、ただ交われる深さばかりを計り、内臓を擦り合わせ、腹の中で煮えた汁を泡立てるだけだ。私の目の前で、たった今、妻と息子が雌と雄になった。重なり合い、噛み合い、胎の奥で性を噛み締めながら、互いの形を互いの性器で押し潰し合う。あまりに密接で、あの二つの身体のあいだに、もう親子の面影は一片も残っていない。残っているのは、ただ粘り合う肉の隙間を、二筋の汗と一筋の愛液が流れている光景ばかりだ。

やがて陽子が、ひと際高く背を反らし、乳首から滴った涎の雫がカメラの前へこぼれた。その瞬間、拓也の腹が何度も痙攣し、下腹のあたりが内側から波打つ。二人の悲鳴が、同時に、おのおの別の生き物の声で絡み合って、天井へ昇っていった。拓也は母の体を抱きしめたまま、腰を抜かしたように震えて、また胎内へ注いでいる。どく、びゅ、と低い脈動が、彼女の肉襞をつたって、結合部から白い泡へ変わり、ぼたり、ぼたりと床へ落ちた。

二度目の射精を終えた息子の背を、陽子は片手でゆっくり撫で、もう片方の手で、彼の汗まみれの髪を掻き上げてやった。その指先は、まるで我が子を寝かせる母親のそれに戻って見えた。けれど唇の端からは、まだ摂り切れなかった欲の色が滲んでいる。彼女は、くったりと横たわった拓也の耳元へ、何かを、歌うように囁いた。マイクがその音を拾う。

「よかったわタクくん。ママのこと、雌にしてくれたね。これで、もう……拓也のママでいられなくても、いいの」

カメラは、その声を逃すまいと、画面いっぱいに彼女の半開きの唇を映して、まだ微かに息子の脈動で蠢いている下腹の肉を、しつこく狙い続けた。男たちの一人が、喉の奥を鳴らす。カメラの位置が、肩に担ぎ直される気配がして、映り込む男の腕が、陽子の尻の汗を拭うように伸びた。それでも彼女は、息子の頭を抱えたまま、レンズへ向かってほんの少しだけ、口角を上げる。赤い下着は、もはや彼女の片足首に、ちぎり捨てられた花のようだった。

私の手の中には、もう何も残っていない。テレビの前で、尻の下のソファが、他人の革のように冷たくて、湿っている。画面が、まだ微光を帯びて明滅していた。

部屋に、静寂が降りる。外はまだ、湿った夜の底。テレビの主電源を切る気力もない。砂嵐の残滓みたいな、銀色の微光が、瞼の裏でまだ燃えている。私は膝の上の両手を見た。指が、自分のもののように動かない。二枚とも、終わった。いや、終わったのは、映像の再生だ。映像の内容は、私の中で何度でも、骨の内側を舐めながら反芻される。あの白い精液の色、赤い下着の残像、息子の声、妻の、これでよかった。クスリの注射痕を擦る自分の指。そこに、愛の有無よりも深い、何かが根を張っていた。肉の契約めいた沈黙が、胃の底を冷たい泥で満たしていく。

私は、床に落ちた封筒へ手を這わせ、二枚のDVDケースを拾った。紙が、ぱり、と音を立てる。何の解決にもならない。土地を手放しても、判を押しても、おそらくもう、手遅れだ。私は自分が何を守っていたのか、それだけを繰り返し問うた。店。父。土地。あの六月の、梅雨を待つ午前十時。汗と漂白剤の混ざった日曜の匂い。継いだものを守ると誓ったとき、私の脳裏にあったのは、仏壇へ手を合わせる妻の後ろ姿と、朝の光の中を笑う家族の匂いだった。その妻は、赤い下着を着て、自分の太腿の注射痕を撫で、息子の頭を股間へ抱き寄せた。同じ家で、同じ私が守るべきだと信じていた人たちが。そして、その息子は、自分の母の胎内で二度も達し、その唇を、母の口唇のように受け入れていた。

長い夜が、ゆっくりと明けていく。気づけば窓の外の闇が、薄墨から、青味がかった明るさに変わっていた。庭木の輪郭が浮き、物干し台の白い竿が、朝の光を吸って立っている。雨戸の隙間から、ほんのりと新しい日の匂いが這い込んだ。新聞配達の自転車の音が、遠くを、かすかに通過していく。私はソファの上で膝も動かせず、DVDのケースを両手で握ったまま、テレビの黒い画面を見つめていた。テレビ画面の向こう側では、もう何も動かない。だが、画面の向こう側から、確かに昨夜の肉と体液と、息子の荒い呼吸が、この部屋の空気へ溶けて、朝の酸素の一粒一粒まで侵している。私の身体もまた、昨夜までは家族の匂いで出来ていたのに、今はもう、他人の、いや、家族の熱で焼かれた後の、冷めた煙の味しかしなかった。

これから、どうすれば。立ち上がることもできず、ただ、頭蓋の中の白い濁りと、目蓋に張り付く赤い色の残像を見つめていた。土地を守った。私は、守ったのだ。守るために、あの二枚を回した。父から継いだ家と店と、畳の上の笑い声。だが、今この両手の中には、返る場所の消えた、薄い円盤が二枚、あるだけだ。日は昇る。激しい後悔だけが、骨の奥で、炭火みたいにぢりぢりと燃え続けた。

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読み終えたあとの余韻に。

OVA 夏妻 #2 を FANZA で見る →
登場人物
  • 隈本昇 くまもと のぼる
    男性 ・ 45

    外見: 白髪交じりの短い黒髪、黒目、細く筋張った身体、172cm。服装: 中年の店主らしい野暮ったいカーキの作業ズボンに、洗いざらした淡い灰色のポロシャツ、店番の時には首に下げた老眼鏡が汗ばむ胸元で揺れる。末端の身体に似合わず妻を愛する心だけは濃く、沈黙の多い男。若い頃は曽祖父の代から続く商いを継ぐことを拒んだが、父が病に倒れて家と共に背負わされ、今は骨の髄まで店の匂いが染み込んでいる。繊細で言葉数は少ないが、内面は執拗なまでに深く沈んでいき、一度思い詰めると悪い方向へ悪い方向へ暗い穴を掘り進む性質がある。

  • 隈本陽子 くまもと ようこ
    女性 ・ 41

    外見: 焦げ茶色の長い髪を背中で一つに束ねた質素な出で立ち、黒目でやや釣り上がり気味の二重、肉感的な骨格。肩幅は狭いが腰が横に張っていて、後ろから見る下腹部から太腿にかけての丸みが四十を過ぎても艶を帯びている。声は落ち着いた中音域だが、内に熱を帯びる。乳は重たくやや下がって大きなものの先端が常に服の上からでも形を主張して、薄い陰毛の下、厚ぼったい大陰唇と崩れた小陰唇が服の上からでも汗ばむほど。普段は夫の見る前では地味なベージュの下着だが、心の奥に人目を引く眺望を愉しむ女の業が見え隠れしている。言動は柔らかく控えめだが、からだに触れる他人の手に無自覚で弱い。

  • 隈本拓也 くまもと たくや
    男性 ・ 17

    外見: くせのある黒髪を無造作に伸ばし、目元は母に似て二重で黒い瞳、体格は父に似て華奢だが高校の部活動で適度に引き締まっている。背は高く、178cmの手足が伸び盛り特有の危うい仕草を見せる。普段は無口で、家の中ではいつも床や壁の一点に視線を落としている。同級生と話す時は普通に笑うらしいが、家族の前では声も感情も薄く、自室に早く引っ込みたいと思っている。

  • 加持悠二 かじ ゆうじ
    男性 ・ 35

    外見: 黒々とした髪を短く刈り込み、鋭い爬虫類めいた細い目、がっしりした骨太の肩幅と厚い胸板、身長180cmの巨躯。背中に彫った墨の龍が腕や首すじにまで這い上がり、見る者に威圧を叩きつける。笑うと目だけが笑わない、支配を愉悦とする男。

  • 浜口 はまぐち
    男性 ・ 42

    外見: 金髪に近い茶髪をオールバックに流し、瞳は飴色、細い身体に筋張った腕、175cm。肩が前すぼみで猫背、手が異様に大きく指の節が黒ずむほど荒れている。笑い方にガムを噛み続ける癖があり、加持よりも軽薄で粘着質。

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